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メガリス17

「はぁ……っ、はぁ……っ」

 どれぐらいの時間、どうやって走ったのだろうか。

 碌に手入れもされていない雑木林の中で、俺は蹲っていた。

 小さな山の中、胃が裏返る程に駆け回って地面に膝をつき、いつの間にか雨が降り出した事に気付く。

 その雨と、それによって湿り始めた土と葉っぱの上についている自分の手=べっとりとついた返り血が、俺の頭に僅かばかりの冷静さを取り戻させる。つまり、自分が何をしてしまったのかを。

「はぁっ、はぁっ……うっ……っぶ」

 今度こそ完全に胃が裏返る。

 中身を全てそこに吐き出して、それでもまだ何か吐き足りないような気がしていた。


「うあ……あああああっ!!!」

 血だらけの両手で顔を覆う。

 あの男を殺した。

 遠くでサイレンが聞こえる。

 こんな小さな山の中で、逃げるなんて不可能だ。

 俺の未来=破滅――どんな馬鹿でも分かる。


「俺、俺は……」

 俺はどうすればよかった?

 あのままあいつの言いなりになって、夢など捨ててしまえばよかったのか?

 でもそれは俺の望んだことか?それは遺言に従っているのか?

 ならこれでよかったのか?他に解決策が、法を犯さず、あいつの要求を蹴って、俺の未来も守る方法があったのか?

 この場に母親がいたらどう思う?一度愛して、産まれた子供を生涯育てたその人が、かつて愛した男をその育てた息子が殺したと知ったら?


「うぅ……うああああ……」

 俺は泣いた。声を上げて、子供の様に。

 どうしていいかなど分からない。

 俺は壊してしまった。自分の未来を、ようやく手に入れた未来を。

 それは永遠に戻らない。俺に残っている道は、永遠に後ろ指を指され続ける犯罪者。

「ああああああっっ!!!!」

 俺は叫び、狂ったように泣き続けた。


 どれ程そうしていただろうか、やがて雨が両手にこびりついた返り血すら洗い落としていった時、唐突に俺は、自分が身長の倍以上ある金網の前にいる事に気づいた。

 そしてその金網も周囲と同じく碌に管理されていないという事も、そこに開いた大きな切れ目からなんとなく分かった。

 その切れ目の向こう、金網に囲まれた空間の中心辺りで景色が歪み、蜃気楼みたいにゆらゆら揺れているのも、また。


「なんだ……」

 自分でも何故かは分からない。もしかしたら自分の直面している問題から逃げたかったのかもしれない。

 俺の足は、とぼとぼとその金網の切れ目に向かっていた。

 その切れ目のすぐ横にある特大の危険表示も、その下に記された「非定常型ワームホール隔離区画」の文字も俺のその足を止めるのには役に立たなかった。

 金網をくぐってその区画の中へ。その俺を迎えるように中央の歪み=ワームホールから透明な触手が何本も伸びてきて俺を包み込む。


「ああ……」

 それはなんだか妙に温かい気がして、俺はそれを受け入れるとすぐに決めた。

 ――出てくるのが刃物で、俺の全身を切り刻んでも同じリアクションをしただろう。俺にはもう、どうなったって良かった。

 温かい触手――遠い昔に母親の手に触れた時のような――が俺を包み込む。

 温かくて、柔らかくて、心地よいその感触に触れると、全身の疲労が噴き出してくるような気がした。


「……!」

 いつの間にか眠っていたようだ。

「なんだ……俺……」

 俺はたしか……あれ?

 俺は何をしていたんだ?

 辺りを見回すと、殺風景な小部屋にいる事だけはわかる。

 部屋の壁の一つは鏡になっていて、呆然としている俺が俺を見つめている。

「なんだ、ここは……?」

 辺りを見回し、何もない事を確かめてから外へ。

 コンクリート打ちっぱなしのこれまた殺風景な廊下に出ると、リノリウムの床だけが濡れた靴と音を立てた。

 濡れた靴?なんで濡れているんだ?

 俺はどこにいたんだ?

 ――俺は、誰だ?


「……!」

 その時不意に、廊下の奥からアップテンポな曲が聞こえてきた。

 どうやら廊下の一番奥、観音開きの先で何かやっているようだ。

「ヒップホップ……?」

 聞き覚えのある曲。俺の知っている曲。

 吸い寄せられるように観音開きに手をかける。

 その瞬間、扉がさっと奥に開いて、俺はよろめくようにステージに飛び出る形になった。


「今宵もこの男がやって来た!最強最悪のギャングスタラッパー、MCライリー!」

 どこからか聞こえる声。最高に熱狂するオーディエンス。

「ああ……」

 ああ、そうだ。

 思い出した。

 俺はライリー、MCライリー。

 お袋はヤク中の娼婦、親父はそれをレイプしてムショでお勤め。

 ウエストコーストの本物。LAのスラムで生まれ育った最強最悪のギャングスタラッパー。


 それが俺、MCライリー。

 そうだ。俺は、俺はMCライリー。

 他の名前なんてない。




※   ※   ※




「――!聞こえる!?応答を!一条!有馬さん!」

 オペレーターの平素からは考えられない動揺した声に、ハッと我に返った。

「こちら一条、異常なし」

「こちら有馬。大丈夫です」

 答えてから時間を確認。どうやら意識が飛んでいたのは数秒間に過ぎないようだ。

「「……」」

 俺と有馬さん=弓の少女は目を合わせる。多分彼女も見たのだ。

 今しがた倒したガード=MCライリーの身に何が起きたのかを。

「今のって……」

 その証拠の様に、いたたまれないと大書された顔の彼女がこちらを見る。

「強化人間はガードに接触すると、何者かの記憶を垣間見る事があるという話がある。多分今のがそれでしょう。何者か、というか……」

 ガード本人の、今に至る経緯だったが。


「……この人は、ライリーである事を選んだんですね」

「そうでもないと耐えられなかった……、まあ、あれじゃあ……」

 その選択が正しかったかどうかは、俺にも彼女にも分からなかった。

「……さて」

 正しいかどうかは分からない。

 しかし、分かっている事もある。何とかしてメガリスを破壊してここから脱出するという事だ。


「終わらせましょう――」

 そう言い終わるのとほぼ同時に、ステージの壁が勢いよく突き破られた。

「!?」

 先程までよりも多い、無数と呼ぶべき透明の触手。

 それが倒れているライリーを包み込んで奥へ引っ込む。


「待て!」

 その往復に、ステージの壁は耐えられなかったようだ。ガラガラと音を立てて崩れ落ち、その向こう側の空間が俺たちの前に現れる。

「おい……」

「これって……」

 綺麗に磨かれた檜の板材が敷き詰められた文字通りの檜舞台。

 オレンジ、緑、黒の三色が縞模様になった幕と、その舞台と今のステージを繋ぐ花道。

 詳しくなくとも、それが歌舞伎の舞台だという事は分かる。


 そしてその舞台の中央、触手同士が絡み合った繭がシュルシュルと音を立てて解かれ、奥に鎮座する巨大な水晶のようなメガリスに戻っていく。

 残されたのはMCライリー、ただし深紅の袴に白い裃、顔に隈取を入れた姿で。

 誇張されたぐらいに分かりやすい歌舞伎役者――メガリスと言うのも、随分性格が悪い。


(つづく)

今日はここまで

続きは明日に

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