木曜日の朝
美千代は扉を叩く音で目が覚めた。
「沢村さん」
廊下から聞こえてきた声は番頭さんのものだった。尚も呼び続ける。
「沢村さん、番頭の山辺です」
「はい!」
美千代は声を張って返事をした。
「たった今、村長さんが見つかりました。下で待っていますので、準備が出来ましたら下りてきてください」
村長さんが見つかった? 生きているという説明がなかった。それは番頭さんにとって生きていることが前提なのか、死んでいるのが前提なのかによるだろう。
しかし誰もが心配している状況だ。生きているという説明がないということは、覚悟した方がいいということだろうな、と美千代は考えた。
サトルはすでに着替えを済ませていた。決して口には出さないが、心の中で早くしろと言っているのが美千代には分かった。といっても、それはいつものことだ。
旅館の一階に下りると、すでに番頭さんをはじめ、佐橋さん、幸子さん、清さんの姿があった、ということは、全員無事だ。
「村長さんの遺体が蒸し風呂で見つかりました――」
番頭さんが具体的に説明する。
「見つけたのは勇くんです。かれは牛舎が心配で早く起きて行ったら、途中で寄った蒸し風呂の中で倒れている村長さんを発見して、それですぐに引き返して、わたしに知らせてくれたというわけです。わたしと勇くんの二人で確認しに行こうと思ったんですが、もし他の人が起きて、わたしたちがいなかったら心配すると思って、それで全員起こすことにしました。乱暴な起こし方だったかもしれませんが、その点は、すみませんでした」
ということで、旅館にいる六人全員で蒸し風呂へ向かうのだった。この時、朝の五時を回ったばかりである。夜は明け、空には一点の雲もなかった。
五時に起こされた美千代だが、十時には眠っていたはずなので睡眠は充分だ。しかも夜中に一度も目覚めることがなかったし、不審な物音も聞こえなかった。
ただし、これは物音そのものがなかったのか、熟睡していて物音に気がつかなかっただけなのか、今となっては確かめようがなかった。それはサトルも同じだろう。
しかし全員無事でよかった。起きた時旅館の中で凶行が行われていたらと思うと、怖くてたまらなかったからである。やはり全員が旅館の二階で固まったというのがよかったのだ。これは番頭さんたちに感謝せねばならない。
ただし、幸子さんの元気がない姿は気になってしまうのだった。昨晩、屋敷から帰る道で話し掛けても、幸子さんから返事以外の言葉が返ってこなかった。そのことが自分のことよりも心配してしまう美千代だった。
「幸子さん、大丈夫ですか?」
蒸し風呂までの道すがら、美千代が幸子さんに話し掛けた。
「はい」
幸子さんの答えはそれだけだった。
「ちゃんと眠れましたか?」
「はい」
幸子さんはそれだけ言うと、すぐに正面を向いてしまうのだった。今は話し掛ける時ではないのかもしれないなと思い、美千代は声を掛けるのをやめて、並んで歩くだけにした。
そろそろ蒸し風呂に着く。先頭を歩く番頭さんと佐橋さんは、真っ直ぐ男湯の方へ向かった。村長さんの遺体は男湯の方にあるということだろう。
村長さんは男だから男湯にあるのは当然だ、と思うのではなく、この場合、死体がなぜそこにあるのかと疑問を持つべきだ、と美千代は考える。まずは遺体を見てからだろう。
村長さんの遺体は、小屋の中でうつ伏せの状態で倒れていた。そしてなんていうことだろう、その遺体は入り口の方に頭があり、外からでもはっきり顔が分かるのだが、その顔。村長さんの口は糸で縫われ、しっかり塞がれていたのだった。
美千代はそれを見て気持ちが悪くなった。こんなことは絶対にあってはならないことだ。はっきりと犯人を憎悪した。発声障害という困難を抱える村長さんに対するこの行為、絶対にやってはいけないことではないか。それは美千代だけの気持ちではなかった。
倒れそうな幸子さんを清さんが支えている。幸子さんの悲鳴とも泣き声ともいえない嗚咽が、その場にいた者たちの胸に突き刺さった。誰もが同じ気持ちなのだ。
「ぼくは牛舎に行く前に風呂に入ろうと思ったんです。それで来てみたら、村長さんがこの状態で倒れていて、助からないことを確かめてから引き返しました」
佐橋さんが全員に説明するのだった。幸子さんはずっと顔を伏せている状態だ。
「ここへ来るまでに考えていたんですが――」
番頭さんが前置きをして、続ける。
「明後日には警察が来るので、そのままにした方がいいと考えるのが常識かもしれません。しかし、村長さんは牢の鍵を持っています。それを見つけなければ金田一先生は牢から出られません。どうでしょうか? わたしが牢の鍵を探すために村長さんの遺体に触れますが、それに同意していただけますか?」
番頭さんというのは根っからの商売人なのか、美千代たちだけではなく、他の島民に対しても丁寧な口調を崩さないのだった。
異論はなく、番頭さんは小屋の中へ足を踏み入れた。鍵はすぐに見つかった。ズボンの右側のポケットに収められていたのだ。番頭さんはその鍵を持って小屋から出てきた。
「ありました。これで金田一先生を牢から出すことができる。どうですか? このまま全員でそのまま屋敷へ向かうというのは?」
番頭さんはそこまで言うと、いきなり意見を変えるように首を振る。
「いや、さっちゃんは旅館に戻って休んだ方がいいな。一人では心配だ。付き添いを誰か――」
そこで美千代が手を挙げる。
「私が一緒にいます」
番頭さんがホッとする。
「ああ、そうしていただけるとありがたい。お客さまなのに申し訳ありませんが、お願いできますか?」
美千代は快く引き受けるのだった。番頭さんが続ける。
「でも、女性だけでは心配だ。わたしも旅館に残って食事を作るので、どうだろう、三人と三人で別れるというのは?」
「それでいいと思います」
清さんが一番に同意した。
「ぼくも屋敷へ行く前に牛舎に寄らせてもらえれば、それでいいです」
続けて佐橋さんも同意した。
ここで番頭さんと幸子さんと美千代は旅館へ戻り、佐橋さんと清さんとサトルは屋敷へ行くことになった。牢の鍵は番頭さんからサトルに渡された。
サトルたちは牛舎へ向かった。ここでサトルと別行動になるのは心配だが、そんなことは言っていられない。今はサトルのことよりも、目の前の幸子さんの方が心配だった。弱っている人を見ると、どうしても放っておけない美千代だった。
旅館に戻って、美千代はすぐに幸子さんを泊まり部屋へ連れていった。寝台に横になった幸子さんは、まるで気を失ったかのように眠りに落ちた。
その寝顔は憔悴しきっており、昨晩は一睡もできなかったのではないかと思わせる表情だった。気丈な人で、明るく、常に微笑みを絶やさない人だと思っていたので、美千代には余計つらく感じるのだった。
美千代は部屋に鍵を掛けて、しばらく幸子さんと一緒にいることにした。




