おまけ話「ボクのドレス」
「なあ、おにーさん。
アンタ先週木曜のセッションでギター弾いとったヒトやんな?」
5,6人の男女が笑いながら立ち話しているところに、澄んだソプラノが響く。
雑談が止まって、振り向いた先に立つ女性をジロジロと値踏み。
豊かにウェーブする黒髪に、くっきりとした顔立ち。
かなり強気で会話を邪魔して来たけれど。
着ている服はフツーのカットソーとGパン。
辺りの薄暗さと、女性のスタイルの良さが目立つから。安っぽさが誤魔化せている。
「わたし彩子言うねん。
同ンなじ木曜に私もステージ出とって。あのセッション聴かせて貰うたんや。
アンタんとこ、ピアノと2ピースやろ?私に歌わせてくれへん?
アンコールのピアノがめっちゃ染み入って最高やった。身震いしたで。
なあ頼むワ。私の歌聴いてみてや。時間取らせるン絶対後悔させへんから」
手前に立つ男性達がずいっと1歩踏み出し威圧を掛ける。
「おいおい、いくらファンや言うても。ちょお厚かましいンちゃうかあ」
「恥ずい勘違いしとおなあ。
竜さん達はプロやで。今回は付き合いでステージ上がっとるだけや。
格がちゃうねん。ジブンの身の丈に合うた相手探し」
「しかもそのカッコ」
長身でサングラスをした男性のそばには、ハイブランドで固めた女性達がくっついて。
彩子を見下ろしてクスクス笑い。
でもそんな外野の反応なんて気にも留めず。
彩子の視線は、真っすぐに真ん中に立つ長身の男性を射抜く。
「ここでこのまま歌うてもエエんやけど?」
そして、すうぅと深く息を吸い込むと。
「要らん」
男の冷たい一言が、彩子の度胸さえも凍らして。そしてうんざりタメ息。
ちらりとスマホを見ると、そのまま店の通用口に向かってしまう。
「ちょお話終わってへんで!待ってや!」
諦めるつもりゼロの彩子に、男はヒラヒラ手を振って話を終らす。
「こないだのステージ聞いとったで。
選曲も演奏も中途半端で。仲良しバンドでまあ良かったンちゃう?
まだまだ伸びしろ有る言うコトやし。がんばりや」
「そおやっ!そおやから探しとるンやっ。
もお中途半端イヤやねん!ホンキで歌わせてくれるトコが必要なんやっ」
さっきまでの強気な口調に、少しすがるような願うような色が混ざる。
その変化を労うように、男は軽く振り返ってもう一言だけ追加する。
「そおか。
その前向きさ応援しとくワ。せやけど」
バタンと重い通用口ドアの音に半分消されながらも。彩子の耳には届いてしまう。
「オレらには要らん」
置いていかれ、ぐううっと口をへの字に噛み締めてる彩子に。
女性のひとりが気の毒そうに声を掛けた。
「ねえボーカルさん。
売り込みたい気持ちは判るけど。諦めた方が良いわよ。
晶さんの音楽を第一優先にするのが、竜太郎達のスタイルだから。
それを邪魔したら、竜太郎を怒らせたりしたら。大変なコトになるから、ね?」
無言のまま彩子は回れ右。
今日は出演者でも無いし、客としてライブハウスに入るお金も無い。
「無理や。諦められんワ」
ぼそりと落とした決心は、自分にだけ聞こえれば十分だった。
「洗钱」
買物袋を抱えてパーキングから出て来た竜太郎に、懐かしい単語がぶつけられた。
「ひでぇ発音やな」
「中国語なんて『飲茶』くらいしか知らんワ]
そこに立っていたのは彩子。竜太郎の正面に回って、今度は負けんと強気の顔。
「アンタの家は、代々華僑の資金洗浄係やねんてな。
神戸の幹部から貰うた情報やから、否定しても無駄やで。
その羽振りの良さは、音楽絡みだけちゃうやろ。
汚れた金洗うた後のゴミクズも混じっとるんちゃう?
アンタこそ、あの綺麗な音作る晶さんの隣居ってええニンゲンちゃうやん。
けど私はそんなん気にせえへん。お互い様や。
それより、ソレ飛び越えて本気で音楽やって行きたい言うキモチは同じなんやから。
ボーカル入れて、表ン世界でやって行けるユニットに…」
竜太郎の立ち位置は変らないのに。
彩子はいきなり抑え込まれるような圧を感じてしまって、言葉を飲み込む。
「オレの情報手に入れるンに、誰とヤったんか知らんけど。アホやな。
あいつらが、寄って来たエモノを味見しただけで終わりにするワケ無いやろ。
クスリ使うたンか、やばいプレイか。録画ネタでおまえンこと死ぬまで強請るワ。
代償はデカイで」
竜太郎の言葉に、彩子は背筋が凍る。
やっと弱みを握るコトが出来た、これで取引出来るなんて浮かれた浅はかさに。
後悔と恐怖で頭の中は真っ黒闇になって。心臓の音だけが重く響く。
固まったまま動けない彩子の前に、竜太郎は買物袋のひとつを置いた。
「結構旨いフレンチのデリや。最後の晩餐に食べえ。
晶にはなオレんこと全部話しとる。
これからンために全部と手ぇ切った騒動ん時は迷惑掛けたけど、受け入れてくれとお。
オレらん間には、取引も利用も支配も無いんや。
おまえのレベルと一緒にすんな。それよりも自分の身守るコト考え」
ライブ回り用のベンツVクラスはホテルの駐車場に停められなかったから。
パーキングから買物袋を持って、竜太郎は晶が待つホテルに戻る。
もう彩子を振り返ることは無かった。
額に汗滲ませて晶は一生懸命走るけど。
痩せっぽちで筋肉無しなので、フツーの速足と大差ないスピード。
「ううううリーチに早ぉ会いたい~抱っこしぃたい~。
もお気分良おなったやろか?どっか痛いて泣いとおやろか?
留守番させてもたぼくンこと、嫌いになってへんやろか?」
今日はセッションイベント最終日。
音楽仲間や馴染みのお客さん達と、打ち上げで盛り上がる予定だったのに。
留守中、飼い猫のお世話をお願いしているシッターから緊急連絡が入った。
晶と竜太郎の不在も10日になって、とうとう猫のストレスが爆発。
リーチはリビングで大暴れ。
家具やカーテンはバリバリの傷だらけ。インテリアも食器類もひっくり返し。
その時に割れたハーバリウムのオイルを頭からかぶって、飲み込んでしまい。
リーチは痙攣おこして意識消失。
シッターさんが対処してくれたお陰で、今はもう病院で安静にしてるけれど。
割れたガラスであちこち外傷。その治療のために毛を刈られてハゲがいっぱい。
黒猫リーチは珍しいウェーブしたクセ毛をしているから。
刈られて凸凹になった姿が気の毒な程ミットモナイ。
回復を知らせるために送られてきた入院写真を見て、晶は泣き崩れてしまった。
そして打ち上げを辞退して。
とにかく帰宅と、晶と竜太郎は駐車場に向かっていた。
「わああああっ!リーチ!リーチっ。
ひどい…傷だらけや。血ぃがいっぱい出とる。なあ?目ぇ開けて?こっち見て?
お願いやリーチ死なんとってえええ」
「晶、それ猫ちゃうでニンゲンや」
パーキングの一番奥で2台分のスペースを使って駐車しているVクラス。
その影にうずくまっていたのは黒猫、ではなく彩子で。
暴力を受けたコトは一目瞭然。ウェーブする黒髪は所々乱暴に切られていた。
愛猫リーチの哀しい姿と、目の前の彩子が重なってしまって。
晶は泣きながら、血だらけのボロ雑巾みたいな彩子をぎゅううっと抱きしめた。
ほんま運のええオンナやなあ…そう呆れたタメ息が聞こえた気がして。
彩子は目を開けようとする。
でも顔も頭も、身体中がズキズキと痛いし。重くて動かせない。
熱っぽさを感じて喉はカラカラ。しかも呼吸するたび激痛が走る。
(こえ、声。わたしの声…)
「うぅ」
「お。晶、こいつ気ぃ付いたみたいやで」
「わあ。良かったあ。身体辛いやろ?まだ無理せんで」
目が開かないのは顔が腫れ上がっているからだと気付いて。
今の自分が一体どんな姿を晒してるのか、彩子は想像してぞっとする。
でも何よりも、喉元が熱く息苦しいのが恐ろしい。
もし声を失っていたら。
目覚めたくなかった、あのまま死んでいれば良かった。そんな思いが過る。
「肋骨7本やっとおからな。腹膜も傷付いとおし、息すんのも痛いやろ。
声出えへんのはそのせいや。炎症収まったら、まあボチボチ元に戻るワ」
彩子の心配を判っているように、竜太郎が説明するけれど。
その声は、彩子を安心させようと言うよりも。面倒臭さがアリアリと滲む。
でも、指先に何か優しいチカラを感じて。
彩子はなんとか動く範囲で視線を巡らすと、晶が包帯だらけの彩子の手を包んでいた。
子供みたいな顔つきの晶なのに。
手は大きく、指は長く骨ばっていて。熟練ピアニストの象徴そのもの。
彩子の身体は熱っぽかったけど。
それとは違う熱が伝わって来て、彩子の苦しい呼吸がほっと落ち着く。
「彩子さん、こんにちは。ぼく晶言います。
竜ちゃんが、彩子さんの動画見せてくれて歌聴かせて貰うたです。
ものすごお素敵でした。
お医者さんによおよお診て貰うて。慎重に治して行きましょお。
そしたらまた歌えるよおになりますから。
リーチと一緒に元気ンなって。黒いクセ毛も元通りンなって。
リーチはウチのお姫様やし。彩子さんは歌姫になるんや」
まるで想いを送り込むように、晶がきゅうっと彩子の手を包み込むから。
晶の後ろに立つ竜太郎からはイライラした声が漏れる。
「晶」
「動画で彩子さんの声聴いとったらなあ。メロディがいくつも浮かんで来てん。
もうめっちゃワクワクしとお。
彩子さん、ぼく曲いっぱい作っておきますんでねえ。
治ったら一緒に奏でましょおねえ。
せやからもお安心して、ゆっくりしっかり治してくださいねえ」
竜太郎は室内でもサングラスで、どんな表情なのかは見えないけれど。
晶の音楽活動を否定することは無いだろうし。
子供みたいな晶が、温かで余裕あるオトナの笑みで自分を見つめてくれるから。
身体中の傷みと緊張がふわりと解けた気持ちになって。
彩子はゆっくりと目を閉じた。
さっき一瞬、目覚めなければ良かったなんて思ったけれど。
今は逆。次目覚める時は、もうベッドから降りて晶のピアノの横に立ちたい。
うっとりと夢以上の現実の中に、彩子は眠り込む。
ステージに立つ自分は。
晶の曲をドレスのように纏い、晶の音をジュエリーのように飾って。
その時の自分は、世界で一番幸せに輝く歌姫になっている。




