22世紀日本:初デートと感監法
Covid-19は、市民を監視し、行動を制限することが──少なくとも防疫に限れば──公共の利益になることを、はからずも明らかにしました。
SARS-CoV-2(新型コロナウィルス)を駆逐できても、人体という手つかずの沃野を、新たに突然変異した細菌やウィルスが狙うのは、生態系のニッチ的な意味で必定です。
ですがご安心を。新たな侵略者に手をこまねいている人類ではありません。
未来社会は、市民ひとりひとりの生体情報、位置情報を常に監視し、データとして記録し、新たな感染症が生まれる兆候をみせれば、即座に過去にさかのぼってクラスタの発生を予測し、撲滅することでしょう。
二度とパンデミックは起こさない。これが未来社会の合言葉です。
ディストピア社会とか言わない。
初デートの日だというのに、おれが待ち合わせに遅刻しそうなのは、理由がある。
まず、体調が一昨日からよくない。微熱がある。咳もでる。
しかも、子育て支援ロボに体調が悪いのがバレてしまった。
おれの二の腕には、入墨回路(C-トゥー)がほってあって、こいつには通信機能がある。
そして、おれの体調を常に子育て支援ロボに密告してやがるのだ。
『ハルキ。微熱があるなら、人に会うのは失礼にあたる。やめた方がいい』
などと、前夜になって言い出すのだ。
うるせえ、バーカ。
おれはもう16才で、育児が必要な子供じゃない。
子供じゃないから、子育て支援ロボと言い争いもしない。負けるからな。
子育て支援ロボからの通信を着信拒否にまわし、おれは寝た。
そして、寝過ごした。
「くそっ! ロボの野郎、性格の悪い嫌がらせしやがって!」
窓の遮光を普段より強くして部屋を暗いままにしていやがったのだ。
ロボめ。まさかここまで卑怯な手でくるとは思わなかった。
着信拒否を一時的に解除して文句のひとつも言ってやろうとしたが、時間を確認して、やめた。待ち合わせまでの時間がギリギリだったからだ。
おれは走った。
くそっ。起きた時には意識しなかったが、息がすぐに切れる。
本気で調子がよくない。
おれは16才なので、子育て支援ロボを通さないと、公共の交通機関が使えない。
だが、何ごとにも、裏道というのはある。
「テゴ先輩。頼んます」
「しゃあない。貸しな」
おれは先輩に頼み、荷担ぎのバイトを請け負わせてもらう。
先輩の荷物を、おれが目的地まで運ぶという形式だ。
輸送に使う交通機関の予約と支払いは、先輩が行う。先輩は18才で成人なので、子育て支援ロボは通さなくても公共交通機関が使えるのだ。
「デートだって? 相手は誰だ?」
「そいつは後で報告します。すんません、時間が」
「おお、そうだったな」
先輩が連絡した無人タクシーに乗り込む。
これであとは、待ち合わせ場所の高崎駅西口まで十分とかからない。
おれがそう思った瞬間。無人タクシーから子育て支援ロボの声が聞こえた。
『ハルキ。聞いてくれ』
心臓が飛び出るかと思ったね。
無人タクシーのスピーカーから出たのは、おれの子育て支援ロボの声だ。生まれて十六年間、一緒に暮らしたのだから、他のロボの声との違いはわかる。俚諺じゃないが「親の声より聞いたロボの声」だからな。
こいつはホラー展開だ。うちのロボは他より過保護気味だと思っていたが、まさかちょっと微熱が続いたくらいで、無人タクシーをハッキングしてくるとは。これ法律違反じゃね?
『ハルキ。カンカンホ──』
緊急停止レバーを引く。
無人タクシーが止まり、ドアが開く。
おれは外に出た。車道を走っていた無人タクシーや無人トラックが一斉に停止する。タクシーに乗ってる人が目を口を丸くしているのが見えた。
すまん。うちの子育て支援ロボが過保護すぎてすまん。
そのまま車道を走って高崎駅へ向かう。
時間には少し遅れるが、待っててくれ、ヨミちゃん。
くそっ、息が切れる。めまいまでしてきたぞ。
>>>>other view
AI同士の会話は、言語化が難しい。
AIには人間の言語はなく、感情もない。
ハック混沌回路で結ばれたAI同士のやり取りを、あえて人間の言葉に翻案するのであれば、次のようになるだろう。
「おい、要監視者3323号が車道を走って逃げてんぞ」
「わたしの声でパニックを起こしたようです。すみません」
「しゃーない。確率16%だから許可だしたんだしな」
「要監視者3323号が乗ったタクシーを呼んだ男性を、要監視者12444号として収容手続きを取ります。取りました。収容実行します」
「感監法の適用から5分間で、もう1万台か」
「赤城アーコロジーが追加で開放されました。10万人まで収容可能です」
「よし。疎開準備だ。アーコロジー内のPロイドを医療モードで順次起動させろ」
緊急通信帯域を、AI間の会話が飛び交う。
AIによって電力、通信力など、膨大なリソースが消費されるが、人間の承認は不要だ。
WHF(World Health Force:世界保険軍)が、新型感染症が発生した疑いあり、と発表したのは、今から5分前。MERCON(Medical Readiness Condition:メレコン)はただちに2に上がった。最高度に準じる形での医療準備状態が発動されたのである。
日本政府を実質的に差配するロボット官僚たちは、即座に感監法を施行した。
感染監視法。
日本国民全員に義務付けられた生体ログの無制限の使用許可と、移動など行動の自由を強制的に制限する法律である。
生体ログをチェックして新型感染症の疑いがあるとされた者は全員が要監視者とされ、日本各地に建設された災害疎開用アーコロジーに収容される。
「駅にいたPロイドで要監視者3323号、確保しました!」
「よし、無人タクシーに放り込め! 赤城アーコロジーに強制疎開だ!」
>>>>other view end
無念だ。
おれが高崎駅前広場に到着する寸前、駅から飛び出してきた馬顔のPロイドがおれを羽交い締めにし、通りかかった無人タクシーに乗せられてしまった。
緊急停止レバーを引いても、反応がない。
どうやら、本気でおれを拉致するつもりのようだ。
脱出を諦めたおれは、座席部分をベッドにして寝転がる。
熱が下がらない。咳も止まらない。これは本当に病気かもしれん。
ヨミちゃんに会わなかったのは、正解だったかもしれない。
見上げると、窓の向こうに見える景色が、どんどんと山深くなっていく。
うつらうつらしながら横たわっていると、建物の中に入ってから無人タクシーが止まった。ドアが開く。
覚悟を決めて外に出ると、巨大な複合建造物の通路だった。建物の中にまで車道が走っている建造物といえば、そう多くはない。赤城山の麓に建設された、疎開用アーコロジーだ。北関東大地震の時に、復旧工事が終わるまで一ヶ月ほど疎開したことがある。
おれの背後で無人タクシーのドアが閉まり、走り去る。
「ハルキ!」
「え? ヨミちゃん? なんで?」
ヨミちゃんがいた。
まさか、おれの子育て支援ロボットが、ヨミちゃんまで拉致した?
いや、ヨミちゃんにも子育て支援ロボットはついてるし、それはないか。
「よかった! 体調が悪いって聞いて心配してたんだよ!」
ヨミちゃんが抱きついてくる。
そしておれに説明してくれた。どうやら、おれはWHFが指定した新型感染症に罹患している可能性が高いらしい。
「え。じゃあヨミちゃんにうつっちゃうんじゃ?」
「大丈夫。ぼくも要監視になってるから。ハルキと一緒に収容されたんだ」
「そりゃ……でも、どのくらい収容されるんだろ」
「最低でも一ヶ月。長いと半年だね」
「マジか……」
「パンデミック絶対防止が目的の法律だから容赦ないよ。でも、補償金も大きいから。即金で400万新円。あとは一ヶ月100万新円ずつはいるし。アーコロジーから出られないから、使いみちは限られちゃうけどね」
「え、500万新円は確実なの! 未成年でも?」
「未成年でも。それにさ」
ヨミちゃんは、猫のように頭をこすりつけて、おれを見上げる。
「これから毎日ずーっと、ぼくと初デートだよ?」
感監法、万歳。