メガリス15
「……ッ!」
確かな手応えが返って来る。
「がっ……あぁ……」
襷の様に一本線の傷を受けて奴が倒れる。
こいつは人じゃない。既にガード=メガリス配下のモンスターだ――ジェネレーターに設けられている精神保護デバイスの影響か、あるいはただ単に自分自身がそれを信じたいからか、あっさりとその事実を受け入れている事に気付く。
たった今自分が与えた傷口から噴き出すのが血ではなく、モンスターの血と同じライトグリーンの粒子状の何かであるという点もまた、その認識を決定的なものとした。
「ガードダウンしました。これで……」
オペレーターの言葉で、そこに決着をつける。
そうだ。こいつは人間ではない。最早ただのモンスターなんだ。
ガードはメガリスと接触した人間の成れの果て――論文に描いてあったそんな説を思い出す。一体何があってこんなところでこんなことになっていたのかは分からないが、こいつは過去にここのメガリスに接触したのだろう。
「――ッ!!待って!マナ濃度が急速に上昇!これは――」
オペレーターの叫び声で現実に戻る。
目の前に大の字に倒れている男から噴き出す粒子が、突然その勢いを強めていく。
噴水、いやジェット噴射の如き勢い。明らかに奴の体の体積より多いぐらいの粒子が辺りに噴射されて広がっていく。
「一体何が……」
ステージに到着した少女の声がして、それからすぐに噴き出した粒子が閃光を放った。
「ッ!!?」
強化人間はガードの記憶を垣間見る事がある――その光に飲まれる瞬間、俺の記憶の中には論文のその部分がフラッシュバックしていた。
※ ※ ※
俺には父親は居なかった。
いや、人間である以上勝手に生えてきたりはしない。どこかで母親に俺を仕込んだ男がいるはずなのだが、物心ついた時から俺の家には俺と母親以外誰もいなかった。
母子家庭。ヤングケアラー。多分そういうものなのだろうが、それを大変とか、不幸とか思う事はなかった。
俺にとって家庭とはそういうものだったし、それが当たり前だったから。
それに、母親はその事で俺につらく当たったり、その暮らしを嘆いたりしていなかったから。
母親はいつも笑顔だった。
趣味らしい趣味もない、いつも仕事、仕事、仕事。
たまに日曜日に時間があると、テレビでも見るぐらいだ。それも、バラエティー番組とかではなく俺には何のことやらわからない歌舞伎とかそういうの。
そんな暮らしでも母親がまだ見ぬ俺の生みの親を悪く言わなかったのもまた、俺がその暮らしと母親を憎まなかった理由の一つかもしれない。
「お父さんとは、ちゃんと話をして、納得した上でのことなのよ」
いつもそう言っていた。
そしてそれを言われてしまえば、女手一つで俺を育ててくれた母親に、それ以上何も言うことは出来ないということぐらい、地元の頭の悪い高校にしか進めなかった俺でも分かった。
「高校出たら働くから」
俺はそう言い続けていた。
夢と呼べるものが無かった訳じゃない。けど、それよりよほど、老いて節々痛そうにしている母親が、白髪が混じり皺の増えた母親が、一日でも早く安心できるようになりたいという方が天秤に掛ければ遥かに重かったのだ。
やがて高校の三年間が終わり、俺は地元の、小さな町工場で働きだした。
生活費のためのアルバイト漬けで勉強なんて碌に分からなかったけど、そこなら地元の伝手でなんとかなったし、人では常に必要だったから。
そのうち資格を取って溶接工になればもう少しましな給料をもらえる――それだけがその時の俺の目標だった。
最初の給料をもらって俺がしたことは、母親を近所のそば屋に連れていくことだった。
高校入学時、俺に「入学祝をしよう」といって連れてきてくれたその店で、その特別有名でも高級でもない店で、ほんのささやかな食事。たった一杯の、ごく普通の天ぷらそば。
それを本当に、本当に喜んでくれた。
そしてその翌月に、母親は倒れた。
緊急搬送された病院で、握りこぶし大の悪性腫瘍がある事、もう助からない事を伝えられた。
馬鹿げた、本当に馬鹿げた話。出来の悪いフィクションみたいな、急な話。
そのクソッタレの現実を、母は受け入れた。
「ねえ、理人」
病床で毎日見舞いに来る俺を見上げてまだ俺が子供だった時のようににっこり笑った。
「あんた、やりたい事、あるでしょう?」
「……ないよ」
嘘をついた。
もう何度目か分からない、夢などないという嘘。
厳密に言えば嘘ではない。実際俺には何も夢などなかったのだ。
だがもっと厳密に言えば夢が無かったのではない。現実に照らし合わせ、条件反射の様に不可能だと気付いて諦めたのだ。子供の頃に正義のヒーローに憧れるのと同じ類のものだと一括りにして。
「そう……」
ただそれだけ言った時の母の目は、はっきりと物語っていた――そんな嘘はずっと昔から見抜いていたのだと。
「でもね、もし……もし何かやりたいことがあったら……あんた、やりたいようにやりなさい」
この後見つかったとしてもね――そう付け足して、母は笑った。
「ねえ、あんた。子供の頃の暮らしは……嫌だった?」
黙って首を横に振る――口を開ければ情けない声しか出なさそうで。
「なら、よかった。……私はね、あんたぐらいの時馬鹿な事もいっぱいした。あんたのお父さんと出会ってね、短かったけど、楽しい思いもいっぱいした。それで……あんたを授かったのよ」
楽しい思い出に浸る母の顔。
それがじんわりとぼやける。
「大変な事もいっぱいあった……けどね、私は楽しかったわ……。お父さんと一緒だった時も、あんたとの暮らしも。楽しかった……。でももし、あんたが私の事で、やりたいことを諦めたのだとしたら……。何も気にせず、やりたいようにやりなさい」
その言葉がどういう意味なのか、馬鹿な俺にもよく分かった。
「あんたに苦労させたから……何にも、遺してやれないから……だから、それだけ。あんたも、自分の人生、やりたいようにやりなさい」
それが、最期だった。
自分のやりたいようにやれ――たったそれだけの遺言。
そしてそれが、俺に出来る最後の親孝行だった。
俺のやりたかったこと。記憶の奥底に沈んだ、かつての夢を引っ張り出す。
そんなことしている余裕なんてないと投げ捨てた夢を、今度こそ真っすぐに向かい合う。
俺の、白石理人の、最後の親孝行。
最強最悪のギャングスタラッパー、MCライリーの誕生だ。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に




