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全ては元通りに




「さむーい! もうカイロは手放せないね」

「本当だねー。それに雪でも降りそうな天気」


 春菜が空を見上げると、鬱々として寒気を含んだ冬の雲が一面を覆っていた。隣にいる友人は白い息を吐き出しながら手を擦り合わせている。


「春菜、バレンタインはどうするの。あげるんでしょ、当然」

「え? でもその、津田先輩甘いもの苦手そうなイメージがあって……」

「聞いてみればいいじゃん。大学は推薦で決まってるし、そのくらいの時間あるって」

「そ、そうだよね。いやでも、驚かせたいのもあるというか」


 もごもごと言葉尻を濁らす春菜に、友人はどこか楽しそうに笑いかける。


「じれったいなあ。いっそ後輩の子に改めてお願いしてきたら?」

「す、純君のことはもういいから!」


 あはは、と花の咲くような笑い声が起こる。自宅近くのバス停で友人と別れた春菜は、直人と遭遇した。


「春ちゃんおかえり。今、帰り?」

「ただいま! 今から出かけるの?」

「春からお世話になる下宿の下見」

「そっか、引っ越しするんだっけ」

「少しの間だけどね。そう言えば、谷崎先生が次に病院来たら声かけろって」

「え、なんだろう?」


 やがてバスが到着し、春菜は元気よく手を振りながら直人を見送った。谷崎の用事とは何だろう、と首を傾げながら、自宅に続く道を上っていく。

 すると視界の端に、ちらりと白い影が落ちて来た。いよいよ雪が降り始めたらしく、次第に数が増え始める。

 春菜は雪の結晶をとらえようと、そっと手のひらを胸の上あたりに掲げた。降り積もる雪は手袋に触れた瞬間すぐに液状化して、毛糸の色を鮮明にする。その光景を見ていた春菜は、ふと既視感を覚えた。


(――?)


 真っ赤な絨毯。点々と色の変わった――

 不明瞭な映像が脳裏をよぎり、春菜は少しだけ眉を寄せた。だがどうしても思い当たる記憶がなく、気を取り直して家へと向かう。

 しかしようやく自宅にたどり着いた時、そこには見知らぬ人影があった。


 髪は青みがかった黒色をしていて、目つきはどことなく険しい。直人の友達だろうかと考えたが、この凍えるような寒さの中、黒いスーツだけで身じろぎひとつしていないことに春菜は奇妙な印象を抱く。

 すると青年はふいとこちらを見た。

 目が合ってしまい、春菜がびくりと肩を震わせると、青年は眉間に皺を寄せたまま、ぶっきらぼうに口を開いた。


「四宮春菜」

「は、はい!」


 うっかり返事をしたものの、どうして名前を知られているのだろうか、と春菜は背筋を凍らせる。だか青年は春菜をじっと睨みつけ、ぼそりと零した。


「やっと安定したみたいだな」

「あ、あの?」

「こっちの話だ。ほら、手出せ」

「手?」


 何が何やら分からず、春菜は困惑したまま縮こまった。すると青年はなかば強引に春菜の手を引っ張ると、無理やりに開かせる。

 ぽとり、と手のひらに落とされたそれを見て、春菜は目を疑った。


「あの、これは」

「あ? 指輪だろ、どうみても」


 青年の言葉通り、手に握らされたのは白金の指輪だった。

 清楚な輝きを帯びており、その表面には精緻な模様が掘り込まれている。友達とよく行く雑貨屋で売られているような、安い指輪とは比べものにならない。

 理解が追い付かない春菜は、再びぎこちなく首を傾げた。

 だが青年はさらりとした口調で「やる」とだけ告げる。


「い、いらないです! どうしてこんな」

「いいんだよ。これはお前のなんだから」

「わ、私のって……」

「お前にやるはずだったんだろ」

「へ?」

「いいから受け取れ」


 何度やり取りしても、青年は頑なに返品を拒否してくる。春菜は仕方なく、指輪を改めて観察してみた。

 すると指輪の内側に、アルファベットの刻印があることに気づく。そこに書かれていたのは『FROM М』。


「M……から…?」


 M。単純なローマ字読みならマ行だが、思い当たる名前はない。傾けると白く柔らかい光を弾いており、春菜はその美しさに思わず目を奪われた。

 青年はその様子をしばらく眺めていたが、やがてぼそりと呟く。


「嵌めてみろ」

「え?」

「いいから」


 苛立ったように急かす青年を前に、春菜は少しだけ困惑した。


(お、押し売りとかじゃないよね? 嵌めるだけなら大丈夫かな……)


 小指と親指は明らかにサイズが違うとして、とりあえず中指に嵌めてみる。だがほんの少しだけきつい気がして、春菜は薬指に着け直した。指輪は吸い付くように肌に馴染み、まるで元々春菜のために作られたかのように清楚な輝きを放っている。


「すごい、ぴったり……」


 驚きを隠せないまま、春菜は淡く輝く銀の環を見つめた。

 だがそこでようやく、黒髪の青年がいなくなっていることに気づく。周囲を見回すが、どこにも気配がない。


「ど、どうしよう」


 慌てて指輪を抜くと、改めて手のひらに乗せた。再度内側の刻印を確認すると、そうっと空に向けてかざしてみる。

 薄暗い雪雲の下、白銀の指輪は満月を模すかのように美しく輝いていた。


(……?)


 丸い、月の光。

 白銀の髪。


(私、これを……この『人』を、どこかで……)


 失われていた記憶がよみがえる。

 М。それは――

 その瞬間、春菜は指輪を握りしめると、その瞳にはっきりと光を宿した。






 鉄錆色のフェンス。その外側に黒髪の男が立っていた。

 地上より遥か上の高層ビルの狭間。常人ならば恐怖によって数分といられないその場所で、青年は一人呟く。


「クソ、ばれたら俺も厳罰か」


 紅野の望み通り、青年は春菜の中にあった『紅野真守』に関する記憶を奪った。本来であればそれで終わり――なのだが、青年は再度春菜と接触した。

 紅野に頼まれた、あの指輪を渡すために。


「ったく……あの馬鹿野郎が」


 ふと、紅野が来たばかりのことを思い出す。

 恐ろしいほど綺麗な顔をしているのに、その目はあらゆる絶望を内包しているかのように濁っていた。

 なりたがる奴の少ないこの仕事に自ら志願したと聞いて、青年は随分と訝しんだものだ。


 ただ一度だけ、何故この仕事を望んだのかと聞いたことがあった。

 すると紅野は「会いたい人がいる」とだけ答えたのだ。


(……まあオレも、大概だがな)


 指輪だけでなく、ほんの少し贈り物をしたことは上には秘密だ。

 青年は上着の内側を探ると、たばこの箱を取り出した。トンと叩いて一本を弾きだすと、器用に咥え慣れた様子で火をつける。

 ちらほらと白銀の結晶が舞い落ちる中、白く細い煙が冬空に吸い込まれていった。



 

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