あやふや探偵
屋敷までの道のりは、島の半周なので、時間にして一時間。その道中、敬助は村医の黒川の話し相手を務めていた。といっても、黒川が一方的に喋り、敬助はそれに対し、曖昧に頷くだけなのだが、ここまでの黒川の話をうまく思い出せない敬助だった。
首山へ登る道の手前くらいだろうか、屋敷の方から歩いてくる人の姿が見えた。その者もこちらの存在に気づいたのだろう、こちらに向かって小走りにやってきた。その者とは、女中の幸子であった。
「どうした?」
黒川が到着を待ち切れずに、幸子に問い掛けた。それに対して、幸子が息を整える間もなく説明する。
「はい。あの、久子さんと文江さんと操さんの姿が見えないので、奥さまに探してくるように言われまして」
それほど走っていないというのに、幸子はぜいぜいと息を切らしているのだった。すでに幸子の周りには屋敷へ向かう全員が取り囲むように立っていた。
「奥さまは無事か、他の者は?」
読唇で会話をする黒川を気遣い、黒川以外の者は口を開かなかった。
「他の者と言いますと?」
「三人以外は無事なんだね?」
「はい。みなさん、今ごろ朝食を召し上がっていると思います」
凶事を知らない幸子は、いつも通りの様子で答えた。そんな幸子に事実を伝えるのがつらく、黒川は一層声が低くなる。
「さっちゃん、実はね、三人のうち一人が遺体で発見されたんだ。今朝だよ」
普段はお喋りの幸子も、この時ばかりは声も出なかった。黒川の言葉が信じられないのか、ここにいる全員の顔を見回すのだった。しかし、見回した顔を見て本当だと分かったのだろう、幸子から明るさが消えた。
「さっちゃんも屋敷へ一緒に行こう。他の二人を探すのは、奥さまにこのことを伝えてからにしないとね」
すっかり元気をなくした幸子は、美千代に付き添われてなんとか歩き出すことができた。幸子の重い足取りで、さらに一行の列が伸びるのだった。
「金田一先生、言ったでしょう、わたしの嫌な予感が当たりました」
誰にも聞こえないとは思うが、黒川はひそひそ声で話し掛けるのだった。
「え? 嫌な予感?」
そんなことは聞かされた憶えがない敬助であったが、話を合わせる。
「そうですね、黒川先生の仰っていた通りです」
と、適当に答えるのだった。
「ええ、遺体の身元を分からないようにしたということは、他の二人にも、いえ、少なくとも、もう一人犠牲になっているような気がしたんです。考えたくはありませんが、すでに死んでいるということも覚悟しなければいけませんね――」
さらに黒川がぼそぼそと続ける。
「これで三人のうち一人が目の前に現れて、文江か操と名乗り上げても、わたしらにはそれが本人かどうか区別がつきませんよ――」
黒川の話はまだ続く。
「いや、金田一先生、わたしがなんでこんなことを突然申し上げるかというとですね。あの三つ子は、とにかく子供のころから仲が良くなかった。あまり知る者はいませんが、互いに憎み合っているのですよ。表面上は笑顔を取りつくろっていますが、それは人前で三人とも仲がいいところを見せるためだけです」
「いや、それは……」
言葉が続かない敬助に、黒川が言葉をつなぐ。
「いや、もちろん、それは世の中の三つ子のすべてが、仲が悪いということではありません。ただ、世にも珍しい一卵性の三つ子ですからね。外見があそこまで似てしまえば、幼い頃からなんでも三等分にさせられることで、満たされない気持ちを抱くのかもしれませんよ。それにね、人間が一番嫌うのは自分によく似た人間だという、一部の例があります。他にも、可愛さと憎さが相まってしまう例もありますしね。本人以外が彼女たちを理解するのはなかなか難しいですよ――」
黒川の話に曖昧に頷くしかない敬助であった。
「金田一先生、誤解してもらっては困りますが、わたしは何も彼女たちの仲違いが原因で、今回の事件が起こったと言っているわけではありません。あくまで嫌な予感がしたというだけで、ただ、ご存じのように、この島には一昨日から限られた人間しかいませんからね、そこを踏まえると、わたしが彼女たちを疑ってしまうのも分かってください――」
何を懇願されたのか、敬助にはよく分からなかった。
「いや、しかし、よりによって探偵の金田一先生がいらっしゃる時に、こんな事件が起こってしまうなんて、島の事件に巻き込む形になってしまい、申し訳ない気持ちはあるんですが、この巡り合わせには心強く感じています」
残念ながら、ここにいる探偵は、かの名探偵・金田一耕助ではないのだ。とはいえ、そんなことは知ったことではない敬助だった。
英屋敷へ辿り着いた敬助たちは、客間ではなく、三十畳以上もある大広間でしばらく待たされた。黒川が英紫乃と村長さんに、これまでの経緯を別間で説明しているからだ。
その間、大広間では誰も口を開くものはいなかった。黙りこくっている顔からは胸の内がはっきりと分からない。過去を悼む者、未来を案ずる者、さまざまだろう。
しかし見た目からは、誰がどの程度悲しんでいるのか一切分からないのである。悲しい顔は自分に対するものかもしれないし、それが故人に対するものとは限らないからだ。そんなことを敬助がぼんやりと考えていると、黒川と英一家の面々が大広間へと入ってくるのだった。
紫乃は毅然としていた。怒りも悲しみもまとっていない。それは紫乃にとっての平常なのである。その後ろの村長と義男と伊月も同じように無表情だった。この三人からも感情の波は感じられなかった。
これでは、まるで何も起こっていないようだ。牛飼いの青年くらいだろうか、彼一人だけが険しい表情をしているのだった。まともなのはあの青年だけか、と敬助は思った。
「ええ、この場はわたしが代表して喋らせてもらいます。いっぺんに話されると理解できないので、何か発言がある時は挙手でお願いします」
黒川の進行で話し合いがはじまった。
この場には英紫乃、村長の英初郎、息子の義男、娘の伊月、村医の黒川、神主の半田、番頭の山辺、女中の幸子、牛飼いの佐橋、探偵の金田一敬助、助手の美千代、見習いのサトルの計十二人が座っている。
これは大奥さまと呼ばれる老婆、港の土門、そして故人と不明者の三姉妹を除いた、島にいる人たちのすべてである。座り位置を見るまでもないのだが、改めてこの屋敷の主は、上座に座っている英紫乃なのだな、と敬助は理解した。
「久子と文江と操の中の一人が、何者かによって殺されたのは明らかです。そして三人のうち残り二人の行方が分かっていない。そこで、これはここへ来る途中、金田一先生と話し合って同意していただきましたが、その残り二人の捜索を最優先にしたいと考えています。まず、これに異論がある方はいますか?」
そう言って、黒川は座を見渡すのだった。
道中、ただ話を聞いて、ただ頷いていただけなのに、勝手に同意したことにされたな、と敬助は思ったが、べつに口を挟むことではないので黙っていた。もちろん異論はないし、それはここにいる誰もが同様だった。
「それでは同意を得たものとして、続きを話します。現在、朝の八時半になりました。今すぐ全員で探しに行きたいのは山々ですが、ここから港の方へ行くと往復で四時間の道のりです。捜索するには体力もいります。ですから、まずは全員で朝ご飯をしっかり食べてから探すというのはどうでしょうか?」
正直ありがたい提案だと敬助は思った。
「そこで、さっちゃんに朝ご飯の準備をしてもらう間、我々で昨日一日の出来事について話し合ってはどうだろうか? 三人と最後に会ったのは誰で、それは何時ごろだったのか? それを知るだけでも捜索に役立つかもしれない。金田一先生、そうですよね?」
黒川は突然、敬助に同意を求めた。それに対し、やはり頷くだけの敬助だった。
「本来ならば金田一先生に取り仕切っていただくのが一番ですが、わたしに向かって喋ってもらわないと会話が分からないので、このまま続けさせてもらいます。まずは朝ご飯の支度をする前に、さっちゃんに訊いていいかな?」
黒川は優しく尋ねるのだが、その表情まで柔らかいのだった。
「はい」
幸子は緊張していた。それをほぐすための黒川の優しさだろうか。
「それでは昨日から今日まで、どこで何をして、会った人や見掛けた人について聞かせてくれないかな。これは他の人にも同じことを尋ねるので、みなさんも今のうちに思い出しておいて下さい。特に久子と文江と操については詳しくお願いします。それじゃ、さっちゃん、いいかな?」
黒川は公平であることを、ことさら強調するのだった。
「はい。昨日はいつも通り五時に起きてお屋敷に朝ご飯を作りに行きました。七時に食事をお出しした時は、お嬢さま方三人とも変わりはありませんでした。それから午前中は日課になっている役場の掃除です。途中、金田一先生とお弟子さんの方が見えられて、村長さんと四人で少しだけ話をしました。午後は旅館に戻って、自分の部屋に一人でいました。それから夕方になってお客さまにお出しする夕飯の準備です。夕飯は助手の美千代さんとお弟子さんの三人で一緒に食べました。それから後片付けをして眠ったのが九時です。それから今日も五時に起きてお屋敷へ行きましたが、七時になってもお嬢さま方が姿を現さなかったので、奥さまの言いつけで旅館の方へ探しに戻ったんです。それでお嬢さまの――」
そこで幸子の言葉が途切れた。
「うん、さっちゃん、もういいよ。つまり、さっちゃんは昨日の朝ご飯の時に三人を見たきりなんだね?」
要点だけを尋ねる黒川だった。
「はい。その時は、いつもと変わりませんでした」
幸子はさっきと同じこと繰り返した。
「昼に役場の掃除を終えて、夕飯の支度まで、一人で何をしていたのかな?」
気になったのだろう、黒川はさらに尋ねた。
「はい。今週は島にあまり人がいないもので、自分の部屋でゆっくりしていました。あの、いけなかったでしょうか?」
「いや、それは構わないよ。いつもさっちゃんには助けてもらっているんだ。うん、分かった。それじゃ、我々の食事の準備をしてくれるかな? お屋敷の人は食べたから、残りの人数分でいい。もちろんさっちゃん、自分の分も忘れないんだよ」
黒川がそう言うと、幸子はそそくさと炊事場へと向かった。その時、幸子からは解放感のようなものが感じられたが、それがよく分かり、羨ましくも感じる敬助だった。
「次は、わたしが話しましょう――」
黒川が自らの行動を話し始める。
「起きたのはいつもと変わらず六時で、それから午前中に金田一先生と見習いのサトルくんが家に来て、少しだけ話をしました。それから午後は寝るまで家の中で過ごしました。三人とは一度も会ったり、見掛けたりしていません。それで朝になりました。以上ですが、何か訊きたいことがある方は、どうぞ遠慮しないで訊いてください」
誰も手を挙げる者はいなかった。きっと黒川はいつも家の中で過ごしているんだろうな、と考える敬助だが、単にこの場の人間が消極的なだけのようにも見え、それは目の前に英紫乃がいるからではないか、と考えるのだった。
「質問はないようなので、次の方に移ります。勇くん、いいかな?」
黒川に指名された牛飼いの佐橋青年もまた緊張していた。当然だ、この場は特殊な状況なのだから。敬助は息を吸ったり吐いたりするのも気を遣っているほどであった。
「昨日の午前中は牧場で仕事をしていて、その時に金田一先生の助手の美千代さんが一人で来られて話をしました。午後は引き続き牧場の仕事をしていたんですが、暗くなる前に蒸し風呂の掃除もしておきました。……その時は、小屋に異常はありませんでした。三人とは会っていません」
佐橋は苦しげに答え、唇を噛んだ。その表情が悲しそうだった。
「蒸し風呂の掃除というのは、何時ごろか分かるかな?」
黒川による当然の質問だ。
「夕飯の前なので、五時には終わっていたと思います」
「牧場で他に見掛けた人はいないかな? それとか、夜中に不審な音を聞いたとか?」
「いや、そういうのはありません。あったらちゃんと話しています」
「ああ、そうだね。わたしは別に勇くんを信用していないわけじゃないんだ。質問をしてはじめて気がついたり、思い出したりすることがあるからさ、どうか気を悪くしないでほしい」
黒川の態度は、旅館で番頭の山辺と話している時とは大違いである。あれはやはり番頭との相性がよくないだけなのか、それとも黒川もまた、紫乃の手前を意識してのものだろうか、まだよく分からない敬助だった。
「すいません。ぼくも言い方が悪かったです。以後、気をつけます」
そう言って、佐橋は頭を下げるのだった。
「いや、いいんだ、勇くん。はっきり答えてくれる方が助かるよ。うん」
英紫乃はまだひと言も喋っていなかった。それが非常に気になる敬助だった。
「半田さん、次、お願いします」
「ああ、昨日は何も変わらんよ。午前と午後に山に登った。途中、蒸し風呂で探偵事務所のお譲さんと会ったくらいで、屋敷のお譲さんとは話をしていないな」
神主の半田はゆっくり答えるのだった。神主もいつもと変わらない行動なのだろう、黒川も質問がないようだ。
「次は山辺くん、いいかな?」
と丁寧な口調で尋ねる黒川に、朝の険悪な雰囲気はなかった。
「昨日の朝はお客さまに朝ご飯をお出しして、午前中はのんびり過ごしました。午後は金田一先生の助手の方とお弟子さんが旅館に戻られたようなので、外は暑かっただろうと思い、部屋までお茶を運びました。三人についてですが、ええ、あれは午前だったか午後だったか確認していませんが、金田一先生と話をされていたのは見掛けました。それ以降は見ていません。今朝、朝ご飯を準備しているところへ半田さんが来るまで、不審な点はありませんでしたね」
番頭は、質問を寄せ付けない感じで話を締めた。
「そうですか、とくに訊くことはないようですね。次はお話に出ていた金田一先生、お願いできますか?」
唾液で喉を湿らせてから敬助が口を開いた。
「午前中は奥さまへ挨拶に伺うために屋敷へ行きました。事務所の者も一緒です。そこで朝に一度、三姉妹に挨拶をして、それから奥さまとも会い、すぐに旅館の方へ戻りました。それから役場と黒川先生の自宅へ行き、旅館に戻りました。旅館に戻ると三姉妹がいたので、そこでまた話をしました。話しの途中で久子さんを残して、残りの二人は屋敷へ帰ったんですが、それは午後をすぎた頃ですね。それから午後は久子さんの観光案内で首山に登りましてね、夕日が綺麗だと言うんで、ええ、夕日を眺め、日が沈む前には山を下りました。久子さんとは屋敷と旅館の別れ道で別れたきりです。わたしは真っ直ぐ旅館に戻り、疲れもたまっていたので、早めに眠りました」
敬助は一気に喋り、茶を口に含ませた。
「ここで屋敷の人に訊く前に、助手の方とお弟子さんにも続けて話してもらいましょうか。いいですか?」
美千代の番だ。
「はい。今までの話に出てきましたが、午前中は屋敷へ行き、それから私は一人で牧場の方へ行き、佐橋さんと神主さんと話をしました。午後になって金田一先生に旅館の前で会って、そこで久子さんとも会いました。金田一先生が仰っていた通り、二人で首山に登るというのはそこで聞いています。それから私は弟のサトルに会いに港へ行きました。土門さんに会って、役場に行くことになったんですが、ここからは弟が話します。ここからはずっと弟と行動が一緒なので」
美千代はなるべく自然にサトルへと繋ぐのだった。
「僕が港へ行った理由は、島へ来た時、無線の調子が悪そうだったので、それが気になって港へ行きました。無線は部品を交換しないと直らないようで、交換の部品がないか村長さんのところへ行ったんですが、ありませんでした。それからは話に出てきた通りです。特に付け加えることはありません。夜中に起きたということもないので、朝、姉が遺体を発見するまでは何事もありませんでした」
サトルは妙に落ち着いているのだった。そこで、黒川が思い出す。
「そうそう、無線が使えないんだったね。それをみんなに話すのを忘れてた。緊急連絡ができれば港に行っていたが、それもあってね、土曜日に連絡船が来るまでは本島と連絡ができない。なに、三、四日の辛抱だ」
と、黒川はのんびりと答えるのだった。
時間の感覚が合わない、と敬助は感じるものの、この島で時間の感覚が合っていないのは、おそらく自分の方だろうということも分かっていた。一週間が一日くらいの感覚、それくらいズレていそうだと感じなくもなかった。
「それでは、次は村長さんにお願いしたいんですが、紙に書いているようなので、わたしが代読します」
黒川が村長から紙を受け取り読み上げる。
「六時起床。七時八人で朝食。九時幸子と共に役場に到着。十一時金田一先生と同伴一名が来客。三時沢村姉弟が来客。四時は飛ばして、五時帰宅。六時屋敷。七時五人で夕飯(久子・文江・操を除く)。十時就寝」
そこで黒川が顔を上げる。
「奥さま、夕飯の時、三人の姿を見ていないんですね?」
黒川は村長ではなく、紫乃に尋ねた。
「書いてある通りですが、知っての通り、揃って食事を摂るのは朝だけですから、不思議ではありませんね」
紫乃がはじめて口を開いた。
「ええ、そうですね。その後、三人の姿を見ましたか?」
「いいえ。三人のうち、誰とも顔を合わせておりません」
紫乃の声はよく通った。そして一切震えや強弱がないのだった。ここで黒川先生が、説明を加える。
「金田一先生とお弟子さん方は知らないと思うので説明しますが、三姉妹は屋敷とは住居が別なんです。昔は屋敷の離れになっていましたが、現在は完全に独立しています。まぁ、彼女たちも大人ですし、自立して暮らしているというわけです――」
そこで、黒川が話を変える。
「それでは義男くんと伊月ちゃんに訊くけど、お姉さんたちのことを知っているかな?」
「この子たちは何も知りません。昨日は屋敷から出ていないのですから。食事の後も部屋から出ていませんからね」
黒川は義男や伊月に直接尋ねたのだが、紫乃が代わりに答えてしまった。
伊月への脅迫状を知っているのは、紫乃と探偵事務所の人間だけだ。紫乃はその脅迫状の存在を公にしないのだろうか、と敬助は気になったが、それはどちらでもいいことだ。決めるのは依頼主であり、依頼を受けた者は、依頼主の出方に合わせるだけだからだ。
「それでは簡単といいますか、大雑把ではありますが、全員の行動は把握できました。それによると、文江と操は正午に確認されたきりで、久子は日没前まで。蒸し風呂で発見された遺体が誰のものか判断できませんが、三人の誰かが蒸し風呂へ行った姿は見ていないということになるわけですね」
そこで黒川は黙りこくってしまった。
黒川は頭を抱えたい心境だろう。その気持ちがよく分かる敬助だった。これだけ話して収穫もなければ、全員のアリバイもあやふやなのだ。死亡推定時刻を絞ったって、アリバイが確かな者が何人いることやら……。
「やはり残りの二人を探し出す他ないようですね。こうしているうちに一人でも屋敷に戻ってくればと期待していましたが……」
黒川は絞り出すように言葉を吐き出すのだった。
「先生」
声を出して真っ直ぐ手を挙げたのはサトルだった。
「ああ、金田一先生のお弟子さんですね、なにか?」
全員の視線がサトルに集まる。
「はい。黒川先生は、あの遺体がいつ亡くなられたと、お考えですか?」
「ああ、そうだね。まだ話していなかった」
そこで黒川は全員に説明する。
「ええ、これには理由がありまして、判断が難しいのですよ。全身死後硬直していたことから半日前だと考えるのが一般的ですが、遺体が見つかった場所は蒸し風呂の中。入口の戸を閉めてしまえば六十度で保温されるわけです。そうなると硬直の進行が速まってしまうんですね。こういう特殊な状況の検死はよく分からないのでね、ひょっとしたら六時間、いや、場合によっては発見から三、四時間前ということも考えられるかもしれないな。どちらにせよ、三人のうちの誰であるかは特定できません」
やぶ医者ではなかったかと敬助は思ったが、いま一つ決め手に欠ける割り出しなので、なんともいえなかった。それでもサトルは、説明してくれた黒川にお礼を言って頭を下げた。
その他の質問はなく、そこで話し合いは一度お開きとなった。それから屋敷の人間以外の者で食事をしたのだが、そこでは話らしい話もなく、咀嚼する音が聞こえるだけだった。敬助はそれを見て、通夜の方がよっぽど活気があると思った。
さて、予想外の出来事が起こったのは食事の後、大広間に再度全員が集まり、行方不明者捜索の範囲と班分けをしようとしていた時のことである。
屋敷の入り口から男の声で「ごめん下さい」という声が響いてきたのだ。これには、その場にいた者全員がもれなく戸惑って顔を見合わせた。
なにしろその声は力強く、かつ若々しかったからである。そう、その声は明らかに港の土門の声ではなかったからだ。
「誰だ?」
それは誰が発した声か分からないが、おそらく全員の気持ちだろう。島にいる男は、土門以外全員大広間にいる。全員が驚いているということは、誰ひとり声の主を知っている者は存在しないからだ。
美千代も当然分かっていなかった。サトルはいつものように首を捻っていた。幸子は明らかに不安そうだ。佐橋は警戒している。番頭は落ち着いているように見えるが思案している最中のようだ。村長と神主と医者は、何を思っているか定かではないが、互いに顔を見合わせている。さすがの紫乃も思い当たらないようだ。義男と伊月は平然としているように見えるが、よく分かっていないだけかもしれない。敬助だけだった、もしや? と思ったのは。