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闖入者

 誰だろう? 紫乃さんと黒川先生が大広間を出て行ったきり帰ってこなかった。島にいる男性は限られている。港の土門さん以外は全員揃っているのだ。周りを見渡しても突然の訪問者に思い当たる人はいないようだ。だから島の外から来た人間が考えたところで、分かるはずがないのだが、考えることをやめられない美千代だった。


 自力で島に上陸した漂流者だろうか? それとも帰るはずの観光客が帰らなかったとか? それか脅迫状、または今回の事件の関係者? 本島から警察が来たとか? いやいや、そんなことはあるはずがない、などと美千代が考えを巡らせていると、紫乃さんと黒川先生が謎の訪問者を連れて大広間に戻ってきた。


 その訪問者の姿を確認した人の反応は綺麗に分かれていて、村長さんや番頭さんは知った顔を見る驚きで、幸子さんや佐橋さんはまったく知らない人を見る目つきだった。


 美千代がその訪問者を見てまず目についたのが服装である。それは復員軍人そのものだった。年の頃は二十二、三だろうか、佐橋さんよりは上に感じる。というのも、佐橋さんと比べると体つきがひと回りは違うのだ。よく焼けた筋肉がより一層引き締まって見える。顔は骨ばっているが、それが鋭角を形成しており、いかにも男性的であった。


きよしくん! どうしてここに?」

「清?」

「いつ島に?」


 訪問者が大広間に姿を現した途端、番頭さんと神主さんが声を上げた。それを制するように黒川先生が口を開く。


「いっぺんに話されても清くんだって答えられない。それに勇くんやさっちゃんは清くんとは初めてだったね?」


 黒川先生の問いに、頷く佐橋さんと幸子さんだった。


「かれは馬渡まわたり清くんといって、以前、この島に住んでいた者だ。勇くんが来る前に牧場の仕事をしていたんだよ。理由わけあって、もう二年か三年前かな、やめて島を出たんだけどね、島にいた時は立派に仕事をしてくれていた」


 黒川先生は喋り終えると、清さんに挨拶を促した。


「奥さまと黒川先生には、先に挨拶をしました。村長さん、神主さん、山辺さん、義男くん、伊月ちゃん、お久し振りです。理由わけあって帰ってきました」


 と、清さんは深々と頭を下げるのだった。


「いつ島に来たんだい?」


 番頭さんが清さんに問い掛けた。すると、黒川先生が制するように自制を促すのだった。


「山辺くん、勝手に話をされては分からいよ。ここはわたしに任せてくれないかな」


 その言葉に、番頭さんは何も反応しなかったが、それは任せたということなのだろう。


「清くん、さっきも奥さまの前で簡単に話してくれたが、もう一度、いつ島に渡り、これまでどこで何をしていたのか話してくれるかな」

「はい。ぼくがこの島に来たのは三日前です」


 大広間に驚きの声が上がった。それはそうだ。その間、誰も姿を見掛けた者がいないのだから。


 清さんが続ける。


「本島の漁師さんに頼んで漁船に乗せてもらい、この近くの海まで来ました。島が見えたところで、港に横付けせず泳いで上陸することにしました。この三日間、姿を見せなかったのは、ええと……」


 そこから先が出てこない。そこで黒川先生が語気を強める。


「清くん、みんなの前で話すべきだ。じゃないと、不安を与えたままになるからね」


 その言葉で意を決したのか、清さんが話し始める。


「はい。ぼくがこの島に来た理由は、操さんに会うためです。でも正面から会いに行っても、きっと会わせてくれないと思い、姿を隠して機会を待つことにしたんです」


 会わせてくれない? 事情は分からないけど、操さんとの間に何かあったことだけは分かる。しかし、その事情とやらが気に掛かる美千代だった。さらに清さんが続ける。


「それで一昨日の晩、実際に二人で会うことができました。そこで二人で色々と話しましたが、どうすればいいのか結論が出ず、まだしばらく姿を隠すことにしました。しかし今朝になって、様子がおかしいと思い、心配になって屋敷に来たんです。何があったんでしょうか? 黒川先生、教えていただけないですか?」


 反対に清さんが黒川先生に尋ねるのだった。


「教えないつもりはないが、もう少しこちらも訊きたいことがあるんだ。それからでもいいかな?」


 清さんは素直に頷いた。他の者は黙って二人のやりとりに耳を傾けている状態だ。


「操に最後に会ったのは? いつかな?」

「操に何かあったんですか?」


 清さんが必死な形相で尋ねた。


「清くん、答えてくれ、質問はそれからだ」


 黒川先生も、この時ばかりは顔を緩めたりしなかった。


「昨日の晩も会いました。操さんに借りた時計が正確なら、夜の九時から零時までです」

「場所は?」


 黒川先生がたたみ掛けた。


「牧場の干し草小屋です。あそこなら見つからないと思ったので」


 清さんのこの言葉で、大広間にいる全員が考えたことだろう。そういう美千代も考えた。蒸し風呂の遺体は死亡推定時刻に幅がある。必ずしも全身死後硬直が十二時間とは限らないのだ。ということは、今朝見た遺体は牧場で清さんと会っていた操さんの可能性もなくはないのである。


 むしろ蒸し風呂の近くにいた操さんの可能性が高いのではないか? では、いったい誰が? 清さんが事件に関与しているならば、自分からこんなことを話すだろうか? ああ、まだ分からない。ここは何も決めずにおこう、と思う美千代だった。


「操とは夜中の十二時に別れたきりなんだね? それからどうした?」


 黒川先生は慎重になっていた。


「操さんは屋敷へ戻り、ぼくは小屋で休みました。九時に首山の入り口で会う約束をしていたんですが、姿を見せないので、気になって様子を探りに来たんです。まぁ、全員で屋敷へ向かう姿を遠目で見ていたので、その前からおかしいとは思ってたんですが」


 もうすでに十時を回っていた。時間は合っているようだ。ついでに清さんが操さんから借りた時計も合っているということだ。


「それで何があったんですか? どうしてここに操さんの姿がないんですか?」


 清さんは興奮して、イライラしているように見えた。黒川先生はそれを見てとり、相手を刺激させないように注意をしているようだった。事実を切り出す間合いを計っている様子だ。


「実はね――」


 黒川先生が言いにくそうにする。


「今朝から行方が分かっていなくてね。操だけではなく、他の二人も昨日の夜からいないんだ」

「え? それはどういうことですか? 他の者に黙って三人で島を出たんですか? そんなことはひと言も聞いていませんが」


 清さんは興奮しながらも、要点を突いてくるのだった。


「いや、そうじゃないよ。その中の一人、誰かは分からないが、今朝、遺体で発見された」


 そう言って、黒川先生は沈痛な面持ちを浮かべるのだった。


 清さんは畳の一点を見つめたまま固まってしまった。まばたきが激しく、口は開いたままだ。


 大広間にいる他の者も、ふたたび悲しみが波のように押し寄せてきた感じだ。


 黒川先生が気力を振り絞る。


「まだ残りの二人が見つかっていない。どこかにいるかもしれない。これからみんなで探しに行くところだ。清くん、一緒に探そう。手伝ってくれ」


 清さんの耳に黒川先生の声は届いているのだろうか。清さんはこちらを見ていた。美千代は先ほどから、その視線を痛いほど感じていた。


 探りを入れるような疑惑の目。なぜこちらを見るのだろう? いや、違う。見ているのは隣の金田一先生の方だった。


「黒川先生、ちょっと伺ってもよろしいですか?」


 清さんは金田一先生を見つめながら話したため、黒川先生には聞き取れなかったようだ。


「清くん、すまない、もう一度、こちらに向き直って話してくれないか?」


 すると清さんが金田一先生を指差した。そして、


「殺したのは、あそこに座っている男です」


 と、宣言してしまった。


 これには、ここにいる誰もが戸惑うのだった。半信半疑というよりも、寝耳に水といった感じだ。


「清くん、それはどういうことかな? 自分で何を言っているのか、きみは分かっているのかい?」


 黒川先生は務めて冷静に尋ねるのだった。


「はい。一昨日の晩ですが、ぼくは、そこに座っている男が真夜中に操さんの後をつけていたのを知っているんです。ぼくは操さんの後をつける、その人の後をつけたのですから。その人は身を隠しながら屋敷の門の中まで入って行きました。ぼくはその人が屋敷の周りをうろついていたところまで見ているんですよ」


 美千代は即座に隣に座っている金田一先生を見た。すると、ああ、なんと、額から大粒の汗を流しているのだった。そんな……、なんのために? どうして、そんなことを?


「金田一先生、それは本当のことですか?」


 黒川先生が訊ねた。


「いや、それは……」


 などと言葉にならず、言葉の入り口から弁解口調なのであった。


「それに、まだあります――」

 清さんが続ける。

「その人が昨日、首山で久子さんをたぶらかしているのをこの目で見ました」


 それにはすかさず黒川先生が弁護する。


「いや、そのことならさっき本人にも確認しているよ」


 清さんは首を振る。


「そうではなくて、この男、かの有名な私立探偵、金田一耕助を名乗っているそうじゃありませんか。この島に住んでいた者なら、その名を知らぬ者はいません。その先生がこの島に来ていると、ぼくは前の晩に操さんから聞いているんです」


「ああ、そうだ。名乗るも何も、奥さまが招待した本物の金田一耕助先生だが」


 黒川先生は当然と言わんばかりの口調だった。


「ところが、ぼくは聞いてしまったんですよ。首山でこの男が久子さんに話しているのを」


 美千代は横目で金田一先生を確認するが、ああ、焦点が定まっていない。先生……。


「奥さま、騙されてはいけません。この男は、金田一耕助ではないんです。昨日、本人の口から、ぼくは聞きました。久子さんに向かってはっきり言っているのをね」


 大広間全体に波紋が広がった。微動だにしないのは、その事実を知っている紫乃さんと、探偵一行だけだ。美千代は金田一先生よりも紫乃さんの様子が気になるのだった。


「金田一先生、それは本当のことですか?」


 黒川先生の顔から失望の色が窺えた。


「ええ、いや、そうです。いえ、わたしは金田一耕助ではありませんが、探偵をしており、名前が金田一敬助というのは本当のことですが、これには行き違いがありまして、そうです、誤解が誤解を生んだと言いましょうか、ええ、悪意も他意もない、単なる行き違いなんです。これは奥さまにもきちんとお話するべきでした」


 額から汗を流しながら金田一先生は弁明するのだった。


「奥さま、これは――」


 黒川先生は紫乃さんに判断を委ねた。それに対して、奥さまの判断は早かった。


「行き違いでは仕方ありませんね」

「奥さま、仕方ないというのは……」


 黒川先生の言葉だが、すっきりしないのは黒川先生だけではないのだろう、他の者も同調するように紫乃さんを見つめるのだった。


「わたくしが勝手に勘違いをし、相手側はわたくしが勘違いをしていることを知らない。これでは行き違いと言うしか、他に言いようがないではありませんか」


 この説明だけで、奥さまには場を納得させるだけの力があるのだ。その証拠に三賢神は揃って頷いているからだ。特に黒川先生は、今回の事件は三姉妹の仲間割れだとする強い持論があって、それは屋敷へ向かう道で、黒川先生が金田一先生に話しており、美千代の耳にも聞こえていたので確かなので、だから金田一先生を疑っているようには見受けられないというわけだ。それは本人の言葉からも分かる。


「そうですね。本物の金田一先生ではなくとも、探偵であることに変わらないのなら、ここは時間もないことだし、やはり協力してもらって捜索をはじめた方がいいでしょう」


 そこで清さんが黒川先生に反発する。


「待って下さい。この人が殺した可能性があるんですよ? それで、どうして一緒に探せっていうんですか」

「清くん、あの方は奥さまのお客さまだ。はっきりとした証拠もないのに、乱暴な発言を繰り返すのは、お客さまに失礼じゃないか」


 黒川先生が話している途中で、サトルがそっと手を挙げるのだった。黒川先生がそれに気がつく。


「うん? なにかな?」

「はい。金田一先生は犯人ではありません。先生には不可能なのです――」


 この場にいるすべての者が、サトルに注目するのだった。


「つまり、切断面の問題です。蒸し風呂の遺体を見た人にしか分からないかもしれませんが、あの遺体の首の切断面は、包丁やノコギリで切った痕ではありません。あれほど綺麗な切断面は、そうですね、日本刀しか考えられないんじゃないでしょうか。そのことを、ぼくはもっと早く黒川先生に尋ねるべきでした」


 黒川先生が何度も頷く。


「ああ、そうだ、確かにそうだ。あの切断面はおそらく日本刀。しかも一太刀で首を切り落としている。うん。わたしも早く気がつくべきだった」


 サトルが改めて尋ねる。


「この島に日本刀はありますか?」

「大奥さまだ!」


 叫んだのは神主さんだった。


 それからすぐに、その場にいるすべての者で、大奥さまのいる平屋へと向かうのだった。



 屋敷の裏手、北洞穴のそばにある平屋だが、さして広くもない家屋なので、すぐに大奥さまの不在が確認された。さらに日本刀もなくなっていることがはっきりした。この異常事態に途方に暮れる一同だった。


「これは一体、どういうことだろうね」


 黒川先生が誰にともなく呟いた。


「大奥さままでいなくなってしまったか……」


 これは神主さんだ。


「昨日、大奥さまの姿を見た人はいますか?」


 黒川先生が全員に尋ねたが、誰も手を挙げる者はいなかった。


「これは、大奥さまも含めて、早く捜索した方がよさそうですね」


 黒川先生が全員に捜索を促した。


――その時だった。


 番頭の山辺さんが平屋の中である物を発見して、事態は急転した。


「ちょっと待って下さい――」

 番頭さんが平屋から出てくる。

「これ、旅館の物ですよ。なんで、ここにあるんでしょうか?」


 番頭さんの手には携帯用のランプが握られていた。それから金田一先生をギロリと睨み、続ける。


「しかも、いや、後で確認しなければなりませんが、これは確か金田一先生の部屋に常備されているランプではないかと」


 その場のすべての者が金田一先生を見た。それは、もう明らかにこれまでの眼差しではないのだ。疑惑と恐れ、それはまるで心が透けて見えるかのように、美千代には感じられるのだった。


「金田一先生、これはどういうことですかね? 思い当たるようなことが、先生にはあおりですか?」


 黒川先生はいやらしいくらい丁寧に尋ねるのだった。


 その言葉が耳に入っているのか、金田一先生は何も答えようとしなかった。


 すると清さんが金田一先生の言葉を待たずに、近づいて先生の腕を背中に回し、そのまま後ろ手に固めて、ひっ捕らえてしまった。


 そして懇願する。


「奥さま、この男を牢に入れて下さい。警察が来るまででいいんです。どうか、お願いします。でなければ、安心して操さんを、いや、残りの者を探すことができません。お願いします。せめて捜索が終わるまででいいんです」


 すべては奥さまの判断に懸かっていた。どうするのだろう? 美千代はその判断が気になった。金田一先生がニセモノなのは承知の上、さぁ、奥さまは金田一先生をどうするのか?


「分かりました。一時的に閉じ込めておきましょう」


 奥さまはあっさりと答えるのだった。


「さぁ、牢の鍵をここへ」


 そう言って、村長さんに指示を出した。それを聞いた村長さんは急いで屋敷へと引き返すのだった。


「奥さま、ありがとうございます」


 清さんは自分の要望が通り、嬉しそうだ。さらに金田一先生の耳元で、優しくささやく。


「金田一耕助の名を騙るなんて、そんな嘘はいけませんよ。たとえどんな嘘だろうと、罪であることに変わりはないんですからね。罪に大きいも小さいもないんです」


 それを聞いた金田一先生は、反論や抵抗する素振りを見せず、じっと黙っているのだった。


 それから金田一先生を牢獄へ収監するのは、奥さまと村長さんと清さんの三人で行われ、他の者は一旦屋敷で三人を待つことになった。


 牢獄は北洞穴の中にあるとのことだ。屋敷へ戻る道すがら、それを美千代に話したのは神主さんだ。なんでも百五十年前から存在しているらしく、過去、この島にあった斬首刑の名残ではないかと、個人的な推察を話してくれた。


 それから、牢獄として機能させるために、北と南の洞穴をトンネルとして開通させなかったのではないかと、私見を付け加えた。話のついでに美千代は、神主さんに気になることを尋ねてみた。


「あの、突然現れた馬渡清さんというのは、以前、島で何かあったのでしょうか?」

「なぜそんなことを?」


 神主さんの、もっともな質問だ。


「島に来て、今の今まで姿を隠していたのには、それなりの理由わけがあるのかと思いまして。特に屋敷との間に何かあったようなことを話していたので、それが気になりました」


 美千代が率直に尋ねるのだった。


「いや、たいしたことではないが、三年前だったかな、あの男、操と駆け落ちしたんだ」

「え?」


 美千代は分かりやすいように、声に出して驚いた。


「失敗したがね。本島に渡ったところで見つかった。結局、それが元であの男は島を追い出される形でいなくなった。その後、どこで何をしていたかは分からんが、また戻ってくるとは思わなかった。よっぽど執念深い男なんじゃろう」


 三年前といえば、あの三姉妹が十五、六くらいではなかろうか。あの清という人の執念深さより、操さんの気持ちの方が美千代は気になるのだった。


「操さんの、その時の様子はどうでしたか? 駆け落ちするほど慕っていたということですよね。それが引き裂かれたわけですから、相当つらかったのでは?」

「いや、そればっかりは本人にしか分からない。人前では三姉妹で仲良く笑っていたが、一人の時はどうだかな」

「そうですね」


 神主さんの仰る通りだ。なんでも人の気持ちを推し計ろうとするけど、それは話を聞いて、情報として記憶されるだけだ。それを分かった気になって、理解したと思い込むことがよくないのだ。笑っていてもつらいかもしれないし、笑っていなくても楽しいかもしれない。人の気持ちは分からないものだ。少なくとも美千代は、そう思うように心掛けているのだった。


 牢獄へ行った奥さまと村長さんと清さんの三人が屋敷へ帰って来るまで、残りの者は大広間で待つことになった。三人が戻って来る前に、黒川先生から美千代とサトルへ非礼を詫びる挨拶があった。


「金田一先生には申し訳ないことをしました。わたしも一瞬疑問を感じましたが、よくよく考えれば、金田一先生が今回の事件に関係しているはずがありません。おそらく奥さまもあの場では、ああするより他にないと考えたんでしょう。清くんはとても興奮していましたし、もし金田一先生に危害を加えるようなことがあれば、かえって迷惑が掛かる。そういうことで、清くんの興奮が収まるまではと、考えたんじゃないでしょうか。どうか、許して下さい」


 そう言って、黒川先生は丁寧に頭を下げるのだった。


 同行の者が牢獄に入れられるという事態が起こり、美千代は肩身が狭くなるような思いを感じていたが、しかしこの場にいる者は誰一人、金田一先生が事件を起こしたとは考えていないようだ。


 それはここに集まる前に、幸子さんと佐橋さんが「気を落とさないように」と気遣ってくれたし、番頭さんは「余計なことをした」と申し訳なさそうに言ってくれたことから分かった。


 むしろ幸子さんや佐橋さんにとっては、あの清という男の方が得体の知れぬ不信感を抱いている印象を受ける。牧場の小屋で身を隠している方がよっぽどあやしい。そう感じるのも無理はない、と美千代も思うのだった。


 しばらくして奥さまと村長さんと清さんが牢から戻ってきたのだが、清さんの顔だけ、どこか満足げなのが気になる美千代だった。手柄を立てたぞ、という感じにも見受けられるのである。


 奥さまの第一声は、美千代とサトルに向けられた。


「これはあくまで一時的な措置です。まだ金田一先生がやったという証拠は何もありません。今は犯人捜しよりも人捜しの方が先決。それは金田一先生も理解されているようでした。ですから、お二人には引き続き、わたくしたちに協力して下さるよう、改めてお願いいたします――」


 それから清さんの方を向く。


「清さん、今後あのような暴力を働いた場合、次に牢に入るのは、あなたの方ですからね」


 言われた清さんの顔から血の気が失せた。


 黒川先生が言っていた通りだ。紫乃さんには紫乃さんの考えがあってのこと。本気で金田一先生を疑っているということはなさそうだ。黒川先生は黒川先生で犯人が別にいると自分で筋道を考えているように、美千代には見えた。


 そんな黒川先生の進行で、話し合いは再開された。


「ええ、それでは本題に入りますが、まず捜索は十一時ちょうどに屋敷を出ることにします。そして捜索を終えるのは夕方の五時までです。それまでには全員必ず屋敷に戻ってきて下さい。それから話し合いを行うので時間厳守でお願いします。いいですね? 何も発見できなくても、五時には屋敷へ戻ってくるように。時計を持っていない人は申し出て下さい、村長さんが貸してくれるそうです。それと、出発する時に全員の持っている時計が正確かどうか、後で確認しなければなりませんね。ここまでで何か聞きたいことがあるという人はいますか?」


 誰も手を挙げるものはいなかった。沈黙を了承とみなし、黒川先生が続ける。


「つぎに捜索範囲ですが、これは大まかにいうと四か所に分かれています。首山と牧場と集落と港です。牧場が一番広範囲ですが、他の場所はそれほど捜す場所はないでしょう。港までは距離がありますが、全員が五時まで捜索を行うので労力は変わらない。土門さんに説明しなければならないので、ここはわたしが担当しましょう。わたしの他に一人か二人来てくれると助かるが……」


 そこでサトルが手を挙げた。


「あの、ぼく、昨日港のおじさんに無線のことで報告する約束をしていたので、一緒に行ってもいいですか?」

「そうですか、そういうことならお願いしましょう」


 黒川先生が、それをあっさり了承するのだった。そこで美千代も手を挙げる。


「私も弟と一緒に行っていいですか?」


 これは私がついて行くということではなく、弟を一人にするのが心配だからだ。何かあった時は、私が守らなくてはならない。おそらく周りの者は、私の方が臆病に見えているのではなかろうか、そんな想像をする美千代だった。


「そうですね、その方がいいかもしれない。弟さんと一緒の方が心強いでしょう。それに南の洞穴の捜索もあります。わたしは耳が聞こえないので、暗い洞穴の中の捜索はお二人にお願いすることになります。やはり二名は必要だ。忘れるといけないので、今のうちに言っておきますが、旅館に寄ってランプを携帯することを忘れないようにして下さい」


 これで港方面は黒川先生と美千代とサトルで決まった。


「集落の方は山辺くんとさっちゃんに任せます。旅館と役場の中を捜して下さい。案外、客室にいるかもしれないので、くまなく捜すようお願いします。旅館と役場の中を捜し終えても見つからなかったら、建物周辺、それと畑の方もお願します。どちらがどこを捜すか、それは山辺くんが決めて、さっちゃんはそれに従うように」


 集落は番頭さんと幸子さんで決まった。


「首山は村長さんと清くんの二人でお願いします。捜す場所はそれほどありませんので、首山の捜索を終えたら、二人とも牧場の方に向かうように」


 首山も決定した。


「勇くんと義男くんは始めから牧場に行くように。最初に小屋の中や、これは調べ忘れたけど、蒸し風呂の男湯の中も確認しなくちゃいけない。それが済んだら、牧場の周辺の林の中を調べるように。後から応援が来るので、二人で捜し切ろうと思わなくていいからね」


 佐橋さんと義男くんは牧場だ。


「残りの奥さまと伊月ちゃんと半田さんには屋敷に残ってもらいます。やはり屋敷を留守にするわけにもいかないですからね。大奥さまにしろ、三姉妹の残りの者にしても、捜索の目に触れずに屋敷へ戻ることはないとは思うが、屋敷が空では迎えることもできない。一応、三人には待機しておいてもらいましょう」


 これで全員の分担が終わった。


 この捜索なら行方不明の人間が生きていれば見つかるだろうし、考えたくはないけど、もし死体であったとしても見逃すことはないはずだ。蒸し風呂に遺体を放置するような人物なので、殺した死体を隠す気はないようにも思われる。この時すでに最悪の事態に備え、行方不明者が生きていないことを覚悟する美千代だった。


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