箱入り息子・桂の日常
懐かしい夢を見て、目が覚めた。
里海さんとはじめて逢った時の夢だから、目覚めはとてもいい。
昨日は予定より早く雑誌の撮影が終わったので、夕方には帰宅し両親と夕食を取った。
大学に提出しなければならないレポートも今週はなく、今期はドラマにも出演していないから、本当に久しぶりに早めにベッドに横になることが出来たことも、目覚めのいい原因。
僕は正直、朝が弱冠苦手な方で、海里に至っては大の苦手だ。
何度、待ち合わせで海里が遅刻してきたか
今では待ち合わせ自体することがなくなったし、マネージャーの江村さんも朝の海里を全く信用していないから「海里タイム」とか「海里シフト」なんかを作って対応している。
そして実はあの里海さんも朝は苦手。
二人とも、寝起きが悪く人に八つ当たりするとか、機嫌が悪いというわけじゃないけど。
真島姉弟の日常を暫し思い出して、思わずこみ上げた笑みをひっこめると、ベッドから出てカーテンを開けて朝の光を取り入れ窓を開ける。
「天気の悪い日以外は、お部屋の空気を入れ換えてね」と母親から何度も言われて最近、やっと習慣になってきた。
成人しても親のお金で大学に通わせて貰って、その上、実家でのんびりと暮らしている身分なので、これくらいは母親に協力しないと駄目だと言ったのは、あの里海さんだ。
パジャマ代わりにしていたTシャツの上に、紺色のロングのカーディガンを羽織って朝食を取るため部屋を後にし、赤い絨毯が敷かれている踊り場の設けられた階段を下りながら、大きな欠伸をしていると、母の「桂、お行儀が悪いわよ」と諫める声が飛んできた。
諫めてはいるが本気で怒っている訳ではなく「もう、仕方のない子ね」という、子供扱いしたニュアンスが含まれている。
それに軽く苦笑いを浮かべて「ごめんなさい」と口すると、母は「仕方のない子ね」とやはり笑った。
丁度、父が仕事に出かけるための支度をしていたので、僕は慌てて残りの階段を下りて、母の隣に並ぶ。
奥のリビングから、腕時計を確認しなから父が歩いてきて「なんだ、珍しいな桂。今日は随分と早いな」と冗談交じりに声をかけながら、母の用意した靴に足を入れる。
体を起こすのを待ってから「お父さん、いってらっしゃい」という言葉と一緒に足元に置いてあった鞄を持ち上げて、父に手渡した。
どことなく、嬉しそうな父の表情を見て母が「気をつけて行ってらっしゃいませ」と声をかけると、父は「行ってくる」と告げて、玄関を閉めた。
こんな短いやり取りで両親が少しでも喜んでくれるなら、いいかな。
と僕も今では思うようになった。
僕、松下桂 まつしたけい 21歳 は、クロスロードのメンバーで、まだ大学に籍を置いている。
海里の幼なじみであり、親友で最大の理解者であると自負もしている。
里海さんがいないと、いろんな意味で自由人の海里のお目付役でもあり、それに海里からも異を唱えられたこともない。
僕の家は代々医師を排出した家系で、聞くところによると、江戸時代には御殿医だった家系だ。
祖父は戦後の日本で、高度医療と地域医療の発展に従事し、学会内でも力を有する著名な医師であり、某有名大学の顔として多忙の日々を送っている。
父は祖父を追いかけて医師となり、今は胸部外科医、特に心臓に関する部門で名を馳せている。
母も大企業の重役を父親に持った旧家の流れを組む家で育ったお嬢様で、母方の親類の名前は経済関係のニュースでしばしば耳にするし、時には僕達が出ている番組のスポンサーの時もある。
俗に言う名家ではあるけど、両親が僕に対して過度の期待を持たないのには理由がある。
年の離れた兄が二人いるからだ。
長男の楓は15歳年上でやはり心臓の専門医として、次男である梓は10歳年上で、やはり外科医として働いている。
二人とも、すでに家を出て自分達の「家族」を築いているし、両親の立場からは「孫」、僕の立場からは「甥っ子と姪っ子」が存在している。
兄達とは年齢が離れているため喧嘩もしたこともなければ虐められた記憶もない。
どちらかと言えば、多忙な父親の代わりだった。
自分達の勉強の合間を縫っては、僕の遊び相手になり、僕が言うのもおかしな話だけれど、本当に良くできた兄だと思う。
そして両親も。
僕は両親にとっては随分と遅くに出来た子供だったから、兄達に比べると、厳しく躾けられたこともなく、どちらかと問われたらとても溺愛されて育った。
兄達は、
「息苦しくないか」
「真綿で首を絞められるモンだろ? 何かあったら相談にこい」
とことある事に心配してくれたけど、僕は両親の溺愛を重いと感じたことがなかった。
今は、息苦しいというより両親に申し訳ないという気持ちの方が強い。
両親や祖父は、僕にも医学の道に進んで欲しいと望んでいて、「大きくなったら医師になりなさい」とはっきりと言われたこともあった。
だから、幼稚舎も医師の道のためにと、名門私立附属に入学させられたくらいだから。
けれど中学に入って、自分の将来を漠然と考えたとき、僕の中に「医師」という選択肢はなかった。
命を扱うのは重すぎると思ったし、誰かを助けたいという高尚な夢も希望もない。
温室の中で溺愛された僕に、誰かに何かをしてあげたいという気持ちを持つことは出来なかった。
僕は、ある意味「与えられるのが当然」の立場にいて、それを深く考えたり誰かと比べたりすることがなかった。
あの頃、何故、医師になることを悩んだのか、未だに分からない。
そもそも、あの当時の僕が何かに悩めるた方が不思議でならない。
それくらい僕は「正真正銘のお坊ちゃま」だった。
けれど通っていた学校では、その感覚も「普通」だったから、逆に公立小学校に転校した海里から話を聞く度によく驚いたものだ。
そんなことがあるの? とか。
そんなものがあるの? とか。
今の事務所のオーディションを受けに行こうと思い立ったのは、本当に気まぐれで出来心だった。
ある時、母の妹が自宅に来た里海さんを観てその美少女ぶりに驚いて「里海ちゃんなら、間違いなくトップアイドルになれるわね」と母と話をしていた。
そして海里を観て「海里君もアイドル系よね。絶対に人気でると思う。それにしても、美形な姉と弟よね」と話していたのだ。
確かに、はじめて逢ったときから里海さんの美少女ぶりは群を抜いていたと思う。
僕の家に遊びにくるようになった海里を迎えに来たのは、中学生だった里海さんだった。
近所でも「勉強ができる子が多い」と評判の私立中学の制服も、里海さんが着ているととても可愛く見えた。
海里があれだけ美形だから、推して知るべしではあるけれど。
叔母と母の会話を聞いて興味を惹かれた僕は一番上の兄との結婚準備のために、よく自宅に来ていた義姉に色々な事を聞いた。
兄と結婚して僕の義姉になった人は、下に二人の弟がいる人で、僕のこともとても可愛がってくれるおったりとしたいい人だった。
その人から僕は世の中には芸能界という所に入るためのオーディションが存在すると教えられた。
芸能界というものがなんなのかすらも朧気だったけど、義姉の話から芸能界はとても楽しい遊び場のような場所なのだと勝手に解釈して勘違いしていた。
芸能界が遊び場だなんて、当時の僕は随分と失礼な解釈をしたものだと思う。
だけど正直、何かをして金銭を得るという感覚が全く理解出来ていなかった。
それくらい誰が聞いても腹が立つほどの幼稚さを持って居たのだ。
ただ、そこは。
学校とは違って何か楽しい事がある場所で、歌ったり、踊ったり…感覚としては遊園地に遊びに行くというのと変わらない場所だった。
オーディション当日に、僕はそこに出向くことにした。
最初は一人で受けに行くつもりだったのだが、歌って踊るだけの楽しい場所なら海里も一緒がいいと考えて、軽い気持ちで海里を誘った。
勿論、僕と違って海里は「そこ」がなんであるかは、充分理解していた様子だったけど、後で大騒動に発展することになるなんて、考えるだけの思慮深さなんて僕にはなかったし当然、海里にもあるはずがなかった。
事務所のオーディション会場に到着した途端、とってもテンションの高い男の人が、写真を渡す前に「君達、二人は合格ね」と笑顔で告げた。
まわりのどよめく理由が判らなかったけど、横にいた海里は「当然じゃん。僕が落とされるはずないもん」と嘯いていた。
あの妙な自信は、どこから湧いてくるのか長年、親友をしている僕も理解出来ない。
そして未だに理解が出来ない。
勿論、姉の里海さんも「あんたのその意味不明な自信はなんなのよ」と、文句を言っているくらいだから僕には一生、理解出来ないと思う。
合格してその上、その場でデビューまで決まった僕達は、その後に起きた騒動で、海里は里海さんに、僕は両親にがっつりとお灸を据えられた。
父は「何故、何の相談もなく勝手な事をしたんだ。親の庇護下にある以上~」と説教をされた。
母は、じっと僕を見つめて「どうして相談しなかったの」と涙目で抗議された。
事情を聞いた二人の兄も、仕事を放り出して飛んできて「一言くらい言ってくれたら、味方になったのに」と呆れられたものだ。
激昂した父に「芸能界なんて絶対に許さん。それでもやりたいというなら家を出て行け」と言われ、僕は途方に暮れながら荷物をまとめて、海里の家に転がり込んだ。
いつもの僕なら「お父さん、ごめんなさい」と言って許しを請うて、諦めていたと思う。
だけど、あのときは、ここで折れたら、僕の何かがなくなってしまう気がして、意地になっていた部分がある。
それに、海里が一緒ならなんでも出来るような気もしていた。
あの海里と一緒にさえいれば、海里の自信を僕も持てるんだって思っていた。
里海さんの家から学校に通うという状況は半年続き、デビューの目前になってから、兄や里海さんに説得された両親が、僕を迎えに来てくれた。
正直、両親と長く離れて暮らしたことはなかったから、両親が迎えに来たときは、思わず玄関で泣き出したくらいだ。
海里を芸能界に引き釣り込んだ「裏切り者!」と、毎日、恨み言を言っていた里海さんが、両親を説得してくれたんだと聞いて、本当に驚いた。
今では両親も「桂の人生だし、後悔しない様にやりなさい。ただし、人様に迷惑をかけないように」と、やりたいことを支持してくれているし、二人の兄達も冗談で「売れなくなったら、不動産の管理人として過ごせばいい」と言ってくれている。
そんなわけにはいかないだろうに。
けれど、その気持ちは本当にありがたいと思う。
一度、兄たちには「医師は自分は向いてないから」と素直に気持ちを吐露したことがあるが、それにも理解を示してくれていた。
僕は今も親に甘えて、甘やかされ、兄達に大切にされていることに間違いはない。
僕の我が侭を聞いてくれた両親には、感謝しても仕切れない。
だから、里海さんの助言も素直に受け入れることが出来た。
僕にとって里海さんは、海里同様「信頼出来て、安心出来て、完全無欠の頼れるお姉さん」である。
海里と一緒に正座で説教もされたし、怒られたこともあるし、頭をはたかれたことある。
けれど本当に優しくて、僕にとっては母親とは違う意味で無二の女性。
綺麗で、優しくて、姉という存在を僕に教えてくれた人。
そして…僕に憧れを与えてくれた人でもある。
だから、もう少し。
出来ればこうして、海里と同じポジションで、ずっと側にいたい。
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「よく、きたね。いらっしゃい。とか言ってさ、階段を降りてきた時の桂って、どこの王子さまだよってあの時は思ったモンだけどさ…。今もやっぱり思うわ。桂の家、デカっっていつも思うもん」
颯太が焼き魚とご飯を同時に口に頬張りながら告げると「お行儀が悪い」と言って、里海さんの鉄拳が飛んだ。
それはいつもの光景なので、今では笑わずに耐えることが出来るようになったが、前は吃驚するやら、笑えるやらで、僕にも里海さんの鉄拳が飛んできたものだ。
叩かれた後頭部を押さえつつ、それでも颯太は淡々と口の中に食べ物を運んでいく。
だから、僕も何事も無かったかのように、会話を続けることにした。
うん。
悠斗の言うように、馴れって怖いと思う。
「え、でも、颯太の家も、お寺だから大きいじゃない」
「あれは、本堂とかさ墓場とかさ、その他諸々いろんなモンが附属してでかいんであって、居住区なんてそんなにでかくないし。桂の家は格式つーか、違いすぎる」
「そうかな…」
僕が首をかしげてると悠斗が「なんだよ、桂。お前、自分の家がデカイって自覚ないのか」とばかりに怪訝な表情を浮かべる。
「俺は颯太のお寺さん行って驚いたけどさ。海外生活が長かったから、日本の寺ってのが珍しかったのもあるしな」
「普通さ、俺の家に来た連中は驚くわけさ。寺を見てね。ただし、寺だから居住区つーか、生活部分を見て、なんだ普通の家じゃんってなるのに、海里が驚かないのはなんでだと思ったけどさ、あれを見てしかもしょっちゅう出入りしてたんだもんな」
「あれ? 俺、あの頃、お前らに言ったじゃん。撮影で、どっかの家に行ったときに、二人がデカイ、デカイ、セレブだとか騒いでるから桂の家はもって大きいぞって」
海里が颯太と悠斗を箸で指したため、今度は海里の後頭部に里海さんの鉄拳が飛んだ。
颯太や悠斗、そして僕には多少なりとも手加減してくれる里海さんも、実の弟の海里には手加減や妥協は一切ない。
だから、といっていいのか分からないけど、早くに両親を亡くした割りには、海里はしっかりと躾けられている。
それは、僕の両親もよく言っている。
こう見えて、礼儀作法はしっかりしているし、食事の仕方も綺麗だし、箸の持ち方も正しい。
勿論、僕も、両親が甘やかしていたわりには、その辺りはしっかりと躾けられているから、未だに食事中に「テレビを見る」ということをしたことがない。
そもそも、自宅のダイニングにはテレビがないし、ここ真島家に至っては、食事中にはテレビはオフにされてしまう。
テレビのスイッチを入れたとしても、みる暇はなさそうだけど。
会話の洪水で。
ここは居心地がいいし、里海さんが聞き上手なところもあって、みんな食事中は我先にと会話をし出す。
今は、僕の家の大きさが話題になっている。
先ほど僕達の冠番組の企画で、都内に出来たばかりの高級ホテルに収録に行った。
そしてそこで、大人のマナー講座なんかを学んだわけだけど、いつの間にやら話題が「○○王子キャラ」という当てはめになり…僕が大階段を下りてくる姿を見て颯太が言い出したんだ。
「なんか、デジャブ?」って。
で、今に至る。
「確かにさ、海里が言っていたような気がするけどさ。あんなにデカイとは思わなかったんだよ」
「そうそう。桂の家ときたら、門構えがまず、どでーんって、どこの武家屋敷だってくらい大きいし、玄関前には車寄せまであってさ。濡れずに自宅に入れるって作りだし。門はあんなに日本式なのに家は洋館。かと思えばさ、離れは日本屋敷になってて、庭なんて日本庭園じゃん。アレ、大変なんだよな。うちにも本堂の横にあるからわかるけどさ」
そこで会話にいまひとつ入りきれなかった、最年少メンバーのヒロが言葉を発した。
「桂さんの家ってそんなに大きいんですか」
「あれ? チビスケ君は行たことがないの」
「チビスケじゃなくて、ヒロヒデです。行ったことないです」
里海さんが「以外」だとばかりに目を丸くし、海里や颯太そした悠翔もヒロを見つめている。
あれ、そうだっけ?
ヒロって僕の家に来たことがなかった…んだっけ?
今ひとつ、思い出せなくて、僕は持って居たお茶碗をテーフルにおいて考え込む。
「あ~、ヒロは途中加入だしな。最近、俺ら互いの家にあんま行ってないし」
「あんたら、うちを下宿所みたいにしているからじゃないの! チビスケクン、桂のお家は本当に大きいのよ」
「僕の所は兄二人が家をもう出てるからね。部屋だけは余ってるんだよ。それに屋敷の離れは祖父母が住んでる」
確かに大きいとは思うけど…ということを認識したのは、実はつい最近だ。
けれど言わせてもらえば、父親が亡くなる前の真島家だって大邸宅だったし、僕が学校でそこそこ仲良くしていたクラスメイトの家も大きいから、自分の家が特別だって知らなかった。
「何をいってんだよ、桂。玄関ホールは吹き抜けでシャンデリア付き。玄関床は大理石。廊下には絨毯が敷いてあって、ダイニングルームは来客用と家族用とかいって、二つもあるし、来客用の客間だってあるんだからそりゃ、もう、吃驚だよ」
「でも僕は、このお家くらい狭い方が安心なんだけどね。小さいときは、母親を捜すのも大変で。掃除だって大変だし」
「お手伝いさんとかいないのか、あんなにデッカイ家で」
「うん。昔から母がその手は苦手でね。全部、自分でやってるよ。そろそろ年だし、通いの家政婦さんくらい雇えばいいって父も言ってるんだけどね」
最近、僕も色んな事が分かるようになってきた。
大学に進学するとき海里は何故か、法学部を選択している。
理由は簡単で、里海さんが法律事務所に勤務しているから、自分も似たような勉強をしたいからだって言っていた。
なので実は僕も法学部を選択した。
海里と離れるのは何となく不安だったし、大学進学の際に「司法試験は受ける気は無いけど、法学部で勉強しようかなって考えてる」って両親に告げたらすごく喜んでいたので、それも決め手になった。
両親は僕を医師にすることは諦めてはいるけれど、芸能界で活動するということには理解は示しつつも、心から納得しているわけではない。
法学部さえ出ていれば将来的に、やり直しがきくとも考えているようで、それは兄達も時々、ちらりと僕に言う事がある。
ある程度の年齢になって納得が出来たら…と。
いつまでも、このままアイドルとして生きていくのは不可能だって、それは僕も分かってる。
勿論、最年少のヒロ以外は、みんな考えていることだと思う。
海里だって考えている。
ただ、今は、まだ、この時間が楽しいから、みんな口にしないだけ。
僕達にとっても、里海さんという大切な「姉」とのこの時間が、とても楽しいから。