表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/39

春川と谷崎と鴉の再来



「――はいはい、感動の再会はそこまで」

「た、谷崎先生!」


 春菜は慌てて手を引っ込め、掛け布団を引き寄せた。放置された手を名残惜しそうに戻しながら、直人もまた白衣の医師に向き直る。


 医者にしては砕けた態度の彼は――谷崎久志。

 ここ谷崎総合病院の跡取りであり、通称『若先生』と呼ばれている。年若いながらも非常に優秀らしく、子どもからお年寄りにまで大人気の先生だ。

 元々母の行きつけの病院だったため、春菜も小さい時からここに何度も通っていた。初めて知り合った時はまだ、谷崎は高校生で春菜は小学生だったはずだ。しかしいつの間にかこうして立派なお医者様となってしまった。


 それを知った当初、春菜は少しだけ委縮していた。だが当の谷崎はまったく変わっておらず、以前と同様にからかわれているうち、自然と距離を感じることはなくなったのだ。

 一見すると普通の黒色だが、光が差し込むと緑色が混じる不思議な虹彩をしており、本人には一度として言ったことはないが、春菜は彼の目が大好きだった。


「こんにちは」

「どーも。つーか春川、講義はいいの?」

「今日は午後からの分しか選択して無いんです」


 ふーんと興味のなさそうな返事をし、谷崎は春菜の傍に歩み寄った。手首を軽く掴んだり瞳孔の反応を確認した後、ぽんと頭に手を乗せられる。


「大きな異常はなし。この分だと週末にも通院に切り替わりそうだな」

「え、じゃあ、家に帰れるの⁉」

「何なら俺の家に一泊していくか?」

「セクハラは営業時間外にしてもらえますか、先生(・・)?」


 突如割り入った返答に春菜が隣を見ると、谷崎の軽口に対して、ものすごい笑顔で応答している直人がいた。言葉は丁寧だが、これは明らかに怒っている。

 だが谷崎も引く気はないらしく、直人の目の前で春菜の頭をぐりぐりと撫でた。あんまり髪をぐしゃぐしゃにしないで欲しい、と春菜は眉を寄せるが、同時にたまらない安心感に包まれる。


 小さい時から変わらない、大きな谷崎の手。

 熱で苦しんだ時も、お腹が痛くて泣き叫んでいた時も、いつも『若先生』は春菜の頭を撫でてくれた。

 不思議なことに彼に触れられるだけで、どんなつらい治療も頑張ろうという気力が湧いてくるのだ。


「しかしまあ、本当に良かったよ。お前、どんな魔法を使ったんだ?」

「魔法?」

「搬送されてしばらくは、間違いなく心臓止まってたぞ。それが突然動き出して……さすがの俺も、あんときだけは神様を信じかけたな」

「……え、えと」

(神……『死神』……)


 春菜は思わず言葉を詰まらせた。それに気づいたのか、谷崎は『悪い悪い』とくしゃくしゃと彼女の頭を撫でる。

 さっきより少しだけ優しいそれは、まるで春菜がここにいる――生きていることを確かめるかのようだった。


「つーわけで、明日の診察で問題なければ自宅療養。ただ定期検査にはちゃんと来いよ。俺が相手してやるから覚悟しろ」

「心配しなくても女の先生に代わってもらえるからね、春ちゃん」


 直人と谷崎の間に、再びばちりと不穏な空気が流れた。その光景をどこか懐かしみながら、春菜は苦笑する。


(この二人……相変わらず仲悪いなあ……)


 春菜の共通の知人でありながら、二人の相性はあまり良いものではなかった。たしかに見た目も性格もまるで真逆で、春菜がいなければ知り合うこともなかっただろう、と双方の口から聞いたことがある。

 最初の頃は春菜もたびたび仲裁していたものの、ある時から二人はこの関係性が楽なのだと気がついた。

 谷崎が言うことは大概冗談だし、直人はそれに過敏に反応しすぎる。


「いいよ直兄、来た時に空いてる先生にお願いするから。谷崎先生も忙しいでしょ」

「バーカ、俺の女を他の奴に任せておけるか。さて、午前の面会は終了終了。春菜はもうしばらく横になってろ。そして直人は帰れ。二度と来なくていい」

「じゃあまた、家にでも顔出すね。どうせ隣だし」

「直人……お前な……」

「う、うん! ありがとう。勉強、頑張ってね」


 再び不穏な気配を感じ取った春菜は、慌ただしく直人に手を振った。直人は返事の代わりに春菜の髪を撫で、最後に谷崎に笑顔の牽制をしてから部屋を後にする。


「ぴりぴりしてんなあ……まあ、仕方ねーか」

「先生?」

「いや、こっちの話。いいから寝てろ」


 反論の余地なくベッドを倒され、同時にぐいと額を押される。むうと頬を膨らませる春菜を見て、谷崎はにやりと笑った。

 やがて谷崎もいなくなり、病室は春菜一人になる。

 中庭にいる見舞い客のかすかな話し声に、遠くで鳴っている小学校のチャイムの音。年季の入った車の走り去る排気音に合わせて、分厚いカーテンがわずかに揺れた。

 ぽかりと空白になってしまったかのような静寂の中、春菜は天井を仰ぐ。


(……あれはやっぱり、夢だった……?)


 つい先日まで死にかけていたとは、とても信じられない。

 やはりあれは夢だったのだ。臨死体験をした人の証言に『暗いトンネルを歩いた』とか『浅い川を渡った』というものがある。おそらくその類だろう。

 掛け布団を肩まで引き上げ、春菜はもぞりと横を向いた。病院独特のシーツの匂いに包まれながら、そっと目を伏せる。


(……家に帰ったら、読み途中の本を読んで、早く学校にも顔出したいな……純君が怒っているだろうし、あと津田先輩に、試合の……)


 つらつらと浮かんでいた思考が、複雑な組紐を編むかのように混ざり始める。混沌とした意識の中に落とされた春菜は、やがて小さな寝息を立て始めた。





 ふと、気配を感じた。

 誰かが病室に入ってきた。そのままベッドに歩み寄ってくる。起きなくては、と春菜は力を入れたがどうしても力が入らない。

 それどころか瞼一つ動かすことが出来ない有様だ。


(か、金縛り……⁉ というか誰? もう面会の時間は……)


 春菜が言いようの無い恐怖を感じている合間にも、侵入者はなおもこちらに近づいてくる。やがてぎし、とベッドの軋む音が聞こえ、点滴の管がわずかに揺れた。


(お母さん? 直兄は今大学に行っているはずだし、谷崎先生が戻って来たの……?)


 恐れを紛らわそうと、必死になって春菜は思考を整理する。

 だが瞼越しに感じていた明るさがさっと陰った。どうやら侵入者が春菜の両眼を手で覆っているらしい。

 感触から、素手ではなく手袋をしていると分かる。

 やがて侵入者は、静かに言葉を発した。


「……こんにちは。見ないで下さいね」


 それは、紛れもない――暗い闇の中で聞いた『死神』のものだった。

 そう確信した途端、春菜の脳内は一瞬で混迷する。


(なに、なんで⁉ ……あれは、夢じゃなかったの……⁉)


 だがいくら全霊で叫んでも、春菜の声帯はぴくりとも動かない。死神は春菜の訴えが聞こえているのかいないのか、ただつらつらと言葉を続けた。


「契約の確認に参りました。契約者――『四宮春菜』。送還法特例措置契約に関して、現第三世界への残存を希望する代わりに、自身の記憶をその対価とする。……間違いは無いですね?」


聞き覚えの無い単語が次々と流れていく。

だが春菜の朧げな記憶の中、確かに死神は言っていた。

『記憶を代償に、生き返りたいか』と。


(私がそれを……契約を、した……?)

「本当はあんまりしないんですけどねえ。上司にばれたら面倒ですし。まあ契約した以上、最後まで責任を持ってお付き合いくださいね」

(待って! 意味がわからないんだけど……)

「ああ、時間ですね。またお会いしましょう。私の……契約者殿?」


 すると死神はそのまま春菜に身体を寄せ、その唇に自身の唇を触れ合わせた。振り払おうとしたが、体は相変わらず鉛のように動かない。


(――っ!)


 死神は春菜の目を覆い隠したまま、しばらく角度を変えて口づけを堪能する。やがて息苦しさのためか、春菜が無意識に唾液を嚥下したことを確認すると、ようやくその唇を離した。


(なんで……こんな……!)


 屈辱に歯噛みする春菜をよそに、ようやく死神の手が目元から離れた。衣擦れの音とともに強い花の香りがする。百合、だろうか。

 そのまま気配は病室のドアではなく、窓際の方へ向かっていく。窓枠に足を掛けるような音がしたかと思うと、一拍おいて翼を広げる音がし――それを最後に、春菜は気絶するように意識を失った。



 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
よければこちらの作品もお願いします!

死の間際「来世で結婚してくれますか」と誓った部下が、現世では年上の騎士団長様になっていて、本当に結婚を迫られている件【完結済】

前世で結婚を誓った部下が、現世では年上で美貌の騎士団長様に。それなのに結婚の約束はしっかり覚えられていて……⁉
前世から始まる婚約攻防(?)ラブコメディ!


― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ