(論文解説)戦略的ツールとしての公共情報:ウクライナ戦争におけるリアルタイム情報開示の役割( Akademia Sztuki Wojennej)
Marleku, Alfred. “Public Intelligence as a Strategic Tool: The Role of Real-Time Intelligence Disclosure in the Ukraine War.” Security and Defence Quarterly, vol. 50, no. 2, 2025, pp. 1–29.
ポーランド戦争芸術アカデミー(Akademia Sztuki Wojennej)の論考です
1.Introduction
現代におけるインテリジェンス(情報活動)の役割は、秘密裏な作戦支援から外交戦略の一部としての公開的な情報発信へと進化している。特に2022年のロシアによるウクライナ侵攻は、アメリカとイギリスがリアルタイムで情報を機密解除し、公的に発信するという前例のないアプローチをとった点で転換点といえる。従来のように政府内部や安全保障コミュニティに限定された情報ではなく、一般市民や国際社会に向けて発信されたこれらの「パブリック・インテリジェンス」は、抑止力や対抗言説、外交的圧力の手段として機能した。これは、情報の政治的活用を論じたRovner(2015)らの理論にも合致する。
ウクライナ戦争における「パブリック・インテリジェンス」は、国家の安全保障を目的とする情報の収集・分析・伝達という従来の定義を超え、意図的に公開された機密情報が敵国の行動を抑止し、世論や外交的言説に影響を与える新たな戦略として定義される。これは、2002–2003年のイラク戦争のように、軍事介入の正当化のために情報が選択的に公開された過去の事例とは異なる。むしろ、リアルタイムでの情報公開により、敵の偽情報への対抗や味方同士の結束強化を目的としている。
一方で、この新たなアプローチに対する学術的研究はまだ不足している。本研究は、従来の「情報の失敗」「偽情報戦術」および戦時下における情報の役割に関する研究を補完し、特に民主主義の強靭性や情報発信における社会的アクターの関与など、見落とされがちな視点も取り入れている。現在までの研究の多くは、同盟国間の情報共有や外交戦略との関連に注目しており、国家が戦略的に情報を一般公開する実践そのものの効果や影響には十分に焦点が当てられていない。
本論文はこのギャップを埋めるべく、ウクライナ戦争におけるパブリック・インテリジェンスの使用とその戦略的効果を分析し、それが攻撃の抑止、偽情報への対抗、外交政策への影響にどの程度成功したかを検証する。分析方法としては比較的解釈的なアプローチを採用し、ウクライナの事例のみならず、2003年のイラク戦争およびイスラエルとハマスの紛争との比較を通じて、情報公開がどのように機能するかの多様性を浮き彫りにする。
また、本研究は、パブリック・インテリジェンスが成功する条件や、逆効果を招くリスクを理論的に整理することで、現代の国際安全保障と外交戦略におけるインテリジェンス活用の変遷を明らかにしようとしている。とくに、ウクライナ戦争における情報開示の成功例が新たな国際的標準となるか、それとも一時的・限定的な例外に過ぎないのかを評価するための枠組みを提供することが、本研究の目的である。
2.Declassified intelligence and strategic diplomacy
従来、インテリジェンスと外交政策の関係は機密性と秘密主義によって特徴づけられていた。しかし、ロシアのウクライナ侵攻をめぐる情勢では、アメリカとイギリスが「パブリック・インテリジェンス」という新戦略を展開した。彼らは侵攻前から継続的にロシアの軍事行動に関する情報を事前に機密解除し、公開することで、国際世論を動かし、同盟国に圧力をかけ、ロシアの偽情報に対抗しようとした。これは従来のような政府間の非公開情報共有とは一線を画す戦略であり、現代の戦略的コミュニケーションにおいて重要な手法となっている。
この「ウクライナ・モデル」とも呼ばれる情報開示戦略の有効性は、複数の研究によって支持されている。たとえばRUSI(英国王立防衛研究所)は、ロシアの偽情報を抑え、外交的反応を変化させた点で、このモデルは過去に類を見ない効果を示したと評価している。さらに、リアルタイムかつ透明性のある情報公開は、ロシアの戦術的柔軟性を制限し、戦場での意思決定に影響を及ぼした。実際に、戦争が始まって以降も、アメリカとイギリスは日々の戦況、ロシアの作戦、犠牲者数などを一般向けに公開し続けた。このようなデジタル時代の「Twitter情報戦」は、インテリジェンスのあり方を大きく変容させた。
また、この戦略的情報公開は、西側諸国の同盟国に対しても強い外交的圧力として機能した。たとえば、ドイツやフランスは当初、ロシアへの対応に慎重だったが、アメリカとイギリスによる継続的なインテリジェンス開示により、徐々に立場を転換させられた。ただし、2003年のイラク戦争における情報の誤用や政治的操作の記憶が、ヨーロッパ諸国の不信感を助長し、情報開示の効果に対する懐疑も根強く残った。
さらに、情報公開が持つ「リスク」も無視できない。第一に、選択的な機密解除が誤解や不信を招く恐れがある。第二に、情報の精度や信頼性が低ければ、戦略的価値を逆に損なう可能性がある。第三に、敵国にとっても情報源となりうるため、戦術的な不利を招くことも考慮しなければならない。これらの要素は、パブリック・インテリジェンスの持つ戦略的な二面性を浮き彫りにしている。
現代の情報戦では、OSINTやAI分析の発展により、リアルタイムでの情報処理と公開が可能となりつつある。しかし同時に、プライバシーや誤情報操作といった倫理的問題も浮上しており、今後は法的枠組みや規範の整備が必要とされる。ウクライナ戦争の事例は、情報公開が外交戦略の主軸となる可能性を示すと同時に、その限界と危険性も明確に示している。
結論として、本節は、戦略的外交における情報公開の力と限界を同時に描き出している。ウクライナでの事例は成功といえる側面も多いが、それが他の紛争地域でも通用するかどうかは不透明である。信頼性、歴史的背景、地政学的文脈などが、その効果を左右する鍵となる。
3.Intelligence warnings and strategic disclosures
ロシアによるウクライナ侵攻は、インテリジェンスの早期警告とその戦略的公開という新たな国家行動モデルを示す出来事であった。2021年からロシア軍の演習を偽装した軍事集結が始まり、アメリカおよび欧州諸国の情報機関はこれを精査し、侵攻の兆候を強く認識するに至った。2021年12月、アメリカは初めて公式に「ロシアが2022年初頭に大規模侵攻を計画している」と警告し、ワシントン・ポストなどのメディアが衛星写真付きで報道した。情報によれば、ロシアは約17万5000人の兵力を国境に配置し、体制転換を視野に入れていた。
2022年1月には、イギリス情報当局がモスクワがウクライナ政府を打倒し、親露政権を樹立しようとしているという見解を公表。バイデン政権と英国政府は、ロシアが「偽旗作戦」や偽の攻撃シナリオを用いて戦争を正当化しようとしているとの証拠を次々に公開した。これにはサボタージュ部隊の派遣、演出された事件、そして誤報の拡散が含まれており、これらはすべて事前に明らかにされることでロシアの情報操作の信憑性を低下させた。
2月にはアメリカ国家安全保障顧問ジェイク・サリバンが「ロシアはキエフを占領可能な規模の軍を準備しており、48時間以内に米国市民はウクライナを離れるべきだ」と発言。これは情報の確度と緊急性を世界に印象付ける効果を持った。ロシア軍の活動はあくまで撤収ではなく、侵攻への準備であるという分析は、その後の展開で事実であったことが裏付けられる。
戦争勃発後も情報の公開は続き、アメリカとイギリスは「リアルタイム型」のインテリジェンス公開を実施した。これにより、情報はもはや機密にとどまらず、日々メディアやSNSで広く拡散される「Twitterインテリジェンス」として利用されるようになった。特にMI6のリチャード・ムーアやCIA長官ウィリアム・バーンズは、戦況の変化やロシアの誤算を公式SNSで発信し、情報戦の最前線で積極的に発言した。
こうした情報開示は、ロシアの偽情報を封じ込めるだけでなく、国際社会に対してウクライナ支援の正当性を訴える外交的な手段ともなった。加えて、これらの行動は従来のインテリジェンスの枠組みを大きく超えており、国家安全保障と世論形成をつなぐ「公開外交」の柱となりつつある。
しかし、研究者の中にはこのアプローチが今後すべての紛争に適用できるとは限らないと警告する声もある。リアルタイムでの情報開示が信頼性を担保できるか、情報源が敵に察知されてしまわないかといった課題は依然として残っており、長期的な戦略的信頼や政策形成との関係性についてもさらなる検討が必要である。
3.Public intelligence as deterrence, pressure, and counter-narrative
ウクライナ戦争におけるパブリック・インテリジェンス(公開された機密情報)は、以下の3つの戦略的目的に基づいて使用された:①ロシアの侵攻を抑止すること、②同盟国への圧力として機能すること、③ロシアの偽情報に対抗するカウンター・ナラティブ(対抗的言説)として活用することである。
まず、抑止力の観点からは、アメリカとイギリスはロシアの軍事配置、偽旗作戦、ネット工作などを事前に公開することで、クレムリンの行動の正当性を奪い、戦争開始への政治的コストを上げようとした。バイデン大統領自身が「情報公開はロシアの正当化を打ち消すため」と述べており、イギリスのMI6長官リチャード・ムーアもロシアの侵攻準備が長期間にわたって計画されたものであると明言した。これらの公開は、1962年のキューバ危機以来最も積極的な西側諸国の情報開示キャンペーンとされる。
しかし、2022年2月24日のロシアによる実際の侵攻により、この「情報による抑止」は失敗に終わった。情報開示がモスクワの決定に影響を与えなかったことは、敵対国がすでに強固な決意を持っていた場合、透明性戦略が限界を持つことを示している。ロシアは、情報の暴露を織り込み済みで行動していた可能性が高く、偽情報や否認戦術によって西側の情報開示を無効化しようとしていた。
次に、外交的圧力の手段としてのパブリック・インテリジェンスは、特にフランスやドイツのように当初消極的だった同盟国に対して効果を発揮した。シュルツ独首相は当初ロシアとの対話路線を模索していたが、連日の情報公開により欧州諸国の危機感が高まり、最終的には西側諸国の足並みが揃うことになった。この背景には、過去のイラク戦争での情報失敗に対する不信感も影響しており、情報の信頼性と発信者の過去の実績が重要であることを示している。
さらに、偽情報への対抗として、パブリック・インテリジェンスは戦略的に機能した。ロシアは長年にわたってハイブリッド戦争を展開し、国営メディアやSNSを通じた情報操作を行ってきた。これに対抗するため、米英両国は信頼性の高い証拠や衛星画像、サイバー戦関連情報をリアルタイムで公開し、ロシアのプロパガンダを無力化しようとした。これを「ナラティブ優位(narrative superiority)」戦略と呼び、事実に基づく情報を連続的に発信することで、情報空間における主導権を握ることを狙った。
このような情報公開は、OSINTや戦略的リーク、SNS活用によって支えられており、現代の情報戦の本質をよく表している。ただし、その効果を持続させるには、タイミング、信憑性、情報源の慎重な管理が不可欠である。情報が誤っていたり、発信が遅れたりすれば、信頼性を損なうだけでなく、逆効果をもたらす危険もある。
結論として、ウクライナ戦争におけるパブリック・インテリジェンスは、外交的成功と情報戦の優位性という側面では効果的であったが、侵攻抑止という点では限界を露呈した。このモデルが今後の戦争でも通用するかどうかは、敵の特性、情報の質、同盟国との信頼関係など多くの変数に依存しており、慎重な適用が求められる。
4.Risks and rewards of public intelligence: insights from Iraq, Ukraine, and Israel
「パブリック・インテリジェンス(公開された機密情報)」の戦略的活用には、明確な利点がある一方で、重大なリスクも伴う。本章では、イラク(2003年)、ウクライナ(2022年)、イスラエル・ハマス戦争(2023–2024年)の三つのケーススタディを比較しつつ、こうした情報開示の成功要因と失敗の教訓を検討する。
まず、イラク戦争は情報公開の「負の典型」である。ブッシュ政権と英国政府は、大量破壊兵器(WMD)保有の証拠として不確実な情報を国際社会に発信し、戦争の正当化に利用した。とりわけコリン・パウエルが国連で提示した情報は、後に誤りであったことが明らかになり、アメリカのインテリジェンス機関全体の信頼性を大きく損なった。この「情報の政治利用」は、のちのウクライナ危機でもドイツやフランスがアメリカの情報を懐疑的に受け止める要因となり、情報公開の戦略的活用には信頼と透明性の確保が不可欠であることが示された。
次にウクライナ戦争では、アメリカとイギリスがリアルタイムで機密を解除し、戦争前からロシアの戦術や意図を明らかにすることで、国際社会の支持を集めることに成功した。これは「ウクライナ・モデル」として注目され、従来の秘密主義的な情報戦とは一線を画す画期的なアプローチである。ただし、ドイツやフランスなど一部の同盟国の懐疑は、イラク戦争に起因する信頼の低下が尾を引いていることを物語っている。情報開示は有効な手段であると同時に、その背景にある歴史的文脈によって効果が大きく左右される。
一方、イスラエルとハマスの紛争においては、イスラエル政府は一貫して情報を限定的に扱い、リアルタイムの大規模な公開は行わなかった。これは、非対称戦争という性質と作戦上の秘匿性の必要性によるものであり、ウクライナとは異なる戦略が採用された。イスラエルは、外向けよりも内向けに情報を絞り込み、国家の結束を重視した。この選択は、情報開示がすべての紛争で通用する「万能モデル」ではなく、状況に応じて選択的に用いるべき戦略であることを示している。
加えて、パブリック・インテリジェンスのリスクとしては以下が指摘される。第一に、誤情報や誇張された内容の公開は、国家の信頼を損なうだけでなく、将来的な外交的説得力の低下につながる。第二に、敵国への意図的または偶発的な情報提供という危険性があり、情報源や方法論が漏れることで軍事的劣位を招く可能性がある。第三に、情報機関の中立性や専門性が損なわれる懸念もあり、特定の政治目的のためにインテリジェンスが利用されることは、民主主義にとっても有害である。
このように、パブリック・インテリジェンスは高い戦略的効果を持つ一方で、誤用すれば国家の信用と同盟関係を著しく損ねる諸刃の剣である。情報開示は、公開する情報の信頼性、国際的な信頼関係、相手国の性質、国内政治環境など、多くの要素を踏まえた上で、選択的かつ戦略的に運用されなければならない。
5.Conclusions
本稿の結論部では、インテリジェンスがもはや秘密裏に共有される専門領域にとどまらず、戦略的な「パブリック・ツール」として国際社会における国家の行動に直接影響を与える手段へと変化したことが明確に論じられている。特に2022年のロシアによるウクライナ侵攻をめぐるアメリカとイギリスのインテリジェンス公開は、従来の国家安全保障の枠を超えた新たな戦略国家術の一例として記憶されるべき転換点である。
まず特筆すべきは、こうしたパブリック・インテリジェンスが、ロシアの偽情報やプロパガンダに対する「即時的かつ信頼性の高い対抗策」として有効であった点である。特にRUSIの研究が示すように、「ウクライナ・モデル」と呼ばれる日次の情報公開によって、ロシアが情報空間を支配するのを未然に防ぎ、西側諸国の外交的連携を維持することに寄与した。また、従来は政府内部の政策決定を支える補助ツールであったインテリジェンスが、世論操作や国際認知の形成にまで役割を拡張したことは、国際関係理論やインテリジェンス研究において大きな意味を持つ。
ただし、この成功には明確な限界もあった。最大の課題は、インテリジェンスの公開がロシアの軍事侵攻そのものを抑止するには至らなかった点である。透明性がもたらす情報の公開性は、戦術や戦争の正当性をめぐる言説には影響を与えたものの、武力行使を思いとどまらせる「決定的な抑止力」としては作用しなかった。これは、いかに戦略的であっても、情報公開が行動を変える決定打にはなり得ない場合があることを示している。
また、パブリック・インテリジェンスのもう一つの効果は、同盟国間の信頼と協調を高める「外交的接着剤」としての機能である。特に当初懐疑的だったドイツやフランスも、情報の連続的な開示によって危機意識を共有するようになり、結果的に西側の対ロ戦略が一体化した。しかしながら、この外交的成功も、2003年のイラク戦争におけるインテリジェンスの政治的誤用という「負の記憶」によって、大きく制約されていた。つまり、どれほど精密で信頼できる情報であっても、それを受け入れる国々の記憶と信頼の蓄積が乏しければ、効果は減退するという教訓である。
さらに本稿では、イラク、ウクライナ、イスラエルの三事例を「公開モデル」として比較することで、情報開示の形態には一律的なルールが存在せず、状況と文脈に応じて大きく異なることが示された。イラク戦争では政治的目的に基づいた「編成された情報」が主導し、後に大きな不信を招いた。ウクライナでは「戦略的かつリアルタイム」な開示が成功の一因となった。一方、イスラエルは「選択的かつ慎重な」アプローチを取り、対称性の低い紛争では機密保持が重視される傾向があることも確認された。
結論として、インテリジェンスは今や外交・軍事・世論形成を横断するマルチファンクショナルな戦略ツールであり、単なる「裏方」ではなく「表舞台の主役」としての役割を担っている。だが、それゆえに政治的操作、情報の信頼性低下、敵国への情報提供といった新たなリスクも併発しており、今後の研究と政策形成においては、「透明性」と「機密性」のバランスがますます重要になる。
未来の紛争や外交戦略において、パブリック・インテリジェンスは確かに強力な武器となる可能性があるが、それを「万能の手法」とみなすべきではない。その有効性は、国家間の信頼、情報の精度、敵対国の性質、テクノロジーの進展など、複合的要因によって規定される。したがって、国家や情報機関は、個別の文脈を見極めた上で、柔軟に情報開示の是非を判断しなければならない。