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英屋敷の女王

 美千代は、簡単に人の好意に甘えてしまう金田一先生に腹を立てていた。


「どこが薬ですか、これは、ただの焼酎じゃないですか」

「いや、酒は百薬の長といってね」


 そう言って、黒川先生からもらった島の名産でもある芋焼酎を飲んで、金田一先生は眠ってしまった。夕飯のお供にと頂いたのに、どうして昼間から手をつけてしまうのか、美千代には理解できなかった。


 しかも屋敷への挨拶も済ませていないのだ。依頼内容も聞かずに一晩を無駄にしてしまうのは、理解不能を通り越して、やはり腹の立つ行為だった。


 しかし、そのおかげで現在こうして島の青年の佐橋さんと、二人で気兼ねなく屋敷への道を並んで歩いているのだから、逆に先生には感謝すべきだろうか、とも考えるのだった。


 ただし、佐橋さんと二人きりというわけではなく、少し離れた後ろから弟のサトルがついて来ているので、あまり嬉しい顔は見せられなかった。そんなことを美千代が考えている間も、佐橋さんはガイドを続けるのだった。


「この道です――」


 と、佐橋さんが屋敷へと向かう真っ直ぐな道から、横に伸びた道を指す。


「こっちの脇道を真っ直ぐ行くと、ぼくが飼育している牛の厩舎があって、近くに蒸し風呂温泉があるんです。いつでも誰でも無料で入れるので、よかったら利用してみて下さい。ちょっと熱いけど、気持ちがいいですよ」


 美千代が一番楽しみにしているのが、その蒸し風呂温泉だった。事前にちゃんと調べており、説明される前からすでに知っていた。火山島の恵みともいうべき自然地熱は、蒸し風呂はもちろん、熱処理用の調理や、冬場の暖として広く利用されているのだった。


挿絵(By みてみん)


サトルのメモ


 さて、島の平地部分がアルファベットの「C」の字になっていることは前にも言った。それはつまり島の本通りと呼ばれる道が「C」の字になっているということでもある。


 現在、美千代たちは島の北側の道を歩いているわけだが、道の両側が崖に囲まれていることは南側の道と変わらなく、屋敷に向かって左手に見える外輪山の崖は、やはり絶壁で、平地からは山の向こうの海が見渡せないほど屹立としているのだった。


 一方、向かって右手に見える内輪山だが、これは南側の崖と比べて、やや緩やかのように見える。いや、緩やかといっても港のように石段が設えてないと山頂に上るのは不可能である。


 また北の道も南の道も、道の両側が崖に囲まれているため、風景は似ているのだが、説明した通り違いがはっきりしているため、方向を見失うということはない。もっとも、内輪山の方が、外輪山よりも標高が高くなっているため、高い崖山が島の中心だと知ってしまえば、観光客でも迷うことはないというわけだ。


「この道から首山の頂上に上る道があります」


 それは「C」の一番上の部分、北端に位置する道に辿り着いた時に、佐橋さんが言った言葉である。


 首山というのは、島の中央に鎮座する内輪山の呼び名で、その頂上に首山神社が建立されているのだった。首山神社への道は、スイッチバックの要領で、石段をジグザグに登っていけば辿り着けるようになっていた。それは港へ行くために外輪山を上り下りする道と同じである。


 そしてまさに、佐橋さんが首山神社への道を説明している時に、その道を下りてくる一人の男の姿が見えた。白地の狩衣かりぎぬをまとっており、どうやら神社の神主なのだろう、黒眼鏡をかけ、杖をつきながら、ゆっくりと、こちらへと歩いて来るのだった。


「あの方は?」

 美千代が佐橋さんに尋ねた。


 佐橋さんの説明によると、名を半田真人はんだまことといい、やはり神主であった。両目の視力を失っているが、毎日、早朝と午後に神社と集落を往復するとのことだ。


 歩行に困難はないのかと美千代が尋ねると、決まった道だから支障はないとのことだった。その風貌から、いかにも老人という印象を持つが、声を聞いて村長さんや黒川先生とそれほど年齢は変わらないのではないか、と美千代は思った。それは長く伸ばした口髭が白く染まり切っていないことからも分かるのだった。


 神主さんが、声の届くところまで歩いて来るのを待って、佐橋さんが声を掛けた。

「こんにちは」


 続けて美千代も挨拶を重ねる。

「こんにちは」


「おや? 聞かない声だな。お客さんかな?」

 と、神主さんが耳をそばだてた。


「こちらが、先日話していた東京の探偵事務所から来た方たちです」

 と、佐橋さんが代わりに答えた。


「ああ、奥さまのお客さんか」

「はい。沢村美千代です」

「もう一人、後ろにいるのは?」

 と、神主さんが尋ねた。

「え?」


 どうしてまだ一言も口を開いていないサトルのことが分かったのだろうか、と美千代は驚くのだった。すると、それを見透かしたかのように神主さんが説明する。


「いや、土を踏む音が聞こえたものでね。いるんだろう?」


「はい――」

 と、佐橋さんがサトルの代わりに答える。

「見習いの方が一人います。本当は三人で来られたんですが、探偵の金田一先生は船酔いで体調をくずし、旅館で休まれています」


 本当は酒に酔っているだけなのだが、わざわざ口にする美千代ではなかった。


「そうですか、それは心配だ」


 と言って、神主さんは伸ばした口髭を何度もさするのだった。おそらく癖なのだろう、一度つかんだ口髭を離そうとしなかった。


「屋敷へは、これから? それとも帰りかな? 帰りなら、旅館までご一緒しよう」


「いえ――」

 と、またしても佐橋さんが代わりに答えた。

「これから挨拶に向かうところです」


「そうですか、それならまた別の機会にしましょうか――」

 と神主さんは、残念という顔を浮かべるのだった。

「時間があったら、神社へもおいで下さい。絶景が拝めますよ。まっ、もっとも、目が見えたらの話ですがな」


 そこで神主さんは口元をゆるめるのだった。美千代は、なんて言葉を返していいものか迷ったが、結局は何も言わなかった。


「それでは、帰りが遅くなるといけないので、この辺で失礼します」


 佐橋さんの言葉で、神主の半田さんと別れた。



 三人が英屋敷へ辿り着いた時、サトルがしきりに首を捻って、ぶつくさ何事か呟いていたが、美千代は一向に気に掛けなかった。それはサトルの子供の頃からの癖で、独り言が多いのも含めて注意していたが、もう直らないので諦めていたからである。


 佐橋さんが先に屋敷へ上がり、美千代とサトルは表で待たされた。そこでサトルが説明する。


「旅館から屋敷までちょうど一時間。あの牛飼いのおにいちゃんが言っていた通りだ」

「確かめたの?」

「うん。途中で神主のおじさんと話した時の時間は入れていないよ」


 今年の春に仕事を始めるサトルに買ってあげた時計を、肌身離さず大切にしてくれていることに、美千代は嬉しく感じた。


「つまり、島を一周して港へ行くには、ちょうど二時間掛かるんだ。港の入口までは一時間半で、崖を登って下れば二時間掛かるということだね。となると、やっぱり、どうして北と南にある洞穴を繋げないのか、回り道しなければもっと早く港に行けるのに……。結局そこに戻ってしまうんだよな……。トンネル内の岩盤が弱いのかな……」


 サトルは途中から独り言になることが多い。会話が途切れるので、美千代も途中で言葉を挟んだりしないのだった。


 佐橋さんが戻ってきて言った。

「奥さまのところへ案内します」


 先刻より佐橋さんの表情が固い。それを見て、ここから先は観光ではなく仕事なんだと、美千代は気持ちを入れ替えた。



 八畳ほどの客間に通され、そこで依頼主・英紫乃はなぶさしのの姿を見た時、美千代は、その圧倒的な美に目を奪われた。凛とした佇まい。艶めかしい表情、流れるような所作。年齢は四十代半ばだろうか、年相応の美しさがある。それは若々しいという単一的な価値ではなく、熟れて、芳香が漂うような美しさだった。


「勇さん、下がって結構よ。あとは三人で話します」


 英紫乃の言葉に、佐橋さんが迅速に応じた。


 ああ、英紫乃。この人がこの島で一番偉い人なんだ、と美千代は瞬時に察した。佐橋さんの、村長さんや黒川先生、神主さんに対する接し方とはまったく違う、それは、つまり、英紫乃こそ、英屋敷の女王で、これすなわち、首狩り島の女王なんだ、と、そう思った途端、美千代は全身が強張っていくのが自分でも分かった。


「金田一先生の、お加減はいかがですか?」

「はい。船酔いですので、一晩休めば回復すると思います」

「そうですか、それはよかった」


 紫乃の気遣いのある言葉にも緊張する美千代だが、それを相手に読まれないように、毅然とした態度でのぞむ。


「あの、つかぬことを窺いますが、わたしたちの探偵事務所をどのような経緯で知るに至ったのでしょうか?」

「驚かせてしまったかしら」

「いいえ、そんなことは」

「わたくしも探偵さんに相談するのが初めてだったもので、勝手が分からず、代理人を通じて依頼することにしましたの」


 まだ質問に答えていないので、言葉を返していいのか迷う美千代だった。


「どこで知ったか、でしたね。そう、あれは十年くらい前だったかしら、岡山から来たお客さまがいて、その時に話していましたの。旧本陣一家で起こった不思議な殺人事件の謎について」


 ああ、やはり、この依頼者もまた取り違えている。


 金田一耕助――


 その名は、美千代も同業の身としてすでに知っている。昭和十二年に岡山の農村で起こった事件を、見事解決に導いた人物である。本陣殺人事件のからくりにも驚いたが、そのからくりを解いてしまう人間がこの世にいるのかと、その類まれなる叡智に、戦慄さえ覚えたのだった。


――それが金田一耕助である。


 しかし美千代と首狩り島を訪れた人物は、姓は同じ金田一でも、名は敬助けいすけといい、まったくの他人である。もちろん縁もゆかりもなく、面識すらない。それでも同じ名前で探偵業を営んでいるため、英紫乃のように間違える人があとを絶たないのである。


 ニセモノ扱いされることを極端に嫌う私たちの金田一先生も、一方で、名前のおかげで依頼が来ることを認めているので、本人が一番複雑な心境にいるようである。


 今回の依頼も名前違いだとは思ったが、そこで引き下がる美千代ではなかった。むしろ、ここからが腕の見せ所である。いつものように、すべて正直に話して、改めて依頼を取り付ける、それが美千代の仕事のすべてといってもよかった。


「奥さま、本陣の事件を解決したのは、残念ながら、わたくしどもの探偵ではありません」

「あら、そうなの? でも、金田一先生よね?」

「はい。金田一は金田一でも、まったくの別人です。あまりない名字ですが、まったくない名前でもありませんので、間違われることが珍しくないのです。おそらく、代理人の方に、正確に伝わらなかったのではないでしょうか」

「ああ、そうですか」


 明らかに気落ちした返事であった。


「奥さま、わたくしどもの探偵事務所は、金田一耕助先生にかなわないまでも、引き受けた仕事をまっとうするだけの力はあります。もし取りやめるのなら、いただいたお金はそっくりそのままお返しします。しかし、改めて依頼していただけるのなら、その時は全力で調査いたします」


 紫乃は美千代の目を見つめながら思案していた。それはまるで値踏みでもしているかのように。


「とりあえず、明日もう一度、来ていただきましょう。再度依頼するかどうかは、また、その時に考えます」

「はい」

「それと、そちらの先生が本物の金田一耕助先生ではないことを、わたし以外の者に話しましたか?」

「いいえ」

「そうですか、ならば、引き続き他言しないように」


 この日の会話はそれで終わった。あまりいい感触ではなかったので、美千代は依頼が撤回されることを覚悟した。その時は前金を返さなければならない。その場合、これまでの経費はちゃんと払ってもらえるのか、そのことばかり気になった。そして土曜日まで船は来ないのだ。宿泊費も交渉しなければいけないな、などと考える美千代だった。


 屋敷からの帰りは、美千代とサトルの二人きりになった。佐橋さんは紫乃さんの言いつけで、屋敷に残ることになったためだ。別れ際、佐橋さんは会わせたい人がいるから表で待つように、と言ったきり戻ってこなかった。


 美千代は暇を持て余すのももったいなく感じたため、屋敷をもの珍しそうに見ているサトルを話し相手にすることにした。


「サトル、旅館に戻ったら、一緒に蒸し風呂に行こうか」

「行かない」

 サトルが即答した。


 これだもん。子供の頃からのお風呂嫌いがまだ直っていないのだった。嫌いでもお風呂に入れるのが私の役目だ、と美千代は考える。


「こういうところの蒸し風呂なんて、めったに入れるもんじゃないんだよ」

「明日でいいよ。今日は疲れた」

「バカね、疲れたから入るんじゃない」

「そうだけど」

「暗くなったら、おねえちゃん、一人で怖いもん。一緒に行って、ねぇ」

「分かったよ」


 よし、これでいい。弟のような男の子には、うるさがられても、しつこいくらいでちょうどいいのだ。これで帰りの道が楽しくなった、と、そんなことを美千代が思っていると、廊下の奥から和装の女性が現れた。


 一人、二人、三人……、


「え?」


 声をあげたのはサトルの方で、目を見開いて驚くのだった。美千代は声も出ない。


「そんなことが……」


 三人連れだって歩く女性たちに対するサトルの言葉だ。


「はじめまして、久子ひさこです」

「はじめまして、文江ふみえです」

「はじめまして、みさおです」


 和装の女性が順番に挨拶をした。


 ああ、世の中にこんなことがあるのだろうか。並んだ三人の顔、それがこの世のものとは思えないくらい美しい。いや、そんなことではない。そんなことは、ほんの些細なことなのだ。それよりも、三人がまったく同じ顔を持っているということに、美千代は驚愕するのだった。


「はじめまして」

 と美千代はそう言うのが精いっぱいで、それ以上は言葉が出てこなかった。


「一卵性の三つ子ですか?」

 と珍しくサトルが興奮しており、積極的に話し掛けるのだった。


「はい、そうです」

 と三人揃って、同じ調子で、同じ言葉で答えるのである。


「そんな、一卵性で三つ子なんて」

「あるんですよ」


 これも三人揃って答えた。語尾まで一緒だ。答えた後に、三人は顔を寄せ合って笑うのだが、表情も、笑う調子も一緒なので、それは不思議というよりも、美千代には珍奇に思えた。


「驚かせちゃったかな?」

 いつの間にか佐橋さんが三つ子の横に立っていた。


「一卵性の三つ子ですか?」

 まだサトルは疑っているのだ。


「うん。ぼくも聞いた話だから詳しくはないけど、一卵性の三つ子はあるにはあるんだって。でも、それは世界的にも歴史的にも珍しく、確率にすると、およそ数億分の一だって聞いたよ」


「数億分の一」

 それきり、サトルは黙ってしまった。


「本当にそっくりで、ぼくも髪の長さを見ないと、今でも間違うと思う」


 佐橋さんの言葉に、美千代が頷いた。


 そうなのだ。三人の顔は寸分たがわず一緒でも、髪の長さがまったく違う。久子さんは腰までの長い髪。文江さんは肩にかかる程度の髪。操さんは首筋がはっきり見えるほど短い髪。どうやら長い方から姉になっているようだ。これでもし道端で別々に会っても間違うことはないだろう、と考える美千代だった。


 しかし、そんなことよりも、ひとつはっきりしたことがある。それは目の前の三姉妹が、英紫乃と村長の英初郎はなぶさはつろうの間にできた子供ではないということである。


 三姉妹の顔は、まぎれもなく混血で、日本人同士の両親からは、どうしたって生まれ得ない顔をしているからであった。それが紫乃さんの子供であるか、村長さんの子供であるか、まだこの時点では分からない。それにしても美しいと思う美千代だった。なぜだか知らないが、溜息が出るのだった。


 ああ、美しい混血の三姉妹。


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