第16話 祝杯と、心の「アフターケア」
公開討論から一夜。
王都の裏通りにあるレンの診療所は、かつてないほどの静寂に包まれていた。
……もっとも、その静寂は「平穏」というより、嵐の後の「心地よい脱力感」に近い。
「ふぅ……。やっぱり、自分の家が一番落ち着くね」
レンは縁側に腰掛け、初夏の風に吹かれながら白湯を啜っていた。
昨日までの喧騒が嘘のようだ。だが、庭の方からは、ドスッ、ドスッという力強い音が響いてくる。
「はぁっ、……ふぅ。……なるほど、魔力の『抜け』が今までとは段違いだ」
上半身を脱ぎ捨てた伝説の英雄ガウェインが、庭で木剣を振るっていた。
石化していた右半身は、今や若者のように瑞々しい筋肉の躍動を取り戻している。一振りごとに、空気が震えるような圧が放たれるが、以前のような「無理やり絞り出す」ような悲鳴はどこにもない。
「ガウェインさん。……言ったはずだよ。三日間は全力を出すなって。まだ経絡の壁が薄いんだ。急に魔力を流せば、またヒビが入るぞ」
「ははは、すまん。……だがレン殿、あまりに体が軽くてな。止まっていられないのだ」
ガウェインは子供のように笑い、木剣を置くとレンの隣にどっかと座り込んだ。
王国の守護神と、市井の治療師。奇妙な光景だが、そこには確かな信頼関係が流れていた。
「……十年間、私は死んでいた。だが、君の針があの時、私の魂に火をつけたんだ。感謝してもしきれん」
「感謝なら、その体を大事にすることで示してよ。……はい、これ。後で背中に貼っておいて。筋肉の緊張を和らげる薬草のパッチだ」
レンが手渡したのは、リセッテと共同開発した特製の湿布薬。
「……レン様、ガウェイン様! お食事の準備ができましたよ!」
診療所の中から、セラフィナの弾んだ声がした。
中に入ると、大きなテーブルにはリセッテが計算した栄養バランスと、エルフリーデが調達した最高級の食材、そしてセラフィナの真心を込めた「薬膳料理」が並んでいた。
「今日は特別ですよ。エルフリーデさんが、王都で一番の酒場から最高級の果実酒を仕入れてきてくれたんですから」
リセッテが、少し誇らしげに眼鏡を光らせる。彼女の右手はもう、一ミリの震えもなく正確に食器を並べていた。
「……レン。改めて、おめでとう。医師団の連中の顔、見たか? まるでお灸を据えられすぎた蛙みたいだったぞ」
エルフリーデが少し悪戯っぽく笑いながら、レンのグラスに琥珀色の酒を注ぐ。
「乾杯、私たちの最高の『調律師』に!」
四人のグラスが触れ合い、清らかな音が響く。
美味しい料理、温かい仲間、そして報われた努力。
レンの心にも、トトノイを超えた「幸福」という名の気が満ちていく。
……しかし。
そんな団欒の最中、診療所の扉が激しく叩かれた。
「――緊急事態だ! レン殿はいらっしゃるか!」
現れたのは、かつてレンが腰痛を救った門番隊長のボリスだった。
彼の顔は、かつてないほど蒼白に引き攣っている。
「どうした、ボリス。せっかくの酒が不味くなるような顔をして」
「……王宮だ! 王宮で、第一王女様が……! 医師団長ゼノスが施した『禁忌の術式』が暴走し、王女様が魔力拒絶反応で昏睡状態に陥った!」
ボリスの言葉に、食卓の温度が一気に氷点下まで下がった。
ゼノス。敗北を喫した医師団長が、なりふり構わず禁じ手に出た結果だ。
「……王宮医師団は全員、王女様の魔力暴走に巻き込まれて全滅寸前だ。……今、この王都で王女様を救えるのは、貴殿しかいないんだ!」
レンは静かにグラスを置いた。
隣でエルフリーデが立ち上がり、ガウェインが鋭い眼光を放つ。
「……やれやれ。デザートまでゆっくり食べたかったんだけどな」
レンは道具箱を手に取ると、いつもの、しかしより一層深い「職人」の瞳になって扉へと歩き出した。
「エルフリーデ、セラフィナ、リセッテ。……準備はいいかい? 今度の患者は、この国そのものだ」
第16話、お読みいただきありがとうございました!
つかの間の休息から、物語は一気に「王宮編」のクライマックスへと突入します。
医師団長ゼノスの暴走。そして命の灯火が消えゆく王女様。
レンの技術は、もはや医学の域を超え、国家の存亡を賭けた「聖域の調律」へと昇華します。
エルフリーデの剣、セラフィナの祈り、リセッテの分析。
そしてレンの針。
四人の総力戦が始まります。
「休息回の後の緊張感がたまらない!」
「王女様をどうトトノわせるのか気になる!」
と思ってくださった皆様。
ぜひ【ブックマーク】と、最高評価の【ポイント(★★★★★)】をお願いします!
皆様のポイントが、レンの針に宿る「究極の一刺し」の威力となります。
次回、第17話「王宮の深奥。――禁忌の魔力と絶望の王女」。
いざ、医師団の総本山へ。お楽しみに!




