再起動2
あの世界にまた行ける。もう一度ダンジョン配信が、あの地でのハック&スラッシュが出来る。
いつもの満員電車。いつものように同じようなスーツ軍団に囲まれて、同じように同じ場所に向かうその収容所みたいな列車から抜け出せるかもしれないという喜び。
おまけに、安いとはいえ固定給が発生するという待遇もまた、俺を強く引き付けていた。
合格の通知を貰ったその日のうちに辞表をしたためたのは言うまでもない。
そしてこれもまた言うべくもないが、離れて暮らす両親の知るところになった途端に大騒ぎになったのも、また。
「だって三年耐えろって言っただろ」
そう主張する呼び出された俺の話など、到底聞くはずもない。
「三年働いて、そうしたらまた考えてみろという意味だ。せっかく正社員の仕事があったのに――」
父親の言葉は続いている。
多分、正しい。
いや、多分どころではない。100%向こうが正しい。少なくとも、世間一般的に考えれば給料の安い中小企業とはいえ正社員として働いていたのを三年で見切りをつけて、固定給とはいえそれより更に安い金しか保証されていない、動画配信業などという何一つ将来が分からないものに飛びつくのはまともな判断とは言えない。
だがそれでも、俺の天秤は傾いたのだ。
そしてこれが一番大事なのだが、俺は既に成人しているという事だ。つまり、自分の人生を自分で決め、その結果についても責任を負うという事だ。
やりたかったことに手を出したとして、その結果がどうなろうと自分で受け入れなければならないのと同様、やりたいことが目の前に転がっているのを我慢しても、その――多分確実にするだろう――後悔をも受け入れなければならないという事だ。
その事は理解している。
だからこそ、最初の三年を何とか耐えて耐えて終わらせて、転がり込んできたチャンスに賭けたのだ。
それを今更、成人した人間に対して「そんな事は言っていない」と言われても、ゴールポストを動かしたようにしか思えなかった。
「あんた、奨学金はどうするの?返済が――」
「だから、返済に充てられるだけの固定給があるって何度も言っているだろ。……あのさ、文句垂れる前に最後まで聞けよ」
口は禍の門と言う。
二方向から際限なく浴びせられる非難に、俺ははっきりと敵意を込めた答えを返し、それが父親の逆鱗に触れた。
「なんだその口の利き方は!!」
結局、それで喧嘩別れ。
人間関係の終わりなどあっけないものだ。親子であってもそれは変わらない。
ほぼ勘当されるような形で実家を放り出された俺はしかし、次の日には約束通り新たな就職先に出向いていた。
「おはようございます」
都内某所。前職と同じ電車の沿線にあるその雑居ビルの前で、面接を担当した社長が俺を待っていた。
「おはようございます。よろしくお願いします」
待っていた植村社長は、面接の時も感じたがごく普通の社会人だ。
それこそ、前職やその取引先にいそうな、ごく普通の管理職のような印象を与える人で、とても配信業などという業界にいるようには思えない。
まあ、とにかく。その社長に案内されて自社オフィスを見ることになっていた――オフィスと言っても、この雑居ビルの一室を借りているだけなのだが。
「ここが我が社のオフィス……と言っても、この部屋だけです。入る時は、このカードキーを使ってください。当然ながらなくさないように」
受け取ったそれを首から下げ、社長に続いて中へ。
ビルの外観からも分かる、大して広くもない一室を中央に設置したパーテーションで二つに分けて、恐らく事務スペースがあるのだろう奥側を隠している。
そしてそのパーテーションの足元。恐らく応接スペースのような形で使用しているのだろう革張りの古いソファが一対、同じぐらい年季の入ったテーブルを挟んで置かれている。
そのソファから立ち上がった人物が、今回ここに来たもう一つの目的だった。
「紹介しましょう。こちらが宍戸さん」
社長がその人物を俺に示す。
「君の専属オペレーターです」
「宍戸郁です。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします。一条寺直重です」
改めて相手をよく見る。
年齢は俺と大して変わらないか、或いは同い年か。
濡羽色のウルフカットの下にフチなし眼鏡。今はスーツ姿だが、なんとなく普段から着慣れている訳ではないというのは全体の雰囲気で悟れた。
そしてそれからは、社長も加えての業務内容についての確認だった。
と言っても、大した話はない。最低限の配信頻度とか、配信内容についての確認――要するに忘れ去られないようにと給料泥棒はするなという話に、炎上しないようという話。
「――そして最後にもう一点」
俺の目をじっと見て締めくくりに入る社長。
追加する事項。大概の場合一番重要な話をする時の入り方だ。
「配信活動の具体的内容及び向こうでの活動内容に関しては任せますが、山名財団からの依頼があった場合、それを最優先としてもらいます。配信の許可についても、その都度財団側の承諾を必要とします」
山名財団。あまり知っている者のいない組織だが、ダンジョン配信――というよりもあちら側の世界についてなら間違いなく関係のある団体だ。
異世界――そう俗称される向こう側の世界についての研究を進めている組織であり、そのカバーする範囲はモンスターを含む動植物の生態系や分布から地層、歴史まで幅広い。
と言ってもそこまで大きな規模の組織ではないため、あまり大々的な活動は出来ないのが実情だ。
そこで、俺たちが必要になって来るという訳だ。
(つづく)