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また春は訪れるから




 照りつける日差しの中、一人の女性が広大な田んぼの中の道を歩いていた。

 時折吹く夏風にその長い髪が揺れ、ふわりと肩に落ちる。深い海色のワンピースに白いカーディガンを羽織り、その手には水の入った桶を下げていた。

 飼い猫なのか、灰色の毛並みの猫がちりちりと首輪を鳴らしながらその後に続く。


「あら、四宮さん。今年もよく来たわねえ」

「あ、こんにちはー」


 田んぼの端で休憩していた老夫婦に笑顔で答えた後、女性は再びてくてくと歩いて行く。その背中を見て、老夫婦ははあと息をついた。


「あの人も真面目なひとやねえ」

「ですねえ、誰とも知れぬ古いお墓に毎年お参りだなんて。あら、お墓は分かってるんだったかしら、えーっと確か……」

「紅野だろう? むかーしはここらの名士だったらしいが、俺も生まれる前だからな」

「そうそう。昔の資料とか紅野姓を調べてるって言ってたわね」

「古い親戚とかかねえ……まあ昔のことだ。もうみいんな忘れとるよ」


 そうですねえ、と微笑んだ妻の言葉は、みんみんと忙しく鳴く蝉時雨の中に巻き込まれ、人知れずに消えていった。





「またいただいてるね。いつも誰だろう」


 村のはずれ、鬱蒼と茂る雑草の奥に申しわけ程度の墓標があった。来るたびせっせと草を取るのだが、自然の繁殖力は恐ろしくすぐに埋没してしまう。かろうじて整えられている墓の前に、白い百合が置かれているのを見て、春菜は嬉しそうに微笑んだ。 

 隣に自らの持ってきた花を並べる。春菜がしゃがみ込むと、主に従うかのように飼い猫もその足元に座り込んだ。


(随分時間かかっちゃったけど……やっと探すことが出来た……)


 紅野の姓と家柄、血筋、夢で見たわずかな景色を頼りに、春菜は文献を片っ端から調べ続けた。怪しいところには足を運び、地元の人間にも尋ねて回った。

 そうして数年前、ようやくこの村に辿り着いた。


「よし、と。じゃあ草取っちゃおうかな。マモ、あんまり遠くに行かないでね」

「ナー」


 マモと呼ばれた灰色の猫は小さく鳴くと、そっと茂みの奥に入って行った。その気ままな様子に苦笑した春菜は、一呼吸置くと軍手をはめて草むしりを始める。

 上空ではトンビが甲高い声を上げながら旋回し、山林の挟間からは湧き出るような蝉の鳴き声がこだましていた。






「――クソ、ついてねえ」


 墓標よりもさらに奥。日差しもわずかにしか差し込まないその場所で、黒髪の青年は一人ぼやいた。そのスーツにはかすかに百合の芳香が残っている。

 かつての同僚が何十年も続けていた慣例。

 なんとなく引き継ぐ形になってしまったが、まさか鉢合わせるとは思わなかった。

 はあ、とくたびれたように青年は息をつく。すると背後で、がさりと茂みを掻き分ける音が聞こえた。

 振り返ると、美しい灰色の猫が警戒心もあらわに唸っている。


「うるせえ。見つかってねえからいいだろうが」


 青年の言葉に、猫は相変わらず威嚇したまま短く鳴いた。

 暗い森の中、海のような青い瞳だけが輝いている。


「――ま、オレの言うことなんざ、聞こえてないだろうけどな」


 青年はしゃがみこむと、猫の額に手を伸ばした。猫は一瞬びくりと体を震わせたが、すぐに気持ちよさそうに眼を細める。

 すると近くで女性の声が飛んで来た。


「マモ? マーモ、どこー? そろそろおうち帰ろう」

「おら、呼んでんぞ。じゃあな」


 青年は短くそう告げると、煙のようにその場から姿を消した。残された猫はニャオン、と返事をした後、声のする方へゆっくりと歩いて行く。

 そこには、かすかな百合の香りだけが残っていた。





 壊れた歯車は、小さな部品へと作り変えられた。それは表立って彼女を守るものではないけれど、いつも彼女の傍にいるもの。

 すれ違い続けた二人の時間は、ようやく重なり始める。


【紅野編 了】



 

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