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春川直人 4票
谷崎久志 3票
「谷崎久志」の記憶を消去します。
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「承知いたしました。これで貴方を助ける魔術師は消えた……では、目を瞑ってください」
「――っ!」
暗闇で二人分の影が踊った。死神は突然春菜の顎を掴むと、なんのためらいもなく唇を触れ合わせる。ぬるりとした感触が舌先に触れ、春菜はぶわりと鳥肌を立てた。必死になって身じろぎするが、死神の体は微動だにしない。
やがて春菜が窒息しかける頃、ようやく死神が体を離した。
「……では、確かに」
「な、何でいつも、こんなこと……!」
するの、と非難しようとした春菜だったが、猛烈な睡魔に襲われ言葉を失った。ふらふらと視界が安定しない。眠いというよりは酔ったような、夢に引きずりこまれているような感覚。
春菜の朧げな視界の中で、死神がにやりと笑う。
「すみません、これが死神の契約の方法なのですよ。では、また」
「……ま、待って……」
だが春菜の抵抗も虚しく、やがて穏やかな寝息が聞こえ始めた。
死神はぐったりとした春菜を抱き抱えると、ベッドにきちんと横たえる。はらりと落ちる春菜の前髪を指先で払い、掛布団をきちんとかけた後、足音一つ残さずにその部屋から消えた。
空に月はなく、星の明かりだけが瞬いていた。
眩しい。
カーテンを閉め忘れていたのか、春菜の顔に夜明けの光が差し込んできた。大きなあくびを一つ落とし、緩慢な動作でベッドから下りる。
(……何か寝不足だなあ。……ああでも、今日から学校、行けるんだ……)
パジャマを脱ぎ、制服に着替える。スカートは青と濃紺のチェック柄、白のワイシャツの胸元には、深紅のリボンが馴染んでいる。通学鞄を手に階下に向かうと、食卓には朝食の準備が整っていた。
「……ふああ、おあよー」
「春菜、いつまで寝ぼけてるの。早く顔洗ってご飯食べちゃいなさい」
ふあい、と間抜けな返事をすると、春菜は言われた通り顔を洗いに洗面台に向かった。黙々と朝食を食べ、歯磨きしながら気付いた寝癖と格闘し、ようやく家を出る。
「本当に大丈夫か。父さん送ろうか」
「すぐそこだし大丈夫だよ」
「いくら元気になったといっても無理しちゃだめよ」
「お母さんまで心配性だなあ……分かってるから。いってきまーす!」
不安げに眉を寄せる両親を適当にいなしながら、春菜は元気よく玄関を飛び出した。門扉をがしゃりと開け、慣れた足取りで学校の方に向かおうとする。
だが突然名前を呼ばれ、春菜は慌てて振り返った。
「おはよ、春ちゃん」
「直兄! おはよう」
名前を呼ばれて振り返ると、今しがた家から出てきた直人の姿があった。教本が入った黒のトートバックを肩から下げ、いつものように穏やかに微笑んでいる。
「今日は朝からなの?」
「うん。今日の単位は落とすと結構時間かかるから」
坂の下のバス停まで歩く間、隣を歩く直人をこっそりとのぞき見る。
色素の薄い髪と目。身長も高くて、まるでモデルのような出で立ちだ。事実、バスを待っている間も他校の女子高生やOLさんたちが、ちらちらと直人の方を見つめている。
(直兄……本当になんで彼女作らないのかなあ……)
すると春菜の視線に気づいたのか、直人が『うん?』と首を傾げる。
「春ちゃん? どうかした?」
「な、なんでもない!」
「ならいいけど。学校、あんまり無理はしないようにね」
相変わらずの子ども扱いに、春菜は『はーい』と苦笑を返した。
そうして学校に着いた春菜だったが、のんびり出来たのは朝礼まで。あとは休んでいた間の授業だ課題だと執拗に追い立てられた。
友人たちの協力を借りながら、なんとか最後の授業まで走り抜ける。
(病院の予約までには時間があるし、部室に顔出して帰ろうかな)
放課後。
春菜は文芸部の部室がある東館へ向かった。白壁の新しい校舎はL字型をしており、部室は三階のちょうど角にある。
中に入ると、二、三人の部員の姿があった。
特に活動日が決まっているわけではないので、月に一度の会議以外はいつも大体こんなものである。
すると春菜を発見して早々、森山がやれやれと立ち上がった。
「なんだ。今日も来たんですね」
「ひどいなあ、せっかく純君に会いに来たのに」
「な⁉ そ、そんな冗談、俺には効きませんからね!」
意地悪な森山の言葉に、春菜は手慣れた様子で切り返す。そこでふと、彼の持っていた青いノートに気づいた。
「あ、リレーの。もしかして、もう書いたの⁉」
「俺たちが一番遅れているんだから当たり前です。ほら、早く続きお願いします」
不愛想にノートを渡されてた春菜は、すごーいと言いながらページを開こうとした。だが何故か取り乱した様子の森山によって、大慌てで止められる。
「ま、待ってください! 読むのはここでじゃなくて、帰ってからとか、一人の時にしてください!」
「え、だって早く目を通して展開を考えた方が……」
「いいから! 絶対に帰って読んでください。いいですか?」
なかば鬼気迫る状態の森山に圧倒され、春菜は二、三度頷くとノートを鞄にしまった。
(しかたない、帰ってから続きを考えよう……)
それから他の部員たちとも雑談し、読み途中だった本を読んでいると、いつの間にか空が薄紅色に染まっていた。
秋の日が落ちるのは早いと言うが、動ける時間が減ってしまうのは少しもったいない気がする。
部員も一人減り、二人帰り、気づけば春菜と森山だけになっていた。
「四宮先輩、まだ帰らないんですか?」
「あ、電気消して鍵返しとくから先に帰っていいよ」
森山は春菜の言葉に、しばらく複雑な表情を浮かべていた。だが『はい』と短く返事をすると荷物をまとめ、引き戸に手をかける。
そこでふと立ち止まり、背を向けたまま呟いた。
「先輩」
「なに?」
「……続き、早く書いてくださいよ」
そう言うと森山は、さっさと部室を後にしてしまった。春菜はきょとんと顔を上げていたが、すぐに苦笑いを浮かべる。
「もーそんなに頼りない先輩に見えるのかな、私……」
やがて病院の時間が近づいてきた。
春菜は部室の消灯と施錠を済ませてから、一人校舎を後にする。廊下の窓越しに、山際から折り重なる絹布のように美しい茜色が広がっていた。
がらんとした玄関口で靴を履き替える。すると扉のところに見知った人影があった。