再起動1
ダンジョン配信。その文化自体は、インターネットの動画投稿サイトが隆盛した頃には既にあったように思う。少なくとも、俺の知る限りはそうだった。
そしてそれは、俺が大学生になる頃には動画投稿の敷居の低さと相まって、ちょっとした冒険感覚で足を踏み入れる世界でもあった――当時の俺がそうであったように。
ダンジョン配信を行って収入を得る――勿論、そんなに簡単な話ではない。アマチュア配信者にとってはダンジョンに潜るための初期投資分を回収できれば御の字。実際、俺の活動期間で得られた収益もその程度のものだ。
いや、それはあくまでハードウェアの面での初期投資、即ちジェネレーター移植手術の費用だけで、実際にかかった総額=配信者向け冒険者講座やらその他細々とした装備品の調達を入れれば赤字だろう。
だがそれでも構わなかった。
大学とバイト先を往復して金を稼ぎ、その稼ぎを配信のための諸々に突っ込む。
その暮らしも、当時の俺は耐えられた。
俺はダンジョン配信が好きだった。
誰かに見てもらう事が、じゃない。
ハック&スラッシュ――即ち、向こうの世界を探索し、必要に応じて戦闘を繰り広げることが、だ。
だが当然、それをいつまでも続けていることは出来ない。
当たり前だがダンジョン配信は常に危険の伴うものだし、その危険な状況を切り抜けるためには、強化人間化=ジェネレーター移植はほぼ必須だ。
相談もなくダンジョン配信を始めた=強化人間手術を受けていた。この点に両親は激怒した。俺が大学三年生の頃の話だ。
手術自体は極めて安全性が高く、当時から日帰り手術が一般化していたし、瞼を二重にするより安い代金だったが、問題はそういう事ではないというのは分かっている。
結局、俺は配信を辞め、大学卒業と共に普通の中小企業に就職した。初めから配信者として食っていくなんて考えはなかった。
当時から既にダンジョン配信は草創期を終えて円熟期に入りつつあって、個人配信者のゲリラ的活動では初期投資の回収が精いっぱいで、生計を立てるなんて夢のまた夢だった。
多分何事もそうだと思われるが、ゲリラ的個人勢が通用するのはごく初期の手探り状態の時代であって、一定以上に手法が確立した、つまり定石と呼ばれるものが構築されるような段階になると、そうした個人勢はほとんど大資本に駆逐される。
投入できるリソースの上限が発揮できるパフォーマンスの上限とほぼイコールになり、企業勢と呼ばれる大手配信事務所が圧倒的に強い環境が生まれる――俺の活動時期は、ちょうどその過渡期にあたっていた。
二大大手事務所、大手芸能プロダクションの傘下にあるアウロス・フロンティアと警備会社を母体とする八島総警は当時既に司法試験並の倍率だったし、そうした大手がやらないような隙間産業的な配信も既に先駆者がいる状態だった――隙間産業の先駆者というのもおかしな話だが、要するに売れる隙間産業を自分で見つけられるほど俺には商才はないという事だ。
配信稼業を引退し、ごく普通のサラリーマンとして就職する。
それが正しい事は分かっていた。俺が配信を仕事にしようと考えていると思ったのか、両親は「まず三年は普通に働いてみろ」と口を酸っぱくして、それこそ大袈裟でも何でもなく、顔を合わせる度に言ってきた。
金の問題ではなく、俺はダンジョンに潜るのが好きで、向こうでの活動が好きなのだと気が付くのに、それほど時間はかからなかった。
いや、本当は分かっていたのだ。自分があっちの世界で好き勝手に暴れ回るのが好きで好きでたまらなくて、本当は配信なんてしなくても好きなように向こうの世界で活動していたいなんて、前からずっと分かっていた。
暴力は娯楽となる。手に負えない事に、俺は見ているだけではなくやる方も好きだったというだけの事。
プロの格闘家になるようなセンスはないし、警察や自衛隊のような仕事として暴力に接するには集団生活への適性もない。
つまり、普段は行儀良くしているだけで、根っからのチンピラ気質だ。いい感じの木の棒を拾って、知らない町の公園まで冒険する――そんな小さな子供の頃の遊びがずっとやめられなかった人間なのだ。
その事を自覚してからの三年間が如何に長く、辛かったのかは、体験してもらうより他にない。
何一つ興味のない事に興味があるようなふりをし、何一つ得意でないことを四六時中考えて、何一つ出来もしない事を求められる。
懲役三年と言ってもいいぐらいの砂を噛み続ける三年間の終わりが見え始める頃には――最初の一年の時点で既に薄っすらとそうではあったが――既にどうやってこの仕事を辞めるかばかりを考えていた。
その折、植村企画の募集を発見した時には普段碌に信じてもいないあらゆる神仏に祈る程だった。
募集要件にあるダンジョン配信経験を示すため、今では放置されている自らの配信動画のURLを記入した履歴書を送った二日後に届いた「ぜひ会って話をしたい」という旨の返事に、俺はもう引き返すことができないと実感し、そしてそれよりも何よりも、皮膚を貫かんばかりの喜びと期待だった。
(つづく)