7. 千年だって成長する
「いい加減、仲直りしてくれよな」
弁当派の明王院から珍しく食堂での昼食を誘われて一緒に食べていると、唐突に彼はそう言った。
何のことだ、とすっとぼけるつもりはない。多治米とギクシャクしてる件だ。
「別に、普通にしてるだろ。朝の挨拶だってしてるし、雑談だってしてるじゃないか」
「だから、そのお互い普通にしてますよ感出すのやめてくれって言ってんだよ。間に立たされる俺の身にもなってくれよマジで」
「あ、はい。仰る通りです…」
明王院に甘えてる自覚はあったので、そこは素直に謝る事にする。
「赤坂の件なんだってな。周りにいた奴に聞いたけど」
「まあ。そのような、そうじゃないような」
多治米と俺では認識してる喧嘩の理由が少し違うのだが、明王院に言うわけにもいかず、歯切れの悪い返事になる。
「家出してる奴が心配じゃないのかって、まぁ正直俺も好きにすりゃいいじゃねえかって思うけどよ。適当に流せばよかったのに、何でその日に限ってマジレスしちまったよ」
明王院の言葉は的確だった。今だからこそ言えるが自分でもそう思う。ただ、あの時の自分ではあれが精一杯だったのも確かだ。
「余裕がなかったんだよ。他の考え事をしてて」
「まあいいけどよ。早めに頼むぜ。俺が唯一言えることは、休憩時間になると最近ふっとどこかに消える誰かさんに話しかけようと、多治米がずっとタイミングを見計らってるってことだな」
明王院は話しながらも、驚異的な速度でカツカレーを飲み込むかのようにバクバクと食べていく。彼の言う通り、最近俺は休憩時間になるとすぐに席を立ち、尿意があってもなくてもトイレに行って、なるべく歩き回って暇をつぶしてから席に戻るようにしていた。
多治米が休憩時間の度に話しかけようとしてくれているのにも気づいていた。むしろ、彼女が授業終了直前になるとこちらをチラチラ見て、直ぐにいなくなる俺をどう捕まえるか考えている事も知っている。
「わかってるよ…」
口ではそういったものの、実際の所、多治米と仲直りすることには消極的だった。休憩時間になると立ち歩いているのは、多治米の目が『お前のせいで赤坂が今日も家に戻ってこないのだ』と責めているようで、居たたまれなくなるからだ。勿論多治米は赤坂の秘密を知らないので、そんなことを思うわけがないのだが、一度囚われた妄想は、中々心から拭う事ができない。
多治米が俺への話しかけを躊躇しているのは、俺が内心彼女を避けている事を感じ取っているからなのだろう。
「頼むぜ」
明王院は用件が済んだのか、そう言い残すといつの間にか空になったトレーを持って去っていった。
「なんだよ。俺が食べ終わるまで待ってくれてもいいじゃないか」
怒られる形の俺は、反省を示す為に明王院が話してる間は飯に口をつけていなかったので、まだ昼食が半分以上残っている。
考えを改める必要があるようだ。こうしてウジウジし続けていたが、早めに多治米と仲直りしなければ、どうやら俺はもう一人の友人までなくしてしまうらしい。
その日の放課後、俺は意を決してモールに行くことに決めた。
目的は、赤坂母を見て、心が動けば赤坂探しを手伝って問題自体を解決する、または見ても心が動かなければ、赤坂が援助交際をしている事実を墓まで持っていく事にして目を瞑り、多治米にひたすら土下座して許して貰う、そのどちらかに決める為だった。
勿論全てを多治米に話してしまうという選択肢もあるが、とても選ぶ気にはなれない。それが一番イージーで俺の心は楽になるが、多治米に何で話してくれなかったのか、水臭いじゃないかと益々怒らせてしまう可能性があるし、赤坂の家出をあれだけ心配してしまうような人の良いあいつは、逆に自分のせいで俺に気を遣わせてしまった事に負い目を感じる可能性もあった。
そして何より、ここまで悩んで隠し通してきた、俺の頑張りが報われないのが嫌だった。
電車を降り地下街を歩いて数日前に赤坂母を見つけた場所に来ると、そんな覚悟を肩透かしするかのように、辺りを心配そうに見回すあの女性はいなかった。よく考えれば同じ場所でずっと見ているわけもない。
俺はそれから、駅周辺を探し歩いた。駅の西口、北口、モールの中、電気店、ゲーセンなど、女子高生が行きそうな場所イコール赤坂母の探しそうな場所として、2時間かけて練り歩いたが、一向に二人は見つからない。会いたいと思っている時ほど見つからないものだな、と落胆する。
流石に疲れと空腹を覚えた俺は、モール内のマックによって適当に腹に物を詰めた。歩きながら人を探すのは、小学生の頃神社の祭りで迷子になった時以来の経験だが、中々に骨が折れるものだった。
何故なら、一瞬の見逃しがすれ違いに繋がるかと思うと、気を緩めることができず常時神経を張っていなければならないからだ。俺は今更ながら、赤坂母のやろうとしている事がどれだけ無茶な事なのかを理解した。こんなものは砂漠でゴマ粒を探すようなものだ。そもそも、赤坂がまだこの街にいるかどうかもわからない。
赤坂母に協力して娘を見つける選択肢が、急に現実味を失い始めていた。よしんば、捜索の結果、俺が赤坂を見つけたとして、俺は一体どうするつもりなのだろうか。本人に帰るつもりがあるのなら言われなくても帰っているだろうから、彼女が説得に応じるとも思えない。
恐らく俺にできる事は、結果がどうなるかは置いといて、心配している赤坂母に引き合わせることくらいだろう。多治米にも、見つかったが説得に失敗した、とでも言えば、後は赤坂本人の問題なので、多少は溜飲を下げてくれるかもしれない。仲直りの手土産としてはそう悪くないように思える。
その絵空事を実現するにも、まずは赤坂母を見つける必要があるのだが、それが中々見つからない。
「もう帰るかなぁ…」
携帯で時間を見ると、もう夜七時を回っていた。
時間をかければかけるほど見つけられる確率は上がるのかもしれないが、区切りをつけないと中々止められなくなってしまう。赤の他人の俺でさえそうなのだから、赤坂母も同じはずだった。それで数日のうちに、あれだけ憔悴してしまったのだろう。
俺は何度も往復したあの地下通路を経由してまた駅に帰るのかと思うと、立ち上がるのもうんざりしてしまい、気づけばマックで一時間近く過ごしていた。
「あら、奇遇ね。こんな所であうなんて」
ふいに若い女性の声がした。
「…何、そんなに下から見られると怖いのだけれど」
テーブルに顎を乗せたまま目だけでその人物を確認すると、そこにはトレイを持った沼隈がいた。
「なんだ、お前かよ」
「何だとは何よ。流石の私でも傷つくわよ」
沼隈は文句を言いながらも、俺の眼前にトレイを置いて、当たり前のように目の前に座り出した。人の完食済みのトレイを見て座るとは、こいつも中々いい度胸をしている。自分の食事が終わるまで付き合えとでも言うつもりだろうか。
「お前って、本屋で話しかけてきた時も思ったけど、中々神経図太いよな」
疲れているとは言え、我ながら女子に対して酷いことを言う。多分その根底には、こいつには別に嫌われてもいいという不躾な打算がある。
「そんなことないわよ。私の神経はこのフライドポテトくらい細くて繊細よ」
沼隈が購入したポテトを一本取り出し、眼前に掲げながら言う。
モスのポテトに比べたら細いだろうが、まず自分の神経をポテトで例えてしまう時点で繊細でもないし、女子力が残念な感じだった。
「お前、ポテトSとドリンクだけじゃないか」
後で出来上がり次第運ばれてくるのかと一瞬思ったが、トレイの上にはナンバープレートもない。自分を棚に上げていうようだが、間食にしては遅い時間帯なので、これが夕食になるはずだ。
「食が細いからこれだけで十分なのよ。食べないときもあるし」
「それだけ痩せてればそうかもな。むしろ、お前みたいな体系の奴が、ファストフードを食べる事自体が意外だよ。そういうのを食べないからこそ痩せてるんだと思ってた」
沼隈程ではないが、クラスメイトの痩せている男子が胸やけがしてマックが食べられないとか言っていた。
「体に悪いことは理解してるのだけれど、ポテトだけはつい食べたくなるのよね。気づいたら朝からポテトの事を考えてる時もあるわ。もう口の中がポテトになっているのよね。ジャガリコで気持ちを抑えようと試みるのだけれど、コレジャナイ感がして余計にポテトを食べたくなるの」
「病気じゃん…?」
男子として肉食いたい病にかかる時はあるが、ポテトでそれにかかったことはない。
「きっとこのポテトにかかってる白い粉って、塩じゃなくて中毒性のあるやばい奴よ。麻薬ね。マスコットのピエロがハイテンションなのも、お薬でガンギマリになって気持ちよくなってるせいだとすると納得できるわ」
「俺の知らないうちにマックって国際的麻薬カルテルか何かになってたの?」
一体どの世界線に来てしまったのだ俺は。
「ふふ。そうなるとハッピーセットの意味が大分危険な物になってくるわね。色んなドラッグの詰め合わせとかかしら」
「バーガーに麻薬隠して取引とかしてそうだ」
もうパティとかパンズとか、バーガー用語の何を言われても、麻薬に関する暗喩にしか聞こえなくなってきそうだった。
「金額に折り合いがつかなくて、お前には揚げたてのポテトよりこっちのホットな鉛玉の方がお似合いだぜ、って言いながら銃撃戦が始まるのね。わかるわ」
沼隈はマカロニウエスタンとかがお好きなようだった。
「そのしょげた様子を見ると、千年君は今日ポテトを食べなかったのかしら」
「食べたけど、効果には個人差があるみたいだな。今まで頭の中までハッピーセットになった経験は、幸いにしてない」
というか普通の人はない。子供がハッピーなのはついてくるおもちゃのおまけに喜んでいるからだ。
「プライドはバリューセットなのに?」
「いつも安売りはしてない!期間限定割引クーポンくらいだ」
「お高くとまると友達が逃げるわよ。いっそ百円マックくらいにしときなさい」
「せめて人並みでありたい…というか、正に友達なくしそうな今、その言葉はグサリとくる」
「そう。多治米さんと喧嘩でもしたのね」
「うっ…」
多治米どころか、明王院にも迷惑をかけている所なので、正解は両方だった。完全に縁が切れている訳ではないが、数少ない友達二人と気まずい関係になってしまっている俺は、精神的に言うと完全にボッチだ。
自分の置かれている状況に嘆きながら、同じボッチである沼隈がもそもそと不味そうにポテトを平らげていく様を、ただ見つめる。
いや、違うか。こいつはボッチではなくなったのだった。お互い、友達なら目の前にいるではないか。
「ポテト食いながらでいいから、俺の与太話に付き合ってくれないか」
「良いわよ。口の中に物がある状態だから、返事は保証出来ないけれど」
「いいよ。実はさ、うちの学校の2年の女子で家出してて学校にも来てないやつがいるんだよ。その子の母親がこの辺りで娘をずっと探してるのを見かけるんだが、友達だった多治米としてはかなり気にしてるみたいでさ。余り興味のない態度を取ったら冷たいって怒らせてしまったんだ。それ以来関係が気まずくて学校に行くのがつらい」
「まるでコミュ障ね。クラスメイトに色白の秘訣を聞かれて、生まれ変わるしかないって言っちゃう私と同レベルだわ」
「不名誉!」
そこまでひどくないだろ!
「それで?千年君は多治米さんと仲直りする為に、ストーカーよろしく偶然を装ってバイト終わりに遭遇して許しを請おうとでも画策しているのかしら」
何故そんな回りくどい事をする必要があるのか。こいつの考えが猟奇的過ぎて怖い。
「学校ですりゃいいだろ。ここにいるのは別件だよ」
「別件とは?」
「その、家出少女の母親の方を探しているんだ」
「今、私の中であなたはストーカーから熟女専に切り替わったわよ」
人のレッテル張りに忙しい奴だった。沼隈の中でどっちがマシなのか参考までに聞いてみたい。
「違う。娘探しを手伝おう、と思ったんだよ」
話が進まないので沼隈の軽口には乗らず、目的をストレートに告げた。それを聞いた沼隈は、何故か怪訝そうに眉根に皺を寄せる。
「それは…回りくどくないかしら。多治米さんと仲直りしたくてそんなことをするのなら、素直に謝るべきよ」
俺は一瞬で隠し事を見破られた気がして、心臓が止まりそうになった。
「あなただってそれには気づいているはずよ。話を聞いていると、まるで謝る以外の方法を敢えて模索しているように聞こえるわ。一番簡単で楽なはずなのに、どうも辻褄が合わない」
お前もしかして人の心を読めるんじゃないのか、と沼隈に言いたくなった。返答に窮した俺は、飲み干してほぼ氷だけになった薄いコーラを飲んで動揺を隠す。
もしかすると、沼隈がコミュ障なのは、人の嘘や欺瞞を見抜く力が強すぎるのではないかと思った。だから人の悪意に敏感だし、それを許せず糾弾してしまう。そのせいで爪弾きにされ、結果的に周りに溶け込めない。
人は息苦しいほどの正しさを突きつけられると、黙るか逆切れするくらいしか方法がないのだから。今の俺のように。
「千年君は、家出をしたことはあるのかしら」
黙り続けていると、今度は沼隈の方から変わった質問を受けた。
「…ないな。しようと思ったことは何度もあるけど」
考えるだけなら誰でも経験はあるだろう。沼隈は私もした事はないわ、と言って話を続ける。
「大体家出したら、友達の家に転がりこむと思うのだけれど、そう何日もいると迷惑もかかるから長居するわけにもいかないわよね。だから、次はホテルか漫画喫茶に泊まるのでしょうけれど、子供の手持ち程度だとそれも長くは続かない。…そこで大体は、家に帰るはずよね」
そうだな、と俺は頷く。家出を実行に移さないのは、皆金銭面に無理があると理解しているからだ。
「なら、帰りたくない子はどうするのかと考えると、野宿は厳しいから最低限の食事と軒先を確保する為に、お金を稼ごうとするはずよね。住み込みのバイトで高校生を雇ってくれるわけがないから、即金で稼げる、人には大っぴらに言えない方法で稼ぐか、男の元に転がり込むしかない」
「それって…」
俺は沼隈の言葉に目を見開いた。そして同時に、誰よりも娘の性格と行動、預金などを把握している母親が、その可能性に気づいていないわけがないことを瞬間的に悟った。
こうして黙っている事自体が無駄だったのだ。多治米は兎も角として、赤坂母に対してだけは。取り越し苦労処か、いらない気を回していたのだ。
「どちらにしろ、母親は心配しているでしょうね」
「…どうかな。放蕩娘に愛想尽かしたりしないか」
今日この界隈を歩き回って赤坂母が見つからなかったのが、そう言う事だとしたら本当に悲しい。
「連日探し回っているような人が、そう簡単に娘を見捨てるとは思えないわね。それに、こと母子というのはちょっと絆が特殊なのよ。男児より長い時間を共に過ごす事が多いからか、強い共依存関係を構築する傾向にあるの。母親は子供を自分の手足の延長線上のように感じ、自らの果たせなかった夢を無意識に娘に託そうとする。お稽古事熱心なお母さんなんて、その最たるものかしらね。娘を見捨てるってことは自分自身を見捨てる自傷行為に近い…だから、どんな状態でも帰ってきて欲しいと思うはずよ。生まれた時に切れたはずのへその緒が、何時まで経っても繋がっているのね。まるで呪いのように」
では、今の赤坂母は、文字通り身を引き裂かれるような思いをしながら、娘を探し続けているとでもいうのだろうか。その辛さは男である俺には想像ができそうにない。
「ごめん。俺用を思い出したわ」
沼隈の話を聞いているうちに、俺はいてもたってもいられなくなって席を立つ。
「そう。しょうがないわね。私は一人寂しく残ったドリンクを飲み干すとするわ」
「悪いな」
そう言い残して足早にマックを去る。時間は随分遅くなっていたが、後一時間くらいは探せるだろう。足は疲労で重たいままだったが、迷いがなくなった分、不思議と歩くのは苦ではなくなっていた。
気を取り直し、それから30分ほどモール内をまた歩き回った。だが赤坂は愚か、赤坂母も見当たらなかった。探している間で一番怖いのは、初めて見た時からそこそこ日数が経っているので、赤坂が染髪して私服姿で化粧でもしていると、俺に見分けがつかなくなってしまう事だった。
その可能性を考えるとやはり、彼女の普段の仕草や声をよく覚えている、赤坂母の方が見つけられる可能性は高いのだろう。せめて赤坂母にコンタクトさえ取れればいいのだが。
「そういや多治米なら家知ってるって言ってたな」
赤坂母に会うだけなら、こんな所で探すより家に直接行ったほうが早いに違いなかった。だが、多治米とは今喧嘩中で彼女には頼れない。
俺は自分の友達の少なさを嘆いた。何かある時は女子なら多治米、男子なら明王院の力を借りて過ごし、二人に甘え切っていた俺は、自分で交友範囲を広げようとしてこなかった。知り合い程度なら携帯の中にたくさんいるが、話を聞いてくれたり、親身になって力を貸してくれる奴はほぼいない。
何時か副部長の言っていた、助けてくれるような友人を増やしておけ、という言葉を嫌に思い出していた。
「もう一回、地下街に行ってから帰るか…」
時間も時間だったので、俺は最寄りのエレベーターに乗り込むと、B1を押して閉鎖ボタンを押そうとする。だが、松葉杖をついた女性が、ひょこひょこと一生懸命このエレベーターに乗ろう歩いて来るのが見えるではないか。しかもうちの制服だ。さっき交友関係を広げなかった事を悔いたばかりだったので、たまにはいいことをしなくてはと思い、操作パネルの開を押し続け、彼女を乗らせる。
「何階ですか?」
「あ、すいません。地下一階で」
同じ階だった。彼女もあの足で地下街を歩くのだろうか。バリアフリーにはなっているが、スロープ状になっている階段部分は逆に松葉杖だと滑って危なかろう。
「あれ?千年じゃん」
「は…?」
隣に立っていた松葉杖の女子高生が急に俺の名前をよんだ。首を横に振ってその顔を見るが、こんな派手系のギャルみたいな知り合いは記憶にない。友達が少ないお陰で友人と呼べる人は名前も顔も完全に覚えている。
「こんなとこで会うなんて奇遇じゃん。何してんの?」
「え…エレベーター乗ってる…」
完全にイニシアチブをとられて負けている俺は、きょどってただの実況中継をしてしまう。
誰だ?もしかして小学校か中学校の友達だった?高校デビューとかされていると流石にわからないから可能性はある。
「あ、うん。そうなんだけど。そういう事じゃなくて」
あれ?とギャルが首をかしげている。
「千年だよね?」
「そうだけど、ごめん。誰?」
考えてもわからなかったので素直に聞いてみる。
「ああ、そっか。一瞬しか見てないもんね。あたしだよ。お見舞い来てくれたじゃん。大字だよ」
「おお…っ」
いた!確かに!入院中は化粧してなかったが、こんな感じの顔と声だった。
「逆にいうけどよく覚えてたな、俺の事」
素直に感心する。やっぱり知り合いの多い人間は人の顔を覚えるのが得意なんだろうか。
「そりゃ覚えてるよ。変な小説差し入れしに来てくれた人だもん」
ただの悪覚えだった。
「おっと、ついたね。降りようよ」
「ん、ああ」
気づくと地下一階についていた。俺は開ボタンを押して大字がおりやすいように開けておく。
「何してんの?」
「先行けよ。その足じゃ大変だろ」
「んふふ、ありがと」
大字は笑って、たどたどしくエレベーターを降りる。
「じゃあ、ここで。そんじゃね」
「ああ。気をつけてな」
去っていく後姿を見ていると、退院して間もないからか、松葉杖を使うのにまだ慣れていないようだ。少しでも急ごうとすると不安定になって、危なっかしくてみていられない。友達の多そうな彼女が一人で今日モールに来ていたのは、そういう事情があるからかもしれない。
「ん…?」
友達が多い…?
「大字!」
大声で名前を呼ぶ。かなりの人の視線を集めてしまったが、そんなことよりも大字を捕まえる方が大切だった。
大字は振り返って、こちらを困惑顔で見ながら立ち止まっている。
俺は走って近寄ると、逃がすまいと肩に手を当てる。
「お前、友達多いよな!?」
「えっ、急に何!?とりあえず場所変えてくんない?恥ずかしいんだけど…!」
見ると回遊魚のように流れて歩いていた人たちが、俺たちを遠巻きに囲んで眺めていた。
「ご、ごめん。じゃあ近くのカフェでいい?」
「いいから。どこでもいいから早く行こ!」
大字に押し切られるようにして、俺は地下街で一番近いカフェまで移動する。
大字はそこには慣れているのか、オーダーの時魔法の呪文のような物を喋っていたが、俺はこういう所にあまりこないので、取り合えず一番安い奴を頼んだ。誘った手前大字のも奢ろうとしたが『そういうのいいから』と断られる。
「オレンジジュース好きなの?スタバまで来て珍しいね」
「安かったからな。なあ、先に席取っといてくれよ。飲み物は持ってくからレシートをくれ」
「はいよ。よろしくー」
ドリンクを受け取ってようやく席に着くと、先ほどよりは幾分か落ち着いて話ができた。
「赤坂の家を教えて欲しい?」
「ああ、赤坂のお母さんの電話番号でもいい」
俺は簡単に、赤坂の家出の件で多治米と喧嘩したこと、捜索の力に少しでもなりたいことを話す。
「ははぁ、いいとこ見せたいんだ。多治米に」
大字はうまいこと誤解してくれたらしく、赤坂の家の住所を教えてくれた。学校から北の方だ。明日は自転車で行こう。
「でも、あの子まだ帰ってなかったんだねー」
「もう学校も2週間くらい休んでるはずだな。もしかしたら、家出自体はもっと前かもしれないけど」
出席日数的に、そろそろ戻らないと進級も危うくなる頃合いだ。家出するような奴がそんな事を気にしているかは怪しいが。
「家出なんてする子じゃないんだけどな。真面目だし。お母さん大好きっ子だったのに」
「そうなのか?」
大字は知り合いが多い分広く浅くタイプだと思っていたが、ここまで覚えているということは、赤坂とは特別親しかったのだろうか。
「あそこ親父さんいないしね。少なくとも、あたしの知っている赤坂は、母親を悲しませるようなことなんて絶対しない子だったな」
「…でも、今は」
「そう、だから腑に落ちないんだよねー。気持ち悪いなあ。自分の目に自信がなくなっちゃうじゃんね」
それともあたしが入院してた間になんかあったのか?と大字はブツブツ言い出す。
「まあいいや。これで聞きたいことは全部?」
「ああ。ありがとう助かった。これで放課後この辺りを無駄にうろうろしなくてよくなる。礼はまたさせて欲しい」
「いいよ、別に。お見舞いのお礼」
そういって大字ははにかんだ笑顔を見せる。
「それにしても、あんたのくれた小説、異世界転生物っていうの?あれ意外と面白かったよ」
「えっ、ホントに?」
リアルでの初めての理解者の登場に、俺の心が俄かにざわめき出す。
「マジ。多治米の持ってきてくれたベストセラーも話としてはよくできてて面白かったけど、入院してる間は明るい話の方良かったよ。転生物って一回皆死んでから異世界行くじゃん?あれ線路に落ちて病院で目覚めた時の自分と似てたから結構親近感沸いてさ!内容も難しくないから気軽に読めて、なんか励まされたよ。ありがとね」
「そりゃよかった。そこまでまさか境遇が被ってるなんて思わなかったが」
中には主人公が人間以外に転生したりする話もあったはずだが、本当に共感したんだろうか…?
「リハビリがつらい時もさ、私も実は転生して今やり直してるんだ!って考えて少し気が楽になったりね。貸してもらった奴、自分で続刊買っちゃったもん」
想像以上のはまりっぷりだった。宣教師の布教の喜びってこんな感じだろうか。
「だから、千年の事は覚えてたよ。お礼を言おうと思ったのにあんたいっつも教室にいないんだもん。タイミング逃しちゃったじゃん」
「ああ、それは…」
多治米を避けて教室を開けていた余波がこんなところにも出ていたのか。だが、運命とはわからないものだ。教室で大字と会っていたら、俺は周りに気後れして、こんなに長話などしてはいまい。不幸中の幸いだ。
「大字、よければ連絡先を教えて貰えないか」
「いいよ。この件で何か他にわかったら連絡したらいい?」
「いや、そうじゃなくて…」
『助けてくれる友人を』副部長の言葉を思いしていた。あのエセ仏に導かれるのは癪だったが、今こうして道を切り開けたのは、間違いなく大字のお陰だ。
「俺と友達になってくれないか。今日大字が助けてくれたように、俺も大字が困っていたらまた助けたい。それくらい本当に助かったんだ」
もし変わることができるなら、今日から一歩でも進みたい。
「えっ…あんたそういうの言う人…?」
大字はちょっと胡散臭い人間を見るかのように引いていた。
「言っちゃ悪いかよ。本気だからな。いやだって言っても恩を返してやる」
「うそうそ。いいよ。恩と友達の押し売り大歓迎。私の連絡先これね」
大字は快諾すると、手慣れた様子で素早く携帯にQRコードを示す。
「はいOK。よろしくね!」
うまく連絡先の交換が終わると、イエーイ!とピースで大字が決め顔をした。
「い、いえーい…」
恥ずかしがったが、勇気を出してピースを合わせてみた。こういう所から変えていくのだ。
「うわっ、似合わな…恥ずかしがるくらいならやんないほうがいいよ」
酷い言い草だった。友達じゃねえのかよ!
店から出ると、今度は二人で『自分が行きたい異世界』の話をしながら駅のホームまで歩いて行く。大字の歩みは遅かったが、その分話が長くできるので、退屈を覚える事はなかった。




