十二時十五分
黒川先生と美千代とサトルの三人は、港へ向かう道の上を歩いていた。港へ行く崖の登り口はまだ先だ。サトルと黒川先生が歩きながら話をしている。美千代は、二人の邪魔にならないように黙って耳を傾けるのだった。
「いや、一口に日本刀といってもピンからキリまであってね、ひと言で語るのが難しいんだ。日本刀だけではなく、包丁だってそうだろう? 切れない包丁で魚でも肉でも捌くとする。そうすると身がつぶれて、まるで引きちぎったようになる。ところが、よく切れる包丁というのは力がいらない。そっと引くように身をなぞるだけで切ることができるのだからね」
黒川先生が丁寧に説明するのだった。
「しかし、まったくの素人が、つまり一度も刀を握ったことのない人が、あれほど綺麗に首を切断するというのは無理ではないですか?」
サトルも丁寧に尋ねるのだった。
「まさに、そこが専門家でも意見が分かれるところだね。一流の腕がなければ無理だと考える人と、一流の道具さえあれば簡単だと考える人がいて、なかなか互いの主張を譲らない。お互い自分が正しくて、一方を間違いだと決めつけるもんで、場合によっては、という論調にはならないんだ」
「黒川先生の考えは、どちらですか?」
黒川先生が唸る。
「うんん。わたしは専門家ではないからどちらとも言えないんだけれども、大奥さまの刀にはちょっとした謂われがあって、籠釣瓶の吉原百人斬りとまではいかないが、その刀には、目を瞑って振っても首が飛ぶ、という言い伝えが残っているんだ。この島に伝わる刀は、首切り吉右衛門の刀なんでね」
目をつむっても……、それを聞いて、背中に冷たいものを感じる美千代だった。
「ということは、刀を握ったことがない素人でも、蒸し風呂の遺体のように、綺麗に切断できるということですか?」
サトルは首の切断に拘るのだった。
「いや、それこそ場合によると思うね。あの遺体の切断面は、たまたま固い骨の部分ではなく、首の軟骨に刃が入ったから綺麗に切れたというだけで、単なるまぐれかもしれない。もう一度同じことをして、あれだけ綺麗に切断できるかは、やっぱり専門家ではないから分からないな」
黒川先生はさらに続ける。
「でも、吉右衛門さんの噂を聞きつけたのか、刀の収集家が島に来たことがあって、その人が色々と話していたな。人間の首というのは、一番固くなった時の竹と一緒だって。いい刀があれば人間の首くらい、簡単に誰でも刃こぼれすることなく切ることができる、なんていかにも好事家らしい言い回しをしてたよ」
「刀の刃こぼれって、どのくらいで起こるものなんですか?」
サトルの質問に、黒川先生がしばし考える、いや、思い出す。
「どうだったかな? 一回で駄目になる場合もあれば、まったく刃こぼれを起こさない場合もある。それと使い道にもよるだろうね。チャンバラのような合戦と、首を切る状況はまったく違うから。刃につく脂とか、防具に刃が当たるようなこともないし、うん、やはり場合によりけりかな。しかし蒸し風呂の遺体のように軟骨を切っている分には、刃こぼれの心配なんてないと思うね」
「そうですか、だったら蒸し風呂の遺体は、たまたま素人が綺麗に切断できただけかもしれないんですね」
ああ、そういうことか、サトルは遺体の切断面から可能性を探っていたんだ。そこで美千代は考える。だったら、もう一つ聞いておくことがある。二人の会話の邪魔をするつもりはなかったが、美千代は黒川先生に尋ねた。
「あの、先生――」
美千代は手を挙げて黒川先生の視線をもらう。
「大奥さまのところに日本刀があることは、島の人なら誰でも知っていることなんでしょうか?」
黒川先生が思い出しながら答える。
「ああ、そうだね。うん、旅行に出かけた連中はどうか分からないが、いま島に残っている者はみんな知っているだろうね」
「そうですか」
予想通りの答えだけど確認はできた。あの死体の首の切断が玄人にしかできないのなら、黒川先生も外部の人間による犯行を疑ったことだろう。
しかし、少なくとも黒川先生はこの時点で、素人でも綺麗な切断は不可能ではないと考えている。
それで三姉妹の仲間割れによる犯行説を捨てずに大事にしているのだ。美千代もまた、この時点であらゆる可能性を捨てられずにいた。