ドラゴンスレイヤー16
「逃げられないな……」
火鼠がこちらに迫って来る。
一歩一歩じりじりと、今度こそ獲物を逃さないように。
後ろは沸騰する池。前には殺意をむき出しにした火鼠。意図せぬ背水の陣。
「……ッ!」
不意に火鼠の上体が起きる。と、同時に距離が一瞬で詰まる。
突進の勢いに乗せた鋭い爪の振り下ろし、下をくぐるように身を屈めたすぐ上で音を立てて風が切られる。
「ちぃっ」
辛うじての回避――だが、単純に攻撃を躱せばそれでいい訳ではないと言う事を、飛び下がりながら実感する。
「やっぱり熱いな……」
構えなおしながら漏らす。
奴は全身を火に覆われている。
その体での突進はつまり、奴の纏っているその炎での突進を意味する。
接触するのは無論の事、普通なら掠める程度で済む攻撃も有効なダメージとなり得る。
今の交錯で背水の陣は幸いにも脱することが出来た。だが、状況的に余裕がないのは変わらない。
「ならッ――」
こちらに向き直り、再度飛び込もうとする奴めがけて左籠手から棒手裏剣を放る。サラマンダー戦で焼け残った分しかないが、とりあえずの牽制にはなる。
「ッ!」
奴が一瞬だけ体を動かした。回復したとはいえ、流石に目を失うのは二度と御免という事か。
「くっ――」
その躱す動作のままに反撃の突進。今度は刃のような牙をむいて。
ガチン、と硬質の音が響き、上下の牙と俺の刀身とがぶつかり合う。
――が、すぐに飛び下がる。炎の影響も無論だが、奴の体格を考えれば張り合うだけ自殺行為だ。
そして動物相手に一歩下がるのは、相手に「今の攻撃は有効だ」と認識させてしまう。
それを理解した時には、既に巨大な顎が俺を噛み砕かんと迫ってきている。
「っの――」
再度下がると、今度はもう一度の爪。やや大振りなそれは流石に見切ることができる。
「ッ!」
横殴りのそれを刀身で受け、返す刀を、爪を突き立てるために踏み込んだ奴の足の、人間でいうふくらはぎの内側へ。
「ギャッ!!」
鼠の悲鳴。確実に質量のあるものを斬った手応えと、がくんと崩れ始める牛を上回る程の巨体。
「そこだっ!!」
一瞬機動力を奪った相手、その地面に伏せるような倒れ込みとすれ違いざま、横一文字に胴体を切り裂く。
「ギィィッ!!!??」
鼠の叫び声とゴムのような手応え。
切り抜けると同時に振り向いて正眼に構え、刀身とそれが切り裂いた敵とを交互に確認=武器の破損と、敵の戦闘能力のそれぞれの有無を確認。
結果:どちらも無し。
「なんだと……」
確かに切り裂いた感触はあった。
いや、あったどころではない。実際に奴の腹を背中側にかけて一直線に斬撃の痕跡が残っている。
まだ新しい傷跡。当然だ、たった今付けたのだから。
だが、すでにそこからの出血はない。
それどころか、その周囲の炎が一段と強くなると、ここからでも分かるぐらいの勢いでその傷が塞がっていく。
「ギャギャギャ!」
気勢を上げる火鼠。それがどういう感情なのかは分からない。
だが、それを受けたこちらは間違いなく、この暑い中に冷たいものを感じていた。
現状、こちらにあるほぼ唯一の攻撃手段でのダメージが、このモンスターには通じていない。
「オペレーター……」
奴から目を離さずに問いかける。
「火鼠の傷が塞がっている。弱点は分かるか……?」
そんなものそう簡単に分かるとは思えない。
「火鼠は交戦した記録が少なすぎる。すぐには……待って」
「ッ!!」
それと同時に飛び込んでくる火鼠。噛みつき、引っかき、体当たりと、殺傷力を有するあらゆる手段での攻撃を繰り出してくる。
「うおっ!」
対するこちらは跳び下がり、身を屈め、刀身を用いて受け流すだけ。
攻撃手段がない以上、一分一秒でも長く生き延びる以外に手はない――いや、それすら実際には手ではない。ただ死を先延ばしにしているだけだ。
「ッ!?」
そしてその先延ばしも、もう長くはない――ガラッと、足のすぐ後ろで崖が音を立てた。
「くっ……」
先程とは反対の際、灼熱の溶岩の流れる崖っぷちへ。当然ながら、俺には溶岩に落ちて耐えることもできなければ、炎に包まれることで回復することも出来ない。
溶岩に落ちたらどうなるのか――その疑問が急に頭をよぎる。どうしてここまでその具体的な疑問に意識が向かなかったのかは分からないが、こうして現実的な問題になって初めて、俺は危機感を覚えていた。
「……」
火鼠が迫る。
今度は逃がさないように、急に飛びかかったりせずにじわり、じわりと少しずつ間合を詰めてくる。
「くっ……」
恐らく一撃必中のつもりだろう。
当たれば勿論ただではすまず、躱したとて恐らくは崖下に真っ逆さま。
死の延長は、どうやらもう使えないようだ。
「一条君聞こえる!?」
不意に響いたオペレーターの声は、その瞬間妙に響いた。
「古い言い伝えにあるものだけど、火鼠は水を浴びると死ぬ。そいつにも効くのかは分からないけど――」
そこまで言いかけたところで火鼠が甲高い鳴き声を上げる。
俺との距離はさらに詰まって来ていて、ここまでの戦闘から考えてあと一歩跳び込めば確実に奴の攻撃できる間合だ。
「ッ!!」
そしてその最後の一歩を踏み込むと同時に、奴はすぐさまその爪を振りかざす。
「ちぃっ!」
先程までのように一撃で断ち切るのではなく、確実にこちらの逃げ道を塞ぐような、小さな動きでの斬撃。
俺の刀身と奴の爪。二つが硬い音を立て、痛い程の炎が俺を押していく。
水、水が効くかもしれない。だが、肝心の水は奴のはるか後方――いや。
「おおおっ……!!」
一か八かだ。こちらを抑えるつもりだったのだろう奴の爪と、これこそ止めなのだろう反対の爪が振り上げられたところで、俺は受け止めている方の爪を下からかち上げるようにして躱した。
「ぐぅっ!!」
直後に走る激痛。左腕を中心に走る、火を押しあてられたようなそれに、砕けんばかりに奥歯を噛みしめる。
自分から炎に突っ込む。狂った回避手段で得たのはほんの一瞬の猶予。
「オラァッ!!!」
その一瞬で、左腕以外の全てを動かす――半分ぐらい残っているペットボトル内の水をこいつに叩きつけるために。
「ギギャッ!!!!」
蓋を開ける余裕はない。奴の体がボトルを溶かすのを期待して、そのまま顔面に叩きつける。
予想外の攻撃が奴をのけぞらせた――いや、違う。こんなもの奴には攻撃にもならないはずだ。
「ギィィィィィッッッ!!!!!!」
その僅かな水だけで、奴は大きくのけ反り飛び退く。
そして明確な証拠――僅か数百mlの水で濡れただけの顔面を、その熊のような両手で覆ってのたうち回る。
つまり、賭けには勝ったという事だ。
(つづく)
投稿大変遅くなりまして申し訳ございません。
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