王子様は眠ってる
レベッカ登場。
宝石職人の娘であるレベッカは、朝起きるとまず家の前を掃き掃除して郵便ポストをチェックする。
毎日郵便物があるわけではないが、父手作りの鳥箱の形をした赤い郵便ポストがお気に入りで、なんとなく確認してしまう。
いつも通りにポストを開けると、珍しく商店街のチラシでもダイレクトメールでもない、マーガレットの花がエンボスされた、真っ白の素敵な封筒が入っていた。
「わたし宛て?」
成人前の、まだ十五歳のレベッカに個人的な手紙が来ることは滅多にない。
結婚式の招待状のような、見ているだけで幸せな気分になる美しい封筒だが、薄さの割に不自然に重い。
よく触ると、金属で出来た何かが入っているようだった。レベッカは不思議に思って、箒を抱えたままその場で封を開けた。
「どういうこと?」
レベッカは暗号のような文章に頭をひねる。
『あなたの王子様はここで真実の愛のキスを待っている。』
一枚だけ入っていた封筒と揃いの便箋には、この一文とアパートメントの住所と部屋番号が書かれていた。差出人の名前は封筒にも中身にもない。
封筒には、一緒にその部屋のものと思われるくすんでしまった真鍮の鍵が入っていた。
今日は学校が休みで、午前中から婚約者のエリオットの家が営む商会に花嫁修行という名のお手伝いに行く予定であった。
今から行く時間はないが、昼休憩の時間なら店からほど近いアパートメントを往復するくらいは出来る。
いたずらと断じて無視するか、手紙通りに行くべきか迷いながらグッドマン商会へと向かうと、婚約者の姉が他の従業員と共に店の前を掃除していた。
「サマンサお姉さん、おはようございます。」
「レベッカ、おはよう。エリオット、その辺で見なかった?」
「いいえ、見てません。どうかしましたか?」
「まだ帰ってきてないのよね。朝帰りはいつものことだけど、いくらなんでも今日は遅すぎるわ。」
エリオットは毎日のように朝帰りしながらも、早朝に帰宅してシャワーを浴び、軽い朝食を摂って、必ず身支度を整える。
毎夜遊びに繰り出すので、自堕落な生活を送っていると思われがちな婚約者だが、意外なことに仕事に遅刻も無断欠勤もしたことがない。
店が開くのは午前十時だが、従業員の朝礼が九時にあり、普段は遅くとも七時半までには帰宅する。
だが、今はもう八時四十五分。
レベッカは違和感を覚えたが、そこで今朝の手紙とエリオットの不在が繋がることはなかった。
エリオットはレベッカにとって婚約者であって、王子様ではないのだから。
「まあ、知らないならいいわ。アイツ一人いなくてもなんとかなるでしょ。」
エリオットのいる宝飾部門はそうそう混み合うこともない。販売員として店先に立つだけでなく、外商として大口顧客の家へ伺うこともある。エリオットは女性がターゲットの部署と相性が良かった。
去年いた服飾部門に引き続き、指名を受けることもある。営業力云々より、ご婦人方に目の保養として呼ばれている節があることは否めない。
しかし、客との約束がなければ、店舗での仕事はエリオットが欠けたとしても何とかなる。彼目当てで訪れる若いお嬢さん方は落胆するだろうけれど。
レベッカはそんな軽い扱いで大丈夫なのかと思ったが、自分の仕事があるので探しに行くわけにもいかず、店の中へ入っていった。
レベッカがここへ来るのは週末の学校がない日だけ。未成年のうちは専門知識やセンスが必要になる販売員としてではなく経理の勉強をするように言われているが、いずれ義母となるメリーのお手伝い程度のもの。
結婚前に雇いの従業員に顔を覚えてもらうのが一番の目的だった。
経理部の部屋に入ると、先に来ていたメリーにもエリオットの所在を知らないかと聞かれたが、首を横に振るとそれ以上の話はなかった。
小さなため息が聞こえたような気がしたが、レベッカからは何も言えなかった。
メリーは本来週末は休みなのだが、レベッカの修行のために休日出勤してきている。職人の娘であるレベッカに、商家の妻の心得を仕込むのが彼女の役割だ。
サマンサと共に、人見知りのきらいがあるレベッカが他の従業員と馴染めるように取り持ってくれている。
販売員と違い、事務方は決まって正午に休憩を取る。今日も休み時間にずれ込むことなく、休憩に入れた。
エリオットは正午になっても帰って来なかったようだ。
エリオットの父で商会の会頭であるマックスがイライラした様子で経理部へやって来て、妻メリーに息子の文句を言い、荒々しい足取りで戻って行った。相当お冠である。
さて、今朝の手紙だ。レベッカはここでようやく、手紙の〝王子様〟がエリオットのことなのではないかと思い当たった。
しかし、確証のないまま他人に話すべきではない。ひとまずアパートメントへ行くことにした。
昼食に持ってきたバゲットサンドを五分で流し込み、急いで店を出た。
指定されたアパートメントは商会から徒歩十分ほどのところにある。
商会がある大通りは他にも店が立ち並び賑わっているが、通りをいくつか越せば独身者向けのアパートメントが並ぶ住宅街だ。レベッカは職人街に住んでいるので、余り縁のない場所だった。
アパートメントの共同玄関は不気味なほど薄暗く静かで、管理人室も無人だった。レベッカと同じように昼休憩なのだろう。
鍵はあるので管理人には声をかけず、手紙の部屋へ向かう。
部屋の扉は手紙の鍵でアッサリと開いた。
カチャリと言う音が静かな廊下に響く。レベッカはそこで初めて他人の家に勝手に上がり込むことに罪悪感を覚えた。
だが、朝から不在のエリオットが中にいるのに放っておいて、後から彼がここにいることを知っていたのが露見した場合を想像すると恐ろしくなった。
「おじゃましまーす……」
小さな声で一応言ってみるが、返答はない。部屋の中に人の気配は感じられなかった。
こぢんまりとした1DKの間取りの部屋は北向きで日中余り日が当たらないのか、初夏の季節に少し肌寒く感じる。
備え付けの家具以外の物は何もない。床板も家具も少し古ぼけていて、生活感の感じられない部屋というより、引越し直後の部屋という印象だった。
レベッカが後ろ手にドアを閉めると、平日の昼間の住宅街の静けさがより際立つ。自宅兼工房であるレベッカの家では日中でも常に音がするので、音のない不気味さに体がぶるりと震えた。
部屋を見渡すと、右手奥の寝室と思われる部屋の扉が開いている。
レベッカは玄関で立ち止まったままゆっくりと、一度だけ深呼吸をして、寝室へ入って行く。
ふわり、と甘い香りが鼻先をくすぐる。きっと、この部屋の住人だった者の香水の残り香だろう。
正面には、この部屋で唯一残されたものであろう布団がかけられたベッドの上で、男が横たわっている。
レベッカは近づかなくても分かる。北向きの窓から差し込む弱々しい光でも美しく輝く金髪。天使か男神を描いた絵画ような姿。
エリオット・グッドマンは空色の瞳に帳を下ろしたまま、安らかに眠っていた。さながら、おとぎ話の眠り姫のように。
次回予告。
姉さん、事件です!
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