表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/6

第一話 健やかなる朝の目覚め


「太一くん!朝だよ、早く起きて!」

 その日の朝、高校生の四ツ身太一は自分を呼ぶ恋人の声によって目覚めを迎えた。


「太一くん。起きた?」

「ああ、起きたよ。おはよう、奈奈子ちゃん」

 太一は眠気眼をこすりながら恋人である胡桃崎奈奈子に挨拶をした。


 目を開いた太一の視界には見慣れた光景が広がっていた。

 自室の天井、ライトグリーンの壁紙、昔流行った映画のポスター、窓から入り込む朝の光、自分の顔を覗き込む恋人の光の無い黒い瞳。


「おはよう、太一くん」

 奈奈子が太一を見下ろしながら言った。艶のある長い黒髪の整った顔がゆっくりと笑顔を作った。太一はそれに応えるように笑おうとしたが顔の筋肉がうまく動かなかった。

 いつもの事ではあるが、朝の起き抜けに居るはずのない人間を見かけるのは心臓に悪いと太一は思った。


「奈奈子ちゃん、今何時?」

 太一は体を起こしながら奈奈子に聞いた。

 目覚ましがまだ鳴っていないという事は7時よりも前だろうかと太一はぼんやり考えたあと、そういえば目覚まし時計は奈奈子に壊されたのだと思いだした。


 私から朝太一くんを起こす役目を奪う目覚まし時計が憎い。

 今から一週間前、ネジ一本に至るまで念入りに破壊された太一の目覚し時計を前に奈奈子はそう言った。


 私よりもこんな無機物に太一くんは朝起こしてもらいたいの……?

 そう言って静かに迫る奈奈子の前にして、太一はどうしてこうなったんだろう?と自問した。


 そもそも、奈奈子が壊したこの時計は、他ならぬ奈奈子自身が太一にプレゼントしたの物だった。朝が苦手な太一の為に、私だと思って大事にしてねと奈奈子がくれたのだった。

 その奈奈子の分身とも言える時計が奈奈子の手によって粉々にされ、奈奈子が私と奈奈子のどちらが良いかと尋ねてきている。


 あまりの状況に太一の口から薄い笑いが漏れた。

 いやその時計くれたの奈奈子ちゃんだったよね?と太一は聞くこともできず、代わりに無言で時計だったものを丁寧に集め、まとめて不燃物でゴミに出した。


 その後、奈奈子から太一の私物を壊してしまった事を懸命に謝られ、時計を壊したお詫びをすると宣言をされた。

 うん分かったとだけ軽く返事をした太一は、てっきりまた代わりの時計をくれるのかと思っていたが、それは全くの思い違いだった。


 目覚し時計が亡き今、太一くんを起こすのは私の役目と奈奈子は思いたち行動を開始した。

 具体的には、夜のうちに太一の家の玄関の鍵を破り、眠りにつく太一の側で起床の時間までひたすら太一を見守ることにしたのだった。


 朝起こすくらいわざわざ来なくても携帯に電話をかけるだけで事足りる事と、もっと言うならば携帯電話のアラーム機能で充分だという指摘を決してしてはいけない事を太一は経験則から知っていた。


 かくして太一は恋人の不法侵入を咎める事が出来ないまま今に至るのであった。


「あのね太一くんっ、今は6時52分47秒だよ!」

 奈奈子は元気よくそう言って、先程の太一の質問に答えた。時計としての役割をしっかりと果たした恋人を前に、太一は今度はちゃんとした笑顔を作った。


「そう。奈奈子ちゃん、教えてくれてありがとう」

「えへへ、どういたしまして」


 照れたように笑う奈奈子に、太一は一瞬見とれてしまった。

 自分の恋人であるという贔屓目を抜きにしても奈奈子は整った顔をしており、瞳に全く光が無いことを除けば奈奈子の顔に欠点を見つける事は太一には出来なかった。


 美人は3日で飽きるというが、幼稚園の頃から毎日欠かさず見ているはずの奈奈子の顔を、太一は見飽きるどころか日増しに魅力的に感じるようになっていた。


 その奈奈子が天真爛漫な無邪気な笑顔を作っている。

 理想の恋人が、自分のことを好いてくれている。それがどれ程の幸福かなど太一には言うまでもない事だった


 だから、その笑顔の下にどれほどの深さの闇があろうとも、その行動力が時折法に触れようとも、そんな事は些細な事だと太一は思った。そう自分に言い聞かせた。


「ところでさ」

 太一は布団から出てベッドに腰掛けるように座ると奈奈子に尋ねた。ベッドの上に足を崩して座る奈奈子と、太一の目線の高さが重なった。


「先週からずっと聞きたかったんだけど」

「うん。なぁに?」


 小さく首をかしげる奈奈子の瞳の中に、太一は自分の姿を見た。

 深い暗闇の中に囚われた自分が、底のない落とし穴に落ちていく錯覚に陥り、太一はすぐに視線をそらした。


「玄関には鍵が掛かってたと思うんだけどさ」

「うん。かかってたよ」

「その鍵を奈奈子ちゃんは、持って無かったと思うんだけど」

「うん。欲しいけど、まだ持ってないね」

「いくら奈奈子ちゃんが欲しがっても、鍵はあげられないんだけど。まぁ、聞きたいのはそこじゃなくてさ」

「うん?」


 太一は本題をきりだした。


「奈奈子ちゃんは毎朝、一体どうやってこの家に入って来るのかな?」


 太一の質問に奈奈子は一瞬キョトンとしたあと、口角をあげいたずらっぽく笑った。


「ひみつ」


 奈奈子の口が小さく動き、そう言葉を発した。

 まあ、そう簡単に犯罪を自供したりしないか、と太一は思った。


「強いて言うなら」

「何かな?」

「愛のちからって言ったら、太一くんは信じる?」


 一瞬、何を言ってるんだお前は、と言いそうになったところで太一は言葉を飲み込んだ。

 太一の知る愛はディンプルキーの代わりにはならないし、金属製の扉や窓のロックには無力のはずだった。だが奈奈子は愛の力でそれらのいずれかを突破したらしい。


 愛ってなんだ。太一は心の中で叫んだ。


「信じてくれないの?」


 奈奈子は上目遣いで太一を見るとゆっくりとした動作で太一の方に手を伸ばした。奈奈子の細い指が太一の胸に触れた。

 奈奈子は人差し指を立てて、太一の胸にハートマークを描いた。


「信じるよ」


 太一は言った。嘘も方便。愛とは何かという不当な論議を朝からする気力は太一にはなかった。


「奈奈子ちゃんからの愛を疑ったことなんて無いよ。奈奈子ちゃんが愛と言うならきっとそうなんだろうね」


 太一はそう言って奈奈子の頭を撫でた。奈奈子はくすぐったそうに、それでいて嬉しそうにしていた。


 細かい事は気にしない。細かくない事も気にしない。それが瞳に暗闇を宿しがちな恋人との付き合い方だと、太一は長い時間をかけて学んでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ