ツンデレと恋心と秋の空
朝が来ても羽根が無くなることはなく、変わらず棚の上に存在していた。捨てればいいとも考えたが、それによってまた何か違う影響が出るかもしれないと思うと怖くなり、結局それ以上触ることは出来なかった。
そして迎えた週末。
母がすべて荷物をまとめてくれており、あの黒い羽根もいつのまにか姿を消していた。どこにやったか尋ねると、母はけろっとした顔で『捨てたわよ?』と笑う。
最初は不安を覚えていた春菜だったが、特段体に変化も見られないことから、少しずつ安堵するようになった。
看護師たちの見送りの中、谷崎が春菜に向かってにやりと笑う。
「しばらく会えなくなるな。寂しいぞ俺は」
「また定期検査に来るから、これからも嫌というほど会えますよ」
軽口を聞き流した春菜は、ふふんと嬉しそうに口角を上げた。そんな春菜をからかうように、谷崎は髪をぐしゃぐしゃに撫でてくる。やめてよ、と笑いながらも谷崎の手が心地よく、春菜はほっとした表情で微笑んだ。
車に荷物を積み込み、窓越しに手を振る。看護師たちが笑顔で返してくれる中、谷崎は照れているのか、ほんのわずかに手を振り返してくれた。
「やっぱり家はいいなー!」
「何のんきな事言ってるの。しばらくは激しい運動とかしちゃダメよ」
「はーい」
昼過ぎになって、ようやく戻って来た自宅。
谷崎の話では体調を考慮しつつ、普段通り通学して良いということだった。入院時の状態を考えると信じられない回復速度だそうだが、着実に春菜の体は元の状態に戻りつつある。
(……やっぱり『契約』のせいなのかな……)
陰鬱な気持ちを振り払いつつ、春菜は紙袋からノートの写しやテディベアを引っ張り出していく。するとその途中――ぱた、と黒い羽根が落ちた。それを視認した途端、春菜は絶句する。
(羽根⁉ なんでここに……お母さんが捨てたんじゃなかったの⁉)
だが長さといい、不思議な色合いの黒といい、以前病室にあったものと間違いなく同じだ。恐る恐る手を伸ばし、拾い上げる。
そのままゴミ箱に捨ててしまいたい――だが春菜はそのまま机の脇にある棚へと置いた。
(怖いけど……捨てて何かあったら、もっと怖いし……)
出来るだけ隅の方に置いた後、その隣に水色のテディベアを並べる。少しだけ空気が中和されたような気がして、春菜はほうと息をついた。
週明けからの授業に備え、ノートと授業の内容を書き写していく。数学、社会、国語と書き進めていくうちに、ひとつ気がかりなことを春菜は思い出した。
「そう言えば、リレー小説預かったままだった!」
津田を通して、わざわざ釘まで刺されていたリレー小説。春菜は学生鞄から、大急ぎで薄い青色のノートを探し出す。そこには見覚えのある自分の筆跡が並んでいた。
『――ただ依頼を受けた、それだけだと野上は残骸を始末してそう呟く。
数奇屋造りに巣食う悪鬼を祓い終えたことを劇場の主人に伝える。その間、
けして彼女の方は見ないよう、野上は顔を他所に背けた。
適当に話を切り上げ、急くようにその場を離れる。次の依頼人の所に行かなければ。
(話すことも無い、何より――あの人はこちらの世界を知るべきではない)
春の雪が落ちてくる。季節はずれの雪は、遅すぎた自分の心のようだ。
「二度とここには戻らない。おいで、ミサキ」 そういい残し立ち去る野上を
転がるように黒い毛玉が追いかけた。諦めろ、こんな――
ろくでもない感情を、いつまでも持っているわけにはいかない。
先程まで手の平に収まるほどであった毛玉が姿を変え、いまや
霊獣にも近い高貴で獰猛な姿になっている。
瑠璃色の毛並みに手を潜らせると、ミサキは甘えるように野上に顔を寄せた』
二人一組で始めたリレー小説。春菜と組んでいるのは一年の森山という生徒で、大正時代を基盤にした、幻獣遣いのファンタジー小説を書き進めている。
ちゃんと自分の担当部分を書いていたことを確認し、春菜は良かったと胸を撫で下ろした。そこで春菜はふと思い立ち、ノートを先ほどの紙袋に入れると、軽快に階段を駆け下りる。
「お母さん、ちょっと学校行ってもいい?」
「今から? いいけど……もう授業終わって放課後じゃない?」
「ちょっと部活に顔出してくるだけだから。いってきまーす!」
「無理はしないのよー」
自宅から、歩いて十分もしないところに春菜の学校はある。
五年前新築された校舎は美しく、中庭やグラウンドの広さも自慢の一つだ。進学校という訳ではないが、文学・理化学・地理歴史・その他専門技術に関することまで自由に選択出来る、総合的学習形態の学校である。
裏口から校内に入ると、グラウンドで練習している野球部の打撃音が響いていた。反対側ではサッカー部とラグビー部が走り込みをしており、いつもの活気立った様子になんとなく嬉しくなる。
(そう言えば、……剣道部は第二体育館だよね)
津田の姿が脳裏をよぎったが、春菜はぶんぶんと首を振ると、目的の文芸部の部室へ急いだ。
「こんにちはーっと」
「あ、春菜! もう来て大丈夫なわけ⁉」
「わー四宮先輩! 心配しましたよー」
部室に顔を覗かせると、見知った顔の部員達がわらわらと集まってきた。人数はさほど多くなく、学年による上下関係も緩い。
きままに書いたり読んだり感想を言い合ったりする気心の知れた仲間たちだ。
「うん、週明けには教室にも行けると思う。あ、純君来てる?」
「――呼びましたか、四宮先輩?」
よく通る声の主は眉間にしわを寄せたまま、皆から少し遠巻きに春菜を見ていた。
彼こそが春菜の後輩である――森山純だ。
男子としてはやや細身の体格に、金髪にも近いさらさらとした髪。目はこれもまた淡い薄茶色をしている。
非常に目立つ見た目をしており、よくハーフと間違われるそうなのだが、当の本人は自身の外見に一切関心がないようだった。
それより純という名前の読みが嫌いらしく、『名は体を表すなんて絶対に嘘だ』と常日頃から言い張っている。
「早く続き書いてくださいよ。なんで後輩の俺がこんな焦らなきゃいけないんですか」
「あ、それなんだけど、はい。続き持ってきたよ」
口を開けば小生意気な後輩は、差し出されたノートを受け取ると、少しだけ驚いたように目を見張った。
「一応書いてたんだけど、入院したから時間開いちゃった。急いでいたみたいだから、少しでも早く持ってこようと思って」
「べ、別に無理して持ってこなくてもよかったのに」
「でも早い方が、純君が考える時間増えるかなって。あとテディベアのお礼も言っておきたかったし」
テディベア? と周囲の部員から声があがる。
「うん。入院してる時に純君が青い――」
「余計なことを言う前にさっさと帰ってください!」
他の部員が呆気に取られている間に、森山は片手で春菜の口を覆い、もう一方の手で身体を引き寄せると、誘拐犯かのごとく彼女を部室から引っ張り出した。
部員たちはその光景をしばし眺め――やがて口々に言葉を発する。
「何を今更」
「気づいてないのは一人だけじゃない?」
「はあー初々しい……」
走り去る森山の真っ赤な顔を見た部員たちは、誰も二人を追いかけようとはしなかった。