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ノラ・RaRaRa  作者: おきついたち


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1/6

1.しゃあないワ

廊下に山積みになった段ボールを避けながら、唱は玄関に向かう。

「唱ちゃん、どこ行くん?」

リビングからひょいと顔を覗かせたのはタンクトップ姿の細マッチョ。

あご髭にメッシュ入の短髪と、薄い色のサングラスをした竜太郎。

三線を構えゆるやかな音色を爪弾いているけれど。

もしそんなオトボケ空気をまとって無ければ、職質でも受けそうな外見。

「学校。編入生だけ、制服とか教科書とか受け取りに行く日」

「こんな早よから?」

「部活の見学会とか。他にも色々あるみたい」

「何んや詰め込みやなあ」

「編入生って10人も居ないんだって。きっとすぐ終わると思う。

竜ちゃん。午後から楽器のトラック来るんだよね?

廊下通れるよーにもう少し片付けた方がイイんじゃない?

じゃあ、行ってきます」

自転車で行きたかったけれど。まだ通学許可証を貰っていないので歩くしかない。

私服可となっていたので杢グレーの地味なパーカーとGパン。

男子校の雰囲気は判らないけど。とにかく静かに高校3年間を終らせたいだけ。

新学期の待ち遠しさゼロ%のタメ息をふっと吐くと。

地図アプリを見ながら、唱は歩き出した。



春先の引越しシーズンは混んでて。荷物の搬入が終わったのは昨晩深夜。

そして今日は学校説明会で4日後には始業式。

(はああ慌ただしい。

そうだ。通学途中にあるスーパーの品揃え確認しとこう)

ふと昭和な雰囲気の店構えが目に入る。

菊寿司と立派な看板。そしてどっしりした木枠ガラス戸には準備中の札。

(昨日配達してくれた店ってココかな。あの丸い容器返さないと)

唱は東京生まれの東京育ち。オマケに家族の都合で海外に居たこともある。

だから生活環境と言えば。

信号機ごとにコンビニが在り。ファストフード店も予約制レストランも。

早朝だろうと深夜だろうと、食事や買い物に困ることは無かったのに。

ここでは。

22時には飲み屋以外は営業終了。ウーバーも使えない。

街の雰囲気は良いし外観も整備されている分、チェーン店とかお手軽さゼロ。

昨日も片付けに追われ。夜になって夕飯どうしよ?となった時に。

この店だけが配達を受けてくれた。

(寿司屋の出前って。サザエさんの世界だよなあ)




唱の父親は世間で言うミュージシャン。

元は『AYA』と言うユニットで作曲とピアノを担当していた。

ギターの竜太郎とボーカルの彩子と3人で、フェスの前座からスタート。

とよくある話。

でも。

5オクターブ音域を持つ彩子が両腕を広げてステージに立ち。

凪いだ水面から一気に。

観客ごと空へ駆け上らせる勢いの声を解き放して大ブレーク。


それからは。

器用な竜太郎がキャッチーな歌詞を綴って。

その耳馴染みの良い曲が、ドラマの主題歌やTV番組のテーマ曲に採用されたり。

ライブハウスでは、相変わらず彩子が迫力あるジャズやバラードも披露して。

マスに受けることも。コアなファンにアピールすることを忘れず。

ランキング上位を15年駆け抜けて。ユニットは解散した。


今では、彩子はジャズのカバーをメインに国内外で好きなように歌っているし。

竜太郎は弦楽器なら何でもOKと。声が掛かれば何処へでも助っ人に行く。

そして、そんな2人のどんな注文にも応えて最高の曲を作って来たのが。

唱の父親、晶。

音大で作曲を学んだ正統派キャリアを下地に。AYAの実力と地位を不動にしたし。

ジャンルを越えて様々なアーティストの曲作りから、映画音楽でも編曲でも。

AYA解散後、表舞台からは引っ込んだけれど。変わらず大好きな音作りを続けている。

唱はそんな歌と音に囲まれて育ったから、この4人でひとつの家族。

母親は彩子で父親は晶になっているけれど。

もしかすると竜太郎なのかも知れない。

でも彩子が『ケ・セラ・セラ』と歌うし。お互いを大切にし合ってるから。

DNAなんてどうでもイイ。時間と想いが螺旋で繋がっている。

色々ゴタゴタもあったけれど。

竜太郎のツテで、この関西の片田舎に引っ越して来て。

これからは、やっと穏やかにフツーに暮らせるはずだ。




校内を案内され、制服と教科書を受け取ったところで。唱は深く後悔していた。

予想以上の荷物だったから。

他の編入生達は親が付き添っていて。荷物を手分けして運んだり。

付き添いは無くても、キャリー持参で重い荷物を転がしたりと準備万全。

底が破れそうな紙袋を手に、呆然としているのは唱だけだった。


「なあ。あんたダイジョウブか?」

声を掛けられて、唱は我に返る。

(そっか。これからは全部関西弁なんだ)

長い東京暮らしでも、竜太郎達はずっと関西弁を使っていて。

今までは家の中だけだった関西弁が。これからは自分以外すべてが関西弁。

「あ、うん。ありがとう。多分ナントカなると思う」

「なー!おかん。エコバッグあったやんなあ?ちょお貸したって」

声を掛けてくれたイガグリ頭が母親を呼ぶ。

「えー?帰りにスーパー寄るんやで。余分有らへんよお」

振り向いた母親はそう応えながらも。

息子と同じ編入生が独りで困っているのに気付いて、心配な表情になる。

「すみません。あの、大丈夫です。タクシー使いますから」

唱のその返事に、親子2人は益々心配顔。

「あんた何処から来たん?

駅前でもナイんに。こんな場所でこんな時間に。

アプリで呼ぶんにしても、すぐにタクシーなんか来おへんで」

「あ…」

言葉だけでは無く。それ以外にも今までの生活とは勝手が違うことを。

唱はしみじみ感じてしまう。

「そーやんなあ。何ンや都会の子お言う感じやんな。

シュッとしとおし。髪長いし泣きボクロとか。オシャレさんや。良一も見習い」

「ホクロは見習われへんやろ」

テンポ良く進む親子の会話に口を挟めず。唱はただ黙ってるしかない。

(クラス紹介の時。しのはらって名乗ってたっけ)

唐突にイガグリ頭の篠原はくるっと唱へ向き直った。

「なあ。オレもう部活決めとるねん。

部の先輩とも春休み中に顔つなぎ出来とおから。

この重い教科書、部室に置かして貰う約束しとるんや。あんたもそおし」

「えっ。でも」

確かにナントカ全部持ち帰れたとしても。自分の部屋は荷ほどきも終わっていない。

学校に置かせて貰えるなら、それはすごく助かる。

ただいきなり部室と言われても。一体何部なのやら。

篠原のイガグリ頭と、特に手入れもしてない眉から想像すると。

(野球部とか柔道部とか?

教科書置かせて貰える代わりに入部しろとか?それはそれでムリ…)

篠原の気遣いは有難いけど。どう返事して良いものか唱は戸惑う。

「別に入部勧誘しとるンちゃうで」

さらりと篠原が補足する。

「あんたは知らんやろけど。ココの写真部有名やねん。

部員ようけ居るし、希望出しても入部出来ひんヤツも居るくらいや。

とにかく行こ。午前中しか先輩に会われへんから」

「ありがとう。篠原くん」

朴訥とした雰囲気の篠原だけれど。写真部の話題になると目に力が籠る。

(篠原くんて。良いヤツそう)

新学期が少し安心になった気がした。



重い紙袋を抱えて、唱は篠原の後を付いて行く。

編入前から意中の写真部に通っていた篠原は迷うこと無く校内を進む。

「あ!杉原さん!おはようございます。編入生の篠原です!」

渡り廊下で立ち話をしている2人組を見つけると。篠原は直角お辞儀。

「おはよ。

な?言うた通りやろ。エライ荷物やろ。

まだロッカーの割り当ても無いんに無茶やんなあ。どうせすぐ使うンに。

島口、部室のどっかに置かせたって」

「そっちのヤツも?」

度が強そうな厚レンズの眼鏡越しにジロっと見られて。

唱は慌ててぺこりと頭を下げた。

「突然ですんません。同クラになる奴で。一緒にお願い出来ませんか?」

篠原がフォローしてくれるし。杉原もサラリと付け足す。

「隅っこ置くだけやん。1人分でも2人分でも別にエエやろ?」

島口と呼ばれたメガネは、黙ってじいいいっと唱を睨む。

「あんた結構エエ顔しとんな。

その鬱陶しい前髪ちょお上げてみ。ポートレートのモデル出来そうやな」

その一言に促されるように。杉原も篠原も、唱の顔を覗き込んで来るから。

焦る唱は青くなったり赤くなったり。

「すみません。やっぱり持って帰ります」

(うう。最悪…)

冷や汗を浮かべながら、唱はジリジリと後退りすると。

よく通る大きな声が響いた。

「すぎはらー!リク部今日はもう解散するで。後は知らんからな」

「えっ。ちょお待ってや哲。田畑は?スケジュール確認したいんやけど」

「あっちで仕上げの『流し』測っとお。自分で話せえや」


そのちょっと乱暴な口調の主は。そんなに体格は大きくないけれど。

よく日焼けした肌に無駄のない筋肉で。全身バネみたいに形良い。

『あっち』と言いながら顔を向けた方向では。

10人程の部員が、ホイッスルに合わせてペースを落としつつ走っている。

朝から練習を始めて、もうヘトヘトで。

やっとクールダウンして、これで本日終了。

そんな雰囲気で。みんな疲れ切って首を垂れていたり空を仰いだり。

でもひとりだけまっすぐ前を向く部員がいる。

腰の位置がすごく高い。手脚が長い。歩幅が広い。細くしなやかな体格。

走るフォームは力み無く軽やかで。その人の周りだけ空気抵抗ゼロみたいで。

唱はスポーツには興味無いし。陸上競技なんて何も知らないけれど。

(きれい、だなあ)

目を奪われてしまった。

「空実さんやあ。めっちゃツイとるう」

隣の篠原なんて目を潤ませて仁王立ち。

「オラオラ!見世物ンちゃうで。部外者はとっとと去ねや」

リク部の哲が、ガルルルルと唸り声を上げる番犬みたいに向かって来た。

でも篠原は動じない。

「オレ空実さんを撮りたあて編入したんです。ずっと風景写真撮っとって。

ここの文化祭でインハイの写真見て。初めて人物撮りたいて思うたんです。

しのはら言います。卒業までの1年どおぞよろしくお願いします」

深々ーっと篠原はイガグリ頭を下げる。

そんな気合が入った名乗りに、みんな呆気に取られてしまったけれど。

哲だけは低い声で、篠原を睨みつける。

「おまえの勝手な願望なんて知らんワ。

正面切ったら通じる思とんのか。甘いワ。もうおまえリク部に近寄んな」


そう云い捨てて。哲はグランドへ戻って行く。

(怖…)

唱は息を殺して突っ立ってしまう。

哲の第一印象は、黒目勝ちな瞳の柴犬のようだと思ったのに。

気に入らない相手にはホンキで牙を剥く番犬らしい。

隣に立つ篠原をチラリと見ると。

全否定されたキツさに口をヘの字に結んで拳を握りしめている。

「あーまあ。気にしなや。

去年なあ、シャレで済まへんよーな空実くんの加工写真が出回ってなあ。

競技連盟まで巻き込んだ騒ぎになってもて。

結局、競技場での公式撮影以外は禁止になってん。

オレらもな。リク部撮る時は学祭用とか卒アル用とか限定してな。

特に外に出すモンは許可制で撮るようになったんや。

わざわざ編入して来たんに。篠原はガッカリやろけどなあ」

「知ってます」

「え?そおなん?」

篠原の即答に、杉原はちょっと驚く。

「そのSNS被害のハナシ知ったんで。

逆に、編入して認めて貰うて撮るしかないて決めたんで」

「へええええ。筋金入りのファンなんか」

そんな茶化した杉原の言葉に。篠原はキっと太い眉を吊り上げる。

「せやかて!

ヒトの動きがあんなに綺麗やなんて。オレ思うたコト無かったんです。

そん時一瞬だけの美しさを残せるんは、写真しか無いんに。

そらあ乱用されてトラブルなるコトも有るかも知れんけど。

写真の素晴らしいトコは他にもっとようけ有るんに。

なんでもかんでも。ひとまとめで否定せんでも!」

熱が込もった篠原の言葉。

でもそれを抑えるように、眼鏡で表情が判らない島口がぼそっと口を挟む。

「山とか風景とか撮るんはな。

遠いしデッカイし、揺るがんモン相手やから。

みんな同じよーなキモチで、キレイやなぁでまとまるけどな。

ヒト相手やと。

妬みやヒガミが入り込んでこじれるんや。

それぞれの都合や解釈で勝手に変って行ってまうしな。

トラブルにならんよう予防線張るんは、しゃあないワ」

その言葉に、唱はちょっと反応してしまう。

AYAが解散する時。何度も聞いた言葉だったから。

(しゃあない、って言葉。いつ聞いても悲しくなる言葉だ…)




色々うやむやのまま。荷物を部室に置かせて貰って、帰ることになったけれど。

ずっと篠原は無言だし。唱もどう対応して良いのか判らず、気まずい沈黙。

「ちょお。あんたらさっき哲に嚙みつかれたヒト?」

その声に振り返ると。

ジャージ姿が2人こっちを見ていて。1人はあの空実だった。

「オレ、リク部のマネージャーで田畑言うんやけど。

ごめんなあ。びっくりしたやろ?

哲なあ。間違ったコト言うとおワケちゃうけど。

ほんまクチがキツイからなあ。気ぃ悪うしたやろ。ごめんな」

オシャレ眼鏡の田畑は優しい口調で謝りながら、近づいて来た。

(グランドで計測してたヒトだ)

そう思いながら唱は会釈を返す。

さっき陸上部の様子を渡り廊下から眺めた時は、かなり距離があったので。

そうハッキリ判らなかったけれど。

今、間近に。話題になってた『空実』が寄って来て。唱はぐっと唾を飲み込んだ。

(ハーフかな?めちゃめちゃ綺麗なヒトだ)

外部活なのに透明感のある薄い色の肌。明るい色の髪が肌を更に際立たせている。

人形のように整った顔つきで。特にその瞳に惹き込まれてしまう。

長いまつ毛に縁どられた柔らかなトビ色の瞳。

それが子供のように遠慮も誤魔化しも無く、真っ直ぐ向けられるから。

唱は息をするのも忘れて固まるし。あの朴訥とした篠原さえ顔が火照ってる。

「あの。その。

写真のトラブルんコトは知ってますけど。でもオレはそんなつもり無いし。

ここの写真部に入部出来たら、競技写真撮らせて貰えるて。

ずっとそれだけのキモチで受験勉強とかやって来たんで。

さすがに、ちょっと。凹みました」

「せやろなあ。

哲もナンも聞かんと、話叩っ切るからなあ。

でもまあ、写真部に協力して貰うとおのはホンマやから。

とりあえず新学期始まったらな、部活で相談してみてな。

そんでもし撮ってくれンよーになったら。そん時はよろしくな」

田畑がにこりと笑顔を向けてくれて。篠原もホッとした顔になる。

「な、空実くん。写真部とはこれからもヨロシクやって行くやんな」

ずっと黙って突っ立っている空実を、田畑が振り返る。

「え…なに?」

「ナニちゃうくて!空実くんの話しとんやで。もー」

容姿が整い過ぎて壁を感じるそのヒトは。ほわんとゆるい一言だけ。

(あれ?イメージがずいぶん違う)

固まっていた唱もちょっと気が抜けてしまう。

「な?こんなんやから。哲も心配で吠えまくってまうねん。許したってな。

ほんならまたなあ。部室戻ろ、空実くん」

そう言って田畑は部室棟の方へ向かうけれど、空実は不思議そうな表情のまま。

「何か用事あった?」

「それもお終わったで」

そんな感じで苦笑いしてる田畑の後を、空実は黙ってついて行く。

すらりと真っすぐな後ろ姿は、若木のように綺麗だった。


「やっぱ!ええな!空実さんっ。立っとおだけで光っとおワ!

オレ絶対競技写真撮らせて貰うんや!」

さっきまで凹んでた篠原は、もうすっかりキラキラの希望を取り戻していた。





帰宅すると。玄関ではスパンコールきらめくロッシのパンプスが存在を主張していた。

それを見て。ただいまを言うのも忘れて、唱は急いでリビングに向かう。

「彩子!やっと来た!ロンとカンは?」

「なーによお。私に、お帰りも言わんと。2匹の心配が先かいな」

「だってもう預かり4日目だよ。大丈夫?ストレスで体調崩してない?」

「ぜーんぜん。元気にカッペリーニのソファで爪とぎしとおワ。

それより、あんたの方が疲れた顔しとおやん。何処行っとったん?」

母親の彩子がソファに座ったまま手を伸ばして、唱の鼻の頭を指で触れる。

まるで猫との挨拶。



竜太郎のビジュも濃いけれど。彩子も同じくらい迫力があって。

AYAの記事で2人並ぶ写真は、まるでディズニーヴィランズ。

声量を保つために身体も鍛えているから、高校生の息子がいるとは思えないスタイル。

艶やかな黒髪に、くっきりした顔立ち。

化粧なんてテキトーでも。リップに色を乗せるだけで華やいで。

ステージの真ん中で観客の視線を惹き付けることが出来る。

オフの今だって。

深いオレンジ色のカットソーとGパン姿が、一輪の薔薇のよう。


歌手活動で国内外を移動し易いように、彩子は東京にも部屋があるから。

この引越騒ぎの間は、彩子が飼い猫2匹を預かっている。

「学校で編入生だけの説明会が有ったんだけど。

色んな人と会ったし。思ってもなかった話に巻き込まれて。ちょっと疲れたかも」

「そおなんや?もお何んか言われたん?」

彩子の顔が曇る。

「AYAの話題じゃないよ。心配しないで。

それより、どうしてロンとカン連れて来なかったの?」

「こんな倉庫みたいな状況で。あのお姫さん達が暮らせるワケ無いやろ。

早よ片付けんと。このまんまウチの子にしてまうで」


「そんなんっ絶対あかーん!」

情けない悲鳴をあげながら。AYAのリーダー晶がドタドタとリビングに入って来た。

その後ろにはビール缶とツマミを持った竜太郎も居る。

そうしてやっと家族4人が揃ったのだけれど。見た目も雰囲気もバラバラ。

晶の見た目はちょっとメルヘンで。

高校生の唱よりも、晶はずっと小柄でぽっちゃりで。

ちょこんと乗った丸眼鏡の奥は優しい垂れ目で、人の良さ丸出し。

ムーミンかプーさんか、白雪姫の小人ととしてもイケそう。

もしビジュアル重視で彩子と竜太郎をメインにAYAが売り出されていたら。

曲もイメージも偏ってしまったはず。

でも晶が居ることですべてが中和されて融合して。

空気を震わす振動が、そのまま心の奥まで届くメロディに変って行って。

晶が居るだけで、AYAはビジュアルやイメージに縛られることなく。

ポップスでもロックでも。バラードもジャズも、演歌歌手とコラボだって。

境目なんて無くて。野良みたいに自由に音を楽しんで来た。

彩子も竜太郎も、そんな晶の才能に惹かれ。

晶の才能で、自分達を磨き上げて貰った関係。

だからやっぱり何が有っても。このちんまりした晶が家族の真ん中。



「彩ちゃあん。すぐ片付けるんで2人返してやぁ。ひとりで寝るン寂しいんやあ」

ソファに座る彩子に、それこそ猫みたいに擦り寄ってお願いする晶。

そしてそんな晶を背中から抱き締めて、引き剥がそうとする竜太郎。

「せやからオレが添い寝したるて言うとるやんか」

「あーもお!やかましいっ。

あんたらのオチの無いコントは聞き飽きとおワ。

それより晶。また太ったんちゃう?そのお腹ナニ入っとおねん?」

彩子は大胆に、晶のシャツをペロンとめくる。

「そんなん訊かんでも判るやろ。オレの愛が詰まっとおんや。

地球のアイドル、ムーミン姿は幸せの権化やで。プニプニは世界平和のシンボルや」

「何ンやそれ。ワケ判らんワ」

「竜はテカテカしとおからイヤやー。ふわふわがエエんやー。

ロンー!カンー!帰って来てやああ」

3人揃うといつもこの調子。

唱はもう黙って騒ぎを眺めるしか無いのだけれど。自然と笑みが浮かんでしまう。

騒がしくても、これが能良家の日常だから。





新学期が始まって自己紹介の時、AYAのことを気付かれるかと唱は緊張したけれど。

男子校のせいか、もう古い話題のせいか。特に何の反応も無かった。

それよりも篠原の方が注目を浴びていて。

地味なイガグリ頭は、中学の頃からカメラメーカーのコンテストで入賞したり。

SNSでも、プロからコメントを貰うほどの有名人だった。

「ウチのおとんは、プロになり損ねた写真好きやからな。

オレ、ガキん時から山とか海とか連れて行かれて。

おとんの真似してシャッター切って。何撮っても褒めて貰おとったから。

大きなっても、ただ撮るんが楽しいて。スキなだけやねんけどな」

ちょっと照れながら篠原は言う。

「写真てな、永遠に残せるモンな気ぃするけどな。

撮れるんは一瞬の出来事だけやねん。一瞬を永遠にすんねん。めっちゃスゴイやろ。

せやから、エエのん来るかもて予感したらな。ソレ逃さんよーに必死で捕まえに行くんや。

切り取った一瞬には、永遠が詰まっとる。そんなん滅多に出会えん。

追いかけ出したら、そお簡単には諦められんワ」

(熱血だなあ)

篠原が言う『一瞬』が、あのヒトのことなのかと敢えて確認はしなかったけれど。

対象が何だとしても誰だとしても。

桁が違う篠原の情熱に、口を挟めるはずも無いし。

ちょっと自分とは別次元に思えてしまう。

自分にはそんな風に必死になれるコトなんて、何も無かったから。




放課後になると。グランドには写真部員が何人も散らばっていた。

それは来月開催される水無月祭と言う近隣私学合同体育祭のため。

毎年結構盛り上がるイベントで。

その様子は学校のホームページで紹介されるし。競技写真も校内展示される。

写真部には動画撮影や映像編集のチームもあるから。

今の内から、もう練習風景や気合宣言とかメイキングネタを仕込んでいるトコロ。


まだクラスにも馴染めてない唱は、その盛り上がりに付いて行けない。

(中学でも部活してなかったし。また帰宅部でイイかなあ。

どうせ来年には受験準備が始まるんだろうし)

帰り支度のまま、ぼんやりグランドを眺めている。

せめて篠原には「先に帰る」と伝えようと思っているのに。

篠原はカメラ片手に、杉原先輩の後ろに張り付いて移動しまくってて。

全然唱に気付かない。

(黙って帰ったら…やっぱり感じ悪いよなあ)

もう少しだけ近づいて声を掛けてみようと。グランドに一歩足を踏み入れる。


「あほおおお!のけえええ!」

怒声が響いた。

びっくりして声の方を向くと。大きな歩幅でジャージ姿が跳んで来る。

避けようとして足がもつれて。唱はその場にしりもちを付いた。

気付かずに。走り幅跳び用の砂場近くを横切っていたらしい。

唱の視界の上を大きな影が越えて行く。

バネみたいに跳ね上がった身体が重力を蹴飛ばし。空気を押し込み。撹き払い。

宙に弧を描いて。

そして砂を蹴散らかして、着地した。

妙に静かで。

でも。唱の心臓がどくんどくんと大音量で湧き立っていた。

顔も火照って汗が流れ落ちる。



「どおいうつもりやねん」

砂まみれの2本の脚が唱の前に立つ。

「す、すみませ、ん。周り、見てなくて」

情けないほど声が震える。でもどうしようも出来ない。

「なんや。おまえ腰抜かしたんか」

怒りを滲ませていた声に。ちょっと呆れと笑いが混じった。

「そう、かも」

確かに身体を動かそうとしても。力が入らない。

ほんとは立ち上がって謝りたいのに。そっと視線だけを上げて相手を確認する。

(あ、このひと。

哲って呼ばれてたヒトだ。キツイ言い方で怖かったよな…どうしよ…)

そう思って唱のこめかみを今度は冷たい汗が伝う。と、明るい笑い声が響いた。

「はははは!

めっちゃ情けない顔してからに。笑えるワー。

準備中の助走ン時でよかったワ。本番ン時やったら避けられんかったで。

ほら、立ちい」

新品の学生服が、砂だらけの手で引っ張られる。

唱はヨロヨロ立ち上がって砂場を見ると。着地の跡が随分端っコに寄っている。

真っすぐ入るはずの助走を。唱を避ける為にずらしてくれた跡だ。

「あの。ほんとに。すみません」

申し訳無さで、顔を上げられないでいると。

逆に哲が覗き込んで来た。でも唱のことは覚えてないようで。

「銀の襟章か。編入生やな。

この時間帯はグランド隅から隅まで、どっかの部活が使とおからな。

何飛んで来るか判らんで。通る時には右見て左見て。も1回右見て渡りや」

哲は、唱より背が低いけど。

腰を抜かした相手が、自分より年下と判ると。少し優しい先輩顔になった。




「はあ」

帰宅してから、唱は何回タメ息をついただろう。

「どないしたん?もう早速イジメなん?みんなで一緒に引き籠ろか」

タオルで汗を拭きながら、竜太郎がキッチンに入って来た。

晶と愛猫のために。全力で引越し段ボールを片付けていたのだ。

「そんなんじゃないよ。自分が情けなくて凹んでるだけ。

竜ちゃん。汗かいてるとホントにテカテカだね」

「しっつれいやワあ。玉のよーなお肌て言うてや。

唱ちゃんも、若さに頼っとらんと。ちゃんとお手入れしいや。

その前髪もすっきりさせよおで。オレが揃えたるワ。洗面所行こ」

竜太郎は強引に、元気の無い唱の腕を引っ張った。


シャキシャキとハサミが軽い音を立てる。

「ほーら。やっぱな。前髪削って涼しいにするんがよお似合うとお。

印象的な目えが活きる。奥二重で切れ長でミステリアスなん。ええワー。

彩子とお揃いの泣きボクロがまた色っぽい。

もお全部終わったからな。もお何んも隠さんでエエんや。

凹むコトあるなら埋めればエエし。足りんモンがあるなら見つけよおで。

新しい場所に来たんや。リセットして楽しいに過ごさんとなあ」

竜太郎の外見はチャラ男そのものだけど。

いつだって男女問わず好かれて、信頼されていた。

ステージのMCでは雰囲気作りが上手くて、観客は盛り上げたし。

家でもおふざけの合間に挟む気遣いで、みんなを繋げてくれる。

今だって。取り留めないけど、唱を見守ってくれる言葉が優しい。

「竜ちゃんにカットして貰うの。久し振りだよね」

「せやなあ。けど腕は落ちてへんやろ?」

「付き合ってた美容師さんに。教わったんだよね」

「そやで。センス良えて褒めて貰うたワー」

「独立する時、お店買ってあげたよね」

「おかげで毎回美容院タダや」

「でも、もう。東京戻らないんだよね?」

「唱ちゃんは戻りたいんか?」

竜太郎の声が、ふと真面目になる。

「そんなの全然思ってないよ。

ただ…ここではAYAの息子って見られなくて。静かで落ち着くけど。

じゃあオレって何なのかな?って思うんだ。オレの中に何も無いなあって」

くしゃくしゃと唱の黒髪を混ぜて。切った髪を落とす。

「そんなん別に。AYAとは全然関係無いワ。

お年頃になるとな。誰でも自分の内側が気になり始めるンや。

『自分が一番。周りなんかカンケーナイ』んは子供ん時だけの特権やからな。

それが段々と周りが見えて来てまうからなあ。

何でも、自分と比べてもて。上か下か。多いか少ないか。

世間とか社会とかってモノサシで測ってまうよーになるからな。

しゃあないワ。

青少年が通るフツーの悩みやで。そんで少しっつ自分を造って行けばエエ。

焦らんでエエから、がっしり丈夫なん造りや。

そしたらこの先ちょおキツイ風に煽られたりしても。立ってられるで。

何ンでもなあ。気付いた時がスタートラインや」


唱は、鏡に写る自分の顔を見る。彩子にそっくりと言われるのが苦手だった。

AYAが解散してニュースになった時は、前髪を伸ばして顔を隠していた。

でも、いつの間にか。

顔のパーツは彩子に似ていても。唱の顔立ちはもう男性の造り。

(オレ、自分自信のコトちゃんと見て無かったんだ)

竜太郎の言う通りだと思った。

何もかも。これから始めればイイ気がした。

「髪、ありがと」

「おうおう。ちょい待ち。

眉も整えな。ここまで来たらきっぱりオトコマエにせんと」

小さいハサミや薄いカミソリを出して来て。竜太郎は美容院ごっこ。

「竜ちゃん。ちゃんとしたカメラ持ってたよね」

「せやねん。

引越ン荷物から3つも出て来てな。

カメラマン志望の子と付き合うとお時。つい買うたんやろなあ」

「1つ貸してくれる?

今クラスで仲良い奴が写真好きで。とりあえず色々教わろうと思って」

「おっ。エエやん。

自分でジブン見るんは限界あるけど。

誰かと一緒やと、見えへん裏んトコまで気付かせて貰えるしな」

「竜ちゃん」

「3つ全部使うてエエからな」

「ありがと」

もう前髪は表情を隠してくれないから。

まっすぐ竜太郎と視線を合わせて。唱はにこっと笑った。



もう夜中1時を過ぎているのに。

寝付けなくて。唱はベッドの上でゴロゴロしている。

(こんな時カンが一緒に寝てくれたら。いいのになあ)

黒い長毛でモップみたいなカンを思い出しながら、目を閉じると。

宙を駆けるあの姿が見える。

ぶつかるとか思うよりも先に。頭の中が真っ白に、いや。

見上げた先にある、空の青色と。ジャージの緑色でいっぱいになった。

あの一瞬。呼吸も心臓も止まったんじゃないかと思う。

無意識とか魂とか、そんな自分の奥底に隠れてたモノが。

弧を描くあの姿にくっついて行ってしまった気がする。

(う~どうしたらイイんだろ…)

「あんなの二度と無いよ。忘れたく、ない」

篠原の言葉を思い出す。

一瞬を永遠にしたい。その欲望に捕まってしまった気がした。




翌日の昼休み。唱はトートバッグに入れて来たカメラを篠原に見せる。

「えっ?EOS5D?マジ?

初めて使うんには勿体ないヤツやで。めちゃラッキーやん」

「使い方教えてくれる?」

「シャッターボタン押すだけやで。

初心者はなあ、カメラ使うんや無うて。使われるつもりでガンガン撮り。

あれこれ考えんでエエて。

撮れたモンを検証して、次に活かしてく方が慣れんのも早いしな。

撮りたいモンとか有るん?データは後で一緒に見ようや」

篠原は楽しそうにカメラを構えたり、ファインダーを覗いている。

「走り幅跳びするトコ。撮りたいって思ってて」

「えー?リク部?また厄介な。

判っとおやろ?写真部でも、担当のヒトしかカメラ向けられへんし。

今から写真部入部したとしても。きっと先輩優先で難しいで」

「入部しないと無理かなあ」

「スナップ写真とか。仲良うなって撮らして貰うんなら。アリかもな。

唱が自分で説明出来んなら。杉原さんに相談してみよか?」

じっと篠原は唱を見る。

編入生同士ツルんではいるけれど。

いつも目立たないように。黙ってみんなの後ろに立っている唱の振る舞いは。

自分との間にも縮めたくなさそうな距離が在って。時々、篠原はイラっとしていた。

でも。

今日の唱はいつもと違っていて。伏目勝ちな視線をちゃんと合わせて。

はっきりと言葉を並べている。

「その。跳んでる瞬間が。すごく記憶に残ってるんだけど。

でも、日にちが経つと。だんだんあやふやになって。

手は開いてたか、握ってたかとか。顔は上げてたか、下向いてたかとか。

あの瞬間の記憶を無くしたくなくて。

なんとか。ちゃんと残したいんだ。写真ならそーゆーの出来るかなって」

必死に説明している『らしくない自分』が恥ずかしくて。

唱の顔は赤らんでいる。

「無理、かな?」

バシっ!と篠原が唱の背中を叩く。

「エエやん!エエやん!唱も結構言えるやん。

そんだけハッキリしたキモチあるんなら。撮れる!絶対残せる。

自分のモンに出来るワ!

よっしゃ!直談判行くで!」

ぐいっと唱の腕を引っ張って。篠原は大股で歩き出した。




「そらアカンやろ」

あっさりと写真部長の杉原は応える。

「もう1か月近く、部内で決めた担当が撮り集めとおのに。

部員でもナイんが突然入ってったら混乱するやろ」

「そんでも。写真部の企画に邪魔するワケやないですし。

せっかく初めて興味持てた被写体やなんですから。

一度湧いた、撮りたい言う気持ちはそお簡単に諦められへんです」

「あー。ソレなあ。まあ確かに難しいわなあ」

先輩2人へ食い下がる篠原に。却って唱の方が焦ってしまう。

隣に立つ副部長の島口がジロリと唱を睨む。

「なあ。自分んコトやろ。篠原に言わせとってエエんか?」

「あ!いえ。すみません。

あの。邪魔はしませんので。お願いします」

慌てて唱は頭を下げたけれど。心の中では後悔もあった。

(こんなオオゴトになるんだったら。止めとけば良かったかも)

ちらりとグランドを見ると。

丁度、哲と田畑と空実の3人組がタブレットの記録を見て喋っていた。

「まあ。リク部がどう言うか、判らんけどなあ」

「それがアカンのやって!

勝手に盗撮まがいんコトして。あんなトラブルなったんやで。

部活動の撮影は、写真部が責任持って取りまとめるコトにしたやろ!」

のんびりな杉原に、島口はキーキー文句を言う。

「おおおい!田畑くーん!ちょお相談やねんけどー」

杉原の大きな声に、リク部の3人が振り向いた。



「へえ?哲の跳ぶん撮りたいんや?

そんな注目されたん初めてちゃうか?なあ?哲」

意外と田畑は楽しそうな顔だけれど。

哲はむっつりと不機嫌で、話を聞く気も無さそう。

「見世物ンちゃうワ。

そもそもオレら3年は引退したんや。もう部員ちゃうワ。

今も水無月の準備に手え足りんから手伝うとおだけやし」

「でも。昨日跳んでました」

(今度は自分で伝えないと)

緊張して握りしめた手に汗を滲ませながら。唱がまっすぐ哲を見て話すと。

その視線に、哲は何かを思い出した顔になる。

「何ンや、おまえ。昨日、赤信号渡ったヤツか」

「赤信号?」

「オレ、スタートしたんに。砂場の前横切ろーとしたんや」

「ええっ!危っぶなあ。哲の助走をよう避けたなあ」

「ちゃうワ。オレが避けたったんや」

「それで着地無事やったん?枠はみ出たら骨折やで」

「骨折…」

哲と田畑の会話から、唱は改めて自分の不注意な行為の重みが解って。

沈黙してしまう。

(そうだ…もし砂場の外に着地してたら事故になってた。

なんかオレ。勝手に盛り上がってたけど。すごく迷惑なコトしたんだ)

申し訳ないキモチがいっぱいになって。また顔が下を向いてしまう。

「おまえ名前ナニ?」

「え?」

「そーいや。知らんな思うて」

凹む唱へ、哲なりの気遣いらしい。

「あ、はい。能良と言います」

「ふうん?変わった名前やな」

訊いたものの。そこで会話が途切れてしまう。

と思ったら。ずいと一歩、島口が身を乗り出した。

「そおや。初めて顔見た時なんか知っとお気ぃしたんや。

おまえ、AYAの彩子に目元がよう似とんや。

彩子の苗字って能良やんな。もしかして親戚とか?」

唱は青ざめる。せっかく今まで気付かれなかったのに。

しまったと思うけれど。もう、どう取り繕えばいいのか判らない。

「えっ!ほんまに?

オレ、能良晶が音楽担当した映画とかドラマめっちゃ好きで。

担当したDVDは全部家に在るんやけど!」

今度は田畑が割り込んで来る。

2人とも興奮気味だけど。イヤな感じはしなかったので。

ちょっと息を整えて唱は応えた。

「オレ息子です。こないだ家族で引っ越して来ました」

「マジかーーーーー!!

なあ!ライブのリハーサルとか。ステージの写真撮らせてくれへんか?

オレ、舞台とライブ撮るんが本命やねん」

さっきまでの渋い顔は何処へやら。島口は両手を合わせてお願いポーズ。

「なあなあ。

哲のコト、ナニ撮ってもええから。DVDにサイン欲しー!」

田畑も並んでお願いポーズ。

「おらあ!急にヒトんこと安売りかっ!」

わあわあ盛り上がる3人とは別に。杉原がついヒトコトこぼしてしまう。

「せやけど。AYAって解散したやんな?

確か所属会社との裁判で負けて。えらい額の違約金払って。

ちょい前に結構エグいニュースになったやんな」

一気に空気が冷える。

でも事実、杉原の言う通りで。

AYAの最後のイメージはトップアーティストでは無くて。

3年が経過した今でも。検索すると楽曲よりも裁判ネタが上がってしまう。

そんな解散状況だった。



「哲が跳ぶの。オレも、見たい。

跳ぶの、速くて。わかりにくいから。写真で見たい」

ひょこっと明るい髪が話に入り込んで来て。その場の緊張がほどける。

「空実くん」

「オレにも、見せてくれるなら。撮って、いいよ」

「何ンで、おまえが決めんねん!」

「見たい」

「知るか!」

「見せて、くれる?」

「あ、はい」

「勝手に決めんな、言うとおやろ!!」

むきーっと頭のてっぺんから湯気を立てて、哲は怒鳴るけれど。

あの透き通る紅茶のような瞳に見つめられたら。

断ることが出来るヤツなんか居ないから。唱も反射的に応えてしまう。

そして杉原も気まずそうな顔で頭を下げた。

「ごめん。オレ詳しいコト知らんのに。

ネットのイメージだけで。偏ったこと言うてもた」

「いえ。あの。その話題になるのがフツーなので。気にしないでください」

目を合わすのが苦しくなって。うつむいたまま唱は小さく言う。

けれど、ドスンと足を踏み鳴らして哲が唸った。

「ちゃうワ。ソコは大いに気にせえや。

親んコトとコイツ自身のコトは別モンや。もおその話はすんな。

おまえらの非礼の詫びや。

しゃあないから。

オレが身い削って被写体やったる。それで全部チャラや。ええな?」

腕組みして踏ん張って。哲が強引に話をまとめ上げた。

みんな顔を見合わせ、ちょっと空気が落ち着いたところへ。

またぴょこっと空実が顔を覗かせる。

「写真、撮ったら。見たい」

空実は黙って立ってると、近づき難い美しさを漂わせているのに。

何だか子供のように無邪気な仕草で。みんな顔がほころんだ。




「ロンーこっち向いてー。

おまえ、真っ黒のフサフサだから。前か後ろか判んないね」

くわーっと小さな牙を見せてロンが欠伸したところで、唱はシャッターを切る。

とにかく篠原の言う通り。

今の段階では目に留まるモノ何にでもカメラを向けてみる。

そしてなるべくすぐタブレットで確認する。

(自分が見てるモノと、写真に残せるモノって。こんなに違うんだ。

自分が残したい一瞬をそのまま撮るって難しいなあ。

きっと色んなテクニックが必要なんだろな。篠原に教えて貰お)

でもその難しさが、すっかり面白くなっていた。

だから。朝練や昼休み時にはワクワクしながら唱はグランドへ行く。

3年の田畑と哲は、部活引退しているけど。

自主練中の後輩へアドバイスするために。ふらりと出て来ることがある。

この間も、両腕を振り上げつつ両脚でジャンプしたり。

片足でスキップのように進んだり。短い時間で出来るドリルの指導をしていた。

(この練習って。幅跳びのドコにつながるんだろ?)

経験が無い唱には判らない。

でも。

ひとり空気抵抗の中に切り込んで行くような。力強い哲の跳びっぷりに。

目と気持ちが惹きつけられる。

判らないのに、キモチを持って行かれて。

(あっ!また…シャッター切るの、忘れた…)

そんな失敗も楽しくて、ひとり苦笑する。


そして。

哲に照準を合わせてファインダーを覗くようになって、気付いたことがある。

哲が立ち止まって。じっと遠くを眺めている時。

その視線の先にはいつも空実の姿がある。

長距離競技で推薦進学を予定している空実は、3年でひとり部活を続けていて。

後輩達と一緒に練習する時でも、その存在感は別格。

コースを確認するために、ちょっと顎を上げて視線を先に送ってる姿なんて。

まるで1本の白百合がすらりと茎をのばして。清らかな白い花びらを開いてるよう。

哲はもちろん、誰だって目を奪われるだろうけれど。

唱には。

卒業までに、空実の姿を1つでも多く記憶したくて。

哲がシャッターを切っているように見えた。



グランドの隅っこで。

唱が写真データをタブレットで確認していると。冷えたポカリが頭に乗せられた。

「どおや。3割増しエエ男に撮ったやろな?」

「あ、哲さん。お疲れ様です」

「なんやあ?

腕とか脚とかばっかで。何ンなんか、よう判らんな」

タブレットを覗き込んで、哲は勝手にデータをチェックする。

「あの、跳ぶトコ撮りたいと思ってて。

ほんと一瞬だから。あんまりイメージ通りいかなくて」

「ふーん。コレおもろいやん。地球跨いでるみたいや」

「あ、はい。それオレも気に入ってます。良かったらデータ送ります」

「何でもエエから。

まとめてUSBくれや。オレの青春記録にするワ。

水無月祭終わったら受験に集中するんで。グランド出るンも終わりやしな」

オワリ、なんて単語が出て来たせいで。

焦った唱はつい言ってしまう。

「え?でも。空実さんが走ってる間は見に来ますよね?」

その言葉に哲が目をまんまるにした。

「あ。すみません。

あの、よく。空実さんが練習するトコ見てるみたいだから」

アホなコト言うな!と怒鳴られそうで。冷や汗を浮かべながら言い訳すると。

「ポカリ返せ。オレが飲む」

「あ、はい」

唱からポカリを奪い取って。ゴクゴクと哲は飲み干した。

「あんなあ。

10日空実と一緒に居ったらなあ『ボケボケでアホアホや』って思うんや。

そんからまた10日一緒に居ったらな。

『こいつの集中はホンモンやな』って判るんや。

そんで最後にはなあ。

『この才能どこまで行けるんか。観ときたい』て目え離せへんなるんや」

淡々と静かに。確認するような哲の口調。

「せやけどな。あいつと一緒に居るんは別のヒトやから。

卒業したら全部オワリや。しゃあないワ」

ぽつんと、こぼれた声を聞いて。唱にも判ってしまう。

「空実さんのこと。好きなんですか?」

でもさすがに声に出しては訊けず。黙ってうつむいていると。

哲がバシっと唱の背中を叩いた。

「言うとくけど。おまえもそーとーフラフラした奴やろ?

オレそーゆー奴めっちゃ気になるんや。

弟2人おるんやけど。揃ってアホで。将来スキなコトで食うて行く言うとる。

そんなん出来る一流は一握りだけやのに。

せやからオレは安定した会社員なって。弟らあ食わしたらなアカン。

浪人出来へんからな。受験第一優先や。

ま、おまえには後少しだけ撮らしたるから。ちょおっとは上手あなれよ」

そう言って。ひらひらと手を振って哲は教室棟へ戻って行った。

その後ろ姿を見送りながら唱は思う。

(あの後ろ姿はきっと今のオレと同じだ。

惹かれたモノを忘れたくなくて。いつでも思い出せるように残したくて。

いつもいつも姿を探して追いかけて。

でも。どんな最高の写真が撮れたとしても。

今この場で会えるのがいちばん嬉しいのに)

そしてそれは、哲が卒業したらオワリになるのも。同じなんだろうか?

そう思うと。胸がすごくすごく苦しくなって。

唱はカメラを抱えて。しゃがみ込んでしまった。




能良家の2匹の猫のうちロンは真っ黒で。

もう1匹のカンは薄いグレーの毛だけど、頭に黒い毛がひとすじあって。

モヒカン刈りみたいに見えてキュート。元野良のせいか外が大好き。

ハーネスを付けて近くの公園へ連れて行くと、機嫌良く日向ぼっこする。

そんな表情を撮ろうと日曜日の早朝。

唱はカンをキャリーに入れ、カメラを持って公園へ来た。

芝生に寝転んで。カンと同じ目線になってシャッターボタンを押す。

先日、哲に『オワリ』と言われてから。

ほんとは今何が撮りたいのか。よく判らなくなっていて。

タメ息つきながら、とりあえずカンの表情を撮り続ける。

ふと少し遠くのベンチが目に入った。キャップを深く被った人が座っていて。

片足はソックスを脱いでシューズの上に乗せていた。

(ケガでもしたのかな?)

よく見ようと身体を起こして気付く。

(空実さんだ)

サイズの大きいパーカーを羽織っているけれど。あのまっすぐな身体つき。

キレイに筋肉がついた細く長い脚。キャップからこぼれる明るい色の髪。

間違い無かった。

(え?え?ひとり?どうしよ…)

唱が動揺してると、急に空実が振り向いた。

その視線の方から背が高い男がレジ袋を持って走って来る。

空実はその男を待っていたようで、腕を伸ばした。

それから背が高い男は、空実の足元にしゃがみ。

レジ袋から何か取り出して、裸足の足の処置をしているようだった。

それが済むと。

何か会話しながら、空実のキャップをくるりと回し。そして背中を向ける。

空実はその背中に飛びついて両腕を回した。なんだか楽しそうに。

(こっちに、来る!)

長身の男は空実を負ぶったまま、公園の出口に向かって歩き出した。

それは唱が今居る場所の近く。

唱は慌てて頭を下げると2人の会話だけが耳に届く。やっぱり空実の声だった。

「あさって、走れる?」

「いつもの記録会やろ?無理に参加せんでもエエんやで?」

「最後だから。走りたい」

「うーん。どやろなあ。

痛みかばって他んトコに負担掛かったら。良うないからなあ。

家帰ったら、も1回ちゃんと処置して。練習は我慢しいや。

明日の夕方オレ戻ったら一緒に軽く流そか。フォームチェックしよ。

そん時にイケそうやったら、記録会も大丈夫やろ」

「うん。まってる」

「背中汗かいて湿っとおから。キモチ悪いやろ。ごめんな」

「ううん。広くて。ほっとする」

「ははは!瞬専用サイズやからなあ」

少しづつそんな会話が遠ざかって行って。そろりと唱は振り返った。

大きな男の背中にぺたんと身体を預け。頬を寄せている空実の後ろ姿。

ぼんやり見送りながら、思う。

(なんとなく。哲さんが『オワリ』って言った理由判ったかも。

あれじゃあ『しゃあない』って言っちゃうよなあ)


じゃあ替わりに。


「オレが好きになっても。いいかなあ」

無意識に自分の口からこぼれた言葉に。唱は真っ赤になった。

ホントはとっくに判っている。

写真に残してそれで終わり。になんてしたくない。

ずっとずっとこれから先も。

哲の姿を、自分の中に。自分の為だけに収めておきたいと思ってしまっていた。

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