王子様は目覚めない
呪いは立派な犯罪です。
レベッカは、眠るエリオットに恐る恐る近付いて、顔を覗き込んだ。
生気のない、青白い顔をしている。そっと口と鼻の前に掌をかざすが、手が震えていて呼吸をしているのか分からない。
そのまま手をずらして、今度は首筋に触れる。レベッカがエリオットの体に触れるのは何年振りだろうか。
久しぶりに触れたエリオットは、生きているとは思えないほどひんやりとしていて、レベッカは青ざめた。子どもの頃につないだ手は熱いくらいに温かかったのに、と在りし日を思い出した。
しばらく触れていると手の震えが落ち着いてきて、頸動脈が微かに波打つのが分かり、ホッと息をつく。
生きていることが分かって少し冷静になったが、この後どうしたらいいか分からない。
体を揺すってみたり、名前を呼んでみるが、反応がない。
腕時計を見ると、十二時四十分になるところ。連れて帰ろうにも、レベッカの力ではエリオットを運ぶことはできないし、今の状態で動かしていいのかも分からない。とにかく一度店に戻り、エリオットの家族に報告すべきだと思った。
寝室の扉はそのままに、玄関扉をゆっくりと閉め、鍵をする。
しかし、慌てて階段を降りたため、音に気付いた管理人が出て来た。
「お嬢さん、慌ててどうしたんだい?そんなに急いだら、階段でころんでしまうよ。」
穏やかな喋り方をする初老の男だ。ゆっくり過ぎて、レベッカはますます焦る。
「あっ!あの!うるさくしてすみません!!」
「あれ?その鍵、ウチの鍵じゃないかい?なんでお嬢さんが持ってるの?まさか泥棒?」
レベッカは鍵を握りしめたままでいた。鍵のヘッド部分が特徴的なので気付かれたようだった。
管理人の男の顔が訝しむものに変わる。
「ち、違います!こ、これは預かったもの?で!えーっと、今日!そう、今朝!手紙と一緒に送られて来たんです!」
「どういうこと?」
逸る気持ちを抑えつつ、レベッカはスカートのポケットから手紙を出して管理人に見せた。ここで逃げ出して、警察を呼ばれでもしたら困る。
「この部屋に住んでたスージーさんは今日付けで退去したよ。実家に戻るんだそうだ。今朝ずいぶん早い時間に挨拶に来て、鍵を受け取ったよ。朝イチの馬車に乗るって言ってたな。部屋は昨日の昼のうちに一緒に確認したからね。鍵のスペアを失くしてしまったと言うから補償金をもらって、明日には鍵をシリンダーごと交換する予定だったんだ。」
きっとそれも織り込み済みで、今朝手紙が届くようになっていたのだろう。万が一レベッカがここへ来なくても、少し遅れてこの人がエリオットを発見するはずだ。
レベッカに送られてきたのが、失くしたというスペアキーだった。このまま持っていくのも気まずいので、管理人に渡すことにした。
「す、すみません、あの、知り合いが、その、スージーさん?の部屋でまだ眠っていて、起きないんです。今、その人の家族を呼んできますから、あの、」
レベッカは言い淀んでしまったが、管理人は気付いたらしい。
「もしかして、グッドマンの坊ちゃんかい?」
「あ、はい……」
バレてしまった。管理人の顔を見ると、色々察したようだ。
レベッカの目が泳ぐ。どの道、この人に隠し立ては出来ない。だが、外聞を気にする商売人であるエリオットの家族には怒られるかもしれない。
「大丈夫だよ、とりあえず、警察はまだ呼ばないでおくよ。こちらもおかしな噂が立ったら困るからね。わたしは夕方の五時までは管理人室にいるけど、その後は自宅にいるから。裏の通り側に玄関があるからそっちから来てもらえる?」
この辺りは元々土地を持っている人が家を潰して賃貸住宅にしているところが多い。この街はとある地方の領都だが、数十年前から産業の発展に伴い雇用が増えて人口が増加した。商業地域にも工業地域にも程近いここは、田舎から都会に出てきた若者が独身の頃に住む場所としては定番だった。
大家は低層階に自宅を設け、上階を貸し出す者が多く、ここも一階と二階の半分が大家の自宅らしかった。管理人と思っていたが、男はアパートメントの大家だった。
「すみません、助かります。ありがとうございます。」
レベッカは大家の配慮に感謝して、走って店まで戻った。
休憩時間を五分ほど過ぎて戻ってきたレベッカは、メリーに怒られるのではないかと内心ビクビクしていたが、経理部の方から怒鳴り合いが聞こえてますます怖くなった。
ドアは閉まっているが、声は外まで丸聞こえだ。声からするともめているのは、メリーとサマンサのようだ。
レベッカはアパートメントでしたように、ゆっくりと深呼吸をしてドアを開ける。
「すみません、遅くなりました……」
「レベッカ!遅かったじゃないか!どこ行ってたんだい!アンタまでこんな、もぉぉー!本当に若いモンは!!」
怒鳴り合いの勢いでメリーはレベッカを叱りつける。ぴゃっと小さく弾んで肩をすくめた。
「ちょっと!レベッカはいつもちゃんとやってるでしょ!アンタのバカ息子と一緒にしないでよ!!」
サマンサがレベッカを庇ってくれたが、火に油を注いだだけだった。
「親に向かってアンタって!」
「アンタだって今よそ様の娘にアンタって言ったでしょ!そっちの方がおかしいわよ!会頭に当たられたからって人に当たらないでよね!みっともない!」
「この子は家族になるんでしょうが!」
「まだ家族じゃないわよ!」
恐らく、エリオットの話で喧嘩になったのだろう。レベッカとしてはとんだとばっちりだが、遅刻は遅刻だ。怒られるのは仕方ないと思った。
だが今はそれどころではない。まず二人にエリオットのことを伝えなければならない。
「あ、あの、すみません、二人とも落ち着いて、すみません。メリーさん、戻るのが遅くなって申し訳ありません。すみません。えと、あの、エリオット、見つかりました……。」
少し気弱なところがあるレベッカは、気の強い二人の言い合いに混じれない。勇気を出して、大声でまず謝罪をしたが、二人が注目するとどんどん尻すぼみに声が小さくなっていった。
「本当なの!?」
サマンサがレベッカの両肩をつかむ。
「生きてるの!?」
たかが一晩と半日所在が分からなかっただけで生死不明と思われていたなんて、レベッカはアパートメントに行くまで、せいぜい酔い潰れて帰って来れないくらいの想像しかしてなかったので驚いて目を丸くする。
「い、生きてます。ね、眠ってました…」
「寝てるだとぉ!?あの野郎!散々心配かけといて寝てるだと!!」
サマンサは烈火の如く怒った。見たことのない憤怒の表情だ。
「で、エリオットは?どこにいるの!?」
エリオットの無事が分かって少し落ち着きを取り戻したメリーはレベッカに問い、サマンサが重ねる。
「一緒に帰って来なかったの?遠慮せずに殴ってでも起こしてくれていいのに。」
「それが、何しても起きなくて……とにかく、エリオットはここにいます。」
レベッカは少しよれてしまった手紙を取り出した。
次回はエリオットの回収(物理)です。
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