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酔いどれ探偵

「この島、揺れてないか?」

「それは先生の頭の中が揺れているんですよ」

「そうか」


 金田一は、探偵見習いのサトルに身体を支えてもらいながら歩いているところだった。


 船旅の依頼は断るべきだった。昨年、金田一は復員船でニューギニアから日本へ帰還したのだが、その時の復員船での鼻を突く匂いや、吐き気をもよおす空気の味が忘れることができないでいるからだ。


 目の前には、ヘラヘラと笑いながら話をしている美千代と、佐橋勇という、いかにも女に好かれそうな顔をした男が、肩を並べて歩いている。金田一は、若い二人の顔にゲロをぶちまけてやりたいと思った。しかし、ゲロはすでに海に吐きだしたばかりで、胃の中はからっぽだった。


「先生、この島、おかしくありませんか?」

「おかしい?」


 島に着いたばかりで、まだ島のことは何も知らないのに、おかしいもなにもないだろう、と金田一は思ったが、サトルの話を聞くことにした。


「どうしてトンネルを開通させないんですか? 道を遮る岩山があって、その両端に洞穴がある。だったら穴を繋げてしまえばいいのに。トンネルがあれば、こんな回り道をすることもないし、物を運ぶのも楽になると思うんですけど」

「知らないよ。そんなことは俺じゃなく、島の人間に訊いてくれ」

「はあ……」

 と首を捻ったまま固まるサトルだった。


 もう、かれこれ港を出て一時間近くは歩いたことになる。平地ではあるが、道がうねるように上ったり下ったり、まるで竜の背を歩いているような感覚である。実際の距離よりも、歩くのに時間が掛かってしまうようだ。


「もうすぐ役場です」

 と振り返って、大きな声を出す佐橋の歯が白い。


 村役場は、木造下見板張りの二階建てになっており、見たところ築二十年くらいだろうか。戦前に建てられた、どこにでもある地方の役場と変わらない建物だった。


「先生、やっぱりこの島、おかしいですよ」


 役場の建物を見つめながらサトルが呟いた。前を歩く佐橋を意識してか、声が小さい。


 金田一はサトルの言葉に考えるでもなく、さらっと聞き流した。これはいつものことで、まともに取りあうことの方が少なく、親子ほど年の離れた少年を、探偵の見習いとして認めていないのである。


 村長の英初郎はなぶさはつろうとの対面は、とても静かに行われた。


「ようこそ、遠いところ、おいでくださいました」


 声を出したのは佐橋である。役場に入る前に、「村長は話すことができないので筆談となりますが、癖のある字なので自分が読み上げます」と忠告していたからである。


 佐橋によると、村長は五、六年前に声が突然出なくなったとのことだ。医師の診断によると心因性の発声障害で、原因は分かっておらず、明確な治療法がないようである。


 それでも耳は聞こえるので、筆談での会話が可能ということだ。そのため本人はそれほど問題とは思っていないらしい。それは終始にこやかな村長の表情からも感じとることができた。


 見たところ五十歳くらいの年齢で、丸々とし、人懐っこい外見をしている。この人が島の村長であり、依頼人でもある英一家の家長を務めているとは、金田一には思えなかった。なんというか、目の前の人物から島の歴史が感じられないのである。そんなことをぼんやりと考えているうちに筆談は進んでいた。


「詳しい話は家内に訊いてください。家のことは、すべて家内に任せてあるので」


 と、佐橋が紙に書かれた村長の言葉をすらすらと読み上げるのだった。村長は、佐橋が読み上げるそばから、さらに書き足していく。


「家では居場所がなくてね」


 と、佐橋が読み上げる横で、村長の顔が笑っている。笑わせているつもりだろうが、間がずれてさっぱり笑えないのだが、横で美千代が笑っているので、金田一も愛想笑いを浮かべるのだった。すかさず村長が走り書きをする。


「金田一先生、顔色が良くありませんね」


 これには佐橋が読み上げるのをやめて、金田一の代わりに説明する。


「船に酔って具合が悪くなったようです。それで休ませることなく、ここまで歩かせてしまったので、悪化させてしまったのかもしれません」


 それを聞いた村長は、これまでと違って真剣な面持ちで筆を走らせた。


「金田一先生、村長さんが診療所で診てもらったらどうかと言っています。それから、屋敷へ行くのは明日にしたらどうかとも」

「明日ですか?」

「はい。ここから屋敷までは片道で一時間は掛かります。往復することを考えると、ぼくも今日はやめておいた方がいいような気がします。診療所には黒川先生もいますし、診てもらって、今日はゆっくりされた方がいいんじゃないでしょうか」


 と、佐橋は村長の筆談を忘れて、熱い口調で話すのだった。途中から村長の言葉かどうか分からなくなったが、村長の書き足す様子がないところを見ると、過不足なく伝わっているようだ。


「それではお言葉に甘えて、今日は休ませてもらいます」


 その言葉に、美千代は何か言いたそうな顔をしたが、金田一は気にしないことにした。他人ひとの親切は受けるのが礼儀だと思っているからである。現に具合が悪い。今回の場合は、なおさら素直に親切を受け入れるべきだと考えた。


 村役場を出て、四人は診療所へ向かった。



 診療所として紹介されたのは、旅館が二軒並ぶ一角に建つ、木造の平屋だった。これは村医の黒川健作くろかわけんさくの住居にもなっているとのことだ。診察室として通された一室から、しっかりと居間が見える造りになっているが、これでは町のたばこ屋と変わらなかった。


 村医の黒川は会話をする時、目を見るのではなく、話している人の口元を見る。それは黒川が両耳の聴力を失った中途失聴者だからで、読唇で会話を行うためである。黒川も村長同様、聴力を失ったのは五、六年前ということで、先天性ではないので、話し相手がしっかり口を開けて話せば、その唇の動きを読んで、問題なく会話することができるそうだ。


「それにしても、綺麗なお嬢さんだ」


 一通り金田一の診察を終えた黒川の興味は、すでに助手の美千代に移っていた。美千代も美千代で褒められて悪い気はしないらしい。


 洋装をきちっと着こなす黒川は、四十をすぎた年齢だろうか、いや、若いのは見た目だけで、実際はもっといっているのかもしれない。立派な肉付きで、丸っこい村長の身体つきとは対照的だった。また、美千代を見るやらしい目つきから精力が旺盛であることも察せられた。


「また、ゆっくりお話でもしましょう。そうだ、明日にでも島を案内しましょうか」


 自分も誘われているのだろうか、と金田一は思ったが、黒川は美千代を見て話しているので、たぶん違うだろうと考えた。


 しかし、探偵として仕事できている人間を気軽に誘うというのは、どういうことだろうか。金田一も依頼内容を知らないが、村長や黒川も、三人の来島の意味をよく分かっていないのではあるまいか。それでいてこの歓迎ぶりである。島の人間に金田一がどのように見られているのか、おおよその見当はつくが、今は考えないことにするのだった。



 探偵一行がお世話になる旅館を見て、またサトルが呟いた。


「……おかしいな」


 俺の気分の悪さは、このサトル少年のせいかもしれない、と金田一は思った。人前では黙っているが、人がいなくなった途端にぶつくさと何事か呟く。年寄りのボヤキよりも手に負えないのである。


 二軒続きの旅館は、見るからに建てたばかりの洋風の建物と、昔からあったであろう和風の建物に別れており、金田一たちが泊るのは和風の方であった。島にきて一番に歴史を感じる人工物だったが、泊まり部屋で寛ぐ金田一に説明を加えてくれたのは、旅館で働く山辺辰夫やまべたつおである。


「百五十年前にあった宿場町の旅籠はたごを、そのまま移築したみたいですね。解体した木材を船から艀に積み替える、それだけで季節をまたぐような作業だったみたいです。というのも島に生えている樹木を木材として利用しても、どうも腐りやすいみたいで、よくなかったんですね。だから、しっかりした家を建てるには、移築が一番合理的だと考えたんじゃないでしょうか。今にして思えば合理的もなにも、無謀としか思えないんですが、それで現在の島の歴史があるので、やはりそれは大変な仕事だったと思います」


 いや、それが本当なら、大変どころか一大事業ではないか、と金田一は思った。充分な資金と、労働者を統率する力。この二点だけでも、当時の島の入植者の権力がいかに絶大であったか窺い知れるというものだ。金田一の頭に、首切り吉右衛門への想像が広がるのだった。


「昔の人はすごかった、ということでしょうか」

 と、山辺は話を結んだ。


 この山辺辰夫は二軒の旅館の主人という話だが、見たところ四十手前の年齢だろうか。こういっては失礼だが、その風采から二軒の旅館を切り盛りしているようには見えなかった。物腰は柔らかいが、見るからにくたびれており、覇気が感じられないのである。もう、どこかで終わりを迎えたような、そんな感じだ。若白髪じゃなければ、もう少し印象も違ってくるのだろうか、などと金田一は思うのだった。


「そういえば、他のお客さんの姿が見えませんね」


 話を変えて、金田一は気になったことを尋ねた。


「はい。予約されているのは、金田一先生とお連れさんだけです」

「ああ、そういうことですか。しかし客はいいとして、他の従業員の姿も見えないようですが?」

「ええ、昨日から住み込みの従業員全員に暇を出しているもので」


 と、山辺の語尾が不安定になった。


「この時期に?」

「はい」

「しかし夏場で、旅館としては書き入れ時だったりするんじゃないですか?」

「確かにそうですが、奥さまからの申しつけですので」

「奥さまというのは、英屋敷の?」

「はい。お盆も近いですしね。早めに休ませようという奥さまの心遣いだと思います」


 そういうことか。この旅館も経営は英一族ということだ。目の前の山辺は旅館の主人というより、客の世話係なのだろう、と金田一は推察した。


「普段は、どのくらいの従業員がいるんですか?」

「わたしを含めて八人です。ちょうど、いまごろ里に到着した頃じゃないですかね。里がないものは、みんなで熱海に行くと言っていました」


 金田一には、多いか少ないのか分からない人数だった。そんなことよりも、村医の黒川からもらった薬が効いてきたようだ。胸のムカムカもなく落ち着いてきた。


 落ち着いたところで、山辺に敷いてもらった布団を見たものだから、眠気をもよおすのも無理のないことで、食事を断り、ひと眠りすることに決めるのだった。


 山辺は、「夜になると電気もなく、ランプで明かりを採るしかない」ということを告げて、部屋を後にした。


 こうして探偵・金田一は、太陽が沈まぬうちに眠りに就くのだった。


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