4. 続・新涯という男
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卓球部一年、新涯誠の朝は早い。
道に行く生徒の数もまだまばらな頃、彼は人知れずひっそりと登校し、教室ではなくまず体育館に足を向ける。
流石エース、強さの秘密はそのたゆまぬ特訓か-------そう思いきや、彼は運動着にはならず、体育館の隅やステージ上などを入念にチェックして回る。前日の練習時に回収しきれなかったピンポン玉がないか調べる為だ。
勿論皆できちんと見ているが、練習の疲れからか、やはり確認が甘くなりがちで、こうして紛失する数が意外と馬鹿にならないという。翌日なら疲れも抜けて見つけやすいからと、新涯君は甘いコースに来た玉にスマッシュを打つ時のような鋭い目つきで、ステージの緞帳裏まで隈なく見ていく。
「前はマネージャーがチェックしてくれてたからこんな事しなくてよかったんすけど…」
一通りチェックが終わった後、体育館全体をフィールドに使うイースター・エッグに流石にげんなりしたのか、新涯君の目は大会で一回戦負けでもしたのかのように虚ろだった。
午前中の授業が終わり昼休憩を皆が思い思いに満喫する中、新涯君は昼食もそこそこにある場所へ向かう。体育館使用のスケジュールを話しあう会合が12時半から催される為だ。
記者もそれに同行させて貰ったが、いい結果を残しているバスケ部やバレー部は発言権が大きく、人数と実績の乏しい卓球部の立場は酷く弱いものだった。その上、今回は卓球部がメインで使う日にスケジュールを間違えて来なかった事を責められているので、居心地の悪さは拍車をかける。
「仕方ないっすね。ほんと悪いのはうちなんで」
他の部からの嫌味を神妙に黙って聞く彼の表情は、セットポイントを先にとられたかのように硬い。スケジュール管理はマネージャーが一手に担っていたので、彼女が不在にしている影響が大きいと彼は語る。
放課後、ようやく練習の時間となり、記者は新涯君の活躍が見られると期待して体育館で待っていると、彼は他の部員に練習を抜ける事を伝え、教員室に行くと顧問と次の大会予定などの話を詰め始める。
顧問の話はよく脱線するが、新涯君はそれでも辛抱強く耳を傾ける。最近はワークライフバランスを気にする教師が多く、余暇を削る部活の顧問をしたがらず廃部を余儀なくされる部活も多い。彼に取れる手段は忍耐しかなかった。後手に回ったセットも最後まで諦めない、粘り強さが彼のプレイの持ち味だ。
「悪い人じゃないんすけど、あんま引っ張ってく先生じゃないんすよね。辞められても嫌だから強く言えないし」
果たしてどちらが指導をしている立場なのか。新涯君の器の大きさが垣間見える瞬間に、記者は彼のこれからの成長に確信を持つ。
気づけば陽も大分傾いていたので、新涯君は部活には結局出ず、そのまま記者と帰宅することになった。
「悪いっすね。こんなつまんないとこばっか見せちゃって」
お詫びとばかりに、新涯君は途中で寄ったコンビニの肉まんを、記者に半分分けてくれた。強面の見かけにそぐわない、彼は気遣いの塊だった。既に秋も深まりめっきり気温も下がって、夕方の寒風で冷えた記者の体には、肉まんの温かさと彼の優しさが身に染みた。
「ラケット、振りてぇなぁ」
肉まんを食べている最中、ふいに隣でそう呟いた新涯君の横顔が、何かを堪えるように歪んでいたのは、肉まんの付け合わせの辛子のせいだけではない事を、記者だけは知っていた。
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「ふう…」
シャーペンを置き一息つく。
俺は朝一の教室で、昨日密着した新涯君の一日を、試しにドキュメンタリー風にノートに書き上げていた。消しくずを払い落とし、誤字脱字のチェックも兼ねて原稿をもう一度見直すと、何故かある感情が胸から湧き上がるのを堪えきれない。
「卓球しろや」
心からの言葉だった。
俺は初めて新涯君に会った時、卓球部にマネージャーが必要なのかと心の中で思ってしまった己の無知を恥じた。むしろ、マネージャーが一人でこれをこなせていたのが不思議なくらいの仕事量である。
「駄目だ…このままじゃ…早くなんとかしないと…」
俺は机の上で頭を抱える。新涯君が雑務のせいでこのままラケットを握ってる所を一度も拝めないようでは、企画自体が終わりだ。
まだ密着して一日目だが、大方他の日も同じように雑務に追われているだろうことは、想像に難くなかった。けして新涯君は不器用な方ではないが、いかんせん経験が足りなさすぎる。
俺はある事を決めると、新涯君に提案にした。
「一週間だけ手伝うから、その間にマネージャーなしでも何とかやっていける体勢を作ろう」
そう、俺が新涯君に提案したのは、部内改革だった。パッと見た所一番の問題は、新涯君に仕事が集中しすぎている所だ。部長代行を命じられているとは言え、彼に仕事が偏り過ぎているので、まずこれを分散する。
新涯君も助けを求める事は必要だと理解していたに違いないが、本当に部長に就任しているならまだしも、まだ何の役職もなく同じ一年同士で話をするのは、かなりつらい物があるだろう。もしかしたら、マネージャーである赤坂が戻ってくるまでの間だけ頑張ればいいと新涯君は思っていたかもしれないが、留守の長期化でその目論見も破綻している。
先輩たちに迷惑をかけたくない、と及び腰の新涯君を俺は説き伏せると、3年の先輩に窮状を説明して、他の部員にも仕事を割り振って貰った。
そうしてあれだけ抱えていた彼の仕事はほぼなくなり、ただ一つ、帳簿管理だけが残った。次期部長として予算管理をする必要があるので、新涯君にやらせることにしたのだ。
放課後の練習が終わってから、コンビニのイートインコーナーで俺と新涯君は二人、記述に間違いがないかダブルチェックをかけていた。
「…酷いなぁ」
数字を電卓で打ちながら、計算間違いの多さと、収支の悪さを見て言葉が出た。
「え、だめっすか?」
「駄目どころじゃないよ。新涯君が書き始めた所から全然内容が変わってるじゃないか。前の書き方と合わせないと」
字の巧拙もあったが、ずぶの素人がやりました、というのがばればれだった。
月ごとの収支は基本赤字で、たまに入るOB費と皆のカンパ以外収入はほぼなかった。ピンポン玉の数が足りなくなって来た時などは、誰かが一時的に立て替えて購入している有様だ。
下手をすると新聞部より予算が少ないのではないだろうか。以前副部長が、うちは文科系の中では恵まれている方、と言っていたのを俺は思い出していた。それがまさか、恵まれていない体育会系の部をしのぐ程とは思いもよらなかったが。
「もしかして、マネージャーこの部に嫌気がさして来なくなったんじゃあ…」
燃え尽き症候群。その自分の考えには、変な納得感があった。3年のバックアップも受験でほぼ期待できず、何よりこのまま残っていても、来年は赤坂自身が受験でこんなに面倒は見切れない。沈む船からネズミは逃げ出すというが、抜けるタイミングとしては今がベストだ。
「うっ、そ、そんな馬鹿な…」
否定する新涯君の声にも力はない。その理由は勿論、ここしばらくマネージャーの代わりをしてその大変さが彼の身に染みているからに他ならない。
「…俺、赤坂先輩が戻ってきてくれたら、仕事は返さないようにしてもうちょっと自分たちで頑張るっす」
「そうした方がいいな」
居なくなる前にそれに気づけたら100点だったのにな、と思ったが、彼の責任だけではないので、その言葉は自分の胸にしまっておいた。