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魔力詰まりは万病の元 〜回復魔法で治らない「身体の重だるさ」を、不遇の鍼灸師が針一本で調律する。魔力のコリを解したら、最強の戦乙女や聖女に懐かれました〜  作者: 蒼野湊
第3章 東方刺客・霊脈編

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第31話 番外編 院長先生の不養生

「――はい、お疲れさま。今日はもう白湯を飲んで、早めに寝ること。いいね?」


 国立調律院の診察室。レンはその日最後の患者を送り出すと、ふう、と長く息を吐いた。

 窓の外はとっくに暗い。ヤクモとの戦いが終わり、世界の「コリ」が解れてからも、王都グランゼールの民は相変わらず「一度でいいからトトノわせてほしい」と、朝から門前に列をなす。

 養生の文化が根づいたぶん、健康に欲が出たのだ。皮肉なものだと、レンは小さく笑った。


「……ん」


 立ち上がろうとして、レンは思わず右肩を押さえた。

 奥の方で、嫌な熱が燻っている。首から肩、後頭部にかけて、鉛を流し込まれたような重だるさ。


(……これは。典型的な経絡の閉塞だな)


 毎日何十人もの魔力回路に針を通し、他人の「詰まり」を引き受け続けて、自分の巡りを後回しにしていた。診断は一瞬でついた。

 ついたのだが。


「自分の背中には、針が刺せないんだよなあ……」


 肩甲骨の裏も、首の付け根も、自分の手では届かない。だん中も翳風も、鏡を見ながらでは精度が出ない。

 医者の不養生、とは前世でもよく言ったものだ。


 ***


「――レン。顔色が悪い」


 翌朝。運動指導の演武を終えたエルフリーデが、診察室を覗くなり眉をひそめた。

 戦乙女と称された彼女の目は、剣筋だけでなく、人の不調も見逃さなくなっていた。誰に仕込まれたのかは、言うまでもない。


「ああ……ちょっと肩がね。大したことないよ」

「大したことない者の歩き方ではない。右をかばっている。……三ヶ月前の私と、同じ顔だ」


 ぐ、とレンは言葉に詰まった。

 辺境の庵で、鉛を飲んだように重い体を引きずって扉を叩いた、あの日の彼女。立場がそっくり入れ替わっている。


「治療師というのは、自分の番になると途端に往生際が悪くなるものなんだな」

「……否定はしないよ」


 エルフリーデは腕を組み、しばし考えてから、思い切ったように白衣の背に手をかけた。


「私が打つ」

「は」

「お前のやり方は、この体に嫌というほど刻まれている。背中のどこに、どの深さで響かせるか。……ぜんぶ、お前が私に教えたことだ」


 彼女の指先が、おそるおそる肩甲骨の裏をなぞる。剣を握る時の迷いのなさが嘘のように、その手つきは硬く、不器用だった。


「ここ、で合っているか」

「……天宗てんそう。少し下。そう、そこだ」

「痛むか」

「いや。……うまいよ、エルフリーデ」


 褒められた騎士の耳が、ほんのり赤くなる。

 銀の針が、レンの背に静かに沈んだ。彼自身が幾度となく他人に与えてきた「響き」が、今度は彼の体を内側から駆け抜ける。


「……っ、く」

「我慢、しなくていいんだろう。お前がいつも、そう言う」


 羽が生えたような軽さが、じんわりと肩に戻ってくる。

 他人に委ねた治療が、こんなにも温かいものだとは知らなかった。


 ***


「まあ! レン様が寝込んでいらっしゃると伺って!」


 騒ぎを聞きつけたセラフィナが、湯気の立つ椀を抱えて駆け込んできた。薬膳管理室自慢の、生姜となつめを煮込んだ養生粥だ。


「これを召し上がれば、きっと神の御加護で巡りが――」

「セラフィナ。それはたぶん、御加護じゃなくて生姜の力だよ」

「まあ、では生姜に宿った神の御加護ですね!」


 相変わらずの天然ぶりに、レンは思わず噴き出した。笑うと、強張っていた表情筋まで緩むのが分かる。

 これも立派な調律だ、と思う。


「院長。データを取りました」


 続いて入ってきたのは、魔導計算機を抱えたリセッテ。彼女は寝台の脇に器具を並べ、淡々と告げる。


「過去ひと月の診療件数、四百二十七件。院長一人の処理量が、適正値の三倍を超えています。……つまり、院長は自分を安売りしすぎです」

「手厳しいな」

「院長が倒れたら、トトノわせられる人が一人減る。割に合いません。明日から、予約は私が間引きます」


 帳簿の上では、彼女がいちばん怖い。

 けれど、その無愛想な計算の奥にあるものが何なのかは、もう分かる。


「ありがとう、リセッテ」

「……お礼は要りません。これは合理的判断です」


 ぷい、と顔を背けた彼女の耳も、やっぱり少し赤かった。


 ***


「――あらあら。院長先生が、患者様におなりとは」


 夕刻、見舞いと称してやってきたのは、すっかり血色を取り戻した第一王女フレアだった。茶目っ気たっぷりに寝台を覗き込む。


「いい気味……と言っては失礼ですけれど。あなたはいつも、人のことばかりですもの。たまには、誰かに甘えてくださってもよろしいのですわ」

「……王女様にまで心配されるとはね。重症だな、これは」


 窓辺には、エルフリーデが打った針。机には、セラフィナの粥と、リセッテが間引いた明日の予約表。


 辺境の庵に、たった一人で針を磨いていた頃には、考えられなかった光景だった。

 あの日、最初に扉を叩いたのは、重だるさを誰にも信じてもらえなかった一人の騎士。

 今は、彼の重だるさを、誰もが当たり前に気づいてくれる。


「……まいったな。これじゃあ、僕の負けだ」


 レンは天井を見上げ、くすぐったそうに呟いた。

 軽くなった肩のせいか、それとも別の何かのせいか。

 胸の奥の、いちばん深いツボが、じんわりと温かかった。


「明日には、ちゃんと起きるよ。――みんなを、トトノわせるのは、まだ僕の仕事だからね」


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

完結後の番外編、第一弾は「医者の不養生」をお届けしました。


第1話で、重だるさを誰にも信じてもらえずに庵の扉を叩いたエルフリーデ。

その彼女が、今度はレンの背に針を打つ――立場が入れ替わるこのお話が、いつか書きたい一編でした。


派手な戦いも、世界の危機もありません。

ただ、一人で背負ってきた治療師が、初めて誰かに身を委ねる。

そんな静かな「トトノイ」を、楽しんでいただけたら嬉しいです。


次回の番外編は、視点を変えて――あの男の、その後を。

「霧の中に消えた彼は、今どこで、何を診ているのか?」

お楽しみに。


レンと同じく、皆様もどうか、ご自分の肩を後回しになさいませんよう。

今日も一日、お疲れさまでした。――ご自愛ください。


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