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ノラ・RaRaRa  作者: おきついたち


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3/6

3.そんでもええワ

(頭?首?肩?なんだか全部ズキズキする…。

確か篠原は、日焼けでも頭痛するって言ってったっけ)

こめかみを抑えながら、唱はキッチンで鎮痛剤を探す。


「唱?お腹空いたん?

丁度ええワ。冷蔵庫のチーズケーキ一緒に食べよ。コーヒーも淹れてえな」

ゆるいルームウェアの彩子が、キッチンに入って来た。

顔にシートパックを乗せたままだし。ノーブラなので目のやり場に困る。

「オレはコーヒーだけでいいよ。

淹れるからソファで待ってて。とにかく、そんな恰好でウロウロしないで」

「えー?なにー?急に色気付いたコト言うて。

気になるコでも居るん?かわいい息子の恋話聞きたいわあ」

パックのエッセンスを首元に伸ばしながら、彩子はウキウキ顔。

「一緒に旅行して来たコぉと付き合うとおの?」

「篠原は同クラだよ。オレに写真教えてくれるイイ奴。

旅行って言うか。篠原がお父さんと山写真撮るのに、オレも連れて行って貰っただけだよ」

「やま…。なんやエラいトコ行ったんやなあ。そんでその日焼け?」

「そう。彩子にお土産あるよ」

お喋りしてると、頭痛も少し収まった気がする。

唱が部屋から紙袋を取って戻って来ると。

彩子はコーヒーを待ち切れずに、ホールケーキの半分にフォークを突き刺していた。

「それ全部食べるの?」

「お腹ペコペコやもん。昨日の連続リテイクで、もおガス欠や。

山の土産て何?石とか山菜とか?」

「そーゆーのって勝手に持ち帰っちゃダメなんだって。保護対象だよ。

ほら、これ。彩子スキでしょ」

紙袋から小さなぬいぐるみを取り出す。

売店にぶら下がってた安物だけど。彩子は子供みたいに顔を輝かせて喜ぶ。

「うわあ。まるこい鳥やなあ。可愛いーっ♪こんなんが山に居るん?」

「雷鳥って言うんだって。

これは茶色の模様があるけど、冬になると真っ白になるって」

「山でほんまモン見たん?」

「あははは、そんな簡単に出会えないよ。生息数も少ないらしいし。

それにとにかくオレ余裕無くって。全然それどころじゃなかったから」

コーヒーポットをコンロに置き。ミルで豆を挽く。

芳ばしい豆の香りに浸りながら、ぼんやり昨日までのコトを唱は振り返る。




「唱、試験休みヒマ?」

「特に予定無いけど」

「おとんと木曽駒行くねん。いつもなら空木岳まで縦走するんやけど。

天気がイマイチでピストンだけにしたんで。唱も行ってみんか?

ロープウェイ使うて楽するし。初めての山行には丁度ええコースや」

「でも、オレ。山登りの道具とか何も持って無いし…」

これまでも、篠原から聞く写真撮影の話題では。

テント張って撮った星空とか。その山域にしかない高山植物とか。

遮る物の無い青空と稜線とか。人工物が存在しない地球の肌そのものとか。

まるで別世界のような写真を見せて貰っていた。

それは唱が知っている「現実」からすごく遠い向こう側の風景で。

(いつかオレもこんな写真を、なんて無理だよなあ)

そう思っていたのに。

「オレと身長変わらんやん。ザックとレインウエアは、オレのん貸すし。

ヤバイとこは行かんから、体育のジャージとシューズで十分や。

おやつとパンツだけ用意し。そしたら明後日おとんと車で迎え行くし」

「え、でも…」

写真が関わると篠原は強引になる。

困ったなあと思いつつも、唱の心の隅っこで興味のカケラが点滅している。

あの別世界に足を踏み入れることが出来るなんて。こんな機会は2度と無いかも。

でも。

「未経験者のオレなんて、一緒に居たら迷惑掛けるよ。

篠原だって、目的の写真が撮れなくなるかも知れないし」

「唱のっそーゆートコ!」

それこそが迷惑なんや、と言わんばかりに。篠原はイラっとした声と顔になる。

「こっちは、一緒に行けるて判断して誘おとおのに。

断るんやったら『行きたあない』て、自分の言葉を言えや。

断る理由や都合を、相手の中に勝手に作んなや。

もし上手く行かんコトあったら、それはオレの準備不足や。

次は上手くやれるやろし。もう誘わんかも知れん。

でもそれはオレが考えることやんか」

一気に並べ立てた篠原が、少し声を落とす。

「マスコミとか炎上とか昔のイヤな経験のせいで。

自分出すンを遠慮してまうんか知れんけど。

どう思われるンかを気にし過ぎて。でもでもばっか言うとって。

唱のほんまの言葉はいっつも埋もれとおみたいや。ちゃんと話しようで」


確かに。唱は言葉を怖いと思っている。

言葉は簡単に裏切るし相手を傷つける。

本意の判らない言葉の荒波に押しつぶされて、晶はボロボロになった。

でも。

今は目の前に居る友人、篠原の言葉だから。

話して聴いて、また話せばいい。何度でも。通じ合えるはずだから。

「篠原って」

恥ずかしくて、ちょっと引き攣ってしまったけれど。唱は笑顔になる。

「初めて会った時から、ほんとイイ奴だよね」

「あたりまえや。オレが撮った写真見たら判るやろ。

世の中には良えモンが在るて信じとお人間にしか、あんな写真撮れへんで。

どおや?一緒に良えモン撮りに行くか?」

「うん。行きたい。お願いします」

わざとらしく唱が深々と頭を下げたのは。

ちょっと滲んだ涙を、誤魔化す為だったのかも知れない。


(かなり無謀な1歩を踏み出した気がする…ほんとにオレ大丈夫かな)

明後日には自分が、電気も無くスマホも使えない場所に居るのかと想像すると。

唱の額に冷や汗が浮かんで、テストの解答欄に何を記入したのか思い出せない。

頭ぐるぐるのまま帰宅して晶に話す。

反対されるかと思ったけれど。

「有難いなあ。そんなすごいトコ連れて行って貰えるなんてなあ。

ボクや竜ちゃんには、唱にそんな経験させてあげられんもん。

唱ちゃん、カメラ持ってからほんまに世界が広がったやんなあ。

今まで気付かんかった小さいコトも、ようけ見つけて来たしな。

きっとまた、今まで知らんかった新しいモンと出会えるで。良かったなあ」

そう言って晶はニコニコと嬉しそうに笑うから。

心配顔の竜太郎は反論するコトが出来ず。ただぐっと唱の肩を掴む。

「もうアカン言う一歩手前まで、踏ん張り。

そんで、やっぱりアカン思うたら。すぐSOS出すんやで。

そン時はヘリチャーターしてでも迎えに行くからなっ」

笑うトコのはずなのに。竜太郎の超真面目顔を見ると。

(竜ちゃん、ほんとにしそう…)唱も晶も笑えなかった。



彩子の前に淹れたてのコーヒーが置かれる。

今ハマっているワインプロセスだから、芳醇な香りがリビングに広がった。

「はあん。そんでこの2日間、晶も竜も気になって集中してへんかったんか」

「録音、上手く行かなかったの?」

「ブレブレや。

さっき言うとったんと全然ちゃうやんかって、何度もツッコミ入れたあなったワ。

音ひねくりまくって迷走しとったで。

まあ、それはそれで新しい音見つかってオモロかったけど。

せやけど。こんなカワイイ土産買うて来てくれたんやし。楽しかったんやろ?」

彩子は母親の顔になって。唱の報告を目を細めて聞く。

「うん。何もかもが予想を越えてて。

楽しいって言うか、なんて言えばイイのかよく判らないけど」

「けど?」

「連れて行って貰えて。ほんとに良かった」

その言葉に、にっこりと心から安心した笑顔になって。

彩子はぎゅうっと大切な息子を抱き締めた。




AYAが再活動になって。

昔のようにツアーだスタジオだと3人は不在がちになり。

またロンとカンと留守番するようになると、唱は思っていたけれど。

チッチッチッと指を振りながら竜太郎が言う。

「時代がちゃうねん。

素人でも十分使いこなせる編集機材あるし。

所属や流通やて、固定の流れに乗らんでも。

データとネットで曲を発信して、受け取って貰えるようになったんや。

あの騒動のお陰でなあ。

AYAやったらそーゆー道を選ぶやろて、理解して貰とおし。

良くも悪くも知名度は有るんで、今ンとこは幅広おに聴いて貰えとお。

これからはなあ、聴いてくれとおヒトと音を楽しむ為だけに。音楽するんや」

晶も彩子も竜太郎も元通り、以上になっていた。

「せやからな。

唱ちゃんも自由や。解放されたんや。新しいトコ行って楽しまんとな!」

そんな竜太郎の言葉も、唱の背中を押してくれる。




唱がキッチンで後片付けをしていると、スマホにメッセージが届いた。

哲からで「10分に駅着く」とある。

山の土産が入ったデイパックを背負うと、唱は急いで駅へ向かった。


「あははははー!すげー2日でそないに焼けたんか。

そらあ頭痛もするワ。火傷みたいなモンやからな」

哲は模試を受けに行っていたので。土産を渡す為に駅で会うことになっていた。

「山の土産え?コケシとかやったら要らんで」

「大丈夫です。甘い物と漬物と地域限定ラーメンです」

「ほんなら貰う」

それで久しぶりに2人並んで歩きながら話が出来た。

「ロープウェイでワープ出来んなら。めっちゃ楽やん」

「そう思ってたんですけど、そんな簡単じゃなくて。

テント張るのが許可されてる場所って決まってて、ソコまでは歩くんです」

「ふうん。

あれか?こう自分の頭より上に出とおよーなでかいザック背負うんか?」

「篠原とお父さんはそーゆーので。

重い食糧とか水とかテントの道具とかを背負ってくれて。

オレは寝袋とか防寒具とか軽い物を詰めた小さめのリュックでした」

「寝袋!初めてやろ?そんなんで夜眠れたんか?」

「テントって周りの物音がそのまま筒抜けだし。

オレも、こんなの眠れるワケ無いって思ってたんですけど。

翌朝起こされるまでの記憶が全く無くて」

「へえええ。熟睡出来たんか」

「それで、まだ暗い中を篠原のダウン借りてカイロ貼っつけて。

日の出見る場所まで、カメラ持ってまた歩いて」

「今の季節にダウン着るんかー」

「それでも日の出を待ってる間は震えるほど寒いんです。

篠原のお父さんが、お湯沸かしてくれて。

何の味もしなくてもお腹から温まって、お湯が美味しいって思いました」

「エエ写真撮れたんか?」

「見てくれます?」

コンビニに寄って飲み物を買って、2人で公園へ寄り道する。

見て貰えるように、写真データはちゃんと事前にタブレットにまとめてある。

「おおー!日の出やあ!迫力やなあ」

目と口を丸くして、哲は素直に感嘆の声をあげた。

「なんっか、こう。熱を感じんな!

太陽生きとおなあ。雲動いとおなあ。朝が目の前まで走ってきよる。

正月に河原で拝む初日の出とは、距離感が全然ちゃうなあ」

哲のキラキラした目が、唱には嬉しい。何よりの誉め言葉だ。

(伝えたいコトが伝わるって。こんなに嬉しいんだ)

それを知ると。

今まで、きっと伝わらないダメだろうと。飲み込んで来た言葉が勿体無く思える。


急に。哲がぶふっと噴き出した。

「あははは!何ンやこれえ」

「下山してから温泉に連れて行って貰ったんですけど。

オレほんとに下着の替えしか持ってなくて。売店のTシャツ買ったんです。

大きいサイズがこれしか残ってなくて」

蛍光ピンクの生地に『山がスキ』と白抜きの筆文字。

うわあと困り顔の唱を、篠原がばっちり撮っていた。

「ええやん!ええやん!今度これ着て来いや」

哲は涙が出るほど笑っている。

例え自分のミットモナイ写真でも。哲が機嫌良く笑ってくれるなら唱には嬉しい。

「これ着たら。また会ってくれますか?」

は…と哲の笑いが止まる。

そしてちょっと顔を背けて、ペットボトルを一気に飲む。

「なんか。グイグイ来るよーになりよって」

確かに哲の言う通りで。

以前なら。自分はそんなコト言える立場じゃないと黙っていたと思う。

ほんとうに伝えたい言葉は奥底に埋めたままにして。

でも。

自分でも伝えられることが解ったから。

ちゃんと伝えたら。哲は自分を見て受け止めてくれるはず。

今はそういう風に。唱は、自分のことも哲のことも信じられるようになっていた。


「オレ第一志望ギリギリなんや。

マジで勉強せんならんから。唱の相手しとおヒマ無いワ」

「はい大丈夫です。いつになっても、会いに行きます」

静かにはっきり唱が応えると。ジロリと睨みつけるような視線を哲は返す。

負けて悔しがってるみたいに顔は真っ赤。

「キツイ受験勉強中に気分転換なるよーなオモロイ写真撮り溜めとけ。

それ見るくらいやったら。まあ時間作ったるワ」

「はい。たくさん撮っておきます」


公園から出て、土産が入った重い袋を持って哲は家へ向かう。

信号待ちで振り返ると。

唱はまだ突っ立って自分を見送っている。

本当はそのまま真っすぐ行くのが近いけど。振り切るように哲は道を曲がる。

日焼けをしたせいか。

往来の中で唱の姿がやけに濃く、くっきりと哲の視界に残った。




「川田、こないだの模試は手応えどおやった?」

学校の廊下で、哲は進路指導担当に声を掛けられた。

「まだちょお厳しいカンジです」

「通学圏内に絞らんで幅広げたら。選択肢も広がるんやけどなあ。

参考資料やけどな。これ持って帰り」

カラー印刷のパンフレットを渡される。

「横浜の大学やなんて。金掛かるんムリです」

「いや、よお見てみ。

おまえが志望しとる化学系の学科はな。

2年なって専門課程になると九州の校舎になるねんて。

地元の化学会社と連携して、新設ピカピカの研究施設に学生寮付や。

最近は、地方事業の働き手を確保すん為に。

学生のうちから共同研究でつなぎ留めして。そのまま就職して貰うんや。

1年間は横浜の下宿生活シンドイかも知れんけど。

その後は学ぶンも生活するンもエエ環境やし。専門進学も就職も楽ちんや」

受け取ったパンフレットを哲はパラパラめくる。

思ってもみなかった新しい選択肢。

「おまけになあ。

その分校制度になって、学部人気落ちてなあ。競争率も下がったんや。

関東圏で就職しいたいモンには、九州は遠いからなあ。

川田なら、この大学A判定やろ」

「ありがとうございます。ちょお家で相談してみます」

哲はぺこりと頭を下げた。



哲が教室へ戻ると。自分の席で田畑と空実が弁当を広げている。

「ヒトん席で勝手にメシ喰うなや」

「理系クラス静かやもん。落ち着けてええワ」

田畑も空実も推薦志望なので別クラス。でも昼休みは一緒にランチしている。

「何ん持っとおん?」

「志望校にどうやて。パンフ貰うた」

「見てエエ?」

田畑はパンフレットを広げる。

「へええ。すごいなあ。化学会社と連携した学部なんや。

応用化学科に有機化学専攻って。哲の志望にピッタリやん。

めっちゃ田舎みたいやけど校舎も寮もキレイやし、開放的でエエなあ」

「紹介パンフの写真なんてエエように写しとるからな。

ほんまはどうか判らんワ」

それまで黙々と食事していた空実がふと顔を上げる。

食べるのが遅いから、必須カロリーの弁当を食べ切るのにいつも苦労している。

「ノラくんに、会う?」

「え?」

突然、唱の名前が出て来て。哲の心臓はバクンと跳ねた。

「写真のお礼、言いたい。哲の幅跳びの、写真データくれた」

「オレの知らんトコで。勝手に取引すなっ」

いつもの哲のキツイ口調にも、空実はふわりと微笑み返す。

「明博と一緒に見た。

哲の、強く蹴り出すトコが写ってて。イイ写真だって、褒めてた。

こんな風に跳ぶって、初めて知った。よかった」

「そうやんなあ。

長距離は、走る姿じーって見れるけど。跳躍は一瞬やから見逃すもんな」

田畑の言葉は事実だけど。

今更ながら、自分が友達枠であることを哲は実感してしまう。

自分はいつも気になってるから。空実が走っている時も、走っていない時も。

その姿を追っていたけれど。

空実が見ていたのは、ゴールの先にいる大切な先輩だけで。

その集中の範囲に自分は居ない。

でも何故か。悔しいとか寂しいなんてダメージは感じなかった。

それよりも。

じっと佇んで自分を見送っていた唱の姿が脳裏に浮かぶ。

自分の一瞬でさえ。唱はいつも見ていてくれた。

哲は、よく判らない感情で胸がいっぱいになってしまった。


「あ。予鈴や。空実くん教室戻ろ。弁当の残りは休憩時間にガンバリ」

「ごはん、多い」

どんよりした表情で弁当箱を包み直して、空実は席を立つ。

田畑は丁寧にパンフを閉じて、哲に返した。

「哲は真面目やからなあ。

家の為に金掛からん学校選んで。将来就職困らんよーな学部選んで。

親や弟んコト一番に考えとおのは知っとおけど。

そーゆー気遣いは『そんでエエんや』て納得出来る範囲にしときや。

予定通り行かんかった時。自分だけが損したみたく感じるかも知れへんで」

「損て何んやねん」

「他の大事なコトを我慢してもて。もお取り戻せへんコトや」

いつも物腰柔らかな田畑が、珍しくはっきり言う。そしてにこっと笑った。

「推薦決まったらな。

能良くんに、AYAのライブチケット融通して貰うんや。島口もや。

スタッフ席で撮影させて貰うんやて、今からめっちゃ盛り上がってんで。

オレも能良くんにはお礼言いたいんや。

下級生に怖がられとお哲にも、ええ後輩出来たなあ」

『ええ後輩ちゃうワ』の言葉を、頬張っているコロッケパンと一緒に哲は飲み込む。

こんなに自分を混乱させやがって。ほんまに迷惑な存在や。

だからもう無視するしかないのに。

胸の中に、じっと立って自分を見つめる唱の姿が在って。

どうやったって消せないのだ。




哲が帰宅すると、弟2人が待ち構えていた。

「哲っ!タイヘンや。庭に小さい猫居るっ」

「茂みンとこやろ?日陰で涼しいンでよお昼寝しとるやん。放おっとけや」

「ちゃうねん。小さいンだけで、親猫居らんねん。

しかも全然動かへん。あのまま死ぬんちゃうか?」

川田家は古いマンションの1階住まい。

デカい父親と弟がドスドス歩いても、階下に迷惑にならないようにする為。

なので小さな庭もある。

と言っても、特に手入れもせず放置なので外壁付近は草ぼうぼう。

暑い日は地域猫の涼み場所になっている。

弟達にせかされて、網戸越しに哲も確認すると。

確かに昼寝と言うよりは。力無く動けない感じのが4匹も。

「保護シェルターさんに電話せえや」

「したんやけど。

保護活動行っとって今日は不在や言うメッセージやねん。どないしよお?」

「どない、て…」

自分の選択が小さな命に関わるかも知れないと思うと。

さすがの哲もうろたえる。

「猫の扱い詳しいヤツに訊いてみるワ」

写真を見せて貰うタブレットには、いつも飼い猫2匹の写真があった。

哲の頭には、唱が思い浮かんでいた。



電話をすると、すぐ唱がびっくりした声で応えた。

「哲さん?」

「あんな、庭にぐったりした仔猫居るんや。どないしたらエエ?」

メッセージのやり取りは時々しているけれど。直接電話するのは初めて。

おまけに前置きナシで唐突な話題だし。スマホの向こうで唱は戸惑っている。

「近くに親猫居ないんですか?」

「居らんし。仔猫何ンも言わん」

「わかりました。いつもお世話になってる獣医さんへ連れて行きます。

待っててください。すぐ行きますから住所教えてください」

必要な用件だけで通話は終わる。

それだけ緊急なんだと判って、哲の手に汗が滲んだ。

「病院連れて行くて。空箱ないか?すぐ運べるよおにせえ」

哲の指示に、継が慌ててタオルを持って庭へ降りる。

うわあぐにょぐにょしとお!全然動かん!と泣きそうな声をあげる。

勢も、箱!箱!と部屋中ドタバタ走り回っている。

哲の心臓もどくんどくんと跳ねているけれど。意識は澄んでいた。

動揺している哲を安心させる為なのか。唱の声は静かで落ち着いていて。

『待っててください』の一言がずっと哲の胸の中で響いていた。



鮮やかなサイダーブルーカラーのBMWから、竜太郎と唱が降りて来た。

哲と弟2人は待ちきれず。マンション前にそろって待機。

「あ!寿司食わしてくれたヒトや!」

「久しぶりやなあ。迷い猫やて?」

竜太郎は箱の中の4匹をちょいちょいと触ると。

少し厳しい顔になる。サングラス越しでも判るほどに。

「唱ちゃん、急ご」

「うん。哲さん、後で電話しても良いですか?」

やっぱり静かで優しい声。学校での遠慮がちな口調とはちゃうなと哲は思う。

「あ、ああ。うん頼むワ。連絡待っとおワ」

哲の応えに、唱は小さく笑みを返して。BMWは走り去って行った。



弟2人をトレーニングへ行かせ、哲は参考書を広げるけれど。

頭の中はごちゃごちゃで内容が全然頭に入って来ない。

おまけに弟から何度もラインが入る。

コネコどーなった?ゲンキなったんか?

ネコの交通事故あったて聞いたからオヤネコかも知れんな、とか。

哲はその画面を見て、漢字使えやアホ。なんて舌打ちする。

それくらい落ち着かない。

もう勉強は諦めて。飲み物を取りに台所へ行ったところで。

着信音が響くから慌てて部屋へ戻る。

「遅いやないかっ」

「すみません」

「どおやった?」

「今、話しても大丈夫ですか?」

「あたりまえや。ずっと電話待っとったんや」

少し唱の声が深くなって。伝える言葉を探しているよう。

「点滴を目一杯打って貰ったんですけど。

2匹はどうしても戻って来ませんでした。もう2匹は入院して様子見です。

きっと頑張ってくれると思います」

「それって」

期待とは違う言葉に、思わず哲の声が引き攣る。

「アカンかったってコトか?」

「いえ違います。哲さんが連絡くれたから、2匹はきっと大丈夫です」

「せやけど」

「病院の人も、見つけてくれて良かったって言ってます。

オレもそう思います。明日また連絡しますね」

「あしたっ!」

通話が終わりそうになるから。哲は引き留めるように大きな声になる。

「3人でそっち行ってもエエか?」

「はい。待ってます」

静かな唱の声はとても優しくて。

やっと哲のイライラもソワソワも消え去った。




唱から届いたマップの通り、閑静な住宅街の角地まで来ると。

表札の無い立派な門構えが登場した。

スタイリッシュなグレーの外壁は巧妙に段差が付けてあって内側が伺えない造り。

「どっかに監視カメラとかあって。オレら見られとるんやろか?」

身体はデカイくせに。立派過ぎる家を前に弟2人は緊張している。


哲がインターホンを鳴らすと、女性の声が返って来た。

「唱の友達やんな?そのまま入ってき」

随分と幅広のドアが開くと。

「よおこそ。はいりー」

ゆるっとしたワンピース姿の彩子が迎えてくれる。

けど首まわりが広く開いたデザインだから、胸元が覗き見えてしまう。

哲も勢も継もゴクリと喉が鳴って、挨拶が出て来ない。

「彩子、そんな恰好で出ないでよ。哲さん達びっくりしてるよ」

奥から唱が出て来て、哲達はほっとする。

「今回はお世話になりました。ありがとおございました」

深々と哲が頭を下げると。弟2人も慌てて倣う。

「こっちこそお礼言わな。よう見つけてくれたワ。

これからな、亡くなってもたコを送るトコやねんけど。一緒する?」

「彩子、そんな急に」

「今時の子ぉは、葬儀とかしんみりしたん苦手やろか?」

「いえ是非一緒させてください。

オレら何ンも出来んかったんで。最期だけでも見送りたいです」

「よかった。まあだ小さいコやからな。迷わんとまっすぐ空へ行けるよおに。

たくさんの想いで送り出したいて思とったんや」

にっこりと深く優しく微笑む彩子を見て。

哲は、やっぱり唱は母親似やなと思った。


「すみません。いきなり付き合わせて」

地下へ降りる階段を案内しながら、唱は困り顔。

「全然。オレらめっちゃモヤモヤしとったから。

何ンか形あるコトに参加させて貰える方が救われる気ぃすんねん」

「そう言って貰えるなら良かったです。あの」

まだ唱が言葉を続けている途中なのに、弟2人の大声が遮った。

「うっわー!すげー!SFぽいワー」

「ほんまモンのスタジオやあ」

地下室はガラス張りの防音室。ピアノにギター、ドラムは勿論。

シンセサイザーやミキシングマシンがずらりと並んでいて。

一応長男としてマナーを気にしていた哲も、目も丸くしている。


「お。来たなあ。花入れたって」

スタジオの真ん中に小さな木箱が置いてあって。

その中にもっともっと小さな亡骸が眠っている。

薔薇やガーベラにフリージアも向日葵もあってカラフルな花ばかり。

「白い花とちゃうんやな」

「明るい色のんがエエわ。キレイなモンに囲まれる方がハッピーな感じや」

「ソーシキにハッピーはちゃうやろ」

大きな身体を丸めて、弟2人は熱心に花を詰める。

「また庭に来いや」

「今度は絶対助けるからな」

あほらしい言葉だけど。哲も口には出さなくても同じコトを思っている。

きっとこういう儀式は、送る側の気持ちの整理のために必要なのだ。

突然ふっと身体が浮くような気がした。

それは彩子の歌声が響いたから。

静かな音から始まり。次第に部屋いっぱいに声が響き、空気が震える。

竜太郎がアコースティックギターを爪弾いて。音域を更に広く高く導くと。

それこそ。

地下のスタジオから、天空へと魂を案内するようなレクイエム。


哲は身震いがした。

何だか自分が今どこに居るのか判らなくなりそうで。

でも、温かな手がそっと自分の手を握っている。

その温かさの源に視線をやると。唱が自分を見つめていた。


細く消え行く煙のように、彩子の聖歌が終わった。

「唱、これ使い」

竜太郎がテッシュケースをぽいっと投げた。

川田家の3人は涙と鼻水でぐしょぐしょだったから。




花と想いでいっぱいになった小さな木箱を、大事そうに晶が抱く。

「ごめんなあ。

竜ちゃんの車2人乗りやから、みんな一緒に行かれへんけど。

みんなの分も手え合わせて。送ってくるからなあ」

そう言って、晶と竜太郎は火葬場に向かった。


「何ンや晶さんめっちゃ顔色良うなったし。腹が凹ンだ気ぃすんな」

「はい。フリーランスで活動するのが合ってるみたいで。

毎日楽しそうに動き回ってます。

昔の音楽つながりのヒト達も訪ねてくれるようになって。

地下のスタジオが狭いって困ってるくらいです」

「そうやろなあ。

さっきの彩子さんの歌声とか、世界に通用する実力やんな。

こんな地方に引っ込んどお場合ちゃうわなあ」

哲の言葉にちょっと距離を感じて。

慌てて唱は哲の腕を引っ張る。

「あのっ。AYAとオレは別ですから。オレは哲さんの近くにずっと」

そこへ勢の大声がかぶさった。

「哲ぅ!早う早う!こっち来てみ!!」

明るいリビングで、白と薄茶色が混じった仔猫2匹が歩き回っている。

少し離れた場所から見守って居るのは、先住猫のロンとカン。

「すうごいなあ。

ボロっ切れみたいやったのに。こんな元気ンなってんなあ。良かったなあ」

デカイ身体を丸め、継は仔猫に顔を寄せて笑う。

「そうやで。

晶に面倒見て貰えるんやからなあ。もう大丈夫や。

晶に拾われたコぉは誰でも元気ンなるねん。

ロンもカンもそおやし。私も竜も野良やったんを晶に拾うて貰うたお陰で。

真っ当に音楽出来るように成れたんや」

昔を懐かしむように彩子は微笑む。

「可愛ええなあ。

オトナの猫と比べたらオモチャみたいに小さいし。

動くんも下手くそやあ。オモロイなあ」

弟2人は夢中になって仔猫と遊ぶ。

「仔猫ココで面倒見てくれるんか?」

こそっと哲が唱に囁く。

「そうしたいと思ってます。

ロンもカンも穏やかな性格のおばあちゃん猫だから。

きっと上手くやれると思います。

寝ずに看病してた晶と竜ちゃんは、すっかり愛着持ってるし。

家族にしたいって言ってます。良いですか?」

「そらあコッチこそ有難いワ。オレらも安心出来るワ。

ウチは留守多いンで。こんな小さいのんよお面倒見んし。

ココん家に居るなら。会いたあなった時いつでも様子見れるもんな」

「仔猫に会いに、ですか?」


緊急事態だったとは言え。

電話を貰ったり互いの家へ行ったり。彩子のレクイエムで涙する姿を見たり出来て。

唱としては、すごく特別な関係になれた気がしているし。

それを哲の中にも確かめたいトコロだけれど。


ピンポーンとインターホンが鳴り響く。

「菊寿司さんや。唱、受け取り行って」

「はい…」

とにかく肝心なトコロで邪魔が入ってしまうのは何故だろう…。

「通夜振舞いみたいなモンや。お寿司食べてってな」

「ええええ!ほんまですか!」

「やったあ!」

単純な弟2人は踊り出して喜んでいるけれど。さすがに哲は遠慮が混ざった複雑な顔。

でも、大きな寿司桶が4つも並べられ。そのうちの1つが全部海老ネタなのを見ると。

弟2人の頭を押し下げながら、哲は深々と礼をする。

「ほんまに今回は何から何までありがとおございました。

エエ経験させて貰いました。今日のコト味わいながら頂きます」

「いただきますっ」

「あはははは。ええ子ぉらやなあ。これからも唱のことよろしくなあ」

彩子もすっかり川田家の息子達を気に入っている。

未成年相手なので、飲み物は日本茶だけど。

仔猫の相手をしながら5人で賑やかに食事が始まった。

「唱、晶さん達の分除けとかんと。こいつら全部食うてまうで」

「全部食べてってください。

竜ちゃんは、晶と2人で出掛けたら。朝まで戻って来ないし」

「え?」

「晶と彩子と竜ちゃんて。夫婦で恋人で理解者って仲だから。

ウチはそーゆー家族なんです。ヘンに思われるかも、知れないけど」

少し緊張しながらも。隠し事無しで正直に唱は伝える。解って欲しいと思うから。

哲もまっすぐに唱を見つめ返した。

「そおなんか。

まあ仲良えんなら。そんでエエやんな」

スキの形は色々在って良いのだ。

ゆっくり応えながら。何だかすっきりした顔で哲も笑った。



「ごちになりましたっ!」

「お邪魔しましたっ!」

仔猫にミルクをあげる体験までさせて貰って。特上寿司でお腹いっぱいになって。

弟2人は幸せな顔でお礼を言う。

「哲、オレら走って帰るワ。

めっちゃパワーも気ぃもMAXな感じなんや」

「そおや。なんや吠えまくりたい感じやんな」

脳筋ながらも。仔猫の生死にかかわった経験は、色々感じるモノがあったらしい。

「吠えんなよ。通報されるからな」

「りょーかいや~」

そのまま2人は競うように駆け出して行った。


「あの、駅まで一緒に行ってもいいですか?」

やっと2人きりになれる。

哲が返事をする前に、唱は一緒に玄関を出た。

でも、その後が続かなくて。無言で微妙な距離間のまま2人は歩く。

「哲さん。あの。仔猫に会うためでイイので。いつでも来てください」

「オレ受験生や。そんなに遊んでられんワ」

「そう、ですよね」

「せやから、また猫ん写真送ってくれや」

「はい!送ります」

「オレなあ。志望校変えるつもりなんや」

「そう、なんですか?」

「通学圏内やと。偏差値、高過ぎンのと低過ぎンのしか無くてな。

横浜の大学を薦めて貰うたんや」

「横浜?そんな遠くに?」

「1年だけな。2年からは分校に行く。

志望学部の新設校舎が九州に在るねんて。

ド田舎らしーんやけど。寮あって金掛からんで生活出来そうやし。

そのまんま共同研究先に就職出来たら、安泰やしなあ」

「九州のどこですか?」

「宮崎。端っこや」

「遠い、ですね」

「パンフ見ただけやけど。広々した野っ原ん中にあってなあ。

さっき彩子さんの声で、身体浮いたみたいな気ぃしたけど。

ああ言うの、ほんまエエよなあ。感動した。あんなん初めてや。

そんな、何ン言うか。色々ごちゃごちゃしたコトから解放して貰うて。

自分のしいたいコトをやって行けたらエエなて思うし」

頬をちょっと染めて。哲は興奮した子供みたいだった。


そんな哲が、唱には眩しい。


線路沿いの細い近道は、他に人通りも無い。唱はそっと哲の腕を握った。

「あの、都内には彩子のマンションがあるから。

オレいつでも横浜行けます。会いに行きます。

それで、哲さんが宮崎行くなら。オレは追いかけます。待っててください」

「はあ?進学はどないすんねん」

「まだ何も考えてないですけど。哲さんと一緒に居たいです。

晶ならきっと、一番やりたいコト優先すればいいって言ってくれます」

「それは才能ある芸能人やからやろ。

もおちょい真面目に。フツーの生き方考えや」

「好きな人と一緒に居るって、フツーの生き方だと思います」

哲は、困ったような呆れたような表情で。はあああと深いタメ息。

「唱、おまえ。ウチの弟らあより世の中ナメとおな」

「そうかも知れないです。

でも。哲さんだって、もうオレのコト好きですよね?」

まっすぐに唱は、哲を見つめる。

自分ばっかり言わされているけれど、それでもいい。

格好悪くても。ちょっと自信が無くても。本当の気持ちを埋もれさせない。


ばっと腕を振り払うと。

哲は勢いよく、ばちーん!と両手で唱の頬を挟んで叩いて。ぎゅむっと押し込む。

今まで、晶達から叱られることなんてほとんど無く。

叩かれたコトなんて全く無い唱は、まばたきも出来ず困惑した顔。

と。突き出た口元めがけて哲が突進して来た。

ゴチンと、額と鼻がぶつかって。

ちょっとだけ何ンとか唇も。触れた。

(あれ?あれ?もしかして。キスの、つもり?)

叩かれた頬がジンジンして、唱は声が出ないけれど。

目の前の哲は、くしゃっと顔を崩して。真っ赤になって笑う。

「ま!こーゆーのはな。

ボチボチ上手くやれるやろ。今はそんでもエエやんな」

そしてそのまま哲は、唱の胸に飛び込み。ぎゅうっと抱きしめた。

だから唱もゆっくりと腕を回して。哲を抱き締める。

(キスのコツとか。今度、竜ちゃんに教えて貰お)

さすがに毎回ビンタされるのは、避けたいトコロだ。




もちろん。哲は無事大学合格した。


でも1年だけの横浜の下宿先は古いシェアハウスで。

唱が気軽に遊びに行ける雰囲気ではないし。生活費のために哲はバイトが忙しい。

唱としては、顔を見るだけでもと思うのだけど。

『無駄な交通費使うんやナイ!』なんて怒られてしまう。

仕方なく篠原を誘って。

写真家の展示会を観に来たとか。カメラメーカーのワークショップに参加するとか。

用事を作って『そのついで』になんとか哲に会って貰う。


だから2年目になって。宮崎の新設校舎へ引っ越す時は『今度こそ』と。

気合を入れて手伝いに行ったのだけれど。

下宿先は何故か、1日に3本しかないバス停から20分も歩く民家だった。

「おー!ほんまに、こんなド田舎まで会いに来たんかあ」

哲は晴れ晴れとした笑顔で迎えてくれた。


最近では、唱も篠原と一緒に60Lザックを背負って。

縦走しながら写真を撮ったり。テントを張って一晩中シャッターチャンスを待ったりして。

随分とたくましくなっている。

それでも、畑の中にぽつんと建つ民家には驚いた。

「寮じゃないんですか?」

「それがなあ。

新築で設備も整うとおけど。セキュリティの関係とかで。

勝手に窓開けたり出来へんし。どっか通るたびに解除要るし。セセコマシイんや。

この家な、空き家リノベしたヤツやねんけど。家賃1年間で1万円や」

「え?安過ぎますよね?インフラとか大丈夫なんですか?」

「庭と、裏の小さい畑の手入れすんのが条件なんや。

家主さんに認めて貰えたら、このまんま住んでエエ言うし。オモロそおやろ」

新しい遊び場を手に入れたみたいに、哲は楽しんでいる。

あの現実派で慎重な長男タイプが、まるで子供に戻ったみたいで。


丸いちゃぶ台にドンと置かれた湯呑を眺めながら。正座している唱は複雑な顔。

ずっと会えなくて。付き合ってる仲じゃナイような状況になっていて。

ひとりモヤモヤしていたのに。

今回かなり気合入れて来た自分が見当違いな気がするほど。

哲は、無邪気に笑っている。

(哲さん可愛いなあ)とうとう唱にも笑みが伝染ってしまう。



「哲さん、成ちゃんの写真も持ってきました」

「お!助かるワ。

勢が送ってくる写真ブサイクなんばっかで。

何て返したらエエんか判らんで。困っとったんや」


弟の勢は、高校卒業してすぐキックボクサーのプロライセンスを手に入れた。

その時知り合った年上の栄養士さんと入籍して。長女『成』が生まれたばかり。

でも、さすがに生活は厳しくてギリギリだったところに。竜太郎から声が掛かった。

今はあの角地の元・能良家で親子3人で暮らしている。

AYAの活動が本格的になると、地下室のスタジオでは手狭になって。

晶達は郊外の新しい住まいへ移った。

そこは製作会社並みの、立派なスタジオが備え付け。

そして、元の地下スタジオはレンタル制にして。

学生バンドの練習やフリーランスで音楽活動をやってみたい人。

東京に出る資金が無くても、売り込みのチャンスを作りたい人。

そんな風に自由に音楽の夢を育てられる場所にして。

勢の家族にスタジオ管理を任せることにした。



「勢が家庭持つなんてなあ。アホ弟やて思とったけど。

お嫁さんがしっかりしとおと、ナントカなるもんやなあ」

「勢くん達の心配する役目が無くなったから、寂しいですか?」

「ぜんぜん。

庭と畑の世話せんならんし。授業忙しいしなあ。

前はひとりで勝手に考えて決めて。色々背負っとお気ぃなっとったけど。

それぞれがシアワセーにやっとったら。そんでエエんやなあて解ったし」

「哲さんの幸せに。オレの存在入ってますか?」

ちゃぶ台に身を乗り出し。唱は哲を見つめる。

今度こそびしっとキメて先に進めたい。と思っているのに。


「あ。ヒゲ姉ちゃんや」

「え?」

哲は唱の肩越しへ視線をやる。庭の真ん中を白黒ぶち猫が悠々と歩いていた。

「メスなんやけど。

ほら、見てみ。黒い柄が立派な口ひげみたいでな。貫禄ある顔やろ。

この辺りな野良猫ようけ居るんや。

近所の人らあで、手術したったりメシあげたりしてんやて。

あの、耳をちょっとカットしとおやつ」

哲は猫しか見ていない。


(ワザと?ワザと流れを逸らしてるのかなあ)

さすがにちょっと凹む唱の視界に。奥の部屋がちらりと見えた。

派手な蛍光ピンクのTシャツがぶら下がっている。

唱が初めて山行した時に買ったTシャツで。哲と離れる時に強引に渡したヤツ。

白筆文字で『山がスキ』とプリントしてある部分に。

唱は黒マジックで上書きしたヤツ。『山』のところを『哲さん』と。

マジ要らんワー!!渡された哲はあの時ゴネまくったけれど。

床の間の掛け軸のように神妙な雰囲気でぶら下がっている。

きっと毎日、哲の視界に入っていたはず。

唱は熱い感情で胸がいっぱいになる。

「哲さん」

「なんや」

ぶち猫を見たまま、唱を見ようとしない哲の横顔はちょっと火照ってる。

判りにくかったけれど、もう間違いない。

「高校卒業したら、オレまだまだ写真続けたいと思っていて。

あちこちウロウロして野良みたいなモンなんですけど。

哲さん、オレのこと拾って貰えますか?」

「…しゃあないなあ」

振り向いた哲はシアワセいっぱいに笑うから。

唱は腕を伸ばして抱きしめて。上手にビンタ不要のキスをした。

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