おまけ話「ボクの傘」
ここのトラットリアは、ランチも予約制。
だから静かにゆっくり食事が出来るので、すごく助かる。
角の大きな窓の近くが、ぼくの指定席。今日は小雨が降っているけれど。
窓を少し開けて貰って。しっとりした空気も、食事と一緒に楽しめる。
「白身魚のバターは多かったデスか?ダイジョブでした?」
お馴染みのカメリエーレの笑顔が、ぼくに向けられていた。
雨音のリズムばかりが頭の中を巡っていた晶は。
声を掛けて貰って、我に返る。
「うん。ちょうど良かった。クリームみたいに軽い味やし。
食べ易うて。美味しかったあ」
「ソウ?良かったデス。アキラさん、油強いの。苦手ですネ」
「そやねん。ごめんなあ。
頭ン中いっぱいん時て、お腹回すん忘れて貰うて。グルグルになってまう」
難しい表現に、カメリエーレは不思議そうな顔をしたけれど。
そういうのは、まあ。何となく通じるモノで。また、にこりと笑顔になる。
「またピアノ弾いてクダサイ。アキラさんのピアノ、大好きデス」
「うん。ありがとお。
まだ時間大丈夫?エスプレッソお願いしてもエエかな?」
「はい。お待ちくだサイ」
ランチタイムは終わっているけれど。
雨宿りも兼ねて、店内にはまだお客が残っていた。
でも丁度雨があがったから、お客は次々に席を立って行く。
きっと一気にレジが忙しくなって。
エスプレッソが出て来るには少し時間が掛かるはず。
そう思うと。また晶の意識は、窓の外の音に惹かれて行った。
でも。晶はちょっと悲しい顔になった。
雨で濡れたベンチに、ビニール傘が何本も放置されている。
少し骨組みが曲がった物。サビが目立つ物。コンビニで買ったばかりの物。
雨が止んで。使わなくなった途端にゴミ扱い。
「乾かしたら。まだ使えんのになあ」
つい小さな想いが、言葉になってこぼれてしまう。
そのベンチに近くに立つ3人組の会話が、窓越しに聞こえて来た。
「竜さん。そんなジャマな傘、持って歩くんスか?」
「ジャマて何んやねん」
「いや雨止んだら、傘なんて使わないでショ」
「竜さんの傘、ブランドもんで高いヤツやし。
さすがに使い捨て出来ひんけど。ビニール傘やったら便利ですやん。
要らんようになったら、ポイ捨てで。身軽になれますで」
竜さん、と呼ばれているのは。3人の中で一番背が高い男。
紫ぽい濃紺のシャツは襟が高くて洒落たデザイン。身なりに拘りが有りそう。
他の2人は、見るからに『ヤバそう』な雰囲気をまとっていて。
通りがかる人も、そっと距離を作っている。
「おまえら。今言うた言葉、そのまんま上に言われとおコトやで。
使い捨てで便利やてな。用ある時だけ使われて、終わったらゴミ箱行きや。
便利、言うんはなあ。
無くてもナントでもなる言うんと、同んなじ意味なんや」
明らかに温度が下がった言い方になったその男は、濃い色のメガネを掛けていて。
晶からは、横顔しか見ることが出来なくて。
どんな表情で2人に言い放ったのかは判らないけれど。
ちょうど晶の方を向いていた2人は、あからさまに動揺して言葉に詰まる。
「せやけど竜さん。
オレら、先月も今月もしっかり売上納めとおし。直下のヤツらの倍は稼いだんや」
「そうですよ。本部の人達の席に何度も呼んで貰ってますし。
今ここで覚悟決めて。手を組まないと。チャンス逃しますって。
いつまでも野良みたいに、好き勝手出来る状況じゃないんですよ」
焦る顔で訴える2人から。少し身体の向きを変えて、その男は自分の傘を開く。
ぱっと雨水がはじけ飛び。
撥水性の高い傘生地からは一瞬で雨水の重さが無くなった。
男はふわりと柄の部分を持ち直し。くるくるっと傘生地を巻く。
「そんで?
選んどおつもりなんか。
選ばされとおのを、認められへんのやったら。もお、ええワ。
ココが別れ時やな。
オレは自分が良エ思う、使い捨てにせん傘を持つし。
オレ自身も。誰にも使い捨てにはさせへん。
要る時も要らん時も。オレしか居らんて言うてくれるヤツとしか、組まへん」
「そんなんで。やって行けるワケ無いでしょ」
「カッコ付けるだけやったら誰でも出来るワ」
「さあ?どやろな」
ふっと冷めた笑みが、その男の口元に浮かび。バッチリ決まった雰囲気に。
どーん!と小柄な男がぶつかって来た。晶だ。
男の眼鏡がズレて、さすがに驚いた顔になる。
「それ!めっちゃわかる!オレも同じコト思てた!
便利て、あんまりにも軽うて寂しい言葉や。
それが無いとあかんて思われるような音やないと。誰にも届かへん。
オリジナリティとか、ジブンラシサとか。自分の内側ばっか探しとった。
ちゃうやんな。
聴いてくれるヒトひとりひとりとの間に。ぼくが造りたい音が在るんやんな。
やあっと判ったあ。ありがとおございます!」
漏れ聞こえてきた会話に、すっかり興奮して。
勢いに任せて店を飛び出て来た晶は、目をキラキラ輝かせて男を見上げる。
そして、その男の傘を持つ手をぎゅっと握り。ぺこーっと深く頭を下げると。
「ほんまに、ありがとお」
頬を染め子供みたいな笑顔を残して。ぴょんぴょん下手なスキップで去って行った。
頭の中は見付けた音が響きあって、じっとしてられないみたいで。
もう振り向きもしなかった。
残された3人組は呆然としている。
今後の生き方に関わる、シビアな決断をしたはずなのに。
唐突な中断があって。何の話やったっけ?と顔を見合わせるしか出来ない。
そこへカメリエーレが走り出て来た。
「アキラ?アキラさーん!」
「あの小さい男なら。もうどっか行きましたよ」
「Oh mio dio!カードも!上着も!傘も!何もかも忘れてマス!」
悲鳴をあげるカメリエーレの手には。
ゴールドのクレジットカードと。やわらかそうなサマーウールのカーディガン。
そして紫陽花みたいな色の傘があった。
カーディガンのポケットは膨らんでいて、他の貴重品も入ったまま。
「アホらし。
オレら、もう行きますんで。
竜さんも。いくらイキっとっても。命はひとつなんや。
後ンなってもういっぺんやり直しなんて、出来へんのやで」
まるで自分達を正当化するみたいに、強い口調で『竜さん』を睨んで。
2人は離れて行った。
「そっちこそ命大切にせえよ。ビニール傘にならんよおにな」
竜は小さく呟く。でもすぐ顔を上げると、カメリエーレに声を掛ける。
「なあ兄ちゃん。
さっきン男、音楽がどうとか言うとったけど。そこの音大のヤツなんか?」
「はい。時々店内のピアノを弾いてくれマス」
「オレ呼んでったるワ。その大事なモン無いと。あの男も困るやろ」
「イイですか?助かりまス」
竜は濃紺シャツの袖をまくり上げ、走り出す体勢になってから。振り返った。
そして自分の傘をカメリエーレに預ける。
「すぐ連れ戻して来るんで。コレちょお店で預かっといてくれるか?
一目惚れして手に入れた特別な傘なんでな。無くしたり出来ん。
そーゆーんに出会えた時は。絶対手ぇ離したらアカンのや」
あの小柄な男の手は。細いけれど、ピアニストらしい長い指で。
それを目一杯広げて自分の手を包んでいた。
温かく優しかった感触を思い出すと、自然と竜に笑みが浮かぶ。
雨が止んだばかりで。走り出す足元では水が跳ね上がり。
プレスの効いたスラックスは濡れるけれど。
竜は気にせず走る。
きっと、あの男が自分の特別な傘になって。
自分も、あの男の特別な傘になれそうだと。
ワクワクするような期待を感じながら。




