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[if.]森山純の場合3



 そして数年が経過した。

 花の香りを運ぶ風が随分と暖かくなり、近くにいた看護師がこちらに向かって頭を下げる。青年は応じるように軽く会釈すると、慣れた足取りで人気の少ない病棟に向かっていた。

 歳は二十の半ばだろうか。

 柔らかい金の髪と珍しい色の瞳に、すれ違う女性たちが何人も振り返っている。


「――先輩。すみません遅くなって」


 青年がコートを脱ぐと、肩に乗っていた桜の花びらが病室の床に落ちた。それを拾い上げていると、黒髪の医師が冷やかすように告げる。


「なんだ森山、相変わらず時間通りだな」

「谷崎先生。いつもお世話になります」


 畳んだコートを腕にかけ、ふちの無い眼鏡の位置を正しながら、青年――森山純は谷崎に向けてにっこりと微笑みかけた。

 学生時代の不愛想な彼からは、信じられないほどの進化だ。


「お前、やっぱり行くんだな」

「はい。その間、先輩のことをお願いします」


 言われなくても、という返事を残して谷崎は病室を立ち去った。残された森山は、ベッドに座る春菜の前に静かにたたずむ。


「先輩。今日は……報告に来ました」


 わずかに開かれた窓から、春の穏やかな風が吹いてくる。中庭に咲いている桜も、じきに満開になるだろう。


「俺、向こうの大学のチームに入ることになりました」


 以前から打診されていた、脳外科の権威が集まるチームへの編入。日本を離れることになると、森山自身随分と悩んでいた。だがようやく覚悟を決める。


「向こうで勉強してきます。そして必ず、方法を探し出します」


 高校を卒業した森山は進学し、医師になった。

 それは、他の誰でもない。ただ一人のために選んだ道だ。

 忙殺される業務の傍ら、春菜の記憶を取り戻す方法を探し続け、森山は研究にのめり込んだ。国内で打つ手がないと分かると、海外ではと資料を求める。

 そうして努力を続けた結果、今回提出した研究論文が認められ、正式に招待されるようになったのだ。


「本当は、先輩と離れたくないんですが……」


 話を断り続けていたのは、もちろん春菜と離れることが嫌だったから。

 しかしそれ以上に森山は、彼女を取り戻したかった。


 ――彼女を目覚めさせる『王子』になりたい。

 あの冬の日、誓った願いだけが森山をここまで動かしていたのだ。


「すぐに戻ってきます。だから……待っていてください」


 だがやはり何の反応も返さない春菜に、森山はやっぱりかと苦笑する。病室を後にしようとしたところで、ふと棚に置かれていた絵本に目をとめた。

 表紙にはくすんだ色の虫が描かれており、題名は『踊り虫のはなし』と書かれている。春菜のために誰かが持ってきたものだろうか。

 森山は何の気なしにそれを手に取ると、ぱらりとページをめくった。


(……『ある一匹の虫がいました。その虫は色も地味で体も小さく、とても醜い姿をしていました。………)


 それは、とても救いのない物語。

 まるで自分のようだ、と森山は一人微笑んだ。



 そうして、何度も季節は廻った。

 花開いた桜が散り、瑞々しい青葉が枯葉になり、冷たい雪が大地を凍らせ、再び目が芽吹く――春菜がすべてを忘れた後も、世界は変わらずに色付き続けた。

 そして、何度目かの春が来る。






「森山、学会発表の件だが……」

「ああ、これ作っときました。他の教授たちにも送付済みです」

「相変わらず仕事の早いことで」


 森山から渡された論文に目を通しながら、谷崎は呆れたように笑った。


「ちょっと休んだらどうだ。せっかくの当番外だってのに」

「やることは多いですから。大体谷崎先生も出て来てるじゃないですか」

「俺にとっちゃ実家みたいなもんだから良いんだよ」


 はあ、と顔を上げることなく返す森山を見て、谷崎は苦笑を滲ませる。


 森山が谷崎の同僚となってから、一年が経過した。

 知り合った学生時代からは想像もつかないほど背は伸び、日本人離れした髪や目も、今では彼の容姿にとても馴染んだものになっている。

 天才脳外科医とまで称された彼の帰国に合わせて『ぜひうちに』と多くの病院が手を挙げた。その中には国内最高峰とされる病院や大学もあったはずだ。

 だが森山はそれらの勧誘をすべて断ると、一番にここ谷崎総合病院に乗り込んできた。

 他の医師たちも彼の名前は知っていたらしく、どうしてあんな有能な医師がわざわざ、と疑問視する声も多かった。

 もちろん現院長である谷崎は、二つ返事で受け入れた。


「しかし、もっといい病院か大学に行けば、研究にも専念出来たろうに」

「俺は別に、研究をしたいわけじゃないんです。俺は最初から……この仕事を選んだ時から、いつか必ずこの病院に来るつもりでした」


 多少遠回りはしましたが、と森山は心の中だけで呟く。

 そんな森山の表情に気づいたのか、谷崎はそれ以上何も言わず、手にした論文に目を落とした。




 いい加減に休め、と谷崎から追い出された森山は、ふらりと中庭へと足を運んだ。窓越しに見える桜も十分素晴らしかったが、実際にその景色の中にいるのはまた格別だ。

 一枚の絵画のようで、けっして静止することはない――見事な花吹雪の中、ベンチに座っている人影を見つけると、森山は背後からそっと近寄った。


「風邪をひきますよ、先輩」

「わっ⁉ 先生?」


 大きな目を真ん丸にして振り返るその姿に、森山の顔がほころんだ。

 長く延びた髪に、変わらない優しい笑い方。もう二度と戻らないと思っていた、高校生の頃の春菜が森山の目の前にいる。

 もちろん、見た目だけはしっかりとした大人の女性だが。


「先生、だから私『先輩』じゃありませんよ」

「すみません。つい癖で」

「本当に似てるんですね。その……四宮さんって人に」


 森山が海外に発った後、春菜が言葉を発したと谷崎から連絡があった。

 すぐに帰国したが、記憶が戻ったというわけでもなく、単語をぽつりぽつりと零すだけだったのを覚えている。

 それから数年かけて、ようやく普通の会話と日常生活がこなせるまでになった。しかし何度伝えたところで、自身を四宮春菜として認識することが出来ず、かつての記憶や経験も呼び戻されることはなかった。


「ねえ先生。その四宮さんってどんな人だったんですか」

「え、えっと……」


 春菜の問いかけに、森山は一瞬言葉を詰まらせる。

 どう言うべきかと悩む森山を、春菜は楽しそうに眺めていた。


「……いつも人の気持ちに一生懸命な人でした。嬉しければありがとうと言うし、悲しければ隠れて泣く。好きな人がいれば、それこそ誰からも丸分かりでした」

「何だか、子どもみたいな人だったんですね」

「ええ。そして……俺の好きな人でした」


 ふられてしまいましたけど、と森山は苦笑する。すると春菜はしごく真面目な顔つきになり、うーんと腕を組んだ。


「そうなんですか? でも、残念です」

「何がですか?」

「だって先生、すごく素敵ですから。本当に私が四宮さんなら良かったなって、ちょっと思ってしまいました」


 それを聞いた森山は、目を大きく見開いた。だがすぐに相好を崩す。


(本当にこの人は――無自覚に俺を翻弄する)


 森山は告白を聞き流すと、春菜の隣に腰を下ろした。春菜が手にしていた本を見ると、無意識にタイトルを読み上げる。


「白雪姫……そうか、もう絵本からは卒業したんですね」

「そうなんです。でもまだ覚えていない漢字があって、なかなか読み進めなくて」

「じゃあ、一度だけ代わりに読みますよ」


 いつものように森山の朗読が始まった。

 森山は仕事が片付くと、いつも彼女の元に来てこうして本を読んでいる。


「『これは昔昔の物語。ある国に黒壇のような美しい黒髪と、薔薇のような唇。そして雪のように白い肌をもった美しい姫がおりました……』」


 穏やかな午後の日差し。

 桜の舞い散る中庭に、ときおり頬をくすぐる風が迷い込む。


「『……眠りつづける白雪姫の棺を囲み、七人の小人達は彼女を目覚めさせてくれる王子を待ちました』……先輩?」


 随分と静かだな、と森山はそっと隣を覗き見る。すると案の定、春菜はすやすやと寝息を立てていた。

 ようやく人並みの生活が送れるようになったとは言え、まだ体力の消耗は激しいらしく、春菜は時々こうして電池が切れたように寝てしまうのだ。


 春菜が頭をぶつけないよう細心の注意を払いながら、森山は少しだけ身体を寄せる。無防備に眠る春菜を起こさないよう、森山はそっと視線を本から上げた。

 張り巡らされた桜の枝が二人の上に木陰を作り、ひらひらと白い雪のような花弁を散らしている。やがて完全に眠ってしまった春菜に苦笑すると、森山はちょっとしたいたずらを試みた。


「……しかし、王子は来ませんでした。何年待っても、彼らの気が遠くなるような時を経ても、彼女を目覚めさせる王子はとうとう現れなかったのです」


 ページに書かれていない物語を、森山はさも本物のように紡ぎ始めた。

 春菜は物語の結末が変わってしまったことなど知るよしもなく、今はただ彼の肩に頭を乗せ、均一なリズムで肩を上下させているだけだ。


「しかし七人の小人達は、白雪姫がいつか起きてくれる、それだけを信じて棺の傍に小さな家を建てました。彼女がいつ目覚めても帰れる場所があるように、そこでずっと、ずっと……彼女の目覚めを待ちながら、皆で楽しく暮らしました」



 颯爽と現れて、姫を起こしてくれる都合の良い王子など、物語の中にしかいない。

 いるのは、無能な七人の小人だけ。


 しかし彼らは、本当に無能だったのか。

 王子を待つ間、彼らは姫を守り続けていた。

 彼女がいつ目覚めても困らないよう、いつも彼女の傍にいた。

 それは、けっして無駄なことではないはずだ。




 森山は本に載っていない物語を丁寧に読み終えると、静かに本を閉じた。誰も聞く者が居ないことに安堵し、ぽつりと零す。


「俺の好きな人でした。そして――今でも好きな人です」



 全てを目覚めさせてくれる王子様は、とうとう姿を現しませんでした。

 

 ですが、七人の小人は白雪姫が大好きだったから。

 彼女が目覚めるのをいつまでもいつまでも、一番近いところで待っていました。

 いつか目覚めた姫が、笑ってくれることを信じて。




【森山編 了】



告白を受ける受けないがフラグで、バッドだと外国に行ったままになる純でした。

でもどちらも好きな未来図だったので、今回一つにまとめています。

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