色ぼけ探偵
「ああ、なるほど、こうして上から島を見渡すと、この島はまるで大きな馬に踏まれてできた、蹄鉄の跡のように見えますね。くっきりと蹄鉄の部分だけ窪んでいる」
「そんな大きな馬がいるんですか?」
「ダイダラボッチがいるくらいです。それを乗せる馬がいてもおかしくないでしょう。きっと馬に乗ったダイダラボッチが、この島を踏みつけていったんじゃないですかね」
「金田一先生は、真面目なのかふざけているのか、分からないお人ですね」
「いや、僕は大真面目ですよ。久子さんの前では、うまくふざけることもできない」
「それが、ふざけているように聞こえますけど」
「弱ったな。どう説明すればいいのかな。こうして平然としているように見えるでしょうが、あなたと一緒にいるだけで、緊張しているのですよ」
「ああ、それなら、わたしだって同じです」
「いや、僕はあなたの何倍も緊張していますよ」
敬助と久子が、島の真ん中にある首山の頂上で、島を見渡した時に交わした会話である。あれから数時間、二人の会話は続いていた。
途中、神主が山頂に登って、午後のお勤めだろうか、本殿で祝詞を上げていたのだが、その時、敬助と久子は身を隠すように本殿の裏で肩を寄せ合った。
別に隠れる必要はないのだが、なぜかその時は、二人が互いに求めるように手を取って、境内の裏手に回ったのだった。隠れている間も、その手を離そうとはしなかった。
神主が山を下りた後、敬助と久子は神社の周りを散策した。昔は人も多く、今よりお祭りが華やかだったこと、島で生まれて島で死んでいった人のこと、島を出て二度と島へ戻らなかった人のこと、疎開先で出会った人のこと、生まれて初めて島以外で暮らして感じたこと、島に戻って来て、改めて感じた島のこと、そして自分が奉仕している仕事について、これまでの短い半生で起こったすべてのことを久子は話した。
すべてを聞き終えた敬助は、そっと久子を抱きしめていた。
なぜだろう? なぜ、彼女は俺なんかに自分を語って聞かせるのだろう。今朝会ったばかりの男ではないか。語り尽くすことで答えが得られると思ったのだろうか。
ああ、そういうことか。やはり彼女は俺を金田一耕助と思っているからなのか。だとしたら、語り終えた彼女は今、俺の言葉を待っている。そう、考えを巡らす敬助だが、言葉はなく、抱きしめることしかできなかったというわけだ。
「あなたに、どうしても言わなければいけないことがある」
決意を込めた敬助の言葉だった。久子は不安とも期待とも受け取れない顔をしていた。
「僕は、あなたの知る金田一耕助ではありません。探偵をしていることに偽りはありませんが、あなたの母上が勘違いをされて、僕をここへ呼び寄せたのです。僕は金田一敬助といって、まったくの別人なのです」
久子が何も話さないのを見て、敬助が続ける。
「あなたには、いや本来なら誰にも言うつもりはありませんでした。しかし、あなたを欺くことはどうしてもできなかった。どうか許して下さい」
敬助は俯き、久子からの言葉を待つのだった。
「どうしてわたしに許しを請うのですか? もう金田一先生がどこのどなたであろうと関係ないのです。わたしはわたしで、目の前のこの人にすべてを話してしまおうと決めたのですから」
おそるおそる見上げる敬助の目の前に、久子の慈悲深い顔があった。
「先生、わたしは胸の内をすっかりお見せすることができて、本当に嬉しく感じているのですよ? お願いですから、先生はご自分を責めないで下さい。わたしは目の前の一人の男性に、ちょっとだけ甘えてみたくなっただけなんですから」
久子に太陽のしずくが降り注いでいる。それは祝福であり、天上からの喝采だった。
敬助は久子の手を取って、おあつらえ向きの場所を探した。なぜならそれは、久子を抱こうと思ったからだ。それが敬助には必然に思え、今やるべき必要なことだと感じられたからであった。
それは久子も同じ気持ち、いや、そこまでは分からないが、少なくとも敬助の思いに、同じだけの思いを返しているようにも感じられた。
「もう、ここへは誰も登ってきません」
久子のその言葉が、敬助を導く。
雨ざらしの神楽殿の舞台の上。板は傷んでいるが、腐ってはいない。島中を見渡せる、いや、水平線を望む、その舞台の上に、敬助は久子を導いた。
西洋を思わせる顔立ちに、真っ黒な髪が伸びている。その黒は、夜の帳よりも深く、絹糸よりも光沢がある。その一本一本が息をしており、生が宿っているのだった。
口づけをして、たましいを吸い合う。言葉を交わせない口づけの状況が、もっとも心を触れ合わせることができる瞬間だった。何度も生あたたかい息を口に含み合う。
帯を解き、木綿の着物を脱がせ、久子の裸体を神楽殿に横たえた時、敬助は感謝で涙が溢れそうになった。俺のような男を迎えてくれることの悦び、それを受け止めるだけではなく、自らも俺自身を渇望してくれる。ああ、この女こそ、まことの神さまだと、敬助は思わずにはいられなかった。
よこしまな思いや、うしろめたい気持ちにさいなみ、男女の営みは悪しきこととさえ感じてしまうこともあった。自然と湧き上がる欲望に、何度も自分を罰したこともある。生まれながらの罪人は、つぐなう術を知らず、戦地で明日をも知らぬ日々を過ごした。これまで何度も拒絶され、野蛮なものを見る女たちの目に耐え続け、時に男性性を踏みにじられもした。
しかし今日、久子に出会い、天上がひっくり返ったのだ。積年のわだかまりは、ひと回り以上も若い、年下の女によって解かれたのである。ああ、女よ、われを受け入れる汝こそ、救い、そのものではないか。
男女の営み。これほど尊い生命活動は、ほかにはない。まぐあうことが生きることであり、まぐあうためだけに、立ち上がることもできる。生まれてきてよかった、これまで生きてきてよかった、これからも生きていきたい、そう強くなれるものが、男女の営みの中にあるのだと、敬助は確信した。それを教えてくれたのは久子である。
※以下、十八禁の表現が含まれるため、ガイドラインに則り、自主規制します。
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それから敬助は取り出して、それを久子の口から、喉の奥の首に突き差すのだった。
やがて敬助が果たした時、久子は神楽殿の舞台の上で、ぐったりとするのだった。
そして敬助は人目がないことを確認して、逃げるように山を下り、旅館へと戻った。