一日目のまとめ
美千代が英屋敷から旅館へ戻り、それからサトルと一緒に蒸し風呂に行って、ふたたび旅館に戻ってきた頃には、すっかり夜になっていた。蒸し風呂からの帰り道、日が沈むのを見越して持ってきた携帯用のランプが役に立った形だ。
旅館に戻ると、泊まり部屋に夕飯が用意されていた。サトルと二人では食べきれないくらいの分量だった。いや、先生のことを忘れていた。残しておくべきか、食べてしまおうか、迷うところである。そんな美千代の迷いを吹っ切るように、サトルはもくもくと料理を口に運ぶのだった。それを見て、踏ん切りがつく。よし、食べてしまおう。
料理を作ってくれたのは、旅館の女中さんで、英屋敷の料理番もしている田中幸子である。美千代は料理の説明ついでに、島についての話を聞き出そうと、女中の幸子さんを引きとめた。
「このお刺身おいしいですね。これがくさやになるとは思いませんでした」
「はい。そうですね。ムロアジは今が旬なので、ちょうど食べごろですよ。くさやも用意しているので、食べたかったらお申し付け下さい。あらかじめ用意しておくと嫌がるお客さんもいるので、注文されてからお出しするようにしているんです」
人当たりは良さそうな感じである。小柄だが元気いっぱいで、年齢は美千代より少し上だろうか、いや、老けているだけかもしれないので、よく分からない。美しい三姉妹を見た後だけに、お世辞にも綺麗だとは思わないが、それでも親しみを感じさせる表情なので、美千代にとっては安心して話せるといった感じだった。
「この魚は、どなたが釣ったんですか?」
「はい。これは村長さんです」
「え? 村長さんがわざわざ?」
幸子さんは美千代の反応に嬉しそうにする。
「はい。本当はフエダイを釣って食べさせたかったって言って、くやしがっていました。村長さんは島で一番の腕前なんですよ。この前は、大きなヒラマサを一人で釣りあげて、お造りにしてみんなに振る舞っていました」
どうやら、女中さんはよく喋るようだ。それが美千代には、直感として分かるのだった。このまま幸子さんに、島の人たちについて尋ねてみることにした。
「まだ見ていないんですけど、牛の牧場もあるんですね」
「はい。島の黒毛牛は有名で、銀座の料亭にも卸しているみたいです。これが結構いい値段で売れるみたいで」
「そうなんですか、でも、牧場で働いている方は一人って聞きましたけど、大変じゃないですかね」
「いえ。勇くんだけじゃなく、村長さんや黒川先生も手伝っていますので、みんなで育てています」
「そうですか、まぁ、そうですよね。その勇くん、佐橋さんでしたっけ? 私と同じくらいの年齢で大変だろうな、と思ったので」
「はい。勇くんはまだ島に来て半年くらいなので。そういうあたしも一年経ってないんですが」
「え? そうなんですか?」
これには驚いた。美千代は佐橋さんをすっかり島の人間だと思い込んでいたからである。
「はい。あたしらだけじゃなく、休みで島を出た、ここの従業員らもみんな島の外から来た人間ですよ。それもほとんど戦争が終わってから雇われたもんだから、島のことはよく分からないんです。去年も冬場がつらくて辞めていく人がたくさんいましたが、今年もどうでしょうかね。まだ冬を越してない人がけっこう入ってきましたから」
そうなのか、やはり戦争が島の生活を変えてしまったのだろうか。となると、島の人間といえる人は果たして何人残っているというのだろう、と美千代が考えていると、突然サトルが口を開くのだった。
「まさにそこなんです、僕が知りたいのは。戦時中、この島はどういう状況だったのでしょうか?」
「さぁ、それは、よく知らないんですよね」
と、さすがのお喋り幸子さんも知らないことは知らないようだ。
「だったら誰に訊けばいいですか? 島の歴史に詳しい人は?」
「それは、三賢神ですよ」
「さんけんじん?」
そこで美千代が尋ねるが、疑問が咄嗟に口を突いて出た形だ。
「はい。村長さんと、お医者さんの黒川先生と、神主さんで、その三人を併せて島の三賢神って呼んでいるんです」
「はぁ」
と美千代は、分かったような、分からないような返事をするのだった。
「あれです。見ざる、言わざる、聞かざる、の三猿ってあるじゃないですか、あれをご自分たちの境遇と重ねられたのかもしれませんね。ちょうど見ざるが神主さんで、言わざるが村長さんで、聞かざるがお医者さんの黒川先生になっているので。三人ともこの島にとって神さまのような人たちので、あたしらは島の三賢神と呼んでいるんですよ」
「ああ、そういうことですか」
なるほど、言いえて妙、いや、的を得るとはこのことか。三猿は日光東照宮の三猿像が有名だが、美千代はまだ見たことがなかった。三猿の由来については詳しくないが、その教えは日本古来のものではなく、世界中に似たような教えがある、というのは聞いたことがあった。
「村長さんといえば、お嬢さんたちは本当に綺麗ですね」
「見ました?」
会いました? ではなく、見ました? という幸子さん。やはり島で暮らす人にとっても、あの美しい三姉妹はある種、見世物のような感覚なのだろうな、と美千代は思った。それは美を与えられた者の業であり、宿命でもあるわけだ。
「驚きましたでしょう? あたしなんか、はじめて見た時、手品か何かと思っちゃいましたよ。そしたら種も仕掛けもないんだから、それで余計に驚いちゃいました。五人とも変わっていますよね」
その言葉に美千代が驚く。
「五人?」
「はい。あれ? 全員にお会いしたんじゃなかったんですか?」
「三つ子のお嬢さんの他にもいるんですか?」
「はい。お嬢さん方三人の下に、双子がもうひと組」
「双子ですか?」
幸子さんが詳しく説明する。
「はい。男の子と女の子で、そっちも同じ顔をしていますよ。あれ? 言わない方がよかったですかね。見て驚いた方が、おもしろかったでしょうからね。これは失礼しました」
「ま、待って下さい――」
サトルが興奮している。
「一卵性の双子で、男と女に別れているんですか? なにかの間違いじゃありませんか? そんなはずはないですよ。同じ顔なんて、そんな、似ているだけでしょう? それで、絶対に二卵性のはずですよ」
幸子さんが落ち着いて説明する。
「いえいえ。見ていただければ分かります。坊主頭とおかっぱなので、男と女っていうのは分かりますが、どう見ても同じ顔ですから」
「ああ、そうか、子供のころは二卵性でも互いに特徴が出ないのかな」
と、サトルはすでにいつもの独り言になりつつあった。
「いえいえ。一卵性です。はい。これはお医者さんが言っているので間違いありません。非常に珍しいですが、ないことはないそうですよ。それに子供といっても、お客さんと変わらない年じゃないでしょうか」
幸子さんはサトルのことを見ながら話した。
「そうですか」
と、サトルはすっかり落ち着いてしまった。話を聞くよりも見た方が早いので、つまりはそういうことなのだろう。そこで美千代が話を変える。
「今日、お屋敷の奥さまに会いに行ったんですが、奥さまというのは、どういう方なんですか?」
「ああ、いや、これは……」
幸子さんの歯切れが悪い。
「実は、奥さまについて、ぺらぺら喋ってはいけないと注意されているもので、ええ、いつもそうなんです。屋敷でも、喋ってないで手を動かしなさい、なんてしょっちゅう怒られているくらいで、ええ、奥さまは、島のお客さまに自分のことを、いないところで話されるのが嫌みたいで、はい、だから奥さまについては話さないようにしています」
美千代は吹き出しそうになった。この人は、どこまでお喋りなのだろう? 奥さまについて話すな、ということも話してはいけないのではないか。でも美千代は、そんな幸子さんのような人が大好きなのであった。
「じゃあ、奥さまについて話すのは、やめておきましょうか」
「はい。その方が助かります」
それから幸子さんは、美千代とサトルが食事を終えるまで喋り続けた。食事を終え、美千代が手伝いを申し出ると、それをやんわりと断り、一人で後片付けを行った。それから朝食は焼き魚であることを告げてから、襖を閉じたのだった。
夜もふけ、隣でサトルの寝息を聞きながら、美千代は今日一日の出来ごとを考えていた。
港の土門さん、牛飼いの佐橋さん、村長の英初郎さん、村医者の黒川先生、神主の半田さん、番頭の山辺さん、女中の幸子さん、お屋敷の英紫乃さん、その子供で、三つ子の久子さん、文江さん、操さん、双子の方は名前を知らない。
会っていない人もいるけど、これで現在、島に残っている人は全員だろうか。旅館務めの人は、みんな休暇で島を出ていると聞いた。それでもすでに島民の半数近くの人に会った計算になるので、まずまずの収穫ではないか。
どのような依頼内容なのかまだ知らないので、島民との面識が役に立つか分からないが、無駄ではないことは確かだろう。それもこれも、島を案内し、島民一人一人を紹介してくれた佐橋さんのおかげである。
そういえば屋敷で佐橋さんと別れた時、ちゃんとお礼を言っただろうか、うまく思い出せない。明日ちゃんとお礼を言いに行こう。よし、これで牧場へ行く理由ができた、と思い自然に顔がほころぶ美千代だった。そうして考え事に一区切りついたところで眠くなるのだった。
こうして美千代とサトルの一日目は終わった。




