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008.マルティンの真意

 目の前で、男が固まっている。どうしてそうなったのかわからなかったが、花梨はようやく安心することが出来た。目の前の男より、マルティンの方が立場が強いとわかったからだ。これならば彼から絶対に守ってもらえる……そんな打算が働いた。

(息子かぁ)

 マルティンはあまり家族の話をしなかった。隠居しているからということで、商売の話もしない。

 時折、生活用品を持ってきてくれる人間が来る他は本当に静かで、まるで外の世界と隔絶されているようにさえ思っていた。

 そんな中に現れたマルティンの息子は、花梨に忘れかけていた危機感を思い出させてくれた。そう、自分たちはここに匿ってもらっているだけで、あの金貸しとの縁が切れたわけではないのだ。


「ちょうどいい、花梨」

「は、はい」

 考え事をしていた花梨は、名前を呼ばれて慌てて応える。

「私はね、君と秀英を養子に迎えようと思っている」

「え……」

「父上っ?」

 マルティンの爆弾発言に驚いた花梨だったが、それ以上に驚愕したのは目の前の男だったらしい。椅子から立ち上がり、今にもマルティンに掴みかかるのではというくらい前のめりになっている。

「何を言われているのですか! 確かに、この姉弟の境遇は哀れだと思いますし、何かしてやれればとも思います。だからと言って、我が家へ養子に迎え入れることには同意出来ませんっ。兄上たちや商会のこともお考え下さい!」

 男の言葉は、花梨にとっても至極真面なものだった。

 マルティンが自分たちのことを思ってくれていることはわかっているが、それで養子に迎えるというのはあまりにも短絡過ぎる。そもそも、花梨たちがここで暮らし始めて、まだ半月ほどしか経っていない。自分で言うのもおかしいが、花梨たちがマルティンに嘘を言って騙している可能性だって否定出来ないのだ。

 それに、男の言葉から、少なくともマルティンには数人の子供がいることはわかった。その子供から見ても、身元不明な姉弟を家族の中に入れるなんてことは出来ないだろう。


 男だけでなく、花梨も無理だろうと思っているのに、マルティンはまったく気にした素振りもない。

「商会のことはもちろん考えている。養子の契約時に、商会の財産及び商権の権利は一切ないことを明記するつもりだ。あくまで二人はマルティン・ドラノエの養い子として引き取るつもりだ」

「父上……」

 花梨からマルティンの表情は見えないが、目の前の男が苦々しい顔をしているのできっと笑っているのだろう。このままでは、本当にマルティンの養子になってしまいそうだ。

「あ、あの、ドラノエ様」

「ん? 何かな?」

「お気持ちは本当に嬉しく思います。でも、私たちには過ぎた待遇です。このまま、ここで働かせていただけるだけでいいので、どうか今のお言葉は取り下げてください」

 花梨にとって、家族は死んだ両親と秀英だけだ。他の人を、それもお世話になっているマルティンだとしても、父と呼ぶことに抵抗感があった。

 だいたい、豪商になんて養子に入ったら、それこそ財産問題で揉めて、変な恨みを買いかねない。

 日本人として生きていたころに見たドロドロとしたテレビドラマを思い浮かべながら、花梨は何とかマルティンの翻意を願う。

 しかし、マルティンは大丈夫と自信たっぷりだ。

「養子になれば、秀英を学舎に通わせられるよ」

「……そ、それは、私が……」

「逃げ隠れたままでは無理だろう?」

「……」

 確かに、あの金貸しがいつ自分たちのことを諦めてくれるのか……まったく予想が出来ない。もう、諦めてくれているか、一年、いや、数年先まで、執拗に行方を探られるか。

 父親が実際に借りた金額はわからない花梨には、どうすることも出来ない。


「イレニン」

「……はい」

「一度、エイブラムとデジレには時間を取ってもらう。実際に二人と会えば、きっとその性質も伝わるだろうからな。その時はお前も来るかい?」

「もちろんです」

「あ……」

 どうやら、養子入り前提の家族会議が開かれるらしい。その時のことを想像し、花梨は一気に気が重くなった。

(絶対に財産狙いとか言われたり、このまま出て行けとか言われちゃう……)

 花梨が考えても、こんな短期間で養子にしようと考えるのはおかしいし、絶対に裏があると疑う。しかし、話はどんどん進んでしまい、男は納得いかないような表情をしながらも部屋から立ち去った。今度こそ帰宅するだろう。

 本来なら使用人である花梨が玄関先まで見送らなければならないのだが、養子という思いがけない話に頭の中が混乱してしまい、その場から動くことが出来なかった。




「花梨」

 どのくらい経っただろうか。

 花梨は名前を呼ばれてハッと顔を上げた。

「す、すみません、私、ぼうっとしてしまって……っ」

「いや、君が混乱してしまうのは予想出来たことだ。……先に話を通さず、息子に伝えてしまったことは申し訳なかった」

 頭を下げるマルティンに、花梨はどう反応していいのかわからなかった。

「少し、話をしようか」

「は、はい」

「座って」

 何時ものように穏やかな口調。しかし、花梨はそこに僅かな緊張を感じ取った。そのことに、花梨はもしかしてという可能性を考える。さっきは男……息子相手に花梨に養子の話を切り出したが、もっと別な意味がそこにあるのではないか。

 そして、恐らくそれは花梨にとってはあまり良い話ではない。

 花梨は一度唇を噛み締め、意を決してマルティンの向かいの椅子に腰を下ろした。

 どんな話が出てくるのかはわからないが、自分たち姉弟がマルティンのおかげで半月間、穏やかな生活を送れたのは確かで、その見返りを求められるのも当たり前のことだ。

 出来れば、秀英はこのままの生活を送らせてやりたいが、きっとそれは花梨の我が儘な思いだろう。

「花梨、君と秀英を養子に迎えたいと思っているのは本当だ。私個人との契約で、商会に関わらせることはない」

「……はい」

 どうやら、本当にマルティンは自分たち姉弟を養子にしてくれるつもりらしい。

 しかし、話はそこで終わらなかった。

「娘になった君にしてもらいたいことがある」

 一瞬、マルティンは口を閉ざした。瞳には焦燥の色が広がり、膝の上で組んでいる手に力がこもるのが見える。

「後宮に……小間使いとして入ってほしい」


「……こう、きゅう?」

「そうだ。君が15ならば侍女として入ることも出来るだろうが、今の歳では小間使いとしてではないと入れない。だが、その方が、君の身を守るのにはいいと思う」

 花梨は首を傾げた。マルティンの言葉が頭の中で理解出来なかったからだ。

「あの……こうきゅうって?」

 尋ねると、マルティンの方が驚いたような顔をする。自分の言葉が通じていないとまったく考えていなかったらしい。

「……ああ、そうか。君は東大陸の出身だったね。あちらも王制だったと思うが……王には側室、第二妃や三妃はおられないのかな?」

瑛良えいらの王様は王妃様しかいなかったと思います。私も、あまり詳しくはわからなくて……」

 小さな島で暮らしていた花梨にとって、王様や王妃様などは夢物語の中でしか出てこない存在だった。

 藤野香里ふじのかおりとして生きた記憶がある今では、さらにドラマや小説の中のことのように現実味がない存在だ。

 花梨の反応に、マルティンは苦笑を漏らした。

「以前話したこの国の王家の話は覚えているかな?」

「え……と、国王には正妃と2人の側室がいて、王妃に王子が2人、第二妃に王女が2人、第三妃に王子が1人。正妃の第一子が皇太子……ですか?」

「よく覚えていたね。で、その第三妃が私の娘なんだ」


「……えぇ!」

 花梨はまじまじとマルティンを見つめた。

「娘さんが……お妃様なんですか?」

「正確に言えば、侯爵家に養子に入ってからだから、私の娘という言い方は少し違うかもしれないが」

「そう……なんですか」

 始めは驚いたが、マルティンの説明を聞くと納得出来た。

 どこで王様と出会ったのかはわからないが、いくら豪商の娘とはいえ、それも第三妃でも、平民が王様の妃にはなれないだろう。身分ロンダリングと言ったところだろうか、一度貴族の養女になって、それから妃になったというわけだ。

 だが、それを花梨が知っても良かったのだろうか。

「む、娘さんがお妃様なのはわかりました。でも、どうして私がドラノエ様の養女になって、その、小間使いとして後宮に行かなければならないんですか?」

「……」

「ドラノエ様?」

「孫の……いや、第三妃の王子に毒が盛られたんだ」

「ど……く?」

 恐ろしい言葉に、花梨の心臓がドクンと大きく脈打った。

(毒殺……されそうになったってこと?)

 そんなことが現実にあるのかと冗談にしてしまいたかったが、ここは平和な日本ではない。現に花梨も、まだ子供だというのに花街で働かされていたではないか。


「ひと月前のことだ。犯人はわからないが、第三妃の世話をしている侍女や小間使いは処分されたと聞いている」

 マルティンの話によると、毒は王子の食べる菓子に混入されていたらしい。それを運んだ小間使い、世話をした侍女など、数人の女性が責任を取らされた。

 犯人と確定されたわけではなく、妃に仕える彼女たちはそれなりの身分の者たちばかりだったらしく、後宮を出される形になったようだ。ただし、料理番の男性は平民だったので処刑された。

 王妃に二人王子がいるので、本来なら第三妃の産んだ王子は王位継承権の順位も低い。それなのになぜ狙われたのか、今も捜査は続いているという。


「新しい衣装を献上しに王城に行った商会の者が、第三妃から内密に預かってきた手紙で私はそのことを知った。だから、花梨、このことは口外しないように」

「は、はい」

 普通の人の間でも毒殺なんてものすごい犯罪なのに、それが王子の命を狙ったものだとすればそれこそ国を揺るがす大問題になりかねない。そんな話を聞いてしまった花梨は半泣きになりそうだが、マルティンの話はそこからが花梨に関係するものだった。

「犯人は計画が失敗したことで、しばらくはおとなしくしているだろう。だが、今回後宮から解雇された者たちの中には私が選んで第三妃に付けた者たちもいる。今、新しく付いているのは私の知らない者ばかりだ」

「……娘さんとお孫さんが心配なんですね」

「……歳をとってから産まれた娘でね。出来れば平穏な結婚をさせたかったが……王には逆らえない」

 むしろ、平民の娘を愛妾ではなく、わざわざ第三妃にしたということは、それだけ王の寵愛が深いということだ。


 そこまで説明されて、花梨はようやくマルティンの考えがわかった。

 彼は自分の意を汲む、いわばスパイのような存在を大切な娘と孫の側に付けたいのだ。それには、知り合いの娘などではなく、自分の身内であるのが好ましい。それも、絶対に裏切ることのない人間を。

「……私、まだ半月しかここにいません」

「半月でも十分君の人となりはわかった。苦労をしたというのに性根は真っすぐだし、頭も良い。見目も悪くないし、何より君には守るものがあるだろう?」

 静かに返答を待つマルティンを見て、花梨はなぜだか凄く安心した。今の話しで、ようやくマルティンの好意の理由がわかったからだ。

 突然飛び込んできた、見るからに怪しい子供をどうして受け入れてくれるのか、花梨はずっと疑問に思っていた。

 マルティンが相当な人格者か、お人好しか、それとも単なる哀れみか。想像以上の好待遇の生活に、花梨は心のどこかでずっと蟠りが残っていたのだ。しかし、それが我が子のためだと、孫のためだとわかって頷けた。

 マルティンにとって、花梨ほど都合がいい人間はいないのだろう。親がおらず、人前に出られず、守りたい弟がいる。秀英がマルティンの手の中にいる限り、花梨は彼を裏切ることはない。

 ずっと、穏やかに暮らしているのだと思っていた。一人きりの生活で寂しさから花梨たち姉弟に優しくしてくれているのだと―――。それが違っていたとしても、マルティンに失望するのはおかしい。

 これが普通なのだ。

「……期限はありますか?」

「甥の娘が13歳だ。彼女が15になれば侍女として第三妃に仕えさせるつもりだ」

 だとしたら、2年だ。皮肉なことに、自分と同じ歳の少女が交代するまでの、期間限定の役目。その時花梨も15歳になっているし、きちんと働いて秀英と2人で暮らすことも出来るはずだ。

「……わかりました」

「花梨」

「秀英のことは……」

「君が戻ってくるまで大切に守るよ」

 不思議と、マルティンの言葉は信じられた。彼がその言葉を違うことは絶対にない。なぜなら、花梨の側には彼の大切な孫がいるのだ。

 お互い大切なものを託す。

 花梨自身は納得したものの秀英をどう説得するか、それが一番の問題だった。

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