9. 枯れ尾花
集合は18時だったが、俺は17時半には図書室についてしまっていた。暇を持て余していたのである。
瀬戸の呼び出しにもっと手こずると思っていたが、意外にも、黒電話を探したいので協力して欲しい、と言うと二つ返事で了承してくれ、お陰で夕方までの余った時間を、俺は一旦街に出てぶらつことで消費した。
メダルゲームで長時間粘っていたが、時間の経過とともに次第に集中力を欠く雑なプレイをしがちになり、数百枚あった手持ちのコインは2時間もすると全てなくなって、結局マックで無料WIFIを使って携帯を弄って過ごすことになった。
大字は何か用があると言っていたが、一体何をしているのだろう。暇すぎた俺は、もう少し早い待ち合わせ時間でもいいのではないか、と自分勝手な不満を持ちながら、こうして大分早く図書室に足を運んだのだった。
図書室に入ると、真ん中ほどにある読書コーナーで瀬戸の後ろ姿を見つけた。
急な呼び出しに応じてくれた感謝をしようと近づいていったが、彼女は不安を通り越して焦燥を覚えているのか、椅子に座って頭を抱えながらず激しく貧乏ゆすりをしていた。その得も言われぬ雰囲気に圧倒され、俺は情けないことに話しかけるタイミングを失った。彼女の精神状態は、昨日見た時より明らかに悪化している。
時間になったらまた話しかけようと思い、俺はその場を後にする。
何か暇つぶしになるような読みやすい本でもないかと図書室内をふらふらしていると、窓際で外の景色をぼんやりと眺めている、見慣れた細長いシルエットを見つけたので、近寄って話しかけた。
「少し早いけど、もう行かないか?瀬戸ももう来てるぞ」
「まだ日の陰りが今一つだわ。もう少し待ちましょう」
いきなり後ろから話しかけたが、沼隈は全く動じる気配なく答える。俺はもう時間待ちにうんざりしていたので、沼隈にもう一度催促する。
「もう少しってどのくらいだよ。10分?15分?」
「細かいわね。非モテが滲み出てるわよ」
子供のように駄々をこねる俺に、沼隈が半ば呆れながら返事をする。
自分がせっかちであるのは自覚していたが、非モテは余計だ、と思った。元々18時の約束だったし、沼隈が動かないというのであれば待つより他はない。
俺は沼隈の気が変わったら一分でも早く移動できる事を期待して、傍の棚に背を預けて携帯を弄る事にした。
それから10分はたっただろうか。チラリと携帯から目を上げると、沼隈は何をそんなに見る物があるのか、来た時と同じようにずっと夕焼けに移り変わっていく空を眺めていた。
口さえ閉じていれば美人だから、滲み出る儚さと夕焼けが相まって、中々に絵になっている。
「あなたは、夕焼けを見ていてどう思う?」
ふいに、沼隈が話しかけてきて聞き逃しそうになる。
「どうって言われても、それはどういう意味で?」
「そうね…直感的に何でもいいわ。逆に余り考えた答えは聞きたくないから」
直感か。既に一旦こうして考えてしまっているので、逆にそういわれたら難しくなる。
「直感というか、まさに今思ってる事は、ああ、今日も一日終わったなぁって感じだな。頑張って授業も受けたし、ゲーセンで遊んだし、今日の晩御飯は何だろうかとか、テレビ何か面白いのあったっけとか、そんな感じだな」
我ながら言葉にしてみると凡人すぎて涙が出てくる。
「達成感みたいなものかしら」
「まぁ、そういうところだな」
「プラスのイメージなのね」
もう少し何かコメントがあるかと思ったが、特に沼隈は何もいわなかった。
「逆に、お前はどうなんだよ」
「私?」
「そうだよ。自分だけ聞くってのはずるいだろ」
それもそうね、と言って沼隈は数秒程黙ったあと、口を開く。
「私はもう終わってしまった、という感じかしら。もっと色々出来たんじゃないか、あの時こうしておけばよかったんじゃないか。そんなことを考える時があるわ」
「思ったよりも気弱なんだな」
「そうかもしれないわね」
表情は見えなかったが、少し笑うような吐息が沼隈から漏れた。
「それで、結局何の話だったんだ?」
「コップに水が半分入っていて、『まだ半分ある』のか『もう半分しかない』のか、どちらを感じるのかと言ったのと似たような質問ね。その人の考えや精神状況を推測するゲーム。暇つぶしよ」
「そうかい。まだ暇つぶししなきゃいけないのか?」
「あと、もう少しといったところかしら」
気づけば太陽は山の向こうに隠れ、夕焼けは遠くなっていた。空は紫に染め上がり、あと少しで夕方ではなく夜と言ってもいいくらいになる。
「黄昏ね」
沼隈が呟く。
「黄昏の語源は、夕暮れで人の顔が区別つかなくなる程暗い時、誰そ彼と通りすがる相手を誰何した事からくるといわれているわ。碌に明かりのない時代では、暗闇に対する恐怖は今よりも格段に大きかったのでしょうね。道行くすれ違う人が、男か女か、はたまた子供なのか老人なのかさえわからなくなってしまう。そこに人間以外の何かを見てしまう程に」
急に沼隈が饒舌になる。沼隈の言う通り、既に薄暗くなってしまっていた室内では、こちらに向けている彼女の顔はよく見えず、背格好と声くらいでしか沼隈だと判別する術がない。
「黄昏を逢魔が時とも言うけれど、怪奇現象に出くわすには、まさにうってつけの時間帯だわ」
沼隈がこの時間を指定してきた理由がようやくわかった。黒電話に会う確率をこれで上げているつもりらしい。
「出くわすのはいいが、何かあっても暗くてよくわからないんじゃないか?」
幽霊の正体見たり枯れ尾花、と言うが、これでは逆に枯れ尾花に幽霊を見いだしに行こうとしているように思える。
「だからこそいいのよ。怪談も女の子も雰囲気が大切なんだから。明るい中でムードなんて作れないでしょう」
それこそ無粋だわ、と沼隈が首を振る。
「わからない事をわからないままにするのも、案外乙なものなのよ。大抵の人は、少しでも危険だったり不安な事があると、我慢しきれず調べてしまう。そのせいで、人は今まで沢山の神を葬って来たというのに。良し悪しも考えず、白日の下に引きずりだし、隅々まで観察して、人智に貶め、一方的に落胆する。全てがわかってしまったら、想像の余地がなくなって世界がつまらなくなってしまうわ」
沼隈の言葉はどうも観念的で概観しか分からなかったが、言いたいことは何となくわかる。
「じゃあ、今から俺たちはつまらないことをしにいくんだな」
もし黒電話の呪いが解決してしまえば、それは終わった話になる。不思議がまた一つこの世から消える。恐らく沼隈が言いたいのはそういう事だ。
「そうね。よくわかってるじゃない」
沼隈が声を弾ませ、嬉しそうに言う。
「あの二人が呪われたのは不幸かもしれないけど、ある意味私は羨ましいわ。だって、中々味わえない非日常の世界に、足を踏み入れる事ができたのだから。死んだような惨めな日々を生きるよりも、危険だらけのあちらの方が、もしかしたら何倍も素敵なのかもしれない」
「気持ちはわかるけど、実体験は御免だな。そう思う人が多いから、納涼の怪談企画の記事をこうして俺がやっているんじゃないか。皆、安全な範囲で楽しみたいんだよ。恐怖で夜も眠れないとか溜まったもんじゃない」
瀬戸も大字も結局はそれで参っているのだから。
「何よ。つまらないわね」
沼隈が不満そうに言うと、チラリと外を見る。もうすぐ完全に日が没する。
「そろそろ行きましょうか」
歩き出した彼女の後ろをついていく。
図書室は棚の陰になっている場所を歩くと、ほぼ真っ暗闇に近くなっていた。
ふと、都会において一番暗いのは、夜ではなく、電灯をつける直前のこの黄昏時が一番暗いのではないだろうか、と思った。寸前迄の夕焼けの鮮烈な光のせいで、足元の闇にまだ目がなれていないせいだ。
携帯のライト機能を使おうかとも思ったが、先ほどの沼隈の言葉を思いだし、使用をやめる。彼女に野暮な奴だと思われるのは、ちょっと癪だった。