再起動5
「さて……」
一度天井を見上げ、深呼吸。
それから中に設置された姿見で己の装備品を確認する。
黒いコンバットシャツにサンドベージュのカーゴパンツ。その上から肩回りの可動部を確保したオリーブドラブのプレートキャリアを纏い、当然その中には――規制上、NIJ規格ⅢA以下のものしか使えない=拳銃弾程度しか防げないとはいえ――セラミック製トラウマプレートを仕込んである。
腰に巻き付けたタクティカルベルトといい、ほとんど兵士のような装備だが、これが多くの配信者、特に俺と同じく姿を見せる事のない第二世代強化人間の配信者にとって今やスタンダードなスタイルと言える。
そうした装備品に設けられたMOLLE(一定間隔で取り付けられた装備拡張用の帯)に取り付けたポーチ類に各種の薬品や小物類を収納し、本来なら拳銃でも提げておくのだろうタクティカルベルトには刃渡り70cmの配信者用の打刀を一振りと13mmの――こちらも配信用の――ダガーを提げておく。
それらの装備品を改めて確認し、ポーチからアンプルを取り出して口へ。
子供の頃、道端の花の蜜を吸ったように中身を吸い出して一息で飲み込むと、ビニール製のその容器=LIFE RECOVERYという商品名の入ったそれをダンプポーチに放り込んだ。
飲み込んだやや苦みのある薬品は、マナジェネレーターに併設されたタンクに送られ、マナの効果を高めて俺が深手を負った際に自動的に麻酔と回復を行うためものだ。
配信者にとっては何より頼りになる保険。勿論、使わないで済むに越したことはないのも保険と同じ。
「機器チェック異常なし。感明度良好。映像データ正常に受信」
オペレーターの声が耳に響く。
異なる世界であるダンジョンの中でも通信ができる――だからこそ配信なんて成り立つわけだが――というのも大した技術だ。
「バイタルチェック異常なし。転移先マナ濃度正常範囲内。ジェネレーター正常起動信号を受信」
今後聞き続けることになる配信前の確認。思えば昔は一人でやらなければならなかったのだから、やはり有難いものだ。
「マナジェネレーターセルフチェック完了。動作異常なし」
「ゲート開放の5秒後に配信開始。……デビュー戦よ。愛想よくね」
「了解」
「ゲート開放。開始5秒前。4……3……2……1……スタート」
「はいどうも、皆様初めましての人は初めまして、そうでない人は昨日ぶりです。(株)植村企画所属、潜り屋一条です」
どこまでも乳白色の雲が続く空と、その下に奥に向かって伸びている白い砂浜、そしてその砂浜に静かに波を打ち寄せている灰色の海。
ホーソッグ島――日本から行ける異世界。
その昔来日した地質学者ホーソッグが発見した縄文時代の遺跡のすぐ近くに現れたワームホールから行き来できるようにったという事から名づけられたこの島が、今後の俺の仕事場だ。
「さて、今回は皆様にお披露目という事で、ここマトラー湾の入り江からスタートしまして、すぐ近くで発見情報のあったゴブリンの群れと上級モンスターの徘徊騎士を倒していきたいと思います」
モンスターにはいくつかのランクが設定されており、今回の目玉である徘徊騎士は上級と呼ばれるものの一つだ。
配信の内容を伝えながら、目は周囲の監視を怠らない。
この世界がどういう場所なのかはまだよく分からないが、一年を通して日本時間で20時ぐらいにならないと暗くならず、朝は6時過ぎには日が昇るというのは経験で知っているし、まだ19時を少し回ったぐらいでは乳白色の雲に変化はないという事実がそれを物語っている。
転移用ワームホールを利用したゲート=さっきまでいた箱のある岩場から目の前の砂浜に降りると、真っ白な細かい砂が自重で少しだけ俺の足をめり込ませた。
一歩一歩砂に足が沈みこむ音に混じり、配信には入らない秘匿回線を通じてオペレーターの声がする。
「現在地点は入り江の西部。まずは砂浜を通って東へ。今正面に見えている岩のトンネルをくぐった先の坂道から内陸へ入って」
「了解」
これまた配信に乗せないようにして答え、そのまま砂浜を進んでいく。
「いやー相変わらず海の向こう見えませんね」
一度視線をそちらに向ける。今何人同接がいるのかは分からないが、彼等の画面にも曇り空と灰色の海という憂鬱な光景が映っているだろう。
学生時代もそうだが、この島の景色がこの空模様でなかった時を見たことがない。
雲の厚さや形状には差があり、時折青空が切れ目から覗くこともあったが、それでも天気予報で言えば間違いなく曇りに属する天気であるのが普通だったし、青空が見えても海の方は例外なく雲が空を覆っていた。
再び視線を戻して砂浜を進む。
目指す岩のトンネルと言うのは既に見えていて、数mの崖になっている内陸側から突き出した巨岩がいくつか重なって海岸線まで伸びていて、恐らく海水が侵食したのだろう、人が余裕で通れるサイズの穴が向こう側に抜けている。
「……っと、その前に」
足を止める。
問題は、そのトンネルの手前の波打ち際に複数、人ならざる者が集まっているという点だ。
「見てください。魚人が集まっています」
魚人。正確な名前もあるのだろうが知らない。
人に寄ってはサハギンや半魚人などとも呼ぶそれらだが、所謂半魚人の姿と異なり、青魚の腹側に直接人型の二本足が生えたようななんとも奇妙な姿をした生き物だ。
足が生えている以外はほぼ完全に普通の魚だが、問題はその非常に獰猛な事だ。
ああやって波打ち際に集まって砂虫を探しているなら、避けて通るのが賢明だろう。
「ちょっと数が多いので……」
内陸側に最大限に避けていき、トンネルの中へ。
中は一本道で、長さは精々20m程度しかない。天井は高く左右に幅も広い。まるで人が通るように造られたかのような大きさだ。
「おっと……」
向こうからやって来た魚人がこちらを見つけて、生えそろった鋭利な牙をガチガチ鳴らしていなければ申し分のない場所だった。
「ゲェー……ゲェー……」
トンネル内に静かに響く波の音に牙を鳴らして威嚇する音と気味の悪い魚人の鳴き声が混じる。
大型魚に食われる小魚はこんな風に見えているのだろうという魚人の姿=正面から見た魚のそれが、碌な表情もないのに敵対していると分かる態度でこちらににじり寄って来る。
「躱せないか……」
腰間のものに手を伸ばし、そっと鯉口を切る。
(つづく)