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夢の跡10

 勿論、そんな事をストレートに表したりはしない――私も、会社も。

 しかし当然ながら、一切のプレッシャーがないなんてことはあり得ない。


 会社は、つまり学閥は彼をトップに認めなかった。そんな事は許されない。他の大学、それもランク的に下とされている私大の出身者がそんな立場になるなど、不名誉以外の何者でもない。

 故に色々理由を付けて私をトップにしようとしていた――そこまでお膳立てをされて、それを出来ないのが私の結果が至らないからなど、当然許される話ではない。


 そしてその日から、私の死に物狂いの努力が始まった。

 世間一般とやらの、私のような階層に対して――多分に願望を含めてだろう――抱く苦労知らずで軟弱なお坊ちゃんというイメージは、実際には正しくない。

 私たちは常に、それこそ物心つく頃からずっと努力する環境にあった。

 習い事も、学業も、あらゆる分野において努力は呼吸と同じだ。投入されたリソースに見合う成果を上げるためにあらゆる手を講じる。面倒だとか、退屈だとか、そういう感情が入り込む余地などない。


 当然、仕事だけが例外などという事はあり得ない。


 それを実践して、一体どれぐらい経った頃だっただろうか。私が会社内のトイレで用を足している時の事だった。

 その頃すでに、固形の糞が出なくなって久しかった。ほとんど色のついた水のようなそれを洗い流し、尻を拭いているところで個室のすぐ外に上司二人の声を聴いた。

「あの……増本君だっけ?……彼も……」

 増本=同期のトップ。

 私が死に物狂いで越えなければならず、その差は埋まれども決してゼロにはならない男の名前。


「彼、最近ますますいい具合に……」

 上司からの評価がいいのは当然だ。

 その言葉に同意しながらも、もう一人=声で同じ課の先輩だと気付いた。

「でも彼、B枠ですからね」

「そうなんだよ。そこなんだよ。勿体ない」

 B枠=社内だけで――というよりもそこに適用されない者達の間でだけ通じる用語。非学閥系の人間を表す単語。


 B枠の人間にはある程度キャリアが決まっている。そして当然ながら、昇進スピードも自ずと決まってくる。こういう所では当たり前の話だ。

 つまり、彼はどうしたって上に行くことはない。

「……ッ!」

 だがそこで、私は初めてその意味するところに気付いた。

 多分、気付いてはいけなかったところに。

「じ、じ、じゃあ……」

 自分の声が漏れている事に、そしてそれが自分でも哀れに思うほど震えている事に気づいたのは、それが人のいなくなったトイレに響いてからだいぶ経った後だった。


 B枠の人間はキャリアが決まっている。

 それ以外の、学閥に属する人間には決して上回らないようになっている。

 彼は努力を重ねているのだろう。学閥の強いこの会社、一部上場企業であるこの会社に、他大から入社するだけで多大な苦労をしているはずだ。

 そして思い出す。我が母校からすれば下のランクの大学だろうが、世間一般で言えば彼も十分高学歴の部類に含まれる大学を出ている。

 そもそも、大学進学率を考えれば高卒者だって決して少なくないのだ。


 努力しない者達。自分で何もしようとせず、努力した他人をねたむ者達――今までそう思っていた連中。

 だがその中から出てきたあの男は、増本はどういう成績を残している?

 不利な状況に飛び込んできて、それを覆して、しかし会社の文化としてキャリア形成が決まっている。

 あいつの情報は色々入ってきている。実家はごく普通の中小企業のサラリーマンであることも、地元の公立高校から大学に進学したことも、海外留学なども経験せず、受験のための塾を別にすれば習い事の類も水泳教室ぐらいしか経験していないことも。


「あ……」

 気付いてしまった。

 気付いてはならなかった。

 気にしてはいけなかった。

 考えてはいけなかった。

 目を向けてはいけなかった。


 それは余りに、致命的なまでに不都合な事実だった。

 増本は努力してきた。

 そして結果を出したのだ――全てお膳立てされた私よりも。


「あ、あ……」

 私は震えていた。

 立ち上がることが出来なかった。

 これまでの全て、幼い頃から今日にいたるまでの全ての努力。

 一から積み重ねてきた努力。全力で築き上げてきた成果。


 その全てが、完全なお膳立ての上でのこと。


 努力することは当然だ。

 努力することは義務だ。

 結果は全て努力の反映に他ならない。

 じゃあ、お膳立ての整った私が、そうではなかった増本に勝てないのは?

 その増本が会社の風土として昇進できず、お膳立てされた私にはチャンスが巡ってくるのは?

 増本のような人間が、この広い世間一般に他に誰もいないという証拠は?それこそ、私が今まで努力せず、それ故に結果が出ないだけの者と斬り捨ててきた連中の中にいなかったという証拠は?


 私は立ち上がれなかった。

 その数分前に戻ることはもう二度と出来なかった。


 会社に居られなくなって仕事を辞め、それから配信者の道に進んだのは、その経験があったからだ。

 私はあの日のトイレから、決して逃げる事が出来ない。

 あの日から前に進むには、自分の手で、自分の実力で頂点に立たなければならない。

 私はお膳立てされただけのお坊ちゃまではない。その事を証明しなければ、私は私でいる事が出来ない。

 努力することは当然だ。

 努力することは義務だ。

 そして努力とは、目的のためにあらゆる手を惜しまずに使う事だ。

 ――たとえそれが、草創期のアウロスフロンティアにおいて、今後の自らのキャリアの邪魔になると判断した先輩配信者を、コラボ案件中の他社の配信者諸共、消し去る事であったとしても。


 サーデン湾事件。その真相を知る者は最早存在しない。

 全ては不幸な事故として処理された。

 事件によって主力メンバーを失ったエイギルBCSは解散。そのスタッフや生き残った配信者の一部はアウロスフロンティアに流れ、我が社は業界のパイオニアだったエイギルを始末し、かつそのノウハウを得ることで躍進した。


 私は証明する。

 アウロスフロンティアの躍進と、私自身の配信者としての、そして管理職、いずれは経営者としての成功をもって証明する。

 本社の連中にも、メガリスとやらにも、邪魔させるものか。




※   ※   ※




「これって……」

「ああ……」

 見えてきたのは京極の過去。


 迷い:見えたものをオペレーターに伝えるべきか。

 彼女からすれば、京極は仇だ。彼女がアウロスに対して抱いている不信感の、その元凶となった事件はこの男の手によるものだった。


 言うべきか、言わざるべきか。

「まだ……だ……」

「「ッ!!?」」

 だが、一度棚上げする。

「私は……、ここで……止まる訳……には……」

「京極のマナ反応急速に増大!奴はまだ動ける!!」

 どうやら、伝えるにせよ事後報告にした方がよさそうだ。


(つづく)

今日はここまで

続きは明日に

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