インテリジェント・ワン10
「あ、はい!大丈夫です!」
これは多分、アウロス内部の人間にしか分からない感覚かもしれない。
候補生と正規メンバーの差は目には見えないけど巨大だ。
その正規メンバーに声をかけられた――例えこういうアクシデントであっても――というのは、それだけで背筋を伸ばさせるものだった。
「これから配信?」
「はい」
その答えに、彼女は少しだけ表情を強張らせた。
「あなた一人で?そう……」
私の周りに誰もいないことを見てその疑問が確信に変わったようだ。
「気を付けてね。夜は危ないから」
ただ、それだけだった。
たった一言のそれ。
「ぁ……」
それが、突然に忘れ物を思い出させられた時のように、私の中で何度も反響した。
「それじゃあ、頑張って」
「ぁ……は、はい!」
彼女は去っていく。
私はその後姿を見えなくなるまで追っていた。
――そう言えば、誰かに応援してもらって、心配してもらって向こうに行くなんて、初めてかもしれない。
「大丈夫です……」
彼女が見えなくなってから、私は踵を返しつつ呟いた。
「私、配信好きですから」
たった今、改めて強まったそれを噛みしめるように。
私は配信が好きだ。
配信中は、私はダンジョン配信者の有馬玄でいられる。
だから、そうあり続けるためにお金が必要だ。
これが稼げる仕事だって、あの人たちに証明しなければならない。
「……やるぞ!」
自分に活を入れる。
私は有馬玄。ダンジョン配信者の有馬玄だ。
※ ※ ※
「はぁ……はぁ……」
息を整える。
手元にはまだ新しい血に染まった得物。
足元には飛び込んできた二匹目のバーゲストの骸。
「クソッ」
そいつのばっくり開いた腹を、腹立ちまぎれに蹴り飛ばす。
「オペレーター!」
通信を繋いで呼びかけるが、反応はない。
「オペレーター!聞こえているか!?」
叫び、そしてそれから開きっぱなしの扉に目を向ける。
今ので呼び込んでいたら?流石に三匹目を相手にする前に装備を整えたいし、できればここを出たい。
まず扉を閉める。
それからそこをなんとかして封鎖して外敵の侵入を防ごうと部屋を顧みるが、どうもちょうど良さそうなものは何もないようだ。
家具の類は何も置かれていないし、俺の持ち込んだ荷物など身に着ける装備一式以外はリュックサック一個に収まってしまう。
精々使えそうなものと言えば空っぽになったペットボトルを転がしてある机ぐらいだが、これも壁と一体になったものであるということは、動かそうとして初めて分かった。
「クソッ!デザイナーズマンションか!」
自分でもよく分からない文句を吐き捨てるが、それによっていくらか精神に余裕が生じるのが分かった。
「オペレーター、オペレーター聞こえるか」
「……、……ら宍戸」
少し電波状況が悪いが、何とか繋がったようだ。
その事実が、更に精神を落ち着かせた。暗くて狭い部屋に一人ぼっちよりも、その不安定な通信の方が余程ましだ。
「現在エルフの集落の洞窟内だ。理由は分からないがモンスターが侵入している。被害の状況は不明」
「……え」
一瞬生じる空白。
それが通信状況によるものなのか、或いは別の要因なのかは分からない。
「オペレーター?」
「……了解。あなたはどこにいるの?そこは無事?」
何かを深く吸い込んで吐き出す音。それから少し震えたオペレーターの声。
「現在地は洞窟内の割り当てられた部屋。バーゲスト二体の襲撃を受けたが今のところは無事だ」
「状況を確認して連絡する。警報の類は?」
「まだ何も聞こえない」
もう一度深呼吸の音。しゃくり上げるのをこらえるような声。
「了解。こちらでなんとか状況を確認する。それまで耐えて」
「……了解」
何とかと言われても困るが、そう言うしかないという事も分かっている。
彼女だって情報は持っていないのだ。むしろこの状況で「これから状況を確認する」「それまで待機せよ」という意味の内容を言えるだけ、やはり俺はオペレーターに恵まれているというべきだろう。何も指示できる内容が無い時にそれを明言できるのは、現場としては有難い。これでその状況把握と次の指示がすぐに来れば言うことなしだ。
「さて……」
ここでむざむざ三度目の訪問を受けるのを待つ訳にはいかない。
装備を整えた俺はそっと扉を開けて廊下を確認する。照明の状態は仮眠前と変わらない。一番大きな変化は、壁全体が塗料をぶちまけたように赤や黒に染まっている事。それらが気分の悪くなる臭いを放っている事。
そしてそれらの発生源と思われる、恐らく八島の人間だろう者達が、倒れ伏してこと切れていることぐらいだろうか。
「……ッ」
思わずこみ上げてくるものを部屋への置き土産にして、俺はその地獄のような世界に飛び出した。
「配信は出来そうにないな……」
その酸鼻を極める世界で正気を保とうと吐き捨てたその言葉は、響くこともない程の小さなものだった。
「!」
狂ってしまった世界。その中の一本道を進むなかで唐突に変化が現れたのは、それからすぐのこと。
等間隔に並んだ俺に割り当てられたのと同じような部屋。そのうちの一つからふらりと人影が一つ。
「おい――」
声をかけて気づく。その人物はエルフだった。
恐らくアークドラゴンについてのインタビューを受けている時に周りに集まっていたような、ここの研究に協力してくれていた者達の一人だろう。
モンスターが暴れ回り、死者も出ている状況では、恐らく事情を知っているだろうその人物はあまりに貴重だ。
それに恐らく護身用だろう、昼間警備ルートの説明の際に見た剣術の訓練のような武装を施している辺り、戦力になってくれそうだ。
「一体何が……」
言いながら彼の方に歩み寄った時、俺は警戒させないように納刀していたことを激しく後悔した。
「……おい」
振り返ったそのエルフは、じっと俺を睨む――バーゲストと同じ真っ赤な目で。バーゲストみたいに牙をむくような顔で。
「ッ!!」
そして、そのまま俺に突進してくる――手に持った抜き身の剣を突きつけながら。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に




