2話
「おはようございまーす!」
「おはよう紗子ちゃん」
バイト初日から1週間が経ち、エプロンのパリパリ感はすっかりなくなっていた。
「今日はお客さんいっぱい来ますかね?」
「いつも通りじゃない? 新作も失敗だったし」
今日も宮先輩はショーケースに肘を置いてルービックキューブを回している。心なしか完成させるスピードが速くなっている。
新作アイスとして店長から発表された『ショコラマヨネーズ』は試食した私が全力で拒否し、納得いかない店長は宮先輩にも試食を頼み、宮先輩は一口食べるとすごい剣幕で店長に言った。
「ありえないです。店長」
流石の店長も失敗作だと分かったのか、悲しげな表情でショコラマヨネーズを食べていた。
今日も新作アイスのために買い出しに行ってるらしい。
「店長、なんであんな絶望的なセンスなんですか?」
私が聞くと宮先輩は両肘をついて答えた。
「ここ最近になってからかな。『夏なのにこんなに客が来ないのはおかしい!』って焦りだして。それでずーっと迷走中なんだよね」
「アタシもアイス作りの事はよくわかんないしさ。紗子ちゃんが一緒に作ってあげてよ。新作アイス」
「私も作る方は……」
それから2時間が経ち、店の外から聞き覚えのある鈍いエンジン音が聞こえた。
赤いスポーツカー。助手席から出てきたのは、私の初めてのお客さんだった。
その人は店に入ってくるなり、ショーケースの中を見ずに私に注文を言った。
「抹茶とコーヒーをダブルで2つ!」
「カップとコーンはどちらになさいますか?」
「コーンで!」
お客さんは注文を終えると、車の方をチラチラと振り返りながら急いで財布を取り出してトレーに千円札を置いた。
宮先輩が盛り付けたアイスを両手に受け取った彼は、入口の前でピタっと足を止める。
両手が塞がってる彼はドアを開けられないでいる事に気づいた。
急いでドアを開けに向かうと、彼の視線はドアではなく車の方を見ている。
――ブォォォォォォン‼‼――
近所迷惑な程の轟音を響かせながら赤いスポーツカーは急旋回して店を出て行った。
……あまりの急な出来事に私も何も言えずにいると、彼のポケットの中からポロン♪ と電子音が聴こえた。
右手のアイスを私が受け取り、彼は急いでスマホをポケットから取り出して、画面を見つめる。
「これ、どういう事ですか……?」
彼は私にスマホのトーク画面を見せた。
白いフキダシに簡潔な一文が書かれている。
「私、アイスはカップ派」
アイスには夏の陽射しが直撃し、、溶けた抹茶とチョコが左手首に流れ落ちていた。
――時計は2時を指し示し、外はバケツがひっくり返ったように雨が降っている。
2時間前に店に置き去りにされた彼は、店内の飲食スペースで椅子に座り、外をただひたすらに見つめている。
置き去り事件の直後、2つのアイスを目をウルウルさせながら右に左に首を動かして食べていた彼の姿は私の人生の中で一番切ない光景だったと思う。
宮先輩はそんな可哀想なお客さんの隣の椅子に座り、慰めるように話をしていた。
彼は待谷要という名前で、私と同い歳の大学1年生という事を宮先輩から聞いた。運転席のカップ派の女性は彼女らしい。
待谷君と話している時、宮先輩は終始薄ら笑いで話をしていた。
駅までの道も分からないらしく、バイトを2時で切り上げて私が駅まで送ることになった。
「じゃあ、行きましょう」
「すみません……」
私と待谷君は同じ傘に入った。
夕立の様な雨は中々降り止む気配を見せず、店長から借りたボロ傘を貫きそうな勢いで降っていた。
「今日はどういうデートの予定だったんですか?」
「予定はいつも知らされてないんです。ただ彼女の車に乗って彼女の行きたい所に行くだけだったので」
「そんなデート楽しい?」
足元の水溜りをじっーと見つめた後、彼は答えた。
「よくわからなかったです。ただ彼女の機嫌を取る事に必死で」
「デートってこんなに難しいモノなんだって初めて知りました」
「じゃあ……あの人が初めての彼女だったんだ?」
途端に顔を赤らめる。
「そ、そうです……」
「大学で逆ナンされて。人生初めての彼女だったので俺も気合入れてカッコよくなれるよう頑張ったんです」
「でもあの人俺の事試すようなデートばっかりで。車の中でも何も喋ってくれないし、面白い話も中々思いつかなくて」
彼は水溜まりをスニーカーで蹴り飛ばした。
「あの人はアイスが好きだったんです。だからコンビニにもよく買いに行かされました。スイカアイスをを渡したら、その日は口を聞いてくれなくて……」
「私は好きだけどなぁ。スイカアイス」
「俺も昔はよく食べてたんです。美味しいですよね、あれ」
「今は食べないの?」
彼は斜め下を向いて首をかしげる。
「……アイスが好きかどうか、よく分からなくなったんです」
「え?」
「高校生までは毎日のように食べてたんです。学校の帰り道にコンビニ寄って食べるアイスとかたまらなく美味しくて」
「でも大学生になって、1人暮らし始めて、彼女が出来て……そうしている内に自分の好きなモノが解らなくなったんです」
「何それ。好きなモノなんか忘れようがないじゃん」
「僕もそう思いますけど……」
私が待谷君の気持ちを理解できずにいると、もう駅に着いていた事に気づいた。
「じゃあここで。わざわざすみませんでした」
彼は深々と頭を下げて、ジャケットを頭が隠れるように引っ張り、駅の入口へ走っていった。
好きなものが解らない。
もしそんな事になったら、私はアイスを食べなくなるのだろうか。
それは記憶喪失みたいなこと?
記憶喪失は怖いけど、今日の待谷君のような事があったら、私は記憶喪失になってもいい。
好きかどうかも解らないアイスを、両手に持って涙目で食べる待谷君……。
フフフッ。