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火曜日の朝

 金田一先生は、今日も体調が優れないようだ。昨日は船酔いで、今日は二日酔いか、と簡単に考える美千代だったが、せっかくの朝食も喉が通らないようで、旅館の朝食はしっかり摂る先生にとって、それは珍しい光景だった。


 今日は大事な依頼人と面会する日だというのに、金田一先生の体調よりも、依頼人の機嫌を損ねないか心配する美千代だった。それもそのはず、今回ほどの大口の依頼はこれまで扱ったことがなく、多少具合が悪くても、引っ張って行かなければならないと考えているからであった。


 先ほどまで先生は、うわ言のように、白髪がどうとか、首切りがなんとか、と繰り返していたが、いざ屋敷へと出発する段となり、旅館を出て陽射しを浴びた頃にはもうすっかり落ち着きを取り戻していた。なんだかんだといっても、先生はお金になる仕事では頼りになると思っている美千代だった。


 旅館を出てから屋敷へ着くまでの時間だが、今日は片道五十分だった。早く歩こうとサトルが言ったので、三人とも歩調を早めた。これなら走れば二十分から二十五分くらいで島を半周できるのではなかろうか。島一周で一時間を切る計算だ。


 実は三人の中で一番足に自信があるのが美千代だった。町を歩いていても人に抜かれるのが嫌な性質で、ついつい歩調を早めてしまう。でも、この頃はそんな男勝りの性格が恥ずかしく感じているのだった。



 探偵一行を屋敷で出迎えたのは例の三姉妹だった。美千代とサトルは昨日会っているが、金田一先生は初めてである。美千代の予想通り、先生は目を見開いて驚くのだった。


 先生に内緒にしようとサトルと約束していたが、どうやらサトルはちゃんと約束を守ったようだ。金田一先生の反応よりも、サトルが約束を守ってくれたことの方が、姉としては嬉しく感じるのだった。


 しかし、次に屋敷の客間で驚くこととなったのは、美千代とサトルの方だった。昨日、幸子さんから聞いた男女の一卵性双生児である。その存在は半信半疑だったが、現実を目の当たりにすると、信じるしかないのである。


 それにしても似ている。髪型は違うが、青白い顔は、男とも女とも、まぁ、どちらにしても綺麗な顔なのだが、三姉妹もそうだし、この島は美人さんが多いな、と美千代は思うのだった。しかも南方の島なのに、英の人間は、みな白い。


「それじゃあ、あなたたちは自分たちの部屋へ戻ってなさい」


 紫乃さんの言葉に、双子は無言で従った。結局、双子の男の子も女の子も、どちらの声も聞くことができなかった。父親の――この場合、実父かどうか不明であるが――村長さんの発声障害の影響か分からないが、話すことができるのか気になる点ではあった。


 それにしても、双子の兄妹を見ても金田一先生はまったく驚かなかったのだが、それが不思議だった。男女の一卵性は珍しくないということだろうか。それとも双子の存在を知っていた? いつ? どこで? 分からないことが多い美千代だった。そんなことを考えていると、いつの間にか話は先へ進んでいたようだ。


「まず、これを読んで下さい」

 と、奥さまは金田一先生に手紙を差し出した。


 金田一先生が一読する。

「なんですか、これ?」

 そう言って、美千代とサトルに手紙を回す。


 手紙には――


『血塗るべき 時が来たりて 伊豆の月 首は首なれ 身は身なれ』


――と書かれてあった。


「先月、わたくしの元に届いた手紙です。差出人不明の封筒でした」


 金田一先生が、もう一度手紙に目を通す。


「悪戯にしては、あまり気持ちがいいものではありませんね。首と身を別けた部分は、まるで首切りを暗示しているようにも思えます。ただ、物騒な言葉が並んでいるように見えますが、全体的には意味がよく分からない」


 金田一先生の言葉だが、美千代も同じ感想だった。


「はい。わたくしも、なにかの悪戯かと思ったのですが、でもどうしても、この真ん中にある、伊豆の月、というのが気になりまして」


「伊豆の月、はい、ありますね。それが何か?」


 美千代もサトルも、口を挟む余地がなかった。


「先ほど紹介した双子の娘の方が、伊豆の伊に月と書いて、いつき、と読みます」


 ああ、そういうことか、と美千代は思い出す。さっき紹介された双子の男の子が義男よしおくんで、女の子の方は、伊月ちゃんと紹介されたばかりだった。


「この、伊豆の月というのは、ひょっとしたら娘の伊月のことを指しているんじゃないかと思いまして。そう考えると、悪戯にしては度が過ぎていると思ったんです」


 奥さまの顔は、女王の顔ではなく、母の顔になっていた。


「つまり、この手紙を書いた人物は、伊月ちゃんを名指しで脅迫していると、そう奥さまは思われたわけですね?」


 奥さまがコクリと頷く。


「はい。それですぐに代理人を雇い、金田一先生にお願いしたんです」


 奥さまは、すでに目の前の男が名探偵・金田一耕助ではないことを知っている。金田一先生にも、今朝奥さまが勘違いしていたことを、ちゃんと伝えてあった。


「奥さま、確認してもよろしいですか?――」

 ここは美千代の仕事である。

「改めてお伺いしますが、、わたくしどもの事務所に依頼されたということで、よろしいでしょうか?」


「はい。金田一先生、どうかお願いします」

 と、奥さまは即答するのだった。


 絶海の孤島に届けられた差出人不明の脅迫状。脅迫状の内容は、一族の末娘の首を狩ること。前日の奥さまの様子から、てっきり依頼を撤回されると思っていたのに、こんな脅迫まがいの手紙を受け取っていたなんて想像もできなかった。奥さまは相変わらず落ち着き払っているが、内心穏やかではないはずだ、と思う美千代だった。


 しかし、わが探偵事務所にとって、このような依頼ははじめてで、なにをどうすればいいのか、まったく見当もつかないのである。それには金田一先生もさぞ困惑しているだろうと思いきや、涼しい顔をしているのだった。こんなものは、どうってことないという表情だ。それは平然とした口ぶりからも分かるのだった。


「しかし、奥さま。この手紙が、まぁ、そんなことがあってはなりませんが、仮に現実のものとしてですね、一体なんだって、よりにもよって末娘の伊月ちゃんが狙われるのでしょうか? そこら辺の心当たりがあるから、依頼されたわけですよね」


「話せば長くなりますし、すべてお話するというわけにも参りません。それでも簡単に説明しますと――」


 奥さまは前置きを挟んで続けた。


「八月九日、金曜日、つまり明々後日になりますが、それが伊月の十五の誕生日で、その日が英の家業を継ぐ日になっているのです」


「ほぅ、十五で家業を」

 と金田一先生が感心してみせた。


「ええ、その日、本来ならば大切なお客さまを迎えて、伊月の仕事始めの日になるはずでした。しかし、このような手紙が届き、万一のことを考えて取りやめることにしたのです。大切なお客さまに迷惑が及んではいけませんからね」


「つまり、この脅迫状まがいの手紙は、その仕事を妨害するために送り届けられたということですか?」


 それは金田一先生なりに解釈を試みた結果の質問だ。


「ええ、ですから手紙に書かかれてある、時が来たりてというのは、その期を狙ったものだと考えました」


 手紙を送り付けた人物は、伊月ちゃんを名指しで脅迫するだけではなく、日時まで指定してきたということになる。


「なにがおもしろくないのか、そこら辺はわたくしには分かりません。伊月が家業を継ぐのは、もう生まれた時から決まっています。今さらどうこうという話ではないんですよ」


 と、奥さまは困惑気味に答えるのだった。


 いまいち要領を得ないのは、奥さまの答えが曖昧だからなのか、脅迫状の目的そのものが的外れだからなのか、今はどちらともいえなかった。


 しばらく考え込んでいた金田一先生が奥さまに尋ねる。


「その、手紙を書いた主に、心当たりはありませんか?」

「ありません」

「手紙を受け取ってから、なにかおかしなことは?」

「ありません」

「伊月ちゃんに、危険が迫ったということはないんですね?」

「ありません」


 そこで金田一先生が腕を組む。


「しかし脅迫状が届いたわりに、いささか不用心ではありませんか? 昨日、伊月ちゃんと義男くんが、旅館をうろついているのを目撃しました。あれでは、いつ狙われてもおかしくありません」


 やはり先生は双子の存在を知っていたのだ。それを黙っているのだから、先生も人が悪い。いや、自分も三姉妹の存在を黙っていたからお互いさまか、と関係ないことを考える美千代だった。


「その点は心配しなくても大丈夫かと思います。この島へは連絡船以外に上陸する方法はありません。現在、島に残っている人は、みな顔見知りばかりです。隠れるような場所もありませんし、知らない人を見掛ければ、すぐ耳に入りますからね」


 そうか、奥さまのこの落ち着きは、島の安全性からくるのだな、と美千代は思った。確かに、この島の道は一本道であり、屋敷へ向かう姿を人に見られず辿り着くのは容易ではない。


 しかし、真夜中ではどうだろう? 月が陰れば姿は見えないだろうに。寝込みを襲われるかもしれないという不安はないのだろうか、などと考えずにはいられないのだった。


「ならば、わたしは何をすればいいんでしょうか?」

 金田一先生による単純な質問である。


「それも含めて先生にお願いしたいのです。わたくし自身、見当もつきません」

「そうですね、愚問でした。申し訳ありません」

「いえ、どんな質問でも構いません。他にありませんか?」


 その奥さまの言葉に、いち早く反応したのはサトルだった。


「その手紙を受け取った時の状況が知りたいんですけど」

「ああ、そうですね。先月、ええ、先週の日曜日でした。その朝、役場を掃除していた者が見つけました」

「役場の、どこで見つけられたか聞きましたか?」


 奥さまが思い出そうとするが、すぐにかぶりを振る。


「いいえ。役場の中としか。封筒には差出人の名前も消印もありませんでしたが、表にわたくしの名前が書かれてあったので、きっと島を訪れたお客さまからのお礼の手紙だろうということで、すぐにわたくしの元に届けてくれたのです」


「役場の中……、そうですか」

 それきりサトルは口をつぐむのだった。


 今度は金田一先生が尋ねる。

「差出人が分からないということは、当然、筆跡に心当たりがないということですね」

「はい」


 金田一先生がさらに続ける。


「これは質問ではありませんが、念には念をという言葉があります。誰かの悪戯かもしれませんが、それでもやはり、もう少し用心された方がいいと思いますね。暗くなった後、寝込みを襲われるなんてことも考えられますので」


 金田一先生の言葉だが、美千代も同じように心配していた。


「ええ、それはご忠告に従います。しかし、一日中、子供を部屋に閉じ込めておくこともできません。手紙についても、金田一先生以外、誰にも相談していませんし、正直、わたくしもどうすればよいのか困っているのです。ただ、子供とは日が沈む前には必ず屋敷にいることを約束しています。夜中はしっかり戸締りしていますし、どの部屋も内側から鍵が掛けられるようになっています。ですから、そこを力ずくで破るようなら、もう覚悟するしかありませんわね」


 これは奥さまだけではなく、ここにいる全員の気持ちでもあった。


「それにしても奥さま、依頼していただくのはいいんですが、できればわたしたちが探偵であることを、島の人たちに伏せていただきたかった。素性がばれては、こちらが思うように調査ができませんからね」


「いいえ。それにはわたしなりの理由わけがございます。ただの観光客を装っては、こうして屋敷へ招くということが簡単には出来ません。わたくしと面と向かって内々にお話することも出来なかったでしょう。それくらい、よそから来た者が屋敷へ上がるということは珍しいことなのです。それに金田一耕助先生が島にいる、それが凶事への予防線になるのではと考えたのです」


 そこで一旦呼吸を整え、さらに奥さまは続ける。


「というのも金田一先生の名は、島の人間ならば誰もが存じ上げております。ええ、本陣殺人事件は、まるでここで起こったかのような語り草になっていますからね。金田一先生なら、わたくしが屋敷へ招いても、誰も不審に思いませんし、そう考えて依頼したのですよ」


 奥さまの話を聞いた金田一先生は複雑な顔をしていた。それもそのはず、うちの先生は、かの名探偵・金田一耕助ではないのだから。


「そこで、さらなるお願いなんですが、島に滞在している間は、金田一耕助先生の振りをし続けてはいただけないでしょうか? そうしないことには、反対に怪しまれることにもなりますし、引き続き凶事への予防にもなり得るかと思いますので」


 金田一先生が本物の金田一耕助先生ではないということを美千代が話したのは奥さまだけなので、金田一先生が振りをし続ければ、隠し通すことも可能ではある。しかし、問題は金田一先生がそれを受け入れるかどうかだった。


「承知しました。そういうことならば、隠し通した方がよさそうですね」


 金田一先生は苦渋した様子もなく、それをあっさりと受け入れてしまうのだった。


「お願いします。先生はあくまでわたしのお客さま。屋敷を出たら、観光客のように振る舞ってもらえれば、怪しむ者もないでしょう」


「案外と、その方が島の人と話がしやすいかもしれませんよ。うん。それにね、わたしも昨日から、まるで有名人になったような気がして、悪い気はしないのです」


 と、金田一先生は小さく「むふふ」と笑うのだった。


 金田一先生の最後のひと言に、本音が出たか、と美千代は思った。普段ならば間違われることを嫌うくせに、ちやほやされた途端、調子に乗る。絶対に曲げないという芯がないのだ。これは先生だけなのか、男はみんなそうなのか、分からない美千代だった。


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