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夕刊タブロイド  作者: nana
第二部:非行少女(完結)
19/21

8. 肉薄

 翌日の昼休憩。連絡先を交換した大字から『赤坂んち私も行くから』とメッセージがあった。来てくれるのは有難かったので、放課後校門で待ち合わせて行くことになった。


「どうして来てくれる気になったんだ?」


自転車を押しながら、大字に聞いてみる。


「千年が悪い奴じゃないってのは知ってるけどさ、流石に娘の友達でもない奴を家に上げて話をしたりしないでしょ。紹介した手前責任を感じるから一緒に行くよ」


「むむ…」


大字の言う通りだった。色々調べて一方的に知ったつもりになっていたが、よく考えれば俺は赤坂と一言も話したこともない、同じ学校の生徒というだけの赤の他人である。赤坂母とは一度多治米と一緒に合っているが、あの一瞬で顔を覚えているかどうか。


「すまん、助かる」


自分のやる気が空回りしている事に気づかされる。


「いいよ。それに、表向きは赤坂は体調不良で休んでるってことになってるから、家出の話いきなりしちゃ駄目だかんね。ちょっとわざとらしいかもだけど、名目はまずお見舞いでいくよ」


「えっ。誰も体調不良だなんて信じてないだろ」


「信じる信じないじゃなくて、世間体。あと、戻ってきた時赤坂が学校来づらくなるじゃん。だからあの子のお母さんも、あたし達に赤坂が今どこにいるか聞けないんだろうね。ま、聞かれてもしらないけどさ」


あはは、と大字は楽し気に笑う。


「それより、後どれくらい歩くんだ?結構遠いと思うんだけど」


「赤坂チャリ通だったからね。人も減って来たしそろそろいいかな」


「何が?」


と聞くと、大字は自分の松葉杖を渡して来たので、成すがままにそれを受け取る。お前もしかして骨折嘘だったのか、と思うのも束の間、彼女は俺の自転車の荷台部分に乗った。そういう事か。


「よろしく」


「いや、二人乗りは校則違反だろ。ダメだ」


同じクラスの奴が春先それで反省文を書かされていたのを覚えている。しかも男同士でのニケツと言うアホな行為で。こんな事で文章を書くために新聞部に入っているわけではない。


「足骨折してる女の子を見かねて校則違反だとはわかってましたが送ってあげようと思いやってしまいました。はい美談」


「無茶だろ。それ絶対俺だけ怒られるやつだろ」


しかも私はいいっていったんだけど~、とかいってお前裏切る奴じゃん。


「え~信じらんないな。私とニケツしたい奴があの学校でどれだけいると思ってるの?」


「男子全員として半数くらい?」


「150%は堅いね」


「もしかして骨折したのって頭だった?」


生徒数越えてんじゃねえか。


「同じ男が複数回ニケツしたいくらい魅力的ってことだぜ!いえーい行け行けー!」


ノリで生きてるパリピな感じだった。こいつは多分、黒電話に呪われて二段階くらい人生の照度を落とした方がいい。


「じゃあ、大字だけ荷台に乗れよ。そのまま引っ張ってやるから…」


ちょっと腕と腹筋が辛いができないほどではない。大字は楽できるなら何でもいいのか、この提案に乗った。ちなみにニケツよりよっぽど視線を集めた。


 「あれだよ」


それから20分。住宅街らしき所を進んでいると、大字が新し目の2階建ての洋風の家を指さした。ローン組まなきゃ買えなさそうだ。


親父さんがいないといっていたが、どうやって建てたのだろう。


俺は大字の一歩後ろに下がり、出しゃばらないようにして玄関の前に立つ。大字がチャイムを押すと、家から出てきたのは、小学校中学年くらいの女の子だった。妹さんだろうか。


「大字っていうんだけど、お姉ちゃんいる?」


「いない」


女の子は人見知りなのか、こちらを警戒しており、ドアを半開きにして何時でも閉められる形にして、目だけでこちらを覗いていた。


「あーそっか。じゃあ何時頃帰ってくるかな?」


「わかんない。ずっと帰ってきてないし」


「うーん、そっか…」


大字は妹が出てくるパターンを考えていなかったのか、早速困っているようだ。お見舞い作戦に変わる手段を考えていなかったらしい。考えなしにも程がある。


「じゃあ、お母さんはいるかな」


大字の旗色が悪そうだったので、俺が後ろから妹さんに話しかける。まだ赤坂が帰っていないなら、駅前で赤坂母を見なかった理由はなんだったのだろう。場所を変えたとかなら、今も外出してるはずだが。


「いるけど、寝てるからだめ」


「寝てる?」


こんな夕方早くから?


「うん。お姉ちゃん探してずっと外にいたから、体が悪くなったみたいで寝てる」


一番あって欲しくないパターンだった。そうなると、今は誰も赤坂を探していないことになる。


「大字」


小声で大字に話しかける。


「何?」


「赤坂のお母さんに話がきけないなら、少しでも捜索の為の手がかりが欲しい。部屋に入れないだろうか」


「オッケー」


即答だった。大字は急に頭を掻き出すと、やっばいなぁ、困ったなぁと大仰に演技をしだす。


「お姉ちゃんに貸してた漫画のレンタル期限、とっくに過ぎてんだけどなぁ~」


「えっ…そうなの…?」


妹さんが困惑の表情を見せる。


「うん。今日返してもらおうと思ってきたんだけど。ごめんね!ちょっとだけ上がって本だけ返してもらってもいい?」


「う、うん…」


スッカリ大字のいう事を信じてしまったのか、妹さんがようやくドアを開ける。勝った。流石大字、考えなしではあったが、咄嗟にここまでできるとはコミュ力が高い。


俺たちは赤坂母を起こさないようこっそり家に入ると、妹さんに二階の一部屋に通される。ドアを開けると、そこは綺麗に片づけられた六畳ほどの部屋であった。香水のような女の子の部屋独特のいい香りがする。


妹さんは俺たちを監視するかと思いきや、人見知り故か隣の自分の部屋に引っ込んでしまった。手がかりを見つけるにはうってつけだ。


部屋を一瞥すると、机の上に何枚か写真立てがあった。この家を買ったときにでも取ったのか、家を背景に父、母、赤坂、妹の4人で撮った物、どこかのホテルで姉妹一緒にベッドで寝ている物、誕生日らしき日にケーキと赤坂を取った物、どれを見ても、撮り手の愛を感じる写真だった。それを見て暖かな気持ちになった俺は、赤坂の父がいないのは、離婚ではなく死別なのではないかと思った。


「ちょっ、千年!こっち来て!」


大字が急に大声を出す。箪笥を探していたようだが、何か手がかりらしきものが見つかったのだろうか。


「この子の下着すっごい地味!」


「馬鹿野郎か!」


大字は完全に遊んでいた。彼女は赤坂の下着を両手に持ち、わざわざ広げてしげしげと眺めている。


「いやー、凄いね。人の箪笥の中見るのってこんなに楽しいとは思わなかったわ」


俺はドン引きしていた。人選を間違えただろうか。やはり頭を下げて多治米にお願いしたほうがよかった。


「お前何なの?脳が頭から家出でもしてるの?ほんと無理なんだけど」


ちょっとは俺から醸し出してるシリアス感を汲んで欲しかった。


「あたしに文句言うなら、千年は何かみつけたワケ?」


「うっ…ないけど」


見つけてないだけで、遊んでる奴と同レベルにまで格下げされるのは納得できない。


「いいからここはあたしに任せなさい。下着を盗まれでもしたら赤坂が泣くわ」


下着を荒らされてる時点で普通は泣くと思う。しっし、と手を払って追いやられた俺は、不承不承ながら言われた通りクローゼットを開けてみる。冬服や秋服がハンガーにぶら下がって狭そうに詰められているが、手前の制服のスペースに一着分だけ空きがあった。今現在着ているものだろう。


クローゼットを調べるとなると、眺めるだけでなくポケットの中身を確かめたりする必要があるが、何となく女子の服を触って中身を確かめるのは気が咎める。


「大字。悪いけど、クローゼットとか服飾関係は頼んでもいいか。やっぱり男が触るのはよくない」


「ん、いいよ」


俺は机を調べる事にした。引き出しの中を確かめてみるが、筆記用具や化粧品などが入っているだけで、特におかしなものは見当たらない。


次に本棚を調べたが、漫画や小説、参考書を一冊一冊手に取ってパラパラと流し読みしてみるが、何か証拠になるようなものが書いてあったり挟まってもなかった。意外と少年漫画も読むんだな、と思ったくらいだ。


そもそも推理小説のように、ご丁寧にもヒントを本に挟む人間がいるのか自体が怪しい。そんなのは初めから探して欲しいとでも言っているようものだ。


「大字、こっちはもう終わったけど何もなさそうだ。そっちは?」


「こっちも特にはないよ。そもそも、何が手がかりなのかさえよくわかんないしね。お手上げ」


「だよな…」


地図とかにわかり易く書き込みしたり、ノートに家出計画でも書いて残してくれればいいのだが、最近は全部携帯でできるから、物的証拠が残りづらい。その肝心の携帯も、おそらく本人が持ったままで、連絡が取れない。


「余り長居してお母さんに会うと負担をかける。そろそろ帰ろう」


「了解」


俺はもう一度だけ、何かないか部屋をぐるりと見渡してみる。日当たりのよい南部屋。窓からレース越しに零れてくる西日が、ベッドに格子状に落ちている。


寝具は綺麗に枕と布団が揃えられており、また部屋も埃っぽさは感じられず、恐らく娘がいつ戻ってもいいように母親が手入れしている事が伺えた。快適そのものだ。


去り際、机に大事そうにおいてあった家内安全のお守りをさり気無くポケットに入れる。赤坂の家出先に繋がる証拠は見つからなかったが、いざ会った時、これで人情に訴えて落とす小道具として使えるかもしれないと思ったからだ。


部屋に閉じこもっている妹さんに、家の電話番号を聞き、俺の連絡先をお母さんに渡すようお願いすると、礼をして赤坂の家を出た。


大字の家は自転車で行ける距離らしかったので、手伝ってくれたせめてもの礼に家まで送ることにした。場所的に学校から離れているし、時間も遅かったので帰りは行きと違い二人乗りにした。


「ごめん。せっかく付き合ってくれたのに、無駄な時間使わせたな」


手がかりは見つけられなかったが、家も把握したし、お母さんとも連絡は取れるようになったから前進はしたと言える。


「いいよー別に暇だし。この足じゃ友達とも遊べないしね。あと、完全に何も手がかりがなかったわけじゃないよ」


「えっ、マジで?」


部屋にいる時何も言ってなかったけど、実は見つけていたのか。


「後で言おうと思ってたけど、男の家に転がりこんでるってのはないと思うよ。服のセンスも微妙だし、下着も気合入ってるのなかったしね。男の視線を意識してる感じはなかった」


なるほど女の勘ってやつだ。俺では気づかないところだった。


「それと計画した家出ってわけでもなさそう。服が箪笥にパンパンに詰まってたから、何も持って行ってないね。家出途中で補充しに帰ってきてもない。家出したって言っても、お気に入りのメーカーの下着や服、化粧品は使いたいはずだけど、買ってんのかな?」


「だろうな」


だからこそ、援助交際してまでお金を手に入れざるをえなくなる。


「ごめん。やっぱ凄いわお前。ずっと遊んでたと思ってた」


今日は理性が御留守番の日だとばかり。


「酷いなー。多治米んとこでジュース奢れよ」


「赤坂見つけたらな。となると、ほんとは家出をするつもりはなかったけど、衝動的にしちゃってるって事か?」


大字の推理が当たっているなら、赤坂は学校に行った後家に戻らず、そのまま家出をしていることになる。今日は家に帰りたくないの…所ではない。


「かもしれないし、もしくは一日やそこらで帰るつもりだったんじゃない?」


「それは家出なのか?」


友達の家でうっかり寝落ちして朝になったとかそういうレベルだそれは。


「あたしの部屋弟と一緒だからさー。自分の部屋があるってマジ恨ましいよ。そういう意味なら帰りたくない気持ちはわかるよ」


「あるだけいいよ。俺なんて居間の一画だぜ」


「やばくないそれ!?女の子連れてきた時どうすんの!?」


大字が爆笑した。


彼女はそうしてひとしきり笑った後、何気ない感じでつぶやいた。


「赤坂はさー、何が嫌だったんだろね」


「さあな」


どんなに他人から見て恵まれていても、本人にしかわからない悩みと言うのはある。正解は赤坂に聞いてみるしかなかった。



 午後五時半。俺は駅の中にあるマックで食事をしながら、駅前の噴水をじっと眺めていた。赤坂を探し回るのに疲れたわけではない。むしろ今日は逆に駅についてから、一歩もそこから出ずに、マックでこうしてずっと携帯を弄っていた。


羽虫のような音を立てながら携帯が唸る。最早マッサージ器具なんじゃないかと思うくらいひっきりなしに連絡がくるので、バイブだけでも電池がなくなってしまいそうだ。マックで充電ができなければとっくの昔に高価な文鎮と化していただろろう。


「ん?あれか?」


キョロキョロしながら噴水に来た女子高生がいたので、約束をした子か確認するために携帯でメッセージを送ると、ほぼ同じタイミングで女子高生が携帯を見る。当たりだ。


「外れ、と」


俺はノートに×印を書き加えると、さっきやり取りしていた子にキャンセルの連絡をした。途端激怒した女の子からこちらを口汚く罵る言葉が送られてくるので、そっとブロックをして連絡がこないようにする。既に50人近くやり取りしているが、やはりドタキャンされると大体皆同じ反応だった。


女性不信になりそうだったが、めげずに俺は次の子とやり取りを開始する。条件、場所、今からOKかどうか。


赤坂母は人探しの方法を間違っていた。こちらから探して見つからないのであれば、あちらからくるように仕向ければいい。赤坂が援助交際で日銭を稼いでいるのなら、客を装って誘き寄せばいいのだ。実際に目撃したからこそできる秘策だった。


俺は昨日から、出会い系サイトや掲示板を片っ端から見て援助交際の募集書き込みをしつつ、逆に募集している子にはこちらから申し出て、こうして駅前の噴水まで来させていた。もっとも会える数は意外と少なく、大半は冷やかしで、連絡をしても途中で切れるか、約束をしても来ない事が多い。


中には金額の一部を、コンビニで買えるItunesカードやGoogle playギフトカードなどのプリペイドカードでシリアルコードを教えて先払いさせたのに来ないという、食い逃げみたいな最悪な人間が何人かいた。2、3人にそれで騙されて3万円ほど失ったが、よく考えれば赤坂は換金不可能な電子ギフトカードではなく、生活の為の現金が必要なのだと気づいて、そういう手合いは途中から除外していくことにした。


「うへぇ…」


断りすぎた為か、掲示板によっては俺の悪評が立って名前と顔写真と一緒に詐欺だと晒され初めていた。勿論嘘の名前と年齢、写真を使ってはいるが、余り気分のいい物ではない。同一人物を使い続けるのは難しそうだ。赤坂にたどり着くまで定期的に変えた方がいいかもしれない。


あっちが晒してくるなら、正直こっちからも晒してやりたいと思う子もいた。やり取りしている時に送ってきた顔写真と、実際来た時の人間が違いすぎて、約束した子なのだと気づけない事が何回もあったのだ。


最近人気の自撮りアプリで撮った写真を送ってくる子は間違いなく外れといってもいい。こちらも騙しているが、相手も相当だ。まるで狐と狸の化かし合いである。


俺は携帯でそんな狐たちとやり取りをしながら、噴水の方にも欠かさず目を向ける。掲示板を覗く前は知らなかったが、元々駅周辺は援助交際をする前の待ち合わせスポットとしては有名だったらしい。特に噴水はそうだ。待ち合わせ場所として人が多く利用していて紛れ込みやすいからなのか、俺が誘き寄せた子以外にも、それらしき人間が待ち合わせては、他の男と消えていく。


一時間以上何をするでもなく、初めからずっとそこで携帯を弄りながら、声かけを待っているようなそぶりの女の子もいる。


ドラマや漫画の世界の物だけだと思っていたのに、いざそう言った視点で眺めていると、援助交際が当たり前のように目の前で行われている事に気づいて、正直俺は愕然とした。自分は何もしらなかったと思った。毎日家と学校を往復するだけの日常を過ごす、この街を出たこともない、たまに鬱陶しいと毒づいて大きな態度をとる癖にその親の庇護の下でしか生きていけない、世間知らずの愚かで小さな子供。


その自らの非力さを、赤坂も今味わっている真っ最中のはずだった。


収穫がないまま時間だけは過ぎていき、辺りは夕暮れを迎えた。まばらにつき始めた街灯はしかし、人の顔を判別するには頼りなく、そろそろ今日の探索が潮時だと伝えている。


肉体的疲労はないものの、徒労感だけは大きかった。何がダメなのだろう、と思った。この案でダメなら、正直もう打つ手はない。諦め、警察に任せて一傍観者になりさがるしかない。

無力感に苛まれて呆然と外を眺めていると、ふいに、目の端に奇妙な人だかりが写った。その中心にいる人物を見ると、こんな夕方から酔っぱらっているのか、どうも足取りがフラフラしていておぼつかないようだ。周りの人間が衝突されないように大きくよけているせいで、人込みを割って注目を集めていた。


「おいおい…何してんだよお前」


その当事者の顔をみた瞬間、つい声が口を出る。それは赤坂ことりだった。


俺は急いでトレーごとゴミ箱にぶち込むと、人を掻き分けながら赤坂の方へ駆けていく。一瞬携帯の充電コードを席に置き忘れていたことに気づいたが、そんなものより優先すべきはこちらだった。犠牲の甲斐もあり、程なく目的の背中を捕える。


「赤坂!」


肩を掴んで振り向かせる。間違いない。うちの制服と、写真通りの顔だった。やはり家族だからか目鼻立ちが母親に似ている。


「…誰?」


赤坂はどこかぼんやりとして、俺の顔を見た。酔っているのかと思ったが酒の匂いはしない。


「お母さんから探すよう頼まれてたんだ。家に帰ろう」


「家…?」


「ああ、家だよ!もうずっと帰ってないだろう!」


「帰る…」


赤坂の様子がおかしかった。返答が要領を得ず会話にならない。寝ぼけているかのようだ。


「…っ。いいからこっちにこい」


周りから視線を集めていたので、これ以上怒鳴るのはやめて、赤坂の腕を掴んでその場を離れた。散々言ってやろうと思っていた小言は、赤坂の恍けた態度のせいで言う気が失せていた。


「お前にも言い分はあるだろうけど、取り敢えず帰ってお母さんを安心させてくれないか。お前を探して倒れたんだぞ」


言って腕を駅側に引っ張るが、自分で歩こうとしないせいか、そのままつんのめりそうになる。


「お前なんなんだよ!」


「鞄…」


「鞄?」


そんな悠長なことを言ってる場合か、と怒鳴りそうになったが、そう言えば学校帰りにそのまま家出しているので、教科書やらなんやらをカバンに入れたままだろう。取りにいく必要はあった。滞在先のホテルにでも置いているのだろうか。


「わかった。でも俺も付いていくからな。帰るまでずっとだ」


どこに泊まってるんだ、ときくと、そのまま手を引っ張られて駅の南の方に向かう。


「おいおい、そっちは」


あるのはホテルでもラブホテルだぞ、と言いかけたが、未成年はホテルに保護者同伴でないと泊まれないので、そういう所に泊まっていてもおかしくはない。援助交際だってしやすいだろう。


「ここ」


「…え、ここ?」


しかし連れ立って赤坂が来たのは、きらびやかなネオンが光る場所ではなく、明らかに営業をしていなさそうな、潰れたラブホテルだった。金がないからって幾ら何でも女がこんなとこに泊まってるのか。


「いやいや、ちょっとここは…」


渋る俺を無視し、赤坂は裏口の従業員通路らしきところに回ると、慣れた様子で暗闇に入っていった。当たり前だが電気は通ってないらしく、内部を照らす明かりはない。


日を取り込むような構造になってないのか、夕陽も入らないので、俺は携帯のライト機能を使って、赤坂の後をおっかなびっくりについていく。手を繋いでいなかったら完全に見失っていたかもしれない。


「なあ、赤坂。なんで家出なんてしたんだ」


無言だと雰囲気が怖かったので、赤坂に話しかける。例え今回このまま連れ帰ったとしても、根本的な問題が解決しないと、きっと赤坂は家出をまた繰り返してしまう。


「家出…誰が…?」


すると、赤坂が不思議そうに答える。


「いや、お前だよ…お前何日家帰ってないと思ってるんだよ」


既に2週間を超えている。


「家…?毎日帰ってるよ」


赤坂の声は相変わらずとろんとしており、話がかみ合わなさすぎて嫌になった。


「お前、まさか薬でもやってるんじゃないだろうな。ここで、何してたんだ?」


「人に頼まれて、男の人をここに連れてきてた」


「人にって…」


美人局じゃないのか、それは。赤坂は薬と引き換えに美人局の片棒でも担いでいたのだろうか。鞄を取ったら、警察に直ぐに連絡しようと思った。赤坂母は大事にしたくはないだろうが、最早そんなことはいっていられない。


突き当りまで来ると、赤坂は非常用階段らしき所から上り始める。

かつん、かつん、と、一歩ずつ左右に大きく揺れながら、見ていて不安になるくらい危なっかしく上に登っていく。薬の影響だろうか。


「なあ、部屋って何階なんだ?」


話しかけるが、赤坂は答えてくれない。ホテルは換気扇も回っていないからか、黴臭くどこか饐えた匂いがして、息をするごとに窒息しそうになる。野良犬でも迷い込んで死んでいるんじゃないだろうか。


「こんなとこによくいたな。病気になるぞ」


赤坂から相変わらず返答はない。握っている彼女の手が緊張からか冷たくなっている。もしかしたら、赤坂もこのホテルには嫌々泊っているのかもしれない。お化けでも出そうな雰囲気だ。


ビルの5階につくと、赤坂はドアを開けて中に入った。廊下があるかと思ったが、既に部屋ごとの壁は取り払われ、ただっ広いその場所には、ベッドや大量のごみ、冷蔵庫などが放置されており、大量の蜘蛛の糸が張っていた。


「なあ、どこにカバンあるんだ?」


返答がないとわかっていながらも話かけてみる。こんな気持ち悪い所、さっさと用事を済ませて帰りたかった。


赤坂は無言で一歩、更に奥に進んでいく。疲れたのか、足取りが階段を上がっている時よりさらにぎこちなくなっている。まるで注油の足りない機械人形みたいな動きだ。どこで引っ掛けたのか、赤坂の制服がいつのまにか、肩口の辺りから破れて下着の肩紐が見えていた。


あれ、と思う。他にも、気づけば赤坂の体の上から操り人形みたいに糸が繋がっている。その辺りの蜘蛛の糸でもひっかかったのだろうか。


「…なあ、赤坂」


「なニ」


答えた赤坂の声は渇いていて、老婆のように一息事にヒューヒューと喉がなっている。


お前、体の上から糸が垂れてないか、そう言おうとして、目の前でぷつんとそのうちの一本が切れると、赤坂の体が連動して更にぎこちなくなった。


「お前…」


他にも気づいてしまった目が、それにくぎ付けになっていた。


「手がなんかミイラみたいになってないか…?」


俺が握っていた赤坂のさっきまであんなに弾力のあった手が、老婆のように急速に萎んでいた。


「だ いじょ うぶ」


血だまりから空気が漏れ出たようなごぼごぼとした雑音が赤坂から漏れる。


「いや、お前そんなこといったって…」


また一本、上から繋がっている糸が切れるたび、彼女は役目を終えた何かのように、髪がずるりと抜け落ち、頭骨が露わになり人の形を失っていく。


「絶対大丈夫じゃないって…」


さっきから足が震えて一歩も進めていないことに気づいたが、赤坂も既に歩いていなかった。


恐怖で手が離せない。べきりと赤坂の右足がへし折れる音がし、危うげな均衡を保っていたバランスが大きく崩れる。赤坂だった何かが目の前で壊れていく。遂に上から垂れていた全部の糸が切れると、彼女はその場に頽れる。勢いで床に激突して割れた頭蓋骨から、脳がドロリとはみ出し、それは完全に沈黙した。


「お前、どうすんだよ」


目の前の残骸に、震える声でいう。恐怖で心が押し潰されそうになるのを、喋ることでなんとかつなぎ留めていた。


「それじゃ家帰れないじゃん…」


瞬間、背後から感じた衝撃で俺は吹っ飛び、そこで意識を失った。

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