幕間の一幕4
「えっと、あの、ちょっと……」
明らかに動揺しているというのは、涙でぐしゃぐしゃになった世界でも、声だけで分かる。
「ご、ごめ……っ、ごめんなさ……」
それに対する謝罪を口にしようとも、意思に反して湧き上がってくる嗚咽と涙は、たった一言の謝罪すらも言わせてはくれない。
何を悲しんでいるのか、何が嫌なのか、私にはそれさえ分からずに、ただ泣くために泣くように、涙と嗚咽とがひたすら、無限に続くかと思えるほどに湧き出し続ける。
「大丈夫……じゃないよね」
宍戸さんが横に屈みこんでこちらを見ているというのは分かっている。
顔を覗き込んでいるのだろうということも、また同様に分かる。
「……ッ!?」
何かに驚いたように息を呑んだのも、また分かるような気がした。
「……とりあえず、ここから離れましょう。濡れちゃうから」
そう言って、彼女は私を助け起こして持っていたバッグからハンドタオルを取り出して濡れそぼった私を拭き、通りかかったタクシーに押し込んでからすぐに自分も乗り込んだ。
「ごめんなさい濡れちゃって――」
運転手にそう言ってからどこかの住所を伝える宍戸さん。
「はい、了解しました」
運転手さんはそう言ってから、ちらりとミラーで真後ろにいる私を確認する。
「お連れさん、よろしかったらこれ使ってください」
そう言って差し出してくれたのは、先程宍戸さんが吹いてくれた時のものと似たスポーツタオル。
「す、すいません……」
今度は何とか言葉に出来た。
タオルを受け取って、先程から濡らしてしまったと分かっていたシートと触れている尻と太もも、それから上半身もふき取っていく。
「では、シートベルトをお締め下さい」
それからタクシーは動き出す。
雨の中、静かなエンジン音と、定期的に動くワイパーの音だけが響いている。
その一定のリズムと、空調の温かな車内の空気に、私は徐々に自分の意識が遠ざかっていくような気がした。
「ん……」
流石にそれは悪い気がして、何とか意識を保とうとする。
「すいません。ちょっと電話してもいいですか?」
「はい、どうぞ」
宍戸さんがスマートフォンを取り出して誰かに掛けている。
「もしもし一条君?ごめんね、今大丈夫?ちょっと聞きたいんだけど――」
一条君。思い当たるのは一人しかいない。
ああ、そうか。この人たちは私の境遇とは無関係なんだ。
そんな当たり前のはずの事が急に頭に浮かんできて、その姿が物凄く羨ましく思えて、そして――それを最後に私は意識を手放した。
「……ッ!!?」
寝落ちしていたことに気付くのに、どれぐらいの時間がかかったのだろうか。
やってしまった、そんな恐怖で目が覚める。
「あっ、起きた?もうすぐ着くよ」
「すっ、すいません!」
すぐ隣からの声に私は反射的に頭を下げた。
「何も謝らなくてもいいよ。多分、疲れていたんでしょう」
ちょっと驚いたようにそう言って笑ってくれる宍戸さん。
彼女の言葉に少しだけ平静を取り戻した私は、タクシーが見覚えのない場所を走っているのに気が付いた。
タクシーに乗ったダイブセンターがある辺りよりも恐らく郊外というか、都心から離れた場所なのだろう。大きな駐車場や工場に混じって、片側二車線の道路沿いに一戸建てが混じっている。
「あ、ここで大丈夫です」
「はい。了解しました」
タクシーはスムーズに路肩に寄っていくと、バス停の手前で停止した。
メーターを見るとそれなりの距離を走ったのだろうというのは想像できる。私なら到底出来ないタクシーの使い方。
だが、その張本人は特に困った様子も見せずにそれを支払うと、私を連れ立って降りた。
「あ、あの……」
「こっちの方も本降りだね。傘入って」
そう言って私にぴたりと寄り添うようにしてビニール傘に入れてくれる。
「ここ、私の家だから」
「えっ」
そう言って指さしたのは、目の前のマンション。驚く私を押すように、そのエントランスを通過する。
宍戸さんの家?一体どうしてそこに私を?
頭の中は完全にパニックだ。
ただ、マンションで契約しているのだろう八島総警のステッカーが貼られているのだけが妙に印象に残った。
「え、あ、あの……」
戸惑いながらエントランスを通過してエレベーターを待つ。
降りてくるそれの階数表示が、何か伝える猶予時間のカウントダウンのように迫って来る。
「え、えっと――」
「少し、ゆっくりしていって」
「い、いえ、でも……」
周りには誰もいない。多分それを確認したのだろう、一度廊下の奥とゴミ置き場の扉、それに通って来たエントランスを確認して、二階まで来ているエレベーターの階数表示を見上げながら、宍戸さんはオペレーター故のよく通る声で言った。
「ごめんね、さっき見えちゃった。体の傷」
「!!」
階数表示から目を離さないまま、彼女は続ける。
「それ、配信で出来た傷じゃないよね。それに……昨日今日、不注意で……って感じでもない」
答えることは出来なかった。
何を言っても嘘は見抜かれる気がして、そして認めてしまっても、その後どうするべきかが分からなくて。
「お節介なのは分かっている。けど、とりあえずシャワー位貸させてよ。せっかくの知り合いなんだしさ」
まるで異論を許さないと言うように、到着したエレベーターが扉を開いた。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に




