メガリス2
「メガリスか……」
口をついたその言葉に込められたものを、オペレーターは察してくれた。
「メガリスからの脱出映像は少ないし、そのほぼ全てにおいてガードからの襲撃を経験している。分かっていると思うけどガードの戦闘能力が通常のモンスターの比じゃないわ」
それを聞きながら、一時停止しているパソコンのモニターをもう一度覗き込む。
アホみたいな再生数。
アホみたいなチャンネル登録者数。
「……」
それから目を落とす。カードキーを兼ねている自らの社員証=両親に勘当された、その見返りの様に手に入れた立場。
頭の中が、一つの方向に向かって話を纏めていく。
そしてそのための強力なエンジンは、よりはっきりと本音を言う――面白そうじゃないか。
「ハイブ内からの映像は強力なインパクトになるか……」
「本気?」
口をついた言葉を、オペレーターは疑っているようだ。
彼女の疑念は正しい。ただ、その方向性は違う。
俺が行きたいのは厳密に言えば映像の為じゃない。ただ単純に、やりたいのだ。
「虎穴に入らずんば虎子を得ずって言うだろう」
「まあ、そうだけど……」
それを何とか誤魔化して配信の為であると偽る。
オペレーターが少しだけ黙って、何やら考え込むように視線を落とした。
しんと静まった社内。空調の音だけが響く数秒間。
「……よし」
それから、再びオペレーターが口を開いてその沈黙を破った時、俺はその続きを聞かなくても彼女の意志を理解できた。
「それなら、やってみましょう」
彼女は決意したのだ。この底辺配信者のパートナーを、ハイブに突っ込ませてみよう、と。
「ただ、やるからには本気よ。向こうでは“切り札”も使う。それでいいわね」
「勿論」
切り札。これまで配信で使ってこなかった、俺の能力。
強化人間はマナジェネレーターによって身体能力の強化を行えるが、それは言わば副産物のようなものだ。
マナジェネレーター。ひいてはマナ技術の本当の本領発揮は、その現実離れした、ファンタジーやSFのような異能を人間に与えることにある。
強力な反面無制限で何度も使えるというものでもないが、それでもそれを躊躇いなく使えるとなれば、生存性を飛躍的に向上させることもできる。
これまで使わないで済んでいたその能力を、今度こそ発揮する時かもしれない。
「念のため確認するけど、メガリス出現の可能性があるようなマナ濃度の環境では、通常のモンスターも群れで出現しやすい。もし危険だと思ったらすぐに撤退して。メガリスの映像は別の時でも構わないから」
「分かっている。ありがとう」
後半部分はしっかりと念を押す言い方だった。
恐らく避けたのだろうが、本当はこう続くはずだ「でも死んだらそこでおしまいだから」と。
多分、その単語を口にすることを意図的に避けている。ここ一週間でなんとなく、彼女のそういう所が分かって来た。今後の方針について話をする時、必ずその部分の直接表現をしない。
つまり、流石は経験者という事だ。
翌日の配信内容をそれにすることで打ち合わせは終わった。行くと決まれば早い方がいい。大手の配信者に搔っ攫われては目も当てられない。
そしてそんな状態だ。家に戻っても、頭の中はずっと明日のメガリスの事がどうしても離れなかった。
「――先日、都内の墓地で倒れているのが発見され、その後死亡した歌舞伎役者の十二代目北浜定次郎、本名馬場崎喜一郎さんの葬儀が今日執り行われ、各界から多くの――」
気を紛らわせるためのBGM代わりにしていたテレビのニュースも、全く頭に入ってこない。
「――発見当時馬場崎さんは鋭利な刃物で刺されたような――」
テレビの電源を切る。
体を休めておかなければいけないのは分かっている。だが、それでも意識は何かをしようとしている。
「……よし」
ふと思い立ってパソコンを起動。眠り薬の代わりに調べもの。
何も知らないからあれこれ考えてしまうのだ。なら、何かを知ればいい。
検索したのは山名財団のホームページだった。この会社に入って良かったことの一つは、市役所や何かのホームページよりも味気ない、恐らく誰も見ていないだろう財団のホームページで調べものをすることができると知った事だろうか。
あちらの世界について色々研究している組織だけあって、様々なレポートがこれと言った主張もせず慎ましやかに転がっている。
「これか……」
その無味乾燥な論文の山から、メガリスに関すると思われるものを見つけ出す。
といって、俺も研究者という訳ではないし分かるのはあくまでほんの一部だ。無味乾燥に積み上げられていた論文は、当然のように「初めての〇〇」とか「優しい××入門」みたいな書かれ方はしていない。眠り薬替わりに丁度いい塩梅の代物だ。
その研究者向けの内容から何とか拾えた事実。メガリスの正体が未だ不明である事、メガリスがガードを生み出していると考えられている事、マナ濃度が極めて高い――マナが粒子状に目視できる程の濃密さがある状況でガードに遭遇した場合、強化人間は何者かの記憶の一部を垣間見たり声が聞こえたという報告が数例挙げられている事、こうした点からガードはメガリスと接触した人間の成れの果てである可能性があるという事、単に高濃度のマナの中にある人間同士ではこうした現象は発生しない事から、ガードにはマナによって情報伝達を行う能力が備わっていると考えられる事等が色々と難しい用語でもって説明されていた。
その辺りで、落ち着かなさが眠気に負けた。
「撮影開始5秒前。4……3……2……1……スタート」
「はいどうも、皆様初めましての人は初めまして、そうでない人は昨日ぶりです。(株)植村企画所属、潜り屋一条です」
翌日、予定通り俺は配信を始めていた。
初回より恒例となった挨拶を合図に意識を目の前の世界に集中する。今日も乳白色の雲に覆われた空の下、目の前にはこれから足を踏み入れる名前もない小さな森。
「さて、今回はですね。あちらの森の中に入っていきたいと思います」
初日に足を踏み入れたマトラー湾より内陸に入った、荒涼とした荒れ地。
その大小の石が突き出た荒野を、森の方に進みながら説明する。
「……、今回ですね、マナ濃度が高めという事で、用心しながらやっていきたいと思います。まあ用心するのはいつもの事なんですが」
一瞬、息継ぎの様に覚悟を決める。
もしハイブに入れば、メガリスの破壊以外に脱出手段はない。つまり、危険だから逃げるが通用しないという事。
勘当という代償を支払ってでも選んだやりたい事の、その重さがしっかりとのしかかってくる気がした。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に




