エピローグ
「な……っ」
「一条さん!!?」
無数の触手。
飛び出して来たそれは一直線に俺に殺到し、全身に纏わりつく。
「なんだ……これは……?」
不思議な感覚だった。
巻き付いてくる触手は、光がその形をとったようなものなのに確かに質量を感じ、しかし感じた事のない感触。
熱はなく、しかし冷たくもなく、人肌と呼ぶのが一番近いかもしれないそれは、しっかりと巻き付いているのに圧迫感や痛みは感じない。
――そして、脳の中に流れ込んでくるのは、極めて鮮明なデジャブのような映像。
「一条君!!どうしたの!?返事をして!!」
オペレーターの叫び声が遠くに聞こえる。
目の前には果てしない緑の大地。
広大な土地と、燦燦と輝く太陽。
俺はそこに立って、その大地への一歩を踏み出す。
どこまでも続く広い世界。まだ誰も踏み出していない、何がそこにあるのか分からない冒険。
――ああ、そうか。これは俺の夢か。
ちょっと遠くの公園まで木の棒を持って冒険した、その頃の記憶を忘れられない男にとっての理想郷。
永遠に、どこまでも続く冒険の地。どこまでも続く胸躍る冒険。
そこには気にするようなものは何もない。会社も、社会も、人間関係も、世間体も、何もかも存在しない。
気が済むまで、気の向くまま、この世界を冒険し続けることができる。
――どうだ?一緒に来れば叶えられるぞ?
「!?」
耳に確かに聞こえた何者かの声。
聞き覚えがあるような、しかし記憶にない声。
驚いている俺に、その声は更に続ける。
――我々はお前の夢を叶えてやれる。お前の悩みも取り去ってやれる。
ああ、これがメガリスの声か。
頭のどこかが、不思議なほど直感的にそれを理解する。
――こっちに来い。一緒になろう。それだけでいいんだ。
目の前に見えているのは素晴らしく魅力的な世界だ。
もう俺を縛るものは何もない。後はただ一歩を踏み出せばいいだけ。
それだけで、俺の夢は叶う。
「ああ……」
無限に広がる夢の世界に向かって、俺は足を進める。
耳に入る雑音など何も気にならない。
俺は全部うっちゃって進む。俺のあるべき場所に進む。
メガリスは、それを可能にする。
「違うな……」
その言葉は、自分で自分の目を覚ますことになった。
――何故止まる?一緒に行こう。
違う。そうじゃない。
「……お前、メガリスだろ?」
目の前の存在=どこまでも広がる緑の大地ではなく無数の触手とその大元の巨大な透明の鉱物に問いかける。
「お前、相手が悪かったよ」
巻き付いた触手を、有馬さんから受け取った脇差で切り落とす。
――何故だ?
驚くほど簡単に切れる触手。ほとんど手応えもなく、まるで霧がかき消されるように霧消していく。
「お前、矛盾に気付いていない」
――何を言っている。
「俺は確かに配信者だ。ダンジョンに潜って、冒険がしたい」
――ならば我々と共に来い。そうすればいくらでもその望みが叶うのだぞ。
「そうはならないだろうな」
――何を疑っている?我々はお前の味方だ。お前の夢を叶えてやれる。
「無理だよ。だって……お前らの目的は世界を破壊することだ」
返事は無かった。
「全部ぶっ壊した後で、廃墟になった世界を冒険させてやるって?」
触手から力が抜けていく。
「お前、何も分かっていないよ。本当に何も」
体に纏わりついた触手を全て斬り落とす。
「本当に一番単純な所が駄目なんだ。いいか?俺が行きたいのは冒険だ。未知のダンジョンに入って行って、その奥底に向かう緊張感と興奮と、好奇心を掻き立てられるのが好きなんだ」
絶句なのか、諦めなのか、理解が出来ずにフリーズしているのか、メガリスは最早何も言い出さなかった。
「一条さん!」
「一条君!」
再び見えた俺の姿に声をかけてくれているのだろう。
その声を聞いた時の感情が、自説の何よりの証明に思えた。
「いいかメガリス。自分で滅ぼしたら、そこ歩いたって面白くない」
単純な、何より単純な話。
オペレーターや、社長や、有馬さんや、鷲塚君や、犬養博士や、絶縁状態の両親さえも。
自分の手でぶち殺して、誰もいなくなった世界を歩くのには魅力を感じない。
この世界が死ぬほど憎ければ或いは滅ぼすために手を組むかもしれない。
だがそこまで世界に絶望する程オペレーターや有馬さんなんかの周りの人間は嫌な奴じゃない。これからやって来るお利口さんの世界は退屈だろうが、少なくとも一緒に面白い事をした人間がまだいるうちは、それを滅ぼす気にならない。
「じゃあ、そういう事だ」
それだけ言って、俺は一息に、手の中の脇差をメガリスに突っ込んだ。
軽い衝撃と共に、目の前の鉱物に無数に放射線状のヒビが走る。
パキパキと、硬いものが壊れていく音。
そしてその音がガラガラという大きなものに変わりながら、メガリスは無数の破片に変わって崩れていき――ただの灰のようになって、風に舞うように消えていった。
「一条君!!!」
「一条さん!!!」
振り返った先で、俺は自分の判断が間違っていなかったと、その呼び声によって悟った。
以上が、俺の関わったダンジョン配信者の一部始終だ。
この戦いを最後に、ダンジョン及びそれの存在するホーソッグ島は政府及び特別遠隔地管理機構の管理下となり、植村企画は管理機構の民間委託という形で現地での業務を請け負うこととなった。
管理機構の広報業務の一環として、また定例報告に必要な場合において配信形式を採ることはあっても、以前のように自らの名を出して再生数を稼ぎ……という形ではない。
今の俺は元配信者の一職員だ。そこに個人の名前はなく、ただその活動報告だけが記録として保管される。
幸いと言うべきか、管理機構の業務として現地で活動する企業関係者の護送や施設の警備を担当する際には俺の名前を知っている人がいたりする。その時には昔話をすることもあるし、配信のようにダンジョンに潜る仕事もない訳ではない。
加えて、オペレーターとの関係も続投なら、やっている事はほとんど昔と変わらない。
俺たちは引き続きコンビを組んで活動する。
そして有馬さんもまた同様だ。
彼女の場合、管理機構の仕事の傍ら高卒認定試験に向けて勉強中だ。
彼女の養父母はもう関わらない。アウロス残党の不法侵入事件の後、彼女にもっと取り分を寄越せと脅迫した数日後“どこかからの”タレコミによって覚せい剤取締法違反で二人揃って御用となり、以降誰も姿を見ていない。
有馬さん本人は何も言っていないが、周りとしてはこれで一安心だ――恐らく、本人もそれに近い感情は持っているだろう。
結局、國井さんの言ったところのお利口さんの時代にも、俺たちの仕事は残っていた。
勿論、これまで通りという訳ではない。だが事実として、形を変えて俺たちは残り続けた。
もう配信者ではないが、それでも、俺たちのやることは変わらない。
これが、(株)植村企画の潜り屋一条――ある出戻り配信者の顛末だ。
(おわり)
ここまでご覧頂きありがとうございました。
ある出戻り配信者の顛末
これにて完結となります。
「ダンジョン配信ものをやってみよう」そう思って始めたはいいものの、果たしてこれをダンジョン配信ものと呼んでいいのかと自問自答することもあった本作。
今回も至らない所だらけでしたが、まあこれも一つの形として楽しんでいただけましたら幸いです。
それでは、最後までご覧頂きありがとうございました!




