3. 戸惑いと期待と
オカ研の部室の前に立ち、ドアをノックして数秒待つ。
返事が聞こえたのでドアを開けて入ると、中には長机に座った男子二人と女子一人がいた。
部室にはオカルト研究部らしく、UFOやその手のグッズ、書籍が部屋の両サイドの棚に飾られている。
そのせいで部室が若干手狭になっており、我が新聞部に比べると、少し圧迫感を感じた。
「何か?」
ついグッズに目を奪われて立ち尽くしていると、恐らく部長なのだろう、気弱そうな、眼鏡をかけた男子が俺に問いかける。
「突然すいません。新聞部2年の千年といいます。ちょっとお聞きしたい事があって参りました」
「立ち話もなんだし、どうぞ」
そういって、開いている席を薦められる。
俺は着席すると、手短に新聞部で納涼企画を検討している事、それに悩んでいるので、オカ研として今
話題の黒電話の噂話を集めているかどうかを聞いてみた。
教えてほしい、とは言わなかった。
何故なら、本来部を跨いでの依頼は部長同士のやり取りになるので、『お願い』をしてしまうと、下手をしたら部長の耳に入ってしまうからだ。
今回は飽くまでも俺個人として、雑談の中で話を聞かなければならない。取材源として彼らは使えない。副部長が言いたかったのはそういうことだ。
主に俺の会話の相手をしてくれたのは、男性二人で、眼鏡の方が部長、もう一人が副部長という事だった。
何故か同席している女性は話には加わらず、黙々と一人で読書をしている。
「そうだなあ。その辺りは沼隈さんの方が得意かもね」
オカ研部長が、横に座っていた女生徒の方へ視線を送る。
沼隈と呼ばれた女生徒は、読んでいた本を閉じると、部長の方に顔を向け口を開いた。
本から顔を上げてようやく気づいたが、線の細い美人だ。
「集めてはいませんけど、個人的に聞いているものなら幾つかあります」
見かけ通りの、冬の朝のような透き通ったどこか冷たい声だった。
「あ、そう。じゃあ彼に教えてあげて」
部長はやる気なさげに彼女に指示を出す。
「わかりました。千年君、場所を変えましょうか」
「え、あ…いいのか?」
もう少しごねたり交換条件を出されると思っていた俺は、余りにもとんとん拍子に話が進みすぎて、逆に戸惑いを覚えていた。
取り合えず、何故場所を変えるのかはわからなかったが、促されるまま立ちあがる。場所を変えないと話せないような物でもあるのだろうか。
「沼隈さん。僕らは帰るからここ使っていいよ」
部室から今にも出ようとしていた俺たちを、部長が呼びかけて制止した。
「あら、そうですか。ありがとうございます」
男子二人はそそくさと帰る準備をすると、別れも告げずにそのまま部室を出ていき、俺は余りの去り際の良さに面食らっていた。
厄介ごとを持ち込んだ自覚はあったが、ここまで歓迎されていないとは。部長同士の告げ口がないように神に祈りたくなった。後で新聞部の生き仏に10円お賽銭をしておこう。
二人が出て行った結果、当然ではあるが、部室には沼隈と二人きりになってしまう。
あの二人がいると、大っぴらに取材的な行動はできないので、結果的に助かりはするのだが、今一つ釈然としない物が心の中に残っていた。
「ごめん。もしかしてタイミングが悪かったかな」
彼女との会話の糸口が見つからなかったので、一応非礼を詫びてみる。
「大丈夫よ。あの二人は帰るタイミングを探してただけだから」
「そうなのか。何か次に予定があったんだな」
良かった。心の中に安堵が広がってお賽銭は取りやめが決定した。
「いいえ、逆に予定がなかったんでしょうね」
「…んん」
沼隈の言葉は謎かけそのもので、意味が分からず唸ってしまう。
彼女の口ぶりだと、俺が来なければ二人はあのまま帰れなかったという事になる。自分たちの部室なのにだ。
「変な話をしたわね。忘れて頂戴」
俺の困り顔を見て、沼隈が微笑をする。
「あ…ああ、わかった」
その微笑みを見て、俺は今更ながら美人と二人きりという状況を意識してしまい、無意識のうちに肩に力が入っていた。
その白くて細い指や、細く艶やかな肩口までの髪、服の上からでもわかる華奢な体に、気を抜くとつい目がいってしまう。
一見すると、病弱で儚げな雰囲気漂う彼女だったが、その整った顔立ちの中で、意思の強そうなクッキリとした二重と眉が、その雰囲気を完全に打ち消している。
新聞部の部長とは違う意味での意思の強さを感じる目だった。部長は我を通して人に押し付けるタイプだが、沼隈は恐らく、自分は自分、他人は他人という我関せずのタイプに見える。
本当に自分に自信のある人間は、こんな感じなのではないかと思った。
「どうかしたかしら?」
無言で見続けてしまったせいか、沼隈が怪訝そうな顔でいう。
「あ、いや。なんでもない…せっかく場所を譲ってくれたんだし、話を。話をしようか」
俺は先ほどまでの浮ついた気持ちを追い払うように咳払いをすると、ようやく本題に入る。
「それで、部長が言っていたけど、君の知っている黒電話の話を聞かせてくれないだろうか」
「そうだったわね。まず、私がそれを知った経緯を話すわね。このオカルト研究部では、私が女性の好きなお呪い系の相談に乗っているのだけれども、話のついでに黒電話のことも聞いた、という感じね。ちなみに、部自体はUFOやUMAの研究をメインにしてて、この活動は私くらいしか実はしていないの。やっていることは確かにオカルトのはずなんだけれど、他の部員からはどうも不評なのよね…」
はぁ、とため息をつく。
なるほど、お呪い系の活動は一人の活動という事か。そうなると他の部員が嫌がる理由は何となくわかる。
「もしかして他の部員って、全員男子じゃないか?」
「ええ、その通りよ。やっぱり嫌かしら?」
「いやというか、興味は女子より薄いかもしれない」
なるべく、傷つけないように言葉を選んで返答する。
女子のするお呪いという事は、偏見だが恋愛系がメインなのではないだろうか。個人的な感想だが、完全に男の出る幕ではない。
そもそも、男は女の恋愛系の話に興味がない。たまに多治米が俺にしてくる時があるが、興味がなさ過ぎて坊さんの説教より頭に入ってこず、生返事をして多治米をイラつかせることがあるくらいだ。
多治米も多治米で、人が興味がないのをわかってて話してくるんだから、懲りないやつだと思う。
「男は恋愛話を他の奴にするのって、女々しいと思われるから結構避けがちだし、活動としての敷居は相当高いかもしれない」
今までどんな彼女が欲しい、とか付き合ったら何したい、という事は話題に上がった事があったが、男からの恋愛相談なんぞ、ついぞ受けた事がない。
「やっぱりそうかしら。じゃあ、男性は何だったら興味があるの?」
それは勿論健全な男子なのであっちの方だったが、女子においそれと言えるものではないので、幾分かハードルを下げて誤魔化すことにする。
「男が知りたいとすれば、お呪いよりもっと実践的なものだと思う。例えば、女性をくどく方法とか」
正直言った後、自分が知りたいと思っている事を吐露しているようなものだったので、恥ずかしくなって自然と頬が熱くなるのがわかった。
「異性を振り向かせたいという思いは一緒なのに、アプローチの方法が性別でこうも違うのね。男女の行き違いがなくならないはずだわ」
恥ずかしさを堪えて答えた甲斐あってか、沼隈は納得してくれたようだった。
「じゃあ、男女の行き違いをなくすお呪いについて次は研究してみたらいいんじゃないか?」
「それはいいわね」
ふふ、と沼隈が優しく笑う。
場の雰囲気が大分柔らかくなったのを感じ、俺は密かに安堵した。ここに来た時、彼女の冷淡な態度を見た時はどうなる事かと思ったが、雑談のお陰で少しは警戒心を解いてくれたようだった。
こと取材においては、相手が警戒心を持ったままだと、中々口を割ってくれなかったり、嘘をつかれたりするので、相手との信頼関係というのが非常に重要になってくる。聞く人によって話す内容が全く変わる人もいるので、俺も未だに痛い目に合うくらいだった。
加えて、それは悪意のあるなしだけでなく、もともと、人間は余り自分の話している事に対して意識をしながら喋っていないので、聞く側もうまく話を誘導するテクニックがないと、話があちらこちらにとんでわけがからなくなってしまう。
誘導尋問はやり過ぎだが、話に大体のアタリを付けてから会話に入った方が、不意に混じる雑談などのノイズに流されず、結果として有意義な事を聞ける機会は多い。俺の知る限り、副部長はその辺りが巧みだった。
沼隈との雑談を切るのは非常に名残惜しかったが、完全に脱線しかけていたので、そこから黒電話の話に戻した。
彼女の話は、残念ながら俺の把握している内容と余り大差はなかったが、一つだけ、それを使ったら何を願うか、という追加情報が知れたことが大きな収穫だった。
「大体痩せたい、とか、成績を上げたい、彼氏が欲しい、そういう系のお願いがメインだったわね」
「オーソドックスな10代女子の悩みって感じだな」
進研ゼミに入ったら全部解決できそう、と本人たちには言えない揶揄が頭に浮かんだ。
「私個人としては、黒電話というのは今一つ腑に落ちないのよね。例えば、悪魔だったら願いを叶える代わりに、魂というそれ相応の対価を払う事になるのだけれど、この黒電話は何の対価も必要としないのよ。願ったら叶えてくれるだけっていう虫のいい話なの。噂に何を言っているんだって感じもするけれど、少し胡散臭い感じもするわ」
この噂に関しての真面目な意見というのを聞いたのは初めてだったので、俺は少し嬉しくなって、脱線しているとわかっていたが、その話に乗ろうと口を開く。
「話が上手すぎるっていうのはあるかもしれないな。でも、それは中々見つけられない黒電話を努力して見つけたっていう努力賞というか、運の良さが引き換えになっているって考えられないか?」
俺の中では、黒電話は人生のボーナスステージみたいな印象だった。
「なるほど。マヨヒガということね」
「何?迷った蛾…?」
沼隈が耳慣れない単語を口にしたので、思わず聞き返した。
「ごめんなさい。迷うに家、と書いて迷い家ね。訪れた者に対して幸福を授ける山中の幻の家の話よ。そう考えると、選ばれし物のみに与えられる幸福、という話で、それほど一方的ではないのかもしれないわね」
俺は迷い家の話自体を知らないので置いてけぼりをくらっていたが、沼隈はそうね、と頷き、何やら一人で納得したようだった。
疑問が解決して満足げな彼女を後目に、俺はまだ、やっぱりこれはうまい話に違いないのでは、という気持ちを拭えないでいた。
黒電話の願いを叶える能力に制限があるのかは知らないが、才能や容姿など、努力では変えようのない物まで変えられるのだ。それこそ、場合によっては過去でさえ。破格どころの話ではない。
どちらかというと、身に余る幸福は身を亡ぼす、という意味で、呪いの類のようにも感じられる。
元々の納涼ホラー企画の観点からは、この感じで願いを叶えた結果しっぺ返しを喰らって不幸になるオチが黒電話についてくれると、大変ありがたいのだが。
ともあれ、聞きたかった事はこれで全て終了である。
俺は沼隈に聞いた話をノートに纏め、彼女に礼を言って話を切り上げようとすると、あちらから不思議な質問を受ける。
「千年君は、しばらくこの件で聞き込みをするのかしら?」
「ああ、今日を含めて三日間だけだけど、その予定だよ」
質問の意図がわからなかったので多少疑わしさを覚えたが、協力して貰った手前丁寧に答える。
「良かったら私も同行していいかしら」
「えっ、何でまた?」
予想外の申し出に、つい驚きの声が出た。
「文化祭の出し物を考えていたのだけれど、千年君の話を聞いていて、噂話を編纂してみるのも面白いかもしれないと思ったのよね。同行するのは、多分あなたとは見る視点が違うから、聞く相手に二度手間にならないようにしたいと思っての事よ」
「あ、ああ。そういった理由なら全然構わないが…」
彼女の意外な積極性に気圧され、しどろもどろになりながら了承する。
取り合えず条件反射的に聞いてしまったが、断る理由自体も特にないし、何ならてんぱっていたせいで、聞いた話は耳の穴から抜けていった。
変な縁もあるものだな、と思いながら、連絡先を交換して、久しぶりに女子の連絡先が増えた自分の携帯をシミジミと眺める。
「明日からよろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いするわ」
自分の胸に、大きな戸惑いと、微かな期待が渦巻いているのを実感した。