メガリス9
その申し出への返答にラグはなかった。
「はい!よろしくお願いします!」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
交渉成立。握手を交わすと、少し硬くなった手の感触が伝わってくる。
「では、以降このチャンネルで通信を行います。動画を撮影・配信している場合は、緊急事態ですのでとりあえずこのままで行こうと思います」
オペレーターがそう告げ、彼女もそれを了承する。
その間、向こう側のオペレーターからの接触は一切なかった。
いや、というより恐らく存在しない。俺も聞いただけで詳しい訳ではないが、アウロスにおける候補生という立場は正規メンバーとは色々違うらしい。その名の通り正規メンバー候補の段階である彼女らには、そうした正規メンバーと同様のサポートは行えないというところなのかもしれない。
――まあ、結果的に俺とオペレーターには好都合だ。この子一人が了承すれば話を通せるのだから。
それから俺たちはもう一度改めて周囲を確認する。
どこかの町の道の真ん中。
街並みの様子、即ちビルの外観やそこに掛けられている看板の文字から恐らく日本ではないと思われるそこは、しかしだからと言ってどこの国かと問われるとなんとも答えづらい姿をしている――単に俺にそんな知識がないのも相まって。
「前に進むしかなさそうですね……」
同じく辺りをきょろきょろしていた彼女がぼそりと漏らす。
俺たちが立っているのはあまり手入れされていないと思われる、ボロボロの舗装道路の上だが、ご丁寧に背後には進めないようにうず高くバリケードが積み上げられていて、前に進めと無言の圧力を放っている。
「しかしこれ……凄いな」
同じものを見ながら漏れたのは、俺の正直な感想。
バリケードとは言ったが、それを構成しているのは余りにも雑多な材料たち。土嚢や木製のフェンスのようなもの、有刺鉄線に水を入れて重量を増してあるプラスチック製のブロック、更にはパトカーまでもが道を塞ぐようにして止まっていて、とにかくあるもの全てを動員して道を塞いだ――まるで暴動でも警戒しているかのような有様だった。
そしてそんな状況にも関わらずその向こうには一切人の気配がないのが、ここが政情不安な地域ではなくダンジョンであるという事を物語っているようだった。
「とにかく、進むしかないか……」
「そうですね。行きましょう」
そのバリケードに示された進行方向に踵を返して歩き出す。当然だが、そちらにも全く人の気配はない。
放置された車両。落書きだらけのレンガ塀。ひっくり返って中身が散乱しているゴミ箱――バリケードといい、どうも余り治安の良い地域をモデルにしている訳ではなさそうだ。
ゴーストタウンのようなその中を、周囲の諸々に警戒しつつ進んでいく。
「何語?」
不意に隣で声。
道路沿いの商店――こちらも当然人の気配はない――のショーウィンドウの上に掲げられた看板には、見た事のない言語が書かれている。
筆記体のアルファベットと言えばそう見えるし、アラビア語と言われればそうも思えるような、不思議な線と点の集合体。なんとなく出始めた当初のAIが書いたような印象も受ける。
「多分、何語でもないと思います」
彼女の呟きに答えたのはオペレーターだった。
「ハイブ内の姿はメガリスに取り込まれたガードの記憶や思いを基に構成された世界、という説があります」
そう言えばそんな事が、眠り薬代わりに読んだ論文に書いてあったような気がしないでもない。
「恐らくガードの記憶か何らかの意思を読み取って、この町を再現しているのかと思われます」
その説明が終わるか終わらないかのうちに、件の看板の真下、何も置かれていないショーウィンドウのガラスが耳障りな音を立てた。
「ッ!!」
身構える俺たちの前で、その向こうから飛び出してくる影=ゴブリンたち。
「敵!」
反射的に彼女が矢をつがえ、一瞬のうちに弓を引き絞る。
飛び出してきたのは二匹。そのうち一匹がすぐさまこちらに気付き、棍棒を振り上げながら叫び声をあげて突進――その第一歩目に仰向けにひっくり返る。奴の喉元に深々と木の矢が突き立てられている。
「ギッ!」
もう一匹が叫び、同時に背後でやかましい金属音。
「こっちもか!」
振り向いた俺の視線の先=建物の隙間から出てきたこちらも二匹のゴブリン。
「ギギィッ!!」
叫びながらこちらも向かってくる。
反対側と違って初めから俺たちを見張っていたようで、立ち止まって振りかぶるような真似はしない。
「こっちは任せて」
背中合わせになった彼女に言いながら腰間のものに手をかけて連中を迎えるように踏み出す。
「ギッ――」
速度の差から先行した方のゴブリンに抜き打ち一閃。
「ギィッ!!?」
走る姿勢のまま、ヘッドスライディングのような形で倒れていくそいつを躱し、同時に返す刀で後続に斬りつける。
「ギッ!」
慌てた様子で棍棒を振り下ろすが、リーチが違う。
奴の棍棒が鍔より向こうで空を切る時には、既にその頭をしっかりと切り裂いている。
「こっちはよし」
「こっちもです」
振り返ってみると、ショーウィンドウから出てきたもう一体の方もほんの数歩接近しただけで、同じように頭から矢をはやして倒れている。
「周囲に反応なし。進んでください」
オペレーターの声に俺たちはそのまま前進を再開する。
俺は抜いた刀を肩に担ぐように、彼女は弓に次の矢をつがえたままで。
ここはダンジョンだ。またモンスターの待ち伏せがあってもおかしくない。
「止まってください」
そうやって動き始めてすぐ、彼女が俺にそう言って、視線で進行方向のやや上を示した。
「あそこで待ち伏せしています」
その視線の先、日本では見かけない黄色い信号機の支柱の上に蝙蝠のような羽根を畳んで鎮座する、人間型の何かの姿が見えた。
「ガーゴイルか……」
本来は西洋建築の屋根に取り付けられる雨どいらしいが、当然ダンジョンにいて、モンスターとして登場している以上ただの雨どいではない。
「まだ気づいていない……。ここから狙えます」
その飛行能力のある相手を前に彼女は片膝をついて弓を構える。
彼女の弓の下側の先端が、巨木に対して放たれたのと同じ光に包まれ、アスファルトに突き刺さる。
「……ッ」
そしてそのまま一瞬静止。矢の先端にも、同じ光が宿った。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に




