落城3
その旗を立てた人物の後ろからもう一人の人影が近づいてくる。
「あれは……」
見覚えのある姿。会社でとか、昨日の会議とかで。
「犬養博士か」
外套のフードで顔の見えない旗手とは異なり、スーツの上から作業着のブルゾンを纏っただけの姿で旗の後ろに立つ。
その首に淡い緑の光を放つネックレスのようなものを身に着けているのが、それが発する光によってよく分かった。
「間違いありません。目の前に見えているのが集合の目印よ」
映像を見ているオペレーターもそれを確認。彼女の声に合わせて俺も体を起こして茂みから出る。
「ギッ!」
「ギギッ!?」
やにわに壁の向こうにいたゴブリン達がざわめきだしたのは、ここからでも聞こえた。
「ッ!」
銃眼のような小さな窓の向こう、こちらを見て指をさしていた頭が不意に引っ込み、代わりに弓につがえられた矢が外に突き出す。
その騒ぎを、旗手の人物が頭上に上げた片手で制する。ただの一動作、指揮者がオーケストラにするように、たったそれだけでゴブリン達が静まる。
「おお、一条さん」
そしてそれに博士が気付いて声をかけてくる。
「どうも、お疲れ様です」
二人に頭を下げながら俺も得物から手を放して歩み寄る。
どうやら旗手と博士の二人は既にゴブリン達の仲間とみなされているようで、その仲間の仲間ならば、という事なのだろう、柵の辺りまで近づいてもゴブリン達は平静を保っている――流石に完全に無視する訳にはいかないようで、窓の向こうから弓矢が引っ込む代わりにもう一度のぞいた顔は警戒の色を浮かべていた。
「初めまして。貴方がイチジョウさんですね?」
旗手が確認しつつ自らの外套のフードに手をかける。
晒される彼の素顔=驚くほど白い肌にさらさらした金色の長髪。それだけならただの西洋人だろうが、彼のエメラルドグリーンの瞳と何より後ろに向かってとがっている三角形の耳がそうではない事を物語っている。
エルフ。こちらの世界で何度か目撃情報がある存在であるというのは、仮にその情報を知らなくても、ファンタジーへの人並みの知識があれば彼のその細面の顔を見ればなんとなく分かるだろう。
「私は、こちらのイヌカイ博士と共同で現地調査を行っています。ソルテと申します。どうぞよろしく」
そう言って、彼は精巧な細工のような細長い指の手をこちらに差し出した。
「(株)植村企画の一条です。よろしくお願いします」
握手に応じながら自己紹介を終えると、そのソルテと名乗ったエルフから、彼や博士がしているのと同じネックレスを渡された。
「こちらにいる間はこれを付けていてください」
自らの背後=ゴブリン達の方に目をやりながら続ける。
「これがあれば、彼等はこちらを無害な存在と判断します。今回の作戦の間は、片時もこれを離さないようにしてください」
言われた通りに淡い光を放つそれを首からさげる。そしてそれからソルテさんの案内でレテ城へ向かう。
そのネックレスの効果はすぐに確かめられた。門をくぐる時も、その向こう側にある道に抜ける時も、ゴブリン達はそれまでとは打って変わって誰もこちらを敵と見なさない。先程までのぞき窓から胡乱な目を向けていた者も、何かあればすぐに飛び出せるようにその周りで棍棒を持って控えていた者達も、皆通常業務――と言っていいのか分からないが――に戻って、ごろごろしたり彼らの間でのみ通じるような声で何かを言い合っている。
「ゴブリン達は奇妙な生態を持っています」
その前進基地を抜け、番兵ゴブリンが再び門の前に立ち塞がるのを見てからソルテさんが呟いた。
「奇妙な……ですか?」
「ええ。彼らには社会という概念が存在する。動物や、他のモンスターたちと違って、特技や性質によって担当する仕事を分担し、あのような簡単な砦を築いたり、今から向かうレテ城の修繕を行ったり、そこに据え付ける防衛用の武器を製作したり……間違いなく我々に近い知能を持っています」
我々、という言葉に表される通り、恐らくエルフも同様の社会を形成しているのだろう。
「ですが、ゴブリン達にはその頂点に立つ者がいないのです」
「頂点に?それはつまり……王とか、そういう意味ですか?」
彼は小さく頷いた。
「例えば私たちエルフの場合、いくつかの氏族が集まって集落を構成し、それぞれの氏族の長から合議でその集落の長を決めます。長の権限は集落や状況によってまちまちですが、それでも集団を統制するためのトップは必ず存在します」
今度は進行方向=この前より遥かに簡単に、そして早く目の前に見えてきたレテ城の方を見て続けるソルテさん。
「ただ、ゴブリン達にはそれがいないのです。合議による長も、世襲による王も、または武力によって統率する覇者さえ存在しない。しかし彼らの社会は、必ず何者かによる下命を前提とした構造をとる。働きアリだけで女王アリがいない……とでも言いましょうか。まるで、種族自体が初めから誰かに仕えるように作られているかのように」
言われてみればそれが奇妙なものであるというのはすぐに理解できる。
例えば上司や役員が一切いない、平社員だけの企業は存在しないだろう。少なくともそんな状況になったら、俺ならその日のうちにサボる。そして二度と出社しない。
だがあのギーギーうるさい連中は、それを当たり前の社会として存在している。実際、明らかに別の種族である徘徊騎士につき従っているゴブリンと交戦した経験もあることはあっても、ゴブリン達の中に明確な長が存在する状況というのは見たことがない。
「初めから他の種族に命令を受けるように出来ている……?」
そこに達した時、博士とソルテさんが同時に俺を見た。
「その謎の答えが、もしかしたらあの城にあるのかもしれないのです」
「我々はあそこに、非常に貴重なものを発見したのですよ」
多分、このソルテさんというエルフも研究者気質なのだろう。さっきまでと目つきが違う。明らかに熱を帯びている――博士と同じように。
「……と、言いますと?」
ちらりと二人は目を合わせる。
それから博士が、期待に胸を弾ませている説明を引き継いだ。
「メガリスです。レテ城の近くで、休眠状態のほぼ完全なメガリスを発見しました」
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に
 




