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津田篤史 6票
森山 純 2票
「森山 純」の記憶を消去します。
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「了解しました。哀れな賢者、その知恵を差し出す人はもう無いのですね――では、契約を」
「……その前に、ひとつ教えて」
「何ですか?」
「私が今日会った『知らない人』は……この契約によって忘れてしまった人なの?」
「それは一概には言えません。もしかしたら本当に貴方『の』知らない人かもしれませんし、貴方『が』知らないだけかも知れません。何にせよ貴方が選んだ人間は、根本から全て、存在すらしていなかったかの様に消え失せる」
「存在すら、忘れる……」
どれだけ努力をしようとも、一度失った記憶を取り戻すことは出来ない。自分が誰を選んだかも、何人忘れたかも分からない。春菜が覚えているのは、契約として『記憶』を差し出した、という事象だけ。
押し黙ってしまった春菜を、死神はしばらく見つめていた。やがて契約を執行せんと、そろりと春菜の頬に手を伸ばす。だがその拒むように身を硬くする様子を見て、死神はふと寂しげな表情をした。
「そんなに警戒しなくても」
「無理に決まってるじゃない」
「今回は手に触れるだけですから」
「手だけで良いなら、最初からそうして」
はいはい、と死神は苦笑し、布団を掴んでいた春菜の手に触れた。手袋越しに触れる死神の手には人間と同じような体温があり、春菜は少しだけ驚く。
「……死神にも体温ってあるのね」
「私たちは元々、人間ですから」
え、と春菜が顔を上げると、死神の端正な顔がすぐ目の前に現れた。慌てて顔をそらす春菜に向けて、死神はぽつりと言葉を落とす。
「元々は人間だったんです、私たちは。死んだ時に選択を迫られて、私はこうなることを選んだ。ただそれだけのことです」
「選択?」
その続きを尋ねようとした瞬間、手首を掴まれ強い力で死神に引っ張られた。そのまま半ば強引に口付けてくる。
突然のことにむぐ、と必死になって抵抗する春菜を前に、ようやく口を離した死神がにたりと微笑んだ。
「だからこうやって人も騙すし、嘘もつくんですよねえ」
「――ッ、最低!」
酸欠で真っ赤になりながらも、懸命に唇をぬぐっていた春菜だったが、強い百合の香りを嗅いだ瞬間、急激な睡魔に襲われた。
糸が切れたかのように、くたりとベッドに横たわる。
それを見た死神は、嬉しそうに目を細めた。
「……大丈夫、すぐに忘れますよ。これも、彼らのことも」
わずかに唇を舐めると、死神は春菜の額に手を当てる。その表情はどこか寂しげで、まるで――本当の人間のようだった。
頭が重い。
いまだ抜けきれない眠気のためか、春菜は寝返りを打つと、再び夢の世界に戻ろうとした。だが母の呼ぶ声に早々に阻止される。
だらだらとベッドから這い出し、眠たい目をこすりながら、ばさりと着ていた物を投げ出す。その途中、手首に残る痣に気付いた。
(なにこれ、痣? ……いつ付いたんだろう)
はっきりと形どられた青黒い跡。
手首をぐるりと取り囲むようについたそれを見て、春菜はしばし考え込む。しかしその原因を思い出すより先に、母親の急かすような声が聞こえてきた。
「春菜、遅刻するわよー」
「あ、はーい! すぐ行くー」
呼ばれた声に反応した春菜は、慌ただしく自室を後にする。
室内には脱ぎ捨てられたパジャマと――いつの間にか床に落ちていた黒い羽根が、ひっそりと残されていた。
登校も二日目となれば慣れたもので、春菜はすっかり今までの元気を取り戻していた。再来週にはテストもあるためか、全体的に授業も慌ただしい。
昼食を終えた春菜は、ひと時の休みをおしゃべりに費やしていた。
「あ、そう言えば今日剣道部試合じゃない?」
「そう! 放課後応援に行くんだー」
「あんたもマメだよねえ……ていうか、いい加減に言ったら?」
「何を?」
「津田先輩に『好きです』って」
冗談めかした友達のからかいに、春菜はむせて咳き込んだ。飲んでいたコーヒー牛乳を手放すと、顔を真っ赤にしたまま友達に向き直る。
「な、……なんで……」
「え、だって好きなんでしょ」
「い、いや、まあ、素敵だなあとは……思っているけど……」
急に語尾が弱々しくなった春菜を見て、友人たちが諭すように続ける。
「あのね。人間、思っているだけじゃ伝わらないんだから」
「そうそう。他の人に取られてからじゃ遅いじゃない?」
「と、取られるとか、別に私のものじゃないし……」
むむ、と口篭もってしまった春菜を前に、友達はあははと笑った。春菜はしばらく無言でむくれていたが、友達たちの言うことにも一理あると視線を落とす。
(やっぱりいつまでもこのままじゃ、だめだよね……)
だが告白すれば、結果が何であれ今までの関係性には戻れない。運よく『彼女』になれれば至上の喜びだが、万一振られてしまったら――うっかり想像した春菜はぶるると身震いする。
やがて午後の始まりを告げる予鈴が鳴り響き、春菜たちは五限目の移動教室のため、それぞれ席を立った。




