第9話 王都の隠れ家と、最初の『大物』患者
王都グランゼールの下層区。
迷路のように入り組んだ路地の突き当たりに、その『診療所』はあった。
門番隊長ボリスが、かつて恩師が住んでいたという空き家を、レンたちのために手配してくれたのだ。
「……古いけれど、掃除をすれば使えそうです。レン様、ここを私たちの拠点にしましょう」
聖女セラフィナが、慣れない手つきで箒を手に取る。
王都の豪華な神殿にいた彼女が、埃まみれの古民家で微笑んでいる。その光景はどこか幻想的で、エルフリーデは複雑な思いで彼女を見守っていた。
「ああ。まずはここを整える。……養生には、清潔な環境が不可欠だからね」
レンは既に、一番日当たりの良い部屋に施術用のベッドを組み上げ、お灸の香りが染み付いた道具箱を広げていた。
看板は出さない。だが、その夜。
雨が石畳を濡らし始めた頃、重厚な扉が静かにノックされた。
訪れたのは、全身を黒いマントで覆った二人組だった。
一人は屈強な体躯の護衛らしき男。そしてもう一人は、マントの下で苦しげに肩を上下させている小柄な人物。
「……ここが、針を使うという異端の治療師の庵か」
護衛の男の声には、隠しきれない威圧感と、焦燥が混じっていた。
エルフリーデが反射的に剣の柄に手をかける。だが、レンはそれを制して、客人を招き入れた。
「診察を受けたいなら、まずはその雨具を脱いで。……湿気は、弱っている体には毒だ」
レンの淡々とした言葉に、小柄な人物がゆっくりとフードを外した。
現れたのは、青白い肌に、知性を湛えた瞳を持つ初老の女性。
エルフリーデとセラフィナが、同時に息を呑んだ。
「……バルバラ、公爵閣下……!?」
王国最強の魔導師にして、現国王の叔母にあたる人物。
国の魔導防衛網の要である彼女が、なぜこのような裏通りに、ボロボロの姿で現れたのか。
「……無作法を許せ。だが、王立医師団には、もう頼れんのだ」
バルバラは、椅子に座るなり激しく咳き込んだ。
彼女の胸元からは、黒ずんだ魔力の残滓が、まるで生き物のように蠢き、首筋へと這い上がっている。
「『魔導蝕』……。高位の攻撃魔法を使いすぎた代償ですね。魔法医たちは、光の浄化で治せると言ったはずですが」
セラフィナの問いに、バルバラは自嘲気味に笑った。
「浄化だと? ……あやつらが光を当てるたび、私の体内の魔力回路は焼き切れ、この『黒い呪い』はより深く、骨の髄へと逃げ込むのだ。……今では、杖を持つことすら、火に焼かれるような痛みが走る」
「当然だ。汚れた水を流すために、上から綺麗な水を無理やり流し込めば、パイプは破裂する。……あんたの回路は、もう限界だ」
レンはバルバラの前に膝をつき、その細い手首を掴んだ。
脉を診る。
レンの視界に映るのは、もはや地図の体を成していない、千切れた魔力経絡の惨状だった。
「治せるか、少年。……いや、治療師よ。私はまだ、死ぬわけにはいかん。この国を狙う隣国の軍勢が、国境に迫っているのだ」
「……治す。だけど、普通のやり方じゃ無理だ」
レンが取り出したのは、これまで使ってきた銀の針ではない。
漆黒の輝きを放つ、特殊な素材で打たれた『極長針』。
「あんたの心臓のすぐ側にある『魔力の澱』を、一気に体外へ排出させる。……失敗すれば、あんたの魔力は暴走して、この家ごと吹き飛ぶ。……それでも、やるかい?」
バルバラは静かに目を閉じ、そして、不敵に口角を上げた。
「……案ずるな。まな板の上の鯉だ。……お前の腕、信じさせてもらおう」
庵の外では、雨足が激しさを増していた。
王立医師団が「匙を投げた」国家の守護者。
その命運が、裏通りの鍼灸師の指先に託された。
第9話、お読みいただきありがとうございました。
ついに現れた「国家レベル」の患者、バルバラ公爵。
魔法を極めたがゆえの不治の病に、レンが真っ向から挑みます。
これまでは「身体の不調」でしたが、今回は「命のやり取り」に近い、極限の施術描写。
レンが用意した漆黒の針の正体とは?
そして、この施術が王都にどのような激震を走らせるのか。
「レンとバルバラの緊張感がすごい!」
「公爵を救って医師団を黙らせてほしい!」
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皆様のポイントが、レンの集中力を極限まで高めます。
次回、第1章最終話「神の手、魔の針。――王都を震わせる『トトノイ』」。
第1章の集大成、最高峰のカタルシスをお届けします。お楽しみに!




