第6話 教会の闇と、特製薬膳茶
翌朝、レンの庵には、これまでになかった「柔らかい空気」が漂っていた。
「……あ、暖かい。お布団の中が、ずっと暖かいなんて……」
目を覚ました聖女セラフィナは、毛布の感触を噛み締めていた。
いつもなら、目覚めと共に全身を襲うあの刺すような悪寒がない。指先には血が巡り、爪先まで自分の意思で動かせる喜び。彼女はそっと自分の頬に触れ、そこに宿る熱に、また涙をこぼした。
「起きたか。あまり急に動くなよ。君の経絡はまだ、大雨が降った後の脆い堤防のようなものだ」
縁側で薬草を刻んでいたレンが、振り返らずに声をかける。
その隣では、すでに身支度を整えたエルフリーデが、複雑そうな表情でセラフィナを見つめていた。
「……セラフィナ様。顔色がよろしいようで、何よりです」
「エルフリーデ分隊長……。あの、昨夜は、その……ごめんなさい」
セラフィナは身を縮めた。
かつて自分が「完璧です」と言い放った相手に、ボロボロの姿を救われたのだ。その羞恥と申し訳なさが、彼女の心をチクりと刺す。
「謝罪は不要です。私も、レンに会うまでは魔法が万能だと信じて疑わなかった。……それに」
エルフリーデは、レンが差し出した木製のカップをセラフィナに手渡した。
「これを飲んでください。レンが朝から煮出していた、特別な……ええと、『お茶』です」
カップからは、爽やかな柑橘の香りと、少しだけスパイシーな香りが立ち上っていた。
「それは『黒豆と陳皮、それにナツメを合わせた薬膳茶』だ。セラフィナ、君の体は『陽の気』が枯渇している。お灸でつけた火を絶やさないように、内側から薪をくべてやる必要がある」
セラフィナは両手でカップを持ち、ゆっくりと一口含んだ。
――甘い。
そして、染み渡る。
魔法で作られた熱水のような刺々しさはなく、春の陽だまりが胃の中に広がっていくような感覚。飲むたびに、強張っていた内臓がふわりと解けていく。
「おいしい……。教会で飲んでいた、どんな高価な聖水よりも、ずっと……」
「それは良かった。……だが、ゆっくり味わっている時間は、あまりなさそうだ」
レンの言葉と同時に、森の静寂が破られた。
――ガシャン、ガシャン。
規則正しい金属音。それは、重装備を纏った騎士たちが、集団で移動する音だ。
「聖女セラフィナ様! いらっしゃいますか! 教会騎士団です! 不浄の呪術師に拐われたとの報告を受け、お迎えに参りました!」
傲慢な声が森に響き渡る。
セラフィナの顔から、一気に血の気が引いた。
「……追っ手、ですか。あの方たちは、私を心配しているのではないわ。……ただの『動く魔力供給源』を失いたくないだけ」
「レン、私が出る」
エルフリーデが剣を手に取る。だが、レンはその肩を軽く叩いて制した。
「待て。君はまだ病み上がりだ。……それに、あいつらは『魔法の常識』で動いている。なら、魔法じゃない方法で分からせてやるのが一番早い」
レンは腰のポーチから、一本の、少し太めの『長針』を取り出した。
「エルフリーデ、セラフィナ。少し見ていてくれ。これが、君たちが忌み嫌ってきた『針』の、もう一つの側面だ」
レンが庵の前に一歩踏み出す。
そこには、十数名の重装騎士を連れた、豪奢な法衣の司祭が立っていた。
「貴様が呪術師か! 聖女様を返せ! さもなくば、この場で神の裁きを――」
「裁き、ね。……その前に、あんた。右の膝が笑ってるぞ。昨夜、無理に馬を飛ばして、冷たい風に当たったせいだろう? 『寒湿』が溜まって、魔力の流れが滞っている」
「なっ、何をデタラメを!」
「デタラメかどうか、試してみるかい?」
レンの指先が、目にも止まらぬ速さで動いた。
放たれた長針が、司祭を護衛していた騎士の、分厚い鎧の「隙間」を縫うようにして、その太ももの一点に吸い込まれた。
「……あ?」
騎士が呆けた声を出す。
次の瞬間。
「ぐわぁぁぁぁぁッ!? ひ、膝が、膝が勝手にッ!!」
巨躯を誇る重装騎士が、まるで糸の切れた人形のように、その場に激しく崩れ落ちた。
痛みではない。自分の意思とは無関係に、足の筋が強烈に収縮し、一歩も動けなくなったのだ。
「な、何をした……!? 何の魔法だ!」
「魔法じゃない。ただの『スイッチ』を切っただけだよ」
レンは冷めた瞳で、狼狽する司祭を見据えた。
「悪いが、この二人は僕の患者だ。完治するまで、一歩も通すつもりはない」
第6話、いかがでしたでしょうか。
ついにレンが「戦闘」において、針の真価を発揮しました。
暗殺術ではなく、あくまで身体の仕組みを熟知した「解剖学的無力化」。
これぞ、プロの鍼灸師が異世界で見せる最高の「わからせ」です。
エルフリーデとセラフィナ。
立場は違えど、レンに救われた二人の絆もここから深まっていきます。
「レンの『スイッチ切り』、もっと見たい!」
「聖女様を守るエルフリーデがかっこいい!」
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次回、第7話「強制トトノイ。――司祭様、お顔が凝っていますよ?」。
逃げようとする司祭を捕まえ、レンが施す「恐怖の治療」とは。お楽しみに!




